彼女は王さま
これは、元アーサリアンがFateをやるとどういう妄想をしてしまうかという悪い見本です。
ベースはギャグ。でも今回は、ほんのちょっぴりシリアス&ほのラヴに。
FateルートのFINを台無しにする話なので、それが嫌な方は避けてください。おねがい。
あと、時代考証だとかも気にしないでいただけると助かります。
―深夜
半開きにされた土蔵の入り口から射し込む月明り。その淡く蒼い光を、鋼の細刃がぼうっと照り返す。薄闇のなかに浮きあがった輪郭は、半球の鍔を持った細身の長剣、フェンシング・フォイル。斬撃よりも刺突を本分とする西欧中世の刀剣だ。
少年の手に握られた剣は、次の瞬間には音も立てずに砕け散った。欠片も残さず塵と成り果て、夜の空気に消えてゆく。
「こんな、もんかな」
衛宮士郎は集中を解くと、溜息混じりに一人呟いた。聖杯戦争を駆け抜けて以来、武器…殊に刀剣・槍戟の類の投影に関しては士郎自身でも驚くほどの進歩を遂げていた。長剣、短剣、西欧の闊剣(ブロードソード)でも中東の半月刀(シミター)でも、中国の刀(ダオ)・剣(チェン)でも日本刀でも、ひとたび観察できたのなら細部漏らさず魔力で編み上げ復元できる。その確信がある。
しかし
(いや、進歩じゃないか)
そう、進歩ではない。ただ、気づいただけだ。この身は剣製、剣の投影のみに特化した魔術回路そのものなのだということに。証拠に、剣製以外の魔術は投影さえも、全くといって良いほど使いものにならない。強いて挙げるなら僅かばかり強化、それも武器となる捧や盾にする板などの強化に限って、かつてほどの困難を感じなくなった程度だ。
『それでいいのよ衛宮君は。あなたは魔術師になる必要なんかない。魔術使いになるんでしょ?』
そう言って今でも時折、士郎の魔術の師を勤めてくれる遠坂凛は笑う。
しかし、それだけではだめだと士郎は思う。己が唯一の武器とも呼べる剣製の魔術だとて、ごく短時間しか維持できない。
今は魔術でも剣術でも何でも、少しでも多くを知り、身につけたい。そうすればきっと、己が理想―正義の味方に近づけるはずだから。この手に力と技があれば、もっと多くを救えると思うから。
そしてそれ以上にあの朝、少女と約束したから。
約束するよセイバー。今度は俺が……
夜空に穿たれた聖杯という名の黒穴。その吐き出す瘴気と呪いが、嘘のような消え去った穏やかな朝。
セイバー、アルトリア…少女の消えた光景を胸に刻み込んで、士郎は踵を返した。瞬きに瞼を閉じれば、すぐに彼女の面影が浮かび過ぎてゆく。毅然と敵を見据える眼差し。顔を赤くして怒る姿。頷きながら器用に箸を運ぶ横顔。イリヤに見せた穏やかな笑顔。せつなげに見上げてくる翠のまなじり。引き締められた決意の双眸。
そして告げられた、最後のことばも。
別れてまだ間もないというのに、思い出しかけて胸が熱くなる。こみ上げてくる何かに負けそうになる。
振り払うように、士郎は疲れ切った身体に鞭打ち駆け出した。想い出に負けてはいられない。人知れず、眠りのなかで涙することもあるかもしれない。忘却の必然に呑まれて、かすれてゆく面影に喘ぐこともあるのかもしれない。
しかし、それはずっと後のことだ。今は助けを必要としている少女がいる。
池縁に、白い少女がその小さな裸体を横たえていた。
駆け寄ると、士郎は擦り切れた上着を脱いでイリヤを包んだ。上着は戦いのせいで泥と血に汚れてはいたが。二月のなかばに全裸でいるよりはましだ。それから士郎はイリヤの細い首筋に手を当て、異常がないか確認する。呼吸も落ち着き、表情も穏やかに…見える。素人判断は当てにならないが、家に帰れば遠坂がいるはずだ。なんだかんだと文句を言いながらも、イリヤの容体を診てくれるだろう。
イリヤの小さな身体を抱え上げようとして
「あれ?」
よろけて士郎は片膝を着いた。蓄積された疲労が膝にきたのか。その身は本人が思っている以上に参っているようで。
しかし、呼べる助けの当てはない。踏ん張りをきかせ、士郎が立ち上がろうとしたその時
「手伝いましょうか? シロウ」
「ああ、頼む。さすがに膝に……って、んなわけないだろう」
聞き慣れた声に答えかけ、士郎は己が頭を振った。とうとう疲れが頭にまできたのか。遠く頭の上から幻聴まで聞こえてくる。
砕けかけた膝に、士郎がもう一度力を入れていると
「今のシロウでは、イリヤスフィールを一人で運ぶのは無理だ。待っていてください。もう少しで着きます」
ばらん、と何かが投げ落とされる音と一緒にまた聞こえてきた。
「くそう、なんだってんだ。これじゃ未練たらたらじゃ……」
自分の情けなさに毒づきながら何とか立ち上がって、士郎は気づいた。
いつの間にか、周囲が濃い霧に包まれている。そして
「なんだ、あれ……」
呆然と見上げた先。柳洞寺の池に、黒い巨船が停泊していた。
果たしていつからそこにあったのか。船の全容は霧に包まれて見渡せない。しかし目に見える範囲でも、この池にはこんな巨船を停め置ける面積も深さもないと断言できる。
いったい何が起きているのか。これも聖杯の起こした現象なのか。混乱した頭がこの場を離れるように士郎に訴えかけても、セイバーとの鍛錬によって培われた危機感知能力は、不思議と危険を告げてこない。
