磯田 道史  



1970年生まれ。慶応大学大学院卒。歴史家、文筆家、茨城大学助教授。
03年、ベストセラーとなった『武士の家計簿』(新潮新書)で新潮ドキュメント賞を受賞。
05年より朝日新聞土曜版。に
「昔も今も」を連載。『近世大名家臣団の社会構造』(東京大学出版会)で博士一史学)。


殿様の通信簿




磯田 道史


朝日新聞社





2006/10/26
『土芥冠讎記』(どかいこうしゅうき)という元禄期に書かれた書物がある。これは、幕府隠密の「秘密情報」つまり公儀の隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもので元禄三(1690)年ごろに書かれた当時の大名243人の人物評価を載せた稀有な書物だという。これが「殿様の通信簿」。江戸時代の難解な言葉で書かれているので現代語に直しながら、他の書物からの引用も交え、元禄期の殿様の生々しい生活ぶりを見せてくれる。

 まず、水戸黄門こと水戸光圀。「ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし」『黄門』という言葉の意味、光圀の圀の文字を作ったのは則天武后だという蘊蓄を含め、家康の孫という高貴な人物が、好奇心にかられて、色街に出没する。その噂だけで人々は浮き立つ。そして「水戸黄門漫遊伝説」が作られていったという。

 浅野内匠頭と大石内蔵助―ー別の書物『諫懲後正』(かんちょうこうせい)という大名の行状を記した書物では、24歳の内匠頭は「奥にひきこもり、女と戯れるだけ」と書かれていたりする。吉良に切りかかる前の内匠頭の様子がわかってくる。

 著者は岡山出身なので、祖父から聞いた話など「中学生の私にしてみれば『日本三大名園』を作るよりも、子どもを70人作るほうがよほどすごいことに思え・・・人物像が肥大化していった」というのが楽しく、藩祖光政、2代目綱政について語っている。
 殿様たちが京都の宮廷文化に憧れたこと、だから雛人形が天下万民にも広がったことなどはなるほどと思った。

 戦国の気風が残る武骨者世代と、平和になって生まれ公家風の雅に憧れる貴族化した世代との葛藤や断絶は、現代の世代間格差に通じるものがあって面白い。
 
 加賀前田家三代を分析し、徳川幕府が三百年続いた理由をあぶりだしたのは、目から鱗だった。

 史実の説明であるにもかかわらず、物語のように読める楽しさ、著者にはもっとたくさん書いて歴史の楽しさを味わわせてもらいたい。
  他に  内藤家長 本田作左衛門 


武士の家計簿

「加賀藩御算用者」の
幕末維新


磯田 道史


新潮新書





2006/10/19
 「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、精巧な「家計簿」が例を見ない完全な姿で遺されていた。国史研究史上、初めての発見と言ってよい。タイム・カプセルの蓋を開けてみれば、金融破綻、地価下落、リストラ、教育間題・…-など、猪山家は現代の我々が直面する問題を全て経験ずみだった!活き活きと復元された武士の暮らしを通じて、江戸時代に対する通念が覆され、全く違った「日本の近代」が見えてくる。(カバー)

 加賀の和算は驚異的な水準にあったらしく高度な数学があった。御算用者という身分があり、武士のイメージはずいぶん違う。
 加賀藩への将軍の娘の婚礼は、加賀藩にとっての一大事業、財政破綻している中での資金繰りの苦労などの記録もある。

 御算用者の猪山家は家計が逼迫し、借金整理のため財産売却をした。目録は細かく、「二度と借金を背負わないよう計画的に家計を管理しよう」と家計簿をつけ始めたおかげで現在研究することができる。
 収入が少ない中、減らせない支出は、親戚づきあい、祝儀交際費、祭祀行為であり、武士の身分を保つ為の費用だ。数ある年中行事も身分に応じて出費がかさむ。

 御算用者として子どもの教育も厳しい。何代も続く為には祐筆と算術に長けていなければならなかった。
 
 江戸時代の猪山家は、由緒家柄を重んじる藩組織のなかで蔑まれ続けてきた。ソロバン役という武士としては「賤業」についていたからである。幕藩体制が崩壊し近代社会になると、この「賎しい技術」こそが渇望され重視されるようになった。軍の財政を扱うようになり、年収3600万円。
 由緒だけに頼って生きてきた士族は、いわゆる武士の商法、年収150万円にしかならなかった。
 残された資料から、武士の生活を細かく浮かび上がらせて、とても面白かった。私の家計簿をみても、ここまで過去を思い出せるかどうか・・・・。
 03年、新潮ドキュメント賞を受賞。

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