猛烈な破裂音を轟かせて、ついに“それ”はその威容をコロニー船内に現した。

「レギオンっ!」
 蛍士の視界で尖角を備えた巨大な甲殻生物を筆頭に、次々に“上”に空いた大穴から湧き出してくる。その1箇所だけではない。立て続けに船内空間の下も、右も、左も前も後ろも…次から次へと超合金の外壁を突き破り、幾重にもなった防壁を食い破ってレギオンどもが溢れ出す。






Shell Clash






 常ならば黒や灰、暗銀、白を基調としたシックなカラーで彩られているコロニー船“アーク31”ブリッジ内を、今は赤い光が満たしていた。
「第4層 EW435、突破されました!」
「同じく第5層 EW579、584、突破!」
「滑走装甲を全展開して穴を塞げ。船内の気密を最優先させろ! 急げ!!」
 パニック寸前のクルーたちの間を数々の報せが切り込み、矢を継ぐ命令が鋭く飛び交う。
(何事も訓練通りとはいかんものだ…)
 正面モニターに映し出された鯨型をした艦の見取り図を、ダークグリーンの制服姿の壮年女性が腕組み睨み据えている。
 実習護衛艦“オキュペテ”のカーツ大佐から報告があってから既に52分が経つ。見ればコロニーの市民を含めた乗員の船外退避は未だ30%も進んでいない。
 常時行っている乗員避難シミュレーションでは、既に全乗員の船外退避が完了していてもいい頃だというのに…
 女性クルーの1人が長い髪を散らして背後を振り仰ぐ。
「艦長っ! レギオンが船内に到達しました!」
「くっ…軍の連中は何をやっているっ!?」
 艦長と呼ばれた壮年女性が、鋭い視線で隣のモニターを見遣れば、幾多のレギオンを示す赤い光点がこの船に群がり見る間に18層ある特殊装甲を穿ち掘り進み、居住区に到達して行く。
「“グリフィン”“バンダースナッチ”到着。攻殻機兵、格闘戦闘艇部隊を展開。本船側面で防衛線を張りつつありますが…… 数が、違いすぎます……」
 告げる言葉は終わりに近づくほど力を失う。このままでは…
(…いたしかたあるまい)
 艦長はギリリと歯を軋らせると
「定員に達したシェルターから即座に本船から切り離せ! 1人でも多くこの船から降ろすんだっ!」




グオオオォォォォオオオオンンンン……
 奇怪な轟音とともに…ここには音を伝える空気があるから…舞い降りるレギオンたちの巻き起こす重力の波が、その各個体の周囲に在るものを見境なく弾き圧壊させる。宇宙空間でその巨体を制御するAGP(無志向重力ポテンシャル)が、人の住まう空間で展開されるとどうなるのか? その結果がここに明らかにされた。
ドオンッ!!
 コロニーの地面スレスレを浮遊するレギオンを中心に周囲の建物は崩れ落ち、その進む軌道上に位置した存在は、人間であれ何であれ、軌道に沿って吹き飛び、その多くが未だ崩れ落ちず形を保った建造物や居住区壁面に叩きつけられる。
 その光景が少年…蛍士の眼下で繰り広げられていた。
 軍用多輪トラックが多くの人々を乗せたまま弾き飛ばされ、罅の入ったビルの壁面に激突し高重力にたちまちペシャンコになる。中のものを抱えたまま。
 視界に、ライトと異なる赤が弾け散る。
「……」
 怒号と悲鳴、血と恐慌。迫る来る“死”の足音。そして、生まれてはじめて見た、それをもたらす“敵”の異様な姿に、蛍士の目が見開かれる。
「…なんで…」
 呆然と、かすれたように呟き立ち竦んだ。
 いつものように学校へやって来て、たまに…でも普通の生徒よりは高い頻度で…不愉快な思いをし… 疲れた体を引きずって、あの何もない場所へ戻る。そんな時間が当分… 少なくともこのコロニー船という小さな社会で成年に達するまでは、そんな時間が過ぎて行く。何の根拠もなかったけど、そう信じて疑わなかったのに。