聳えるように立つ巨船の舳先。その船べりから一本の縄梯子が落とされていて、池縁の士郎とイリヤの前で揺れていた。
そして、かすむ霧のなかから縄梯子を伝って降りてくる影がある。少しずつ露わになってくるその姿は、白のチュニックに薄青のキュロットスカートを身に着けて、金糸の髪を結い上げた…
「そ……セ………」
そんなばかな。有り得ないと、士郎はぶんぶん頭を振る。しかしそのひとは慣れた手つきで縄梯子を伝い降りてくると、やがて士郎の目の前に立った。
そして翠の瞳を士郎に据えると
「どうしたのですシロウ、そんな呆けた顔などして。貴方にとっては、別れてから五分と時を経てはいないはずなのですが…」
そんなことを言いやがりました。
「セイバー、なのか?」
痴呆のようにぱくぱくと口を開け閉めしながら、士郎が問う。完全にあたまがこんらんしている。あれほどの決意をして別れたばかりだというのに。五分と経ずに再会しては無理もない。
「私がほかの者に見えますか? 聖杯に呼ばれて来たわけではないので、今はサーヴァントとしての“剣の騎士(セイバー)”ではないかもしれませんが」
言いながらつかつかと歩み寄ってくると、イリヤを抱える腕を支えてくれる。
そうこうしていると、未だ呆然と固まったままロクな返事も返さない士郎に業を煮やしたのか。セイバーは、つんと険のある視線で士郎を睨んで
「そうですか、シロウは私と再会できても嬉しくなどないと?」
「そ、そんなこと言ってないだろうっ! 俺だってすごく嬉しいっ!」
力いっぱい、士郎君シャウト。すると、驚愕と混乱によってもたらされた硬直もようやく解け、矢継ぎ早に口から質問が飛び出した。
「どうしてなんだセイバーお前は自分の時間に還ったはずじゃないのかそれにあの船何なんだあんなでっかい船がどうして一成んちの寺の池に浮かんでんだーっ!!」
一息に言い終え、士郎はぜーぜーと息をつぐ。
そんな士郎をきょとんと見つめてから
「それは道すがら説明します。しかし今はイリヤスフィールを家まで運ばなければ」
セイバーは楽しげに表情をゆるめた。そして自分の降りてきた縄梯子の先、船の舳先を見上げる。
つられるように士郎もセイバーと同じ場所を見上げた。
すると先ほどよりも霧の薄れた船べりに、良く似た二人の男がいた。赤みがかった金色の長髪を肩に流し、先端の尖った耳を持つ、絵本の妖精族のような二人の男。一人は身を屈めて縄梯子を歯車の装具で巻き上げていて、淡黄色の長衣を着たもう一人が船べりに立って士郎とセイバーを見下ろしている。しかしその男は盲目なのか、士郎とセイバーを向いた瞳の焦点が合っていない。
「ありがとう船長。助かりました」
片手を上げて礼を述べるセイバーに、船長と呼ばれた盲目の男は頷いてから口を開いた。発されたその言葉は英語でもなければ、もちろん日本語でもない。歌うような響きを持つ不思議な音階を持つ言葉は、もちろん士郎など知っているはずもない。なのに
「騎士王よ、ご武運を。そして……」
合わぬ瞳の焦点を、盲目の船長は士郎に据えて言った。
「〈剣の丘に立つ闘士〉よ、またお会いしましょう。貴方もまた、いずれこの船に乗ることになるのだから」
そんな言葉が、士郎の頭のなかに意味となって伝わってきた。
「え…?」
驚く間もなく風が吹き、払われてゆく霧とともに黒い巨船は消えてゆく。
後には、晴れ渡った空のもと、船の消えゆく先を見つめる士郎とセイバー、そして士郎に抱えられたイリヤだけが残された。
春の足音の聞こえる二月なかば。比較的冬の暖かな冬木市とはいえ、早朝はかなり冷え込む。
家路を足早に急ぐ士郎とセイバー。その途上で、セイバーは再び冬木市に至った経緯をかいつまんで説明してくれた。
「エクスカリバーの返却をベディヴィエールに頼んだ後、傷を負った私は〈湖の貴婦人〉たちの手によって妖精郷に運ばれました。私には竜の因子とともに〈湖の貴婦人〉の血も流れている。この世界での役目を果たし終えて、女である私もまた“時”を離れた場所で〈湖の貴婦人〉の列に連なるはずでした。
そして〈湖の貴婦人〉ニミュエの手によってモードレッドの呪いを解呪され、傷も癒えた時のことです。私のもとを〈しるしなき旗〉を掲げる黒玉と黄金の鎧を着た騎士が訪れて、告げました。
『騎士王よ、貴女の姉の一人が〈ダグダーの大釜〉を盗み出し、世界に大きなわざわいをもたらそうとしている。〈世界〉の諸力の均衡を保つため、どうか貴女の力でかの妖女の企みを止めてほしい。あれは貴女のよく知る娘、魔術師の作り上げた人造の聖杯を得て〈大釜〉を完成させようとしている』
『しかし〈しるしなき旗の騎士〉よ、今の私には力が、剣がない。そんな身で何を成せというのか』
『騎士王よ、それは違う。貴女は剣も鞘も持っている。今ここにないだけだ。ならば取りに行けばいい。貴女の剣と鞘があるその世界にこそ、かの妖女は干渉しようとしている』
……騎士が嘘を言っていないことが、私にはわかりました。だから私は、同じ妖精郷に幽閉されていた魔術師・マーリンの助言を得て〈彼方の海岸〉を目指し、世界を超えて渡るあの黒い船に乗り込んだのです。
