私の幻想・妄想(第7回)

  『李下に冠を正さず』 面白いことわざである。
  李下とはスモモの木の下のことをいい、李下で手を挙げて冠の曲がっているのを直すと
  李の実を盗むのかと疑われるということから、他人の嫌疑を受けやすい行為は避けるようにせよとの意
                                                  
広辞苑より

   第13章 好ましい物(5)

  桃の実が成っている光景を見たことがありますか。
  桃の実が成っている様子を知っているのといないとでは、上記のことわざの捕らえ方も違ってきます。
  我が家から車で二時間弱走ると桃畑に着きます。都会に住むみなさんに知ってもらいたくて撮ってきました。
  こんな親切なHPを他に私は知らない。(笑)

   

  今年は低温、日照不足で出来はもうひとつらしい。しかも前日まで雨が降っていました。7月27日撮影
  みかん、ぶどう、なし、りんご、かき等々果物類が成る様はなんとも微笑ましい風景ですが
  桃だけは違います。一種独特の風情、というよりおとぎの国、別世界です。
  少しでも上記のことわざの雰囲気が味わえましたでしょうか。

さてここで取り上げた桃は直しがあり一ヶ所ホツがあります。
美味しい桃を知っている虫が食べたようです。
7月に全国オフ会が骨董ジャンボリーを会場にしてありました。
私も参加させて頂きました。いやあ、楽しかったです。
そしてそれを上回ること6ヶ月前に同会場でプチオフ会が開かれ
そこで求めた物です。

各人各様の意見がこの桃に寄せられました。ほんと面白いです。
その人の収集態度が分かります。極端に言いますとその人の
人生哲学まで見えてしまいます。(笑)

この桃については私ごとき者が書くより次の一文を載せた方が
よさそうです。

 

  『よくみると、ギリギリの初期伊万里といえそうで、何より、”日本産の桃”であることに心惹かれた。
  桃のモチーフは、中国、朝鮮とあるけれど、この桃のふくよかさは、日本そのものである。白磁の
  質感は、照り返しのある上手な白さではなく、よどみのある灰色でもない杉板に置いて相性のよい、
  清楚な白磁である。型物であるから量産されたものだろうが、初見の小皿であった。
  とにかく、心の赴くままに、この一枚を買うことに決めた。』      
別冊太陽 骨董をたのしむ 5 小皿豆皿1000 より

   

  桃というと何故だか私は桜桃という言葉を思い浮かべます。
  桜桃はサクランボで桃とは違いますが私の頭の中では桃≒桜桃になっています。
  脳に配線された線の一部が短絡しているようです。
  太宰治の小説に桜桃があります。太宰ファンには申し訳ありませんが、どうしようもない男であります。
  愛人と死ぬことばかり考え、事実そうした男です。

  そう、私もかつて”哲学死”は許されるのではないかと思っていました。
  しかしそれは間違っていると断言できます。
  病院の集中治療室に入ったことがありますか。そこには必死で生きようとする命があります。
  神様が結論を出す前に自ら命を絶つことは許されないのです。

  最近インターネットで知り合い、集団で自殺を図る事件がありました。
  七輪に練炭を燃やして一酸化中毒死だそうです。格好悪いで〜す。こういうオフ会はダメダメです。
  私たちのように楽しいオフ会でなければいけません。
  あれ〜、話がおかしくなりましたので、この辺で日本の桃の話は終わります。


C−13 桃型小皿 江戸 長径 9.3cm

   第14章 それなりの物(5)

これは李朝の落雁の白桃です。(笑)
私は小学生の夏休みの楽しい、嬉しい思い出の記憶があまりない。
明日が始業式の前日、溜まってしまった夏休みの宿題をしている
記憶です。実に情けない思い出です。

ところで前章で書いたネットの集団自殺の件ですが、なぜ格好悪いかと
言いますと、道具のバランスが取れていないからです。
七輪は秋刀魚を焼いたり、小豆をコトコト煮るものでしょう。
洋食が好きならシチューや豚の角煮を煮込むのもよいでしょう。
最後なんですから、きちんと食事はとりましょうね。コンビニの
弁当なんてダメですよ。正装して最後の晩餐を楽しみましょう。
CDも選曲には吟味してその場に相応しい曲をかけましょう。
間違ってもモーニング娘の曲なんかかけてはいけません。
さ〜あ準備が整いました。さて最後に使用する道具ですが
教えてあげませんよ〜だ。

 


その国、その民族の文化は人をどう葬るか
後にに残った人がどう亡き人を弔うかでしょう。
仏教美術はまさにそうだと思います。
だから順番も大事なことなのです。
親より先に逝くなどとんでもないことです。
今、僕は17歳で自ら命を絶ったC君のことを、
18歳で冬の甲斐駒ケ岳で遭難し帰らぬ人となった
K君のことを想っています。

 

僕は彼らとは特別親しい間ではなかった。顔が合えば
おう、と挨拶する程度だった。
今、元気でいるならば良いおじさんになっていただろう。
C君は禿げオヤジにK君はビール腹の暑苦しいオヤジに
なっていたことだろう。
紙粘土遊びをしたせいか、彼らのことを思い出した。
適わぬことと知りつつも、もう一度少年時代に戻りたい
と思う。

  そして話がしたいと思う。しかし余りにも時間が経ち過ぎたようです。

  この菓子型は意外と女房が気に入っています。時々出しては飾っています。
  だから何をするのかと、ゴチャゴチャ聞かれるのが煩わしくて彼女が外出した隙に作った。
  掃除をした筈だったが李朝の塵・埃が付着した。
  外出から戻った女房は紙粘土の落雁をみてニヤニヤしていた。
  こうして平成15年の夏も大過なく過ぎようとしています。

     『馬上少年過ぐ
       世平らかにして白髪多し
        残躯天の赦すところ
         楽しまざるをこれ如何せん』  
伊達政宗

C−14 李朝菓子型 全長31.5cm 桃は7.6cm

       (第6回をみる)                       2003.08.01