 信じて、いたかったのに…

 目は惨劇に向けたまま… じり… と、一歩足を引く。
「なんで…また、こんなことに…」
 そう、“また”だ。
 “こんなこと”は、いつも突然やって来る。
「うっ…」
 何の脈絡もなく唐突に、蛍士を吐き気が襲った。
(どうして!?)
 その突然の変化に戸惑う。
 ここには、人が造り出した仮初めのものとはいえ、重力があるのに。
 右手で口元を覆い、胸から這い上がってくるむかつき感を抑えようとしていると…
「君っ!」
 背後から突然、蛍士の耳に女性の大声が届いた。
「そこのミドルスクールの生徒っ!!」
「え…」
 誰もいないと思い込んでいたところへの急な呼びかけに驚き、蛍士が振り向くと
ブオンッ! ブロロロロロロロロ!!
 猛烈なエンジン音を轟かせながら、暗緑色の軍用6輪ジープが突っ込んで来た。
「うわぁっ!」
キュイイイイイイッ!
 吐き気も忘れて飛び退く蛍士。ちょうど蛍士の立っていた空間を、6輪ジープが横滑りしながら見事なまでに占拠する。
(な…一体なんなんだよっ!?)
 そんな蛍士の惑いも余所に、ジープの運転席側のドアが開いて中から若い女が血相変えて飛び出してきた。年はまだ10代後半くらいに見える。開拓機構軍のダークブルーの軍服姿で、その動きに合わせて結った長い黒髪がフワリと流れた。
「君よ、君っ! 非常事態宣言が出てどれくらい経ったと思ってるの民間人は即座にゲートに行かなきゃならないってのに避難訓練で習ったでしょまったくうっ!」
 一息にまくしたてると蛍士の襟首をムンズと掴む。175cmはあるだろうか、結構長身な上に鍛えているのか軽々と
「え、えーと…」
「いーからさっさと乗るっ!」
 蛍士の言葉など問答無用で運転席側からジープの助手席に放り込んだ。
「どわっ」
 悲鳴と呼ぶには少々かっこわるい声を上げて蛍士が頭から助手席にはまり込むと、女性軍人も乗り込みドアを勢いよくロック。そのままハンドル脇にあった携帯通信端末を手に取ると、アクセルをふかして急発進させた。
 ちゃんとシートに座っていない蛍士にはひとたまりもない。
「ぐぇ…」
 うめき声のようなものを上げたのだが、女性軍人は耳に当てた携帯端末に集中していて聞いちゃいない。
「…こちら李(リー)、反応があった2人をたった今回収しました。…はい…… はい…… え? 第8区・23番ゲートが………… はい、第5の14番は無事なんですね… 了解しました…… 幸運を」
 ピッと乾いた電子音を立てて女性軍人は通信を切ると、切れ長の目を鋭く細めて窓の先を臨み… 助手席と後部座席に聞こえるように口を開いた。
「聞いてた君たち? 迂回して第5区の14番ゲートに向かうわ…って、聞いてる?」
 何の反応もないので助手席と後部座席に目を遣ると、ぼさぼさ髪の蛍士がよっこらとようやく体勢を整えてシートに収まらんとし、後部座席では…
「すごいっ! すごいよっ! あんな形態のレギオンは記録にないよっ!」
 蛍士より1つ2つ上くらいの少年がジープの後部座席から、望遠スコープで外を見ながら興奮気味に喋っている。
「尖頭化に殻刺化… 速過ぎる。進化のスパンじゃ考えられない。きっと形態変化…“変態”だ。甲殻類に近いなら脱皮の際に変化したのかな? 外敵・人類の存在が彼らに何らかの形態変化を強いたと仮定するなら、ダフニア・ピュレックスの…」
 少年がスコープを降ろして急にがばっとその身を翻すと、何故か着込んだ白衣も翻一緒に翻る。丁寧に短く切りそろえられた金髪育ちの良さを伺わせた。
「なあ君! すごいと思わないか? ボクらは1つの未知なる“種”が生存のために起こした形態変化に立ち会っているんだよ!」
 こんな状況下であるにもかかわらず、分厚い眼鏡の奥のこげ茶の瞳を好奇心にきらめかせ、前のシートに座った蛍士の肩をバシバシ叩く。
「はぁ?」
 蛍士は白衣の少年の言っていることが半分も理解できない。
「…はぁ……」
 そんな少年2人を見ながら、女性軍人は深々と溜息をついた。
「まったく… 君たち状況わかってるの? レギオンがエリクシル・プラントを狙って船内に侵入、なんて聞こえはいいけど要するに暴れまくってて被害は甚大。現在も拡大の一途を…」
 若い女性軍人は状況説明を続けようとして…気づいた。
「あなた、その傷どうしたの?」
 たった今放り込んだ少年の顔はアザだらけ傷だらけだ。今起きている事態のせいではないと…直観でわかる。
「あ…いえ、その…」
 急に問われて蛍士は言いにくそうに黙ってしまう。それなりに年を取った相手ならともかく、まだ20にもなっていないくらいの若い…しかも割と美人な女の人に「所謂“いじめ”に遭っているんです」とは言えないものだ。
 しかしそんな沈黙は、その年齢を過ぎた者にしてみれば、ものを語っているのと同じこと。ある程度の検討はついてしまう。
「…いいづらい…ことかな?」
「…はい」
 蛍士はなんとなくバレているんだろうなあとは思っていたせいもあって、素直にそう答えた。
「これから30分少々の短い道行きだけど、自己紹介しておくわね。私は李、李 光里(りー みつり)。先々月コンバットスクールを卒業して軍に入ったばかりの新兵さん。まだ研修段階なんだけどね… 君たちは?」
「僕は日下…日下蛍士(くさか けいし)です。一応、ミドルスクールの3年です」
「セイです。セイ ウォーケン17歳。ハイスクール2年で、カレッジでは宇宙生態学を専攻したいと…」
 光里と名乗った女性軍人が微笑み差し伸ばした手を、蛍士はおずおずと握り返し、セイもそれに続く。
 その道行きが30分少々では済まなくなることを、全知の神ならぬ彼等は未だ知る由もない。