アインツベルンの聖杯の娘・イリヤスフィールの身が危うい。そして〈ダグダーの大釜〉がモルガン…あの妖女に使われれば、多くの無辜の民にわざわいがふりかかる。しかしあの妖女は私の姉の一人、この戦いは同時に私の私闘でもある。だから、シロウが戦う理由にはならないかもしれない。それでも……」
躊躇うように、少し…ほんの少し脅えに似た感情で瞳をゆらがせて、セイバーは王ではない、少女の眼差しで士郎に問うた。
「シロウ、私に力を貸してくれますか?」
しかしそんなことは、士郎にとっては是非もないこと。セイバー…アルトリアは、聖杯のことなど何も知らない自分を助け、聖杯戦争を最後まで戦い抜いてくれたのだ。
だから今度は、こちらの番。
だがそんなものは後づけした理由だ。戦う理由も意味も、本当ははごくごく単純なもの。好きな女の子が助けを必要としているのだ。男が助けないでどうするというのか。
「ああ、もちろん。そうだな、セイバー流に言うなら… 俺は騎士じゃないから、誓いなんて立てても説得力ないから」
約束するよセイバー。今度は俺が鞘となってお前を護り、お前の手に剣がなければ、相応しい剣を俺が造る。
「シロウ…」
そのとき見ることができた笑顔を、士郎は一生忘れないだろうと思った。わけもなく鼓動が速まる。見ればセイバーも頬を染めてうつむいていたりして。そんな仕草に顔が熱くなって、そして
「シロウ、セイバー。あなたたち、わたしのこと忘れてるでしょ?」
なんだか妙に不機嫌そうな声に、士郎とセイバーは二人して我に帰る。
見れば、士郎に背負われたイリヤが紅い瞳で睨んでいた。
・
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・
・
・
救うべき民も既に死に絶えて、命を賭して護った国も今やない。
しかしそれでも、彼女はやはり王だった。一人でも多くの人々の笑顔と幸福を願う王だった。
そうでなければ、しっかり役目を果たし終えたというのに、また戦いに臨むなんて莫迦なことをするわけない。
そんな彼女に追いつけるように。そんな彼女の前で胸を張れるように。今は少しでも、己の力を確かなものにしていく他にない。
彼女が王たらんとし、それを貫いているように。自分もまた、正義の味方を貫かねばならない。否、貫きたいのだ。目に映る全てを、目に映らぬ全ても、こぼすことなくその笑顔を護ること。それがどんなに絵空事めいていても。どんなに愚かで幼稚な夢物語なのだとしても。
きっと彼女だけはそんな絵空事を、夢物語を笑わない。
―投影、開始。
士郎は決意を胸に、今度は剣以外のもの、最初は単純なガラスのコップなどを投影しようとする。構造を把握、図面を引いて……
土蔵の薄闇に胡座をかく士郎の前に、うっすらと透明な器が浮かび上がって、そして
「無駄なことはしない方がいいわ。そんなものを投影するくらいなら、剣製の精度と強度をもっと高めた方がいい」
士郎が聞き慣れた声に振り向くと、なんだかピンクのもぐらっぽい着ぐるみの生き物が、月明りを背に立っていた。
「そんなところで何やってんだイリヤ。ちゃんと寝ないと大きくなれないぞ」
「違うわシロウ。わたしは不思議生物イリヤたん。あなたを過去に導く存在よ」
何をわけのわからないことを言っとるんでしょうか、この着ぐるみ夜更かし娘は。
主演:セイバー&タイガー、助演:間桐桜によって演じられた寸劇『トリスタンとイズー』が終って、時刻は既に午前二時を回っているはず。子どもは寝てなきゃめーな時刻だ。
しかしピンクのもぐらっぽい扮装に着ぶくれたイリヤは、その紅い瞳を月光に輝かせながらこんなことを言った。
「それに睡眠なら充分とったわ。ねぇ、シロウは知りたくない? セイバーがアーサー、ブリテンの王だった頃のことを」
「は? 何言ってるんだイリヤ。そんなことできるわけないだろう。いくら魔術だって、過去に遡ることなんか、それこそ聖杯でもない限り……」
しかし士郎などよりもはるかに魔術に精通した紅い呪眼は、言い出したことが嘘でも偽りでもないことを告げている。
「身体ごと過去に遡るんじゃないわ。知覚だけを飛ばして過去の出来事を知るだけよ。わたしたちは見聞きするだけ、あっちは見聞きされるだけ。完全に一方通行相互不干渉なら、不可能じゃない。かと言って簡単じゃないけれどね。で、シロウは知りたいの? 知りたくないの?」
「う……」
答えにはつまるも、知りたい・知りたくないの二者択一ならば士郎の内では“知りたい”に天秤が傾く。
しかし士郎などは、こう、セイバー本人の許可なくそういうことをしてしまうのは、なんだかイケナイことをしてるような気がしてしまうのだ。そう、言うならば日記を勝手に盗み見てしまうような。
そんな士郎の葛藤を見透かしたように悪魔っ娘は言った。ふふんと邪悪っぽい笑みを含みつつ。
「わたしは知りたいわ。当時の魔術や宝具がどんなものだったか、興味があるから。魔術や神秘が衰えつつある今の世界なんかよりも、きっとはるかに洗練されたものだったはずよ。でもシロウが嫌だっていうなら、わたし一人で見に行ってくるわ。見たくないならしかたないから。この機会を逃したら次はないし」
