私の幻想・妄想(第6回)
淡水魚の絶滅種について調べていたら、面白いサイトに出会った。
その筆者は絶滅種、絶滅危惧種のひとつにミズガキを挙げていた。
ミズガキとは川や水辺で遊ぶ元気な子供。「水生動物」の一種とあった。
第11章 好ましい物(4)
この辺りでも「キケン よい子はここで遊ばない ○×PTA」などという立て札を目にします。
今は脱皮をしてしまった、かつてのミズガキに言わせればこういう場所ほど面白い所はない。
お腹が空くのも忘れて一日中遊べるのです。

陶芸家の辻清明氏がこんな随筆を書かれています。
「近頃私は若い陶工たちに、小皿を造ることを盛んに勧めている。
先人の残した小さくても偉大な器の世界を知ることによって、
彼らの才能と技術を磨いてほしいからだ」
別冊太陽 骨董をたのしむー5 小皿豆皿1000より
私はこの文の意味がずっと解らなかった。
何故小皿なんだろう。七寸や尺皿を造った方が腕が上がるだろう
と思っていた。
しかしそれは轆轤を挽いたことのない素人考えであった。
この小皿を手にして、はじめて造るのも絵を描くのも小皿なりの
難しさがあることを知った。
上記の画像は単純に轆轤を挽くまねをしてみた。馬鹿ですね。(笑)
この手の皿が入ると我が家では儀式を行います。
儀式といっても難しい事をするわけではありません。盃にみたて一杯やるのです。これが楽しみで、はい。
片口から注意して酒を注いだ。あれ?アワが立つ。一気に飲み干し再度注いだ。
やはりアワが立った。今度は泡が二つだ。ひょっとすると、この蟹は生きているのか!?
どうですか蟹君、久し振りに水を得た感触は、ちょっと酔った気分ですか。
そんなたわいない会話をしている内に片口が空になった。私は継ぎ足す為に台所に行った。
「あら、もう飲んじゃったの」と女房が聞いた。「いやあ、蟹君が半分飲んじゃってね」と
訳のわからぬ言い訳をしながら継ぎ足した。
この陶工(画工)はきっと子供の頃、川遊びをして蟹取りをしたに違いない。
そうでなければこんな皿はできないと思う。
C−11
藍九谷蟹文小皿
径7.8×高さ1.9p
第12章 それなりの物(4)
蟹を出した都合上、甲殻類のもう一方の雄、海老を出さない訳にはいかない。
骨董店には『疵物コーナー』と称する一角を持つお店があります。
この言葉あまり好きではないのですが、一時期獲物はないかよく漁りました。
目的は老後の楽しみに金直しをするための素材を求めてでした。
画像では分かりにくいですが口縁に二箇所のホツあります。
幸い薄手の器体には問題はないようです。ご覧のように金直しはまだしていません。
上記の不器用な手つきの画像でお分かりのようにちょっと躊躇しています。
それでも金繕い教室は見つけました。春教室に通うかなと思ったりしています。
裏面を見ると何やら文字が書いてあります。
延宝年製という伊万里が完成の域に達した時代があります。
時代が下がりかつての栄光の品に少しでも近づきたいという、陶工の創作意欲が
延宝年製の一字を取り「宝」と記したのでしょうか。
私は九州陶磁文化館はもとより泉山陶石場、各古窯跡も訪れていません。
いつか機会があれば行くつもりですが、その前にやらねばならない事、宿題が出来てしまいました。
それは有田の山中に入り、沢で蟹や海老取りをして童心に帰ることです。
どなたかお付き合いしてくださる奇特なお方はいませんでしょうか。(笑)
C−12
海老文碗
径7.5×高さ5.4p
(第5回をみる)
2003.07.01