第2話 生命宣戦






 鯨に似た長い紡錘形の船体右舷側・後部から1つの円柱が突き出すと、それを皮切りに、船体を水平に横切るように次々と円柱が突き出して来る。

「シェルター26、27、28、切り離し準備完了」
「同じく、12、13、14、切り離し準備完了」
 ブリッジクルーたちの指がコンソールのキーボードを目まぐるしく駆け抜ける。各自、自身の担当するパートの報告を口にしながらも、その手が止まることはない。
「システム、オールグリーン」
「アーク35、42、51の受け入れ準備態勢完了を確認。いつでも出せます!」
 報告を受けた艦長は、間髪入れずに命令を下した。
「よし、準備が完了したシェルターから随時切り離せ」
 既に船内の被害が拡大しつつある。逃げ遅れている民間人の被害者も、だ。時間がない。少しでも…
(…全員は助からんな…… 間違いなく)
 それでも、少しでも多くの人間を生き延びさせねばならない。その決断がいかに醜くとも… それが開拓機構に属する者の勤めだ。
 全ての乗員がシェルターに避難するのを待っている時間は、残念ながら、ないのが現実。
「了解。ブリッジよりシェルター26へ。これから本船からのパージ・シークエンスに入ります。乗員は直ちに対ショック姿勢を取り……」
「エリクシル・プラントを稼動させないように厳重に通達しておいてくれ。ネクタリオン反応を隠せばレギオンどもに襲われる可能性も減るのだからな」
(絶対に襲われない、と言い切れないのが辛いところだが…)
 一通りの命令を出し終えた艦長はひとたび席に着くと、苦しげに眉間を押し揉んだ。

 船体から突き出した円柱は各々その内に千人を超える人員を乗せ、母船・アーク31から切り離される際の射出の慣性を利用して、隣接して航行するコロニー船に向かう。




 第5居住区ノースブロックに位置する、開拓機構軍第7士官学校。通称“第7学校”校庭のすぐ脇に、シェルター16、17、18に通じる14番緊急避難ゲートはあった。
 地下…と呼ぶのは、人類が大地を失って久しい現在正確ではないのかもしれないが、人工重力の向かう方向に向かって斜めに開いた大穴が、次々と人々を乗せた軍用トラックを呑み込んで行く…その様はどうしても“地下に逃げ込む”というイメージをそれを見守る者に抱かせる。
(…我々は沈没間際の船から逃げ出すネズミか……)
 ダークブルーの軍服を着た青年士官が苦々しげに眉を寄せながら、怒鳴るように部下に命じた。
「民間人の誘導を急げ! シェルターの切り離しはもう開始されているんだぞ!」
 見れば民間人を積んだトラックは次々とひっきりなしにゲートに入って行く。そこに間断はなく、これ以上仕事を急いてもはじまらないことは百も承知だったが… どうしても焦りは募ってしまう。
 20年振りのレギオンの大襲来。迫り来る脅威の矢面に立たねばならないのは他ならぬ、開拓機構軍人たる自分たちなのだ。
 覚悟はいつでもできていたつもりでも…怖くないと言えばそれは明らかに嘘になる。失われるのは人々の… そして、自分の命だ。
「フォスター中尉! 第7学校の方で何か揉め事が起きていますが」
 部下の1人が、老婆を背負って歩きながら言ってきた。
「わかった! すぐ行く!」


(ったく、こんな時に…)
 イライラと、短く刈った見事な赤毛を掻き毟りながらフォスター中尉が向かった先・第7学校の片隅、大きな“それ”の横で1人の男子生徒が2人の男の軍人に羽交い締めにされていた。
「君たち士官学校の生徒にも避難命令が出ているんだぞ!」
「離せっ! 離すんやっ!」
 しかし体格のいい男子生徒は、あちこち汚れたつなぎの作業着を着たまま2人の軍人を引きずり“それ”に少しでも近づかんとしている。
ずり…ずり……
「何バカなことを言っているんだ! できるわけないだろうっ!! 素直に大人の言うことは聞けっ!」
「そなことやってみなわからんやろがっ!」
 健康的に日焼けしたその顔が2人を睨み上げ、吠えた。