じゃあねーと言ってイリヤは立ち去ろうとする。ピンクもぐらの後姿が月明りに照らされて、土蔵の入り口に丸まっちく浮かぶ。
「ま、待てイリヤ。見たい、見たいです」
士郎、陥落。良心、好奇心に打倒さる。かなうならば、そりゃあ知りたい。マスターとサーヴァントの関係であった時に、士郎はセイバーの、アルトリアの記憶を垣間見はした。しかしそれはアルトリアの主観の光景であり、外から眺めた彼女ではない。
どんな人や物を彼女は見ていたのか。どんな風に当たっていたのか。どんな食べ物を食べていたのか。同じものを見て、聞いてみたいと確かに思う。思ってしまう。
だから士郎はサインした。半信半疑ではあれど、悪魔っ娘の契約書に。
「そっか、じゃあしかたないわ、連れていってあげる。シロウ、昼間のセイバーの話、知りたそうにしてたもんねー」
振り返りながらイリヤは満面の笑みを浮べて、ピンクもぐらの着ぐるみポケットから、その扮装にはどうにも不釣合いな一つの道具…否、工具を取り出した。
「イリヤ、なんだそれ?」
問いつつも、それは何かなんてことは士郎にだってわかる。わかりはするが、なんでそんなものがこの場に出てくるのかがわからない。L字型をした鋼の……
バール [bar] 名詞 てこ・釘抜きなどに用いる棒状の金属工具。かなてこ。
武骨なL字型の鋼。それは釘抜きと鎚、そしてテコの原理をも組み込んだ、人類の叡智の結晶とも言うべき優れた工具だ。熟練工の手にあれば、木造家屋すら寸釘残さず解体してのける。
バールだった。紛うことなきバールだ。やや古びてはいるが、それは金物屋さんやホームセンターに必ずあるバールだ。
「一見ただのバールに見えるけど、これは時を超えるバールよ。これさえあれば、何の魔術回路も知識もない人間さえ、過去に送ることができるわ。アーサー王の時代・紀元五世紀のブリテン限定だけどね」
「そんな怪しげなもん、どこで手に入れたんだどこでっ!」
嬉々として説明するイリヤに士郎がつっこんだ。
「昨日の朝、ライガの新聞取りにポストに行ったら、通りすがりの魔法使いのお爺さんが『お嬢ちゃんはいい子だね。いいものをあげよう』ってくれたわ。この服と一緒に」
「知らない人から物をもらっちゃいけないって、言われたことないのか?」
「ないわ。それにまるっきり知らない人でもなかったし。今の“わたし”の記憶じゃないけどね」
イリヤは至極あっさり答えると、士郎の前でくるんと回って見せる。そしてポケットから今度は一枚のメモを取り出すと士郎に渡した。
「なんだこれ?」
「知覚を紀元五世紀に飛ばすための呪文よ。宝具を発動させるための真名みたいなものだと思ってくれればいいわ」
「………」
ざっと目を通して、士郎は頭を抱えた。こんなもんで知覚を過去に飛ばせるのかよおいって感じだ。
「…イリヤ、実は騙されてないか」
「莫迦にしてるのシロウ。これでもわたし、シロウなんか及びもつかない魔術師なのよ。時を超えるバールのことは、魔術師の間でも有名だし、このバールにこめられた魔力が尋常じゃないことくらいわかる。さあシロウ、目を閉じて呪文を唱えて。そうすればアーサー王の時代、五世紀のブリテンに行けるわ」
ぱしぱしと急かすように、イリヤは握ったバールを丸まっちいピンクの手に軽く叩き付ける。
(まあ、いいか…)
普通に、あるいは魔術師として考えても、通りすがりにそんな力を持った魔術具をもらえるはずもなし。メモに書かれた呪文は恥ずかしいが、駄目でもともと。少々投げやりになって士郎は目を閉じると
「グルグルパピンチョパペッピポーヒヤヒヤドキッチョのー、イーリヤたん」
恥ずかしさをなだめすかしつつ唱え終えた。
瞬間、イリヤたんはビュンとバールをフルスイング。ヒットの瞬間、唱える真名。それは
ハンク・モーガンっ!
“時渡る酔漢のかなてこ”
「ぐごっ」
鈍い音に遅れること一拍。士郎の意識は、側頭部にもたらされたバールの一撃によって弾き飛ばされていた。
ぐるぐる回るよくわからない映像が視界を流れ、いつの間にやら遡ること一五〇〇年と少々。五世紀半ばのブリテンへと。
ふぇいとはじめて物語 あるいは
彼女は王さま
「痛っ……」
痛む頭と目の前に散った火花に、士郎は意識を取り戻した。くらくらする頭を振って、混濁した意識を元に戻そうとする。そう、確か土蔵で鍛錬中、妙な格好をしたイリヤが入ってきて
「…え?」
目を開けて立ち上がり、愕然となる。己が立つ其処は、枯草の生えた小高い丘の上。そして目の前に広がる光景は、いつもの見慣れた土蔵のなかではなく
乾いた風が、森の木々の間を吹き過ぎる。
昇りつつある陽に照らされて、浅い川を挟んで槍と剣で武装した二つの軍勢が対峙していた。北に位置した軍勢には戦車、獅子、半鷲半獅子の幻獣グリフォンといった図柄の十一種の旗が掲げられて風になびき、南の軍勢にはただ一種、赤い竜の紋章が高々と掲げられている。
「ここは、いったい…」
呆然と立ちすくんだまま眼下の光景に魅入っていると、士郎は右の袖口をくいくい引かれていることに気づいた。引かれるままに、振り向いてみると
