| 世 宗 路 |
景福宮の正面の光化門(관화문 クァンホァムン)から真っ直ぐの太い通りは、
今は世宗路(세종로 セジョンノ)と呼ばれているが、
李氏朝鮮時代にはこの両側に外務省(礼曹)、防衛庁(兵曹)など各省庁(六曹)がおかれていた。
現在は光化門をむいて左側に世宗文化会館、右側にアメリカ大使館が立っている。
世宗(세종 セジョン)は第4代国王で、学者の粋を集めて 1449年に
ハングル(한글)を作った。【 1万ウォン札の顔が世宗】
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| 한글 ハングル |
ハングルが作られた後も正式文書はすべて中国語で書かれた。
初めて正式文書がハングルで書かれたのは 19世紀、キリスト教の禁止令だった。
キリスト教は学識のない庶民に広まっていたので、中国語で書いても分からなかったからである。
NHKで「ハングル講座」としてから朝鮮語(または韓国語)とハングルを混同するようになったが、
ハングルは文字の名前である。
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| 李 舜 臣 像 이 순 신 |
世宗路の真ん中に 李舜臣(이순신 イスンシン)の像が立っている。
1592~97年、豊臣秀吉が朝鮮に侵略したときに活躍した武将である。
秀吉は日本の天下をとったが、それまで行われてきた「交隣」外交についても、
また国際情勢にも理解がなかった。豊臣はなんと中国の明を攻めようとしていたのだ。
秀吉軍は釜山(부산 プサン)に上陸し 20日あまりでソウルを占領したが、
その少し先から進めなくなった。
当てにしていた海からの物資の補給がなくなったのだ。
朝鮮半島の左側を通って来るはずの日本船団を、南の海上で壊滅させたのが李舜臣であった。
李舜臣は号(ニックネーム)を忠武(충무 チュンム)といった。
【明洞(명동 ミョンドン)駅から一本繁華街側に入った通りが
忠武路(충무로 チュンムロ)】
この辺りは戦前は日本人の町で、本町という地名がつけられていた。
明洞は明治村とされていた。南大門市場の方にわたると
新世界百貨店(신세계백화점 シンセゲペッカジョム)があるが、これは戦前、三越デパートだった。
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| 梨泰院 |
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秀吉軍が撤退した後に残された日本人がここで介抱され、
異他院(イタウォン)と呼ばれたのが梨泰院(이태월 イテウォン)の始まりらしい。
院というのは重要な客を泊める役のことであった。
近くに龍山(용산 ヨンサン)駅がある。日露戦争のときに日本軍は龍山に兵舎をたて、
のちには軍司令部も龍山に移し、それ以来軍事都市となった。戦地に向かう兵士たちは
龍山駅から旅立った。
梨泰院は兵士たち相手の繁華街として発展した。
日本の軍事基地は、戦後はアメリカ軍が基地として使っているので、
米軍兵士相手にかわった。よく六本木にたとえられる。
六本木は、防衛庁の場所がアメリカ進駐軍の基地であった。
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