「…一体何の騒ぎだ? 早く……」
 そんなところにしかめっ面をしたフォスター中尉が現れた。
「あ、中尉」
(今やっ!)
 1人が敬礼のために手を離した隙に、男子生徒はなんとか軍人の手を逃れて傍らの“それ”に取りつこうとするが
「させん!」
「ぐおっ!」
 もう1人にタックルされて前につんのめり…こける。
「くっそおおおぉぉぉ…」
 悔しげにうめく男子生徒に、すかさずもう1人がのしかかった。
「それで、何をやっている?」
「はっ。この男子生徒がその…“これ”に乗ってレギオンと戦うと言い出し…」
 問われ、部下が“これ”と言って指差した先に目を向ければ…
「ストライク・シェル(攻殻機兵)ではないか… どうしてこれがこんなところにある?」
 間違いようのないその威容。攻撃的な殻に包まれた巨大な兵士が、搬送用デッキの上に手足を畳んで…コクーン形態でうずくまっていた。
「この第7学校はシェルライダー養成課程“機兵科”と一緒にシェル・エンジニア養成課程“生体機械科”が併設されております」
「それで、訓練実習用の機体が在るわけか」
「はい」
「…旧タイプの“アリテス”だな」
 漆黒のその機体のフォルムは現行の機体に比べてやや太く丸く…いまひとつ野暮ったい。ちょうど1世代前に前線、そう“アバドン戦役”時に活躍したレムリア陣営の機体だ。
 まあ、最新鋭の攻殻機兵“ラツェルタ”を学生のシェル解体実習には使うまい。
 フォスターは地に伏せさせられた形の男子生徒のIDを左腕の端末で認証し、見下ろす。
「生体機械科3年、石山連太郎(いしやま れんたろう)君か。ふむ…君はシェルを操れるのか?」
「基本動作くらいはやっとるわい!」
 返事の勢いは強かったのだが
「…軍としてその心意気は買いたいところだが… それは重力下での話だろう?」
「く…」
 図星なのか、連太郎は顔を歪めた。
「シェルはそんなに甘いものではないよ。素養も訓練もない人間がグラヴィティ・ダイヴ(志向性重力降下機動)を行えば1秒も経たない内に失神する。かく言う私も適性検査で落ちた口でね」
 何を思い出したのか、フォスター中尉はおどけたように少しだけ寂しげに肩をすくめると一変、その表情をかき消し
「今、君にできることは、一刻も早くシェルターに退避することだ」
 酷く真剣…という言葉が似合う刃のような目で、連太郎の目を射抜いた。
「……」
 その視線の内包する力…覚悟なのか…に気圧され、連太郎は黙り込む。黙り込まされる。
「…生き延びさえすれば、チャンスは…」
 言いかけた、その時
ズドォンッ!
 耳朶を撃ち抜く猛烈な破裂音に続いて
轟ッ!!
 押し寄せる見えない“波”が、彼らの全身をなぶる。立っていられずその場の全員が伏せた。
「なんだっ!?」
 フォスターが反射的に顔を覆った腕を離し、音と“波”のやって来た方向に検討をつけて見上げれば