「シロウこっちこっち。早く行かないと戦いがはじまっちゃう。そうしたら、セイバーなんかどこにいるかわからなくなるわ」
ピンクもぐらの扮装のまま、イリヤが袖を引っ張っていた。
「おいイリヤ、ここは……」
「だから何度も言ったでしょう。五世紀のブリテン、アーサー王の生きた世界よ。戦争がはじまる直前に来ちゃったみたいだけど、ある意味ちょうどいいわ」
言いながらイリヤはどんどん士郎を引っ張り、赤い竜の軍に向かって歩いてゆく。
「赤い竜はアーサー王の紋章。対する軍には一、二、三…十二の旗印がある。たぶん、北ブリテンの十一王と一大公ね」
五世紀半ば。騎士の息子として育てられた少女・アルトリアが王を選定する〈石に刺さった剣〉を抜き、アーサー王となって間もない頃。
何処の者とも知れぬ若すぎる王の即位に異を唱え、北ブリテンを治める十一人の王と一人の大公が今こそ好機とばかりにブリテンの覇を競って反旗を翻し、アーサー王の国に攻め込んだ。
「そして起こったのが“アーサー王と北方十一王の戦い”よ」
赤い竜の旗印、アーサー王の軍に向かって駆けていく途上で、イリヤは士郎に説明した。
駆けながら、吸い込む空気が士郎の胸に冷たい。陣に待機した騎馬が土ぼこりを蹴立て、乾いた風に乗せて鼻をくすぐる。近づく赤い竜の軍勢からも、鎖鎧と盾、槍の柄が擦れる硬い音が聞こえてくる。
そう、間違いない。イリヤ曰く『知覚だけ』とはいえ、ここは
「本当に、来ちまったのか」
セイバーが、アーサー王が生き、戦い、そして果てた時代だ。
士郎が感慨深げにそんなことを思っている内に、イリヤはどんどん駆けて丘を下り、既に赤い竜・アーサー王の軍に差しかかっていた。
馬に乗った騎士が、槍の先を敵軍に向けて幾騎も立ち並んで壁となっている。
しかしイリヤは立ち止まることもなく、そのまま騎士の壁に突っ込んだ。
「イリヤ、待った!」
思わず叫んでしまう士郎。しかし…
まるで実体を持たない立体映像をすり抜けるように、騎士の壁を通り抜けてイリヤは振り向いた。
「言ったでしょう? わたしたちは知覚だけここに来てるけど、この世界とは相互不干渉。こっちから見聞きはできるけど、むこうからはできない。こっちが触れることができない代わりに、触れられることもないわ」
「そうならそうと、早く言ってくれ。心臓に悪い」
「魔術師のくせに察しが悪い、シロウがいけないのよ」
言いながらも、イリヤは悪戯っぽく笑う。悪巧みを成功させて満悦のその笑みは、どこかの赤いあくまを連想しないでもない。
「急ごうシロウ。きっとこの先にセイバー、アーサー王がいるわ」
言い終えるや否や駆け出したピンクもぐらの背中を、士郎も慌てて追いかけた。
しかし探すまでもなく。見た瞬間、士郎にはそれが誰であるかわかった。
赤い竜の旗のもと。盾と槍を携えて騎乗した騎士たちの中央に、鈍色の板金鎧を着た騎士がただ一人。鎖鎧の騎士たちのなかで異彩を放っていた。
女であることを隠すためか。あるいは若さを隠すためか。その両方か。目深に被った兜の奥で、翠の瞳が川を隔てた敵軍を見据えている。
「セイバー……」
「よくわかったわねシロウ。そうね、たぶんあの騎士が…」
翠の視線のその先には赤竜旗の軍と同じく、鎖鎧に盾と槍を携えた騎士たち。その背後には弓兵と歩兵。
しかし敵は数に勝り、更には軍勢中央に、身の丈常人の三倍はある巨人の兵までも配していた。
「兵を分ける。進軍の角笛と同時に、ベディヴィエールは騎兵三百を率いてあの丘を巡り、敵軍を後方から討て。私とバリンが敵中央の兵と巨人どもを切り崩す。ケイ卿は後続の兵を指揮して、分散した敵兵を撃破。よいか?」
板金鎧の騎士王・アーサーが兜にくぐもった声で問うと、その傍らに一人の騎士が進み出る。
「恐れながら陛下、巨人殺しは私めの得意とするところ。陛下とともに敵軍中央を切り崩す役目は、このケイの方が適任かと…」
大剣を背負ったひょろりと背の高いその騎士は、飄々とした口調で述べたが
「卿、ならばバリンに指揮を執らせたいのか?」
「……後軍の指揮、承知しました」
アーサー王の問いに何を思い出したのか。しばし黙考した後に、ケイ卿は頷き自軍後方へと馬首をめぐらせた。
するとまた、一騎がアーサー王の隣に馬を進めてきた。騎士は隆々と筋肉のうねる身体を窮屈そうに鎖帷子で包み、騎士には珍しく左右両の腰に一本ずつ剣を差している。
「親分、そりゃあどういう意味です?」
野太い声と荒くれた口調は、騎士と言うよりも山賊か蛮族と呼ぶ方が相応しい。
そんな荒くれ騎士もどきを、翠の視線で一瞥してからアーサー王は答えた。
「バリン、単なる向き不向きの問題だ。ではそなた、後方で敵を眺めているだけでよいのか?」
「違いねぇ。確かに、んなこたぁおれにはできねーな!」
がっはっはとバリンは豪快に笑う。これから生死を賭けた戦がはじまるというのに、実に楽しそうだ。
「そなたと私で巨人たちを殺し、敵軍中央を突破する。できるな」
「あだぼうよ。親分、一番槍は任せておけぃ」
バリンはビュンと突撃槍を振り回し、その槍の穂先を敵軍に向けた。