 地面を尖角で貫き穿ち、辺り一面を破壊しながら現れ出でる、巨大な甲殻の“敵”…






Shell Clash Ver1.01

   Survival Wars U







 ジープに備えつけられた対レギオン用3D動体レーダーとにらめっこしながら巧みにレギオンの侵攻ルートを迂回し、道ならぬ道を抜けようやく第5区14番ゲートが見えたと思った矢先…
「あと少しだってぇのにぃいいいっ!!」
 突如地面から出現したレギオン。その出現が巻き起こす重力の波に弾き飛ばされながらも、なんとか車の体勢を整えようと光里が急ハンドルを切るのだが
「うわぁぁぁぁぁあっ!」
「これだけわあぁぁぁぁぁぁああっ!!」
 蛍士が叫び、セイはノートボードを抱えて絶叫する。
 軍用6輪ジープは風に巻かれる木の葉のように横転し、中の女性1名少年2名を激しくシェイク。2転、3転と転げ回って…運良く逆さにも横倒しにもならずに…止まった。
「つっ…」
 あちこち痛む体にクラクラとする頭を振りながら、蛍士が顔を上げた。
 窓の外を見ると、現れたレギオンは地に節足を着け、何かを探るように下部からこれまた節のある触覚のようなものを出して震わせている。
(レギオンの…重力波?)
 その些細な移動の際に発生する余波ですら、通常空間に生きる人類にとっては致命的な損害を与える。そして…
(あれは…)
 ふと、それが目に留まったのは、こわさをなくしたくて、なくせなくて… ずっと、ひどく慣れ親しんだ“もの”だったせいか。
 白いL字型をした建物の前に広がる大きなグラウンドの片隅で、伏せた姿勢の人影たちの後ろにある黒い“もの”が蛍士の視界に否応なく飛び込んできた。
(シェル?)
「くっ…」
 ぼうっとするのも束の間、横から聞こえてきたうめき声にはっとなる。
「み、光里さん? しっかりしてください! 光里さんっ?」
 ためらいがちに蛍士が肩に手をかけ揺さぶると、ゆっくりとだが光里はハンドルに伏せていた体を起こした。
「ん…大丈夫。平気よ…」
 軽く頭を押えながら、蛍士の方を見て安心させようと笑みを浮かべてみせるのだが
「光里さんっ! 血が出てますよ!!」
 言われて光里は頭から離した手が赤く染まっているのに気づく。
「あらやだ…」
「あらやだじゃないですよ! 早く手当てを…」
 何か手当てに使えるものはないのかと辺りを見回す蛍士だが、光里はやんわりと手でそれを制すと
「大丈夫だって。頭は派手に出血するから重傷そうに見えるだけよ。ちょっと切っただけだから」
「……」
「心配してくれてありがと。それより…」
カシュン…
 言って光里はレバーを引いてジープの助手席・後部座席のドアを開けた。幾台も連なって停車した多輪軍用トラックの向こうに、斜めに大きく空いた暗がりが見える。
「…ここからゲートまで200m足らずよ。そこのセイ君を起こして…起きないようだったら背負って…行けるわね?」
「光里さんは、どうするんですか?」
 蛍士は…気づいてしまった。
「私たち軍人にはまだ仕事が残っ…ているわ。民間人は、まだ、残っている…もの」
 その言葉が終わりに近づくほど小さくなる。じっと光里の顔を見れば、額からは血だけではなくひっきりなしに汗が流れ落ちている。
「…嘘、ですね」
 ふふ… と光里は力なく笑う。
「ばれちゃったか… なかなか鋭いのね、君。実はこの車はもうダメなのよ。さっきのショックでバッテリーが、漏電、しちゃったみたいでね… ここからは、自分の足で、走って、逃げ…」
 切れ切れの光里の言葉を遮るように、蛍士が問い続ける。
「怪我して、るんですか?」
「…ちょっと休めば、平気よ。仕事が終わったらすぐ、シェルターに、駆け込むわ。だから…」
 そうは答えるが、流れ落ちる汗から見れば決してそんなに軽いものとは考えられない。
 徐々に徐々にジープの車内が、赤い鉄錆びに似た匂いで満たされてゆく。
(どうして…)
 きしり、と蛍士の中で凍てつき乾いた何かが…軋んだ。
 どうしてこのひとは… 会って間もない見ず知らずの僕なんかを助ける? 軍人だから? 仕事だから? …他人なんかどうだっていいじゃないか
(なんなんだよ……)
 あの日以来… 気がつけば、周りの人間が自分に向ける感情は、哀れみと侮蔑と…無機質な傍観しかなかった。ずっと… たった1人を除いて… なのに
(なんなんだよっ!)
 自分が死ぬかもしれないってのにこの人はっ! 他人に向かってっ!
 …いらいらする…ざわざわする!
「…いきなさい」
「行きなさい」とも「生きなさい」とも聞こえる。光里のその言葉に蛍士の中に憤怒が吹き上がった。どれだけ殴られても蹴られても、侮蔑の言葉をぶつけられても生まれなかった憤りが。
(“生きろ”っていうのかよ!)
ドンッ!
 自分でも何がそんなに腹立たしいのかわからないまま、蛍士は握り締めた両の拳をシートの手すりに叩きつけた。
「…どうしたの?」
 光里はどうにも妙な蛍士にキョトンとした顔を向ける。
「…ここに、いてください……助けが、来るまで…」
 うつむいてしまい髪がかかり、その表情は見えない。押し殺したようなその声は、激しい喧騒の中にありながらも、ひどく静かに響いて聞こえた。
「…?」
 光里には、蛍士が何を言おうとしているのかわからない。
「…僕が、レギオンを……………… 止めます」
 蛍士は言いながら、セイの頬をぺちぺちと軽くはたく。すると、うーん…とかうめきながらセイがその目を開けた。
「は? 蛍士君、何を言って…」
 光里の問いかけを無視し、蛍士は後部座席で気を失うセイの耳を引っ張り話しかける。
「セイさん、光里さんが怪我してます。誰か助けを呼んで…セイさんっ!?」
「う、うーん…え? 怪我?」
 目覚めたばかりのセイはぼやぼやと蛍士の言葉を反復した。蛍士はセイの白衣の胸倉を引っ掴むと
「そうです! 光里さんが怪我してるんですっ! だから早く誰か救助の人を呼んでくださいっ! いいですねっ!!」
 有無を言わさず言い含めた。
「は…はひ」
 何に腹を立てているのかわからないが、語気を荒らげる蛍士の凄まじい剣幕に、セイは思わずこくこくと頷く。
「あなた…何をする気?」
 苦しげな声で重ねて問われるも、蛍士は無表情に黙ったまま開いたドアに手をかける。
「……」
 少年の黒い瞳の見据える先には、うずくまる黒い…殻(シェル)。生憎と、光里とセイの視界には映っていない。仮に映っていたとしても、これから蛍士のやろうとしていることと結び付けては考えられなかったろう。
「さっき、言いました」
 ジープから半身を乗り出した蛍士の背中しか見ることはできず、かすれそうな言葉は静謐に限りなく近い。なのに不思議と光里とセイには聞き取ることができた。
「レギオンを、止めます」
「なん…ですっ、てっ!?」
 光里の制止の間もなく蛍士はジープから飛び出し、一直線に駆け出した。
 振り向くことなく。


 レギオンはゆっくりと、今度は下部に生えた節足を使って這い出す。
 重力波の衝撃がひとたび去ったのを見計らってフォスターが立ち上がった。
「あの方角は…サウスブロックか…」
 コロニー船内は船の進行方向をノース(北)と捉えてその区画名が割り振られている。
「まずいな…」
 サウス…船の進行方向と逆に進んだ果てには、動力炉にして乗員全ての生活を支えるエネルギー生産プラント、8基の“エリクシル・プラント”のメインブロックがある。
(蓄積したネクタリオンを喰われるだけで済むなら、いいんだが)
「なんやとっ!」
 その言葉に血相変えて立ち上がったのは連太郎だ。
「サウスブロック向かったいうんわほんまかっ!!」
「ほんま…本当かということなら本当だ。見ればわかるだろう?」
 フォスターが指差す先を見て、連太郎が呆然となる。たった今出現したばかりのレギオンが、節足を使って周りのものを無造作に破壊しながら這い出していた。
(こうしちゃおれんわっ!)
 自分を抑えつけていた軍人が離れていることを確認すると
「あ! 貴様まだ…」
 気づいたフォスターが止める間もなく、連太郎はシェルに向かって走っ…た。のだが…
「!?」
 小柄な影が連太郎を追い越し駆け抜け、普通シロウト目にはわからない登攀具を巧みに使ってデッキに搭載されたストライク・シェル“アリテス”の背部ハッチによじ登った。
 10代半ばほどの少年だ。よく見れば紺の詰襟・ミドルスクールの制服を着ている。
「なんやおのれはっ!」
 連太郎の誰何を無視してその小柄な人物は器用にハッチのロックを解除。そのままライダーシートに身体を滑り込ませる。


 背後のハッチのロックを確認すると
(あった)
 蛍士はシートの脇に納められた携帯用HMD(Head Mount Display)バイザーを取り出し両眼に固定。バイザー右サイドにあるスイッチに軽く触れてセンサーをオンにすると視界は白く染まり…すぐに通常の視覚を取り戻す。
(…僕は……)
 すると正面で、日に焼けた体格のいい若者が怒りを顕わに怒鳴っていた。通常音声はオフになっているので何を言っているかまではわからない。その顔からして怒っているのだとわかるのだが…
 そんなものは目に入っていなかった。
(僕は… 何をやろうとしてる?)
 蛍士はここまで走りながら現在この瞬間まで、ずっと己に問うていた。しかし問い続けながらもその手は休むことなくシェルの起動シークエンスを単独でこなしていく。
 左のレバーを握るとHMDに横棒状の検出パラメーターを出力し、現状の機体状況を確認。