空を切って鳴る槍の音を背で聞きながら、アーサー王は馬を前へと進めてゆく。すると何を思ったのか、ふと追随するバリンを振り返って言った。
「…それからバリン」
「なんでぇ親分」
「何度も言うが、私を親分と呼ぶな。私は王だ、親分ではない」
兜に隔てられながらも、響くその声は確かに士郎の知るセイバーのもの。
「…セイバー、本当に王様だったんだな」
命じる言葉の一つ一つには威厳があり、小柄ながらも堂々と黒馬を乗りこなす姿は確かに一国の軍を率いる王に相応しい。
士郎がはじめて知る“外から見た王”としてのセイバーがそこにいた。
アーサー王は自軍の前に進み出ると、右手で腰の剣を引き抜き頭上高くに掲げた。
昇る陽光に照らされて、王の剣・カリバーンの刃が白く輝き兵たちを映す。そのままアーサー王は左手で兜の面頬を上げると、自軍の兵たちに命じた。響く声が朝の澄んだ空気を震わせて、赤竜旗のもとに集った兵たちを撃つ。
「敵の矢を恐れることはない。我が魔術師が大風を起こしてその全てを吹き払う。角笛を鳴らせ!」
アーサー王の号に従い、旗持つ伝令が馬を駆り、すぐに角笛が吹き鳴らされる。低く重いその響きに呼応するように、敵軍でも同様に角笛が吹き鳴らされた。
角笛の二重奏に馬たちはいななき、両軍で鳴る槍剣の硬い音がいや増しに増す。そして
「全軍進撃、いざ!!」
大音声で命ずると同時に、アーサー王は右手の剣を敵軍めがけて振り下ろした。
応ずるように赤竜の軍勢から雄叫びが轟き渡り、前面に展開した騎兵たちが馬を駆った。十一王の軍から降り注ぐ、雹雨のごとき矢に向かって。
アーサー王を先頭に突撃槍を構えた騎兵が先駆け、その後を槍持つ歩兵が続く。大地が幾多の蹄に踏み鳴らされて、立つ者の身を震わせた。
攻め寄せるアーサー王の兵の身を貫かんと、十一王軍より放たれた矢が上空で鏃を下げて疾り降りる。
「すごい、なんてマナの量………」
その紅い呪眼にはどんな光景が映し出されているのか。イリヤは空に撃ち放たれた矢群を驚嘆の目で見上げていた。
上空に突如として巻き起こった強風によって、矢のことごとくが鏃の方向をかき乱された。魔力の風に煽られた矢は空でくるくると回転し、あろうことか鏃を発射された方角に向けて落下をはじめる。ある矢などは、自らを射放った弓兵の首筋を貫いていた。
そして、両軍ともに前面に展開した騎兵と騎兵が衝突した。
先頭を駆けたアーサー王は突進力をそのままに、槍の一突きで敵騎士の身を円盾もろとも貫いた。落馬して崩れる騎士の身に槍を刺したまま、左片手で抜き放ったカリバーンで左方から迫る槍を両断する。返す刃に魔力をこめて、盾もろともにいまひとりの敵騎士の首を刈り取った。
そして身に黒い影が落ちかかった瞬間、アーサー王は槍を手放し馬上に身を伏せた。
―――ッ!!
巨人の咆哮が轟き、破砕の豪風と化した棍棒が頭上を吹き抜ける。
ぐしゃりと湿った音を立て、アーサー王の駆る騎馬の首が根こそぎ刈り取られていた。馬が崩れるその前に、アーサー王は鐙から足を抜いて馬の背を蹴る。
二撃目の棍棒が馬身を上から叩き潰した。しかしその乗り手たる王は既にいない。人の身では不可能な高さまで軽がると跳び上がったアーサー王。剣の騎士王は魔力に輝くカリバーンの柄に両手を添え、巨人の脳天から臍までを縦一文字に割り裂いた。
吹き出す巨人の血飛沫を、浴びる間もなく前へと駆け出す。寄せ来る騎士を馬首と一緒に胴から輪斬り、棍棒を振るう巨人に真っ向から挑む。
横殴りに振るわれた棍棒を低く踏み込んでやり過ごし、アーサー王は駆ける足をそのままに巨人の両膝を断ち斬った。崩れ落ちる巨人の背に回り込むと、背後から刃を突き入れ心臓を抉りとどめを刺す。
倒れ伏す巨体を見届ける間もなく、次の敵へと剣を振るう。王の剣が一閃するたびに、敵の生命を刈り取ってゆく。鎧を兜を敵の血で赤く染めて。振るわれる魔力の白刃だけが、無慈悲に輝き汚れることを知らない。
その姿はまさしく、最後の“カムランの戦い”まで負けることのなかった剣の騎士王の姿だった。
怒号と悲鳴に彩られた戦場の喧騒に、妙に通るだみ声が上がった。
「一番槍は親分に取られちまったなぁっ!」
敵騎士の槍で馬を刺されたバリンは馬を捨て、鞍から降りつつ両腰の剣を抜き放つ。左手に在るは、今や名も知れぬ巨人の短剣。そして右手に在る剣は……
見た瞬間、士郎はその剣に心を奪われた。しかしそれは美しいものや綺麗なものに対する気持ちではなく、むしろその逆。恐いもの見たさに近い感情で。
バリンの右手に在る剣は、かつて士郎が投影し、この時代のアーサー王が振るう王の剣・カリバーンとよく似ていた。似てはいたが…
(なんだ、あの剣……)
その刃はいかなる夜闇の黒よりも黒く、輪郭をぬらぬらと血の色に似た朱の光が縁取っている。剣は見るからに禍々しく、魔術の視線で構造、背景、造り手の思想までも把握できる士郎にはその実態が垣間見える。カリバーン同様に石に刺ささり、バリンによって引き抜かれた〈湖の貴婦人〉の剣。強大な力を持ちながら担い手を破滅に導く呪いの刃は、僅かな切り傷からも猛毒を流し込んで担い手の敵を死に至らしめる。