 ネクタリオン濃度、活動圏内。エリクシル・エンジン起動

 トグルスイッチの1つを弾くと、細かな振動が身体を覆う。攻殻の巨人を突き動かす炉心に火が灯る。

 ネクタリオン変換率上昇 10…24…50… 駆動系への熱量供給

 流れ込む力にビクンとひとたび巨体が痙攣した。

 ∞(アンフィニ)到達。AGP(無志向性重力ポテンシャル)発生。変換経路のループ固定完了。クライン構造を形成…終了。

 これでシェルを動かす準備は、整った。目を向ければ
「…!」
 3Dで図示される各センサーの索敵結果はサーバーとの連携を行っていないにもかかわらず、ぎっしりと船内に満ち出すレギオンを示す赤い光点で増やしていた。
 対して、この船内のシェルは自らの乗り込むただ…1機だ。それを知った瞬間、勢い任せにこんなことをしでかしている自分自身に激しく後悔する。が…
(何を… 何をやろうってんだよ僕はっ!)
 そんな自分への苛立ちと怒りをぶつけるように、蛍士は左右に握ったコントロールレバーを引いた。
“どこにも向かわない”重力の発生が機体を中空に引き上げる。
「くはっ…」
 その瞬間いいようのない気持ち悪さが湧き上がるが、“いつも”のように自身に言い聞かせる。
(…大丈夫だ蛍士、ここは殻の中だ……だから……)
 どこに向かうかは、自分自身で…“決められる”!
 蛍士が一番近い、恐らく先ほどジープごと自分たちを吹き飛ばしたレギオンに意識を振り向けると、白い機動照準サイトがそれに重なる。全く同時に不可視のグラヴィティ・ライン(仮想落下軸)が“敵”を射抜く。
「ロック(固定)」
 軸を固定。後はただ…そこに向かって“どこにも向かわない”重力を使って“落ちる”だけ…だ。が
(できるのか? 僕に…)
 レギオンを止められるのか… それ以前に、自分は何故こんなことをしているのか? 自分への疑念は消えない。そしてそれを、目の前のレギオンの威容が更にそれを助長する。
 人とあまりにかけ離れた、異質な敵。移動の重力に巻き込むだけで、大勢の人たちが、なんの脈絡もなく肉塊にされる現実。
 HMDを通して広がった視界に入る、人を乗せたままペーストにされたトラック。高重力に壁に叩きつけられて赤い華を咲かせる、かつては人だったモノ…
ドクンドクンドクンドクンドクンドクン…
「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ…」
 鼓動が加速し呼吸が小刻みに荒れる。どうして?
 死ぬのはいやだけど… 恐くはないのに。“死”を恐いと思う心はもう、とうの昔に摩滅しきり鈍ってしまったと思ってた。恐いのは昏き虚空…無重力だけ。何も手がかりのないあの感覚だけのはず、なのに…
 むねのなかが、なにかがつまったみたいにむかむかする。いらいらする。なにかがでようでようとしているみたいで、脈打ち、拍動し、それが自分を…衝き動かす!
(!?)
 蛍士の視界、グラヴィティ・ラインを定めたレギオンの進行方向で、崩れた瓦礫の下で何かが蠢く。センサーを望遠拡大して…