死と破壊をもたらすのが剣の役目。しかし同じ剣であるカリバーンとは、全く正反対の印象を受ける。
目が離せぬ士郎を余所に、徒歩のバリンは双剣を両手に敵兵に向かって躍りかかった。
左の剣で騎馬の足を斬り払い、前にのめる敵騎士の肩口を呪いの剣で刺し貫く。絶叫を上げて倒れる騎士を見届けることもせず、繰り出された槍を薙ぎ斬って呪いの剣で円盾を割る。左右の剣が、それぞれ独自の生き物のように動きつつも、連携して敵を仕留めてゆく。呪剣の魔力に頼ることもなく。
双剣の騎士バリン・ル・サヴァージュ、〈野蛮なる〉バリン。
粗野な言動とは裏腹に、幾多の戦地で磨かれたその双剣技は精妙にして多彩だった。士郎が思わず、嘆息とともに見ほれるほどに。
幾多の騎士を切り伏せた後、バリンは巨人と向き合っていた。
「おれにゃあ親分みたいなマネはできねぇからな…ちいと“ずる”させてもらうぜ」
ひとりごちると、バリンは呪いの剣を右肩に担ぎ構えた。大きく胸に息を溜め、柄を握る右手に力をこめる。己が僅かばかり引く巨人の血、そこに流れる魔力を刃に注ぐ。
そして唱える真名。同時に黒い呪剣を巨人目がけて振り下ろした。
ダヴィデ
“わざわいなる一撃”
呪いの剣が、棍棒を振り上げ迫る巨人に毒牙を剥く。刃は朱光の風を巻き起こし、大地を抉って巨人の腹をぶち抜いた。途上にいた歩兵や騎士を巻き込み、毒を注いで死に至らしめながら。
アーサー王とバリンによって、十一王が頼みとしていた巨人の兵は全て倒された。
陣を崩され後退せんとする十一王軍の後方から、角笛が響き赤竜旗が立ち昇る。ベディヴィエールの指揮する騎兵が敵軍後方から攻め寄せていた。
赤竜旗を掲げる騎兵たちの先陣を切り、アーサー王とさして歳の違わぬ若い騎士・ベディヴィエールが馬を駆る。楕円の盾を左半身に細鎖で括り付け、右のみの隻手にただ一本の槍を構えて。
そして後退せんと馬首をめぐらせた敵騎士に向き合うや否や、ベディヴィエールは右手の槍を繰り出した。
鋼の穂先は敵騎士の円盾、その中央に当たって防ぎ止められた。見ていた士郎もそのように捉えた。
しかし次の瞬間、騎士は兜の目庇(まびさし)、喉首、両肩の鎖鎧の継ぎ目、槍持つ篭手首、下腹、脛当てを継ぐ両膝の甲…八箇所を槍に“同時に”貫かれ、血をしぶかせながらもんどりうって落馬した。
「あいつら、人間なのか…」
アーサー王配下の騎士たちの戦いを目にして、士郎は思わず呟いていた。セイバー…アーサー王はともかく、その周りの連中も人間離れし過ぎている。
「比べるだけ莫迦らしいわよシロウ。あの騎士たち、セイバーみたいな竜はいないみたいだけど、他はみんな巨人やら妖精やらの因子を受け継いでるもの。現代人で対抗できるのなんて、それこそ協会やら教会で最高位階の連中だけよ」
騎士たちの戦いを興味深げに見遣りながら、イリヤはそんなことを言った。
散り散りになった十一王軍の兵を、今度はケイ卿の指揮する部隊が追い詰める。
ロキンガムにおけるこの戦いは、正午を待たずに終息へと近づいていた。
「投降した者は殺すな! 捕縛した後、虜囚として収監せよ。違反者には重罰を課す。よいな!!」
軍馬によって踏み荒らされた大地を、未だ板金甲冑に身を包んだアーサー王が馬で駆ける。
後退した十一王軍を深追いはせず、アーサー王は一度このロキンガムの森に野営することを決定した。
次の戦いに赴くまでに、残存兵力と確保した捕虜の確認、兵士の休息、使える武具と壊れた武具の選別、魔術師に頼む補給の計算…それこそ、戦場においてはやらねばならぬことが山ほどある。
兵たちが自ら休む天幕を張り、厨房係の兵が火を起こして糧食の調理と分配を行っている。そんな喧騒のなかには、早々と天幕にもぐり込んで寝息を立てる兵や、どこから持ち込んだのか酒に寄って勝利の歌をがなる騎士もいる。
しかしその一方で、捕虜となった敵兵をいたぶる兵もいた。戦闘の恐怖と戦闘後の弛緩が、人をそのような行動に駆り立てる。
そんな兵を、アーサー王は自ら剣の鞘で殴って止めていた。
(セイバーは、いつでもどこでもやっぱりセイバーなんだな…)
その鎧われた小さな背中を目の当たりにして、士郎はひどく安心した。そう、彼女は例え王であったとしても『剣を帯びぬ人々を手にかけることなどできない』と士郎に向かって断言したセイバーなのだから。
陣をひとしきり駆け回った後、アーサー王は王専用に立てられた天幕の前で馬を下りた。
控えた従士に馬を預け、入口をくぐる。士郎とイリヤもその後に続いて天幕に入ってみた。
「へぇ、これがアーサー王の天幕か…」
言いながら、士郎は室内をぐるりと眺め渡した。簡素な木造の椅子と小卓。柱に備え付けられた燭台に明かりが灯り、室内中央には藁草と羽毛を敷き詰めた簡易寝台が置かれている。
「ふーん、思ってたよりお粗末ね」
イリヤはさして興味を引かれなかったのか、ある意味素直と言えば素直な感想をもらした。
「まあ、五世紀のブリテンじゃこんなものかしら」
そんな二人など見えないアーサー王…アルトリアは、兜を脱いで木枠でできた鎧かけにかけた。
激しい動きに結いが解けかけ、ほつれた金の髪が少女の顔にかかる。その顔は泥と返り血に汚れきっていた。