 ペシャンコになった軍用多輪トラックの脇で、少女が倒れ伏したもう1人の少女を助け起こそうと…

(くっ!)
ドクンッ!
 鼓動が一際大きく打ち鳴らされる。
「いやなんだよ… きもちわるいんだよそういうのっ!!」
 叫びとともに黒い殻が、弾けた。


 埃っぽい空気の中、目を閉じ仰向けに倒れた紺のブレザー姿…ミドルスクールの制服姿の少女を、その少女より2つ3つ年下に見えるもう1人の女の子がゆすぶっていた。
「ねーはんしっかりせぇや! ねーはんっ!!」
 ゆすぶるたびに後ろで束ねた黒髪が跳ねて、ぱたぱたと背負ったどでかいリュックサックにぶつかる。上はティーシャツ下はぶかぶかの軍用ズボンをサスペンダーで吊り、甲高い声さえなければ、髪の長い男の子と間違えてもいたしかたない。
 女の子が倒れた少女の顔に手を当てると、ぬる…とぬめった手触りにぎょっとなる。見れば肩口で切りそろえられた綺麗な栗色の髪が、所々赤く染まっていた。このねーはん、まさか…
(死んどる!?)
 吊り目がちの大きな目を見開いてあたふたと調べると、こめかみの小さな切り傷からの出血だとわかった。念のために喉に手を当て脈があることも確かめる。
「ふぅ、驚かさんでほしいわぁ」
 ほっと一息、額の汗を拭いながら辺りを見渡すと
「……」
 つい1時間ほど前まで賑わっていたサウスブロックのバザールストリート(商店街)も、今は人っ子一人居ない。レギオンに蹂躙された街は瓦礫の山と化し、かつてウインドウに並んでいた小奇麗な商品は散乱し今やただのゴミである。ゴミじゃない使えそうなものは皆、背中のぱんぱんに膨らんだリュックの中だ。
(しっかし、えろー派手にぶっ壊されたもんやな…)
 と、右隣が視界に入るやいなやすぐに顔を逸らした。
(見たらあかん見たらあかん)
 そこにあるのはレギオンが移動する際に巻き起こす重力波に巻き込まれて平たく潰された軍用トラック。船内の民間人を乗せて避難の途中だったのだろう、その窓だった位置からはみ出るかつて人間だった“もの”は赤く…
 うっぷとこみ上げる吐き気に、慌てて口元に手を当てる。
(こらーしばらく肉食えそーないわ)
 距離から見て、倒れた少女はトラックが重力波に巻き込まれた時に運良く窓から弾き出されたのか。駆けつけた女の子が見た限りで、人間の形を留めて横たわっていたのは少女だけだった。
「ねーはん起きやー、寝とると死ぬでー」
 女の子が少女の頬をぺちぺちと軽くはたくも、一向に目を覚ます気配はない。このまま放って自分だけ逃げられるほど、女の子は薄情でもなければ弱くもないし強くもなかった。
(もったいないんやけどなぁ)
 仕方がないので背中の荷物を降ろし
「んーっと…こらしょーっ!」
 少女の両脇から腕を差し込んで抱えて行こうとする。しかし同い年の平均からしても小柄な13歳の細腕に、15歳の少女の体重はそうそう支えきれるものではない。
ずり…ずりり……ぱた
 20mも進まないうちに、尻餅をついてこけた。
(あんの図体だけのバカアニキでもおればラクなんやけど…難儀や)
 一番近い第8区の14番ゲートまでまだかなりある。そこまで少女の身体を抱えて運ぶのはちとキツイ。辿り着くまでゲートが開いているかどうかもわからない。なんせ非常時だ。
 開拓機構の原則は…コロニー船に暮らす人々なら、つまり誰でも知っている。
(そらまずいわ!)
 よぎった想像に焦った女の子は、少女を起こそうと躍起になった。
「起きるんやねーはん! 起きんと置いてかれるで! オオマジやっ!!」
 栗色の髪の少女の上半身を起こしてがくがくとゆする。頭を打っているからには無闇に動かしたりしてはいけないことくらい、ミドルスクールの救急実習で習うから知っているのだが、今は状況が状況だ。このままでは船に残されたままになり文字通り“必死”なのだ。
「起きてーなあっ!!」
 耳元で叫ぶと、ようやく声が届いたのか
「ん……」
 少女がうっすらと瞼を上げて、綺麗な翠の瞳をさまよわせる。
「あたしは…」
「お! 気づいたかねーはん」
 女の子は安心の笑みをにぱっと浮かべるも、少女は自分の身に何が起きたのかまだ理解できていないのか、心ここにあらずといった風に自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「あれ…あたしはバザールストリートで…… あなたは?」
「うちは瑛里奈(えりな)や…って、そないなことは後や! 立ってはよ逃げん、と…」
 女の子、瑛里奈が言い終えないうちに少女の目が徐々に…ゆっくりと、恐怖に見開かれて行く。視線が向くのは瑛里奈の背後。怪訝に思って振り向きながら
「…? どないし」
 たん? と訊き返そうとした時には、理解できてしまった。
「しもたっ!」
「キャッ!」
 ふわり、2人を急に体重が喪失する感覚が襲う。見渡せば周囲の瓦礫が自分たちと一緒に地面から浮き上がっている。これはレギオンが移動の際に巻き起こす重力の…
グオオオォォォォオオオオンンンン……
 唸るように鈍い低音を奏でながら、角を持つ巨大な甲殻が迫っていた。このままでは…
(うちらもミンチかいっ!)
 次に襲い来る高重力の波と死の予感に、瑛里奈と少女が思わず抱き合って目を閉じその身を縮こまらせたまさにその時
かく…
 浮遊感が去って後にひやっとする落下の感覚…そして
とすん
「あ痛っ!」
「つっ!」
 お尻から来た痛みに2人は思わず声を上げてしまう。痛みに目を開け見てみれば…

 黒い殻に覆われた巨人が右腕の肩口までを、レギオンの殻と殻の隙間に突き込み埋めていた。


 ゆるゆると蠢いていた節足がその動きを止めるのを見計らって、蛍士はシェル“アリテス”の右マニュピレーターを引き抜く。
ぶしゃああぁぁあっ…
 その後を引くようにレギオンの青い体液が噴出し、アリテスの黒い外殻を青く濡らす。
(うまく…いった……)
 制服の袖で流れ落ちる汗を拭うと震える指でレバーを握り直し、右マニュピレーターをガードするように覆って突き出るアーム・ブレード(手甲剣)を前腕の装甲下に収納した。旧型のアリテスは、現行機種であり高出力・軽量化の進んだラツェルタと異なり、装甲下に各種武装を標準装備している。グラヴィティ・ライフルが現在ほどの精度を持っていなかった、アバドン戦役時の名残である。
 蛍士にとっては…馴染んだ機体だ。
(「兜の左脇にある薄黒い斑点の3つ目上。そこを深く刺せばレギオンは殺せる」)

「“毒”の弾丸・ネクロシス弾頭がある今のレムリアでは、無用の知識だがの…」
 言ってじいさまは、にひひと小さく笑った。

「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ…う、くっ」
 カラカラの喉をつばを呑み込んで潤すと、蛍士は外部音声をオンにしてシェルの身を振り向かせる。
「そこの2人っ! 行って… 早くっ!!」






to be continued







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