しかし、それでも
(綺麗、だ……)
士郎はその顔に見とれた。額から流れ落ちる汗によって血と泥が流れ、醜いまだらの化粧となっていても。疲れをにじませた翠の瞳はなお強く、戦う意志を秘めていた。いつか見た記憶の中の光景のままに、人々の笑顔を護るために、戦うと誓った決意の瞳。
その色褪せない輝きに、魅了される。
ぼうっと突っ立った士郎を余所に、アーサー王は両の篭手を外すと鎧を脱いで木枠にかけて、薄く編んだ鎖帷子一枚になった。身体のラインが灯火の明かりにくっきり浮かび上がり、士郎は顔を赤くする。すると
「なによシロウ、セイバーの裸なんか見慣れてるんじゃないの?」
士郎を見上げてどことなくムっとしたイリヤが、そんなことをのたまいました。
「な! ナニをおっしゃっておられるのでしょうかイリヤサン」
思いきり挙動不審に、ぎこちなくイリヤの顔を見つめる士郎。嘘がつけない性格である。
「ふーんだ。二日に一度は一緒に寝てるの、わたし知ってるんだからね」
つーんとした白い横顔に、情操教育とかそんな意味で少女に悪影響与えてないかな俺…とか士郎はしばし悩んだりした。
アーサー王は木椅子に腰かけると、綿布を取って顔や手を拭って一息ついた。深く長い息を吐き、木椅子の背もたれに背を預ける。その時
「陛下、お食事をお持ちしました」
「「え?」」
突如背後から聞こえた声に、驚いた士郎とイリヤが振り向くと、そこには
「ああ、すまないマーリン」
アーサー王の視線の先。裾を引きずるような長衣を目深に被った老爺が、盆を手に捧げ持って立っていた。
「このお爺さんが、マーリン……」
今度はイリヤが呆然となって呟いた。今のイリヤたちと存在位相が違うとはいえ、老爺はイリヤに予兆を一切感じさせず天幕のなかに現れたのだ。果たしてどれほどの実力を持っているのか。
しかし目の前にいる老爺が、あのマーリンなのだと知ればイリヤも頷ける。
先代ウーサー王の世からログレス王国に仕え、アーサー王を幾度も助けた半魔の魔術師は、現代の魔術師とて知らぬ者はいまい。先の戦いで風を起こし、十一王軍の矢のすべてを返したあの魔術の行使者ならば、魔力の欠片も見せずに空間転移することくらいやってのけるだろう。
盆を小卓の上に置くと、マーリンは頭巾を外した。深く皺の刻まれた顔が、灯火のもとに晒される。
アーサー王は目の前の盆に置かれた料理を見ると、一瞬眉根を寄せてから
「ではいただくぞ」
「ご存分に…」
マーリンに頷き、アーサー王は鉄串に刺さった焙り焼きの肉を引っ掴んでかぶりついた。噛み千切って咀嚼し呑み込み、更に噛み千切っては硬くなりかけた白パンをむしって齧る。飲み込もうとして喉に詰まらせかけ、慌ててカップの水を流し込んで飲み下しては、また肉に歯を立てる。
(うああ……)
なんだかもー憎しみすらこもった食べっぷりを見て、士郎はちょっと泣けてきた。家ではちゃんと美味い料理を作ってやろうと心の底から思う。アーサー王が…セイバーがあんな風になってしまったのも、今の士郎にはよくわかった。
だってあの料理、きっと不味い。
家政夫シロウには見て、匂いをかいだだけで今、アーサー王の前に並ぶ料理の正体がわかる。
おそらくあの串焼き肉は、兎か何かの肉を一度ゆで、旨味のもととも言える肉汁を出しきった状態になったところで、改めて焙り焼きにして塩を振っただけのものだ。言うならば、湯を通しきったしゃぶしゃぶを焼いて、塩だけで食うようなものだ。味も何もない。あんなもんをいつも食べていたらどうなることか……
戻ったら美味いもん作ってやろう。騎士でもないのに士郎は誓った。
そして、士郎は己を見つめる眼差しに気づいた。きっと気のせいだろう、この世界の人々から自分たちは見えない。そう思った次の瞬間、視線の持ち主から直接心に言葉が届いた。
『よう来なすった、遠き時の彼方からのお客人。この時代の料理はかようなものだ。“向こう”ではこの娘においしいものを馳走してくれると、儂もうれしい』
「な……っ!?」
驚愕に目を見開いて、士郎はマーリンを見た。きっちりと、老爺の視線は士郎の瞳を見据えている。
「そんな、ありえないわ!」
不測の事態に身構えるイリヤ。着ているものはピンクのもぐらだが真剣だ。
『お嬢ちゃん、そんなに構えなくともよいわさ。何せこの身の半分は魔。魔術に依らずとも常の人には見えぬ余分が見えるし、多少の先を“みる”こともある。この娘、アルトリアの破滅も知っている。そして若いのとお嬢ちゃん、あんたたちが更にその“先”から来たのだということもな…… そう、お若いの。あんたには言っておきたいことがある』
飄々と語るマーリンの目が不意に、魔術師でもなんでもないただの老人…孫を見守る祖父めいたものになる。そして士郎に向かって何ごとかを告げようと、老爺の瞳に意思がこもったその時に
士郎とイリヤの視界がブレた。アーサー王の天幕のなかの光景が二人の前で、見慣れた土蔵の光景と目まぐるしく入れ替わりはじめる。
「何が起きてるんだイリヤ!」
「不干渉が原則なのに、マーリンと言葉を交わしたせいで世界の修正が入ったわ。わたしたちの知覚が元の時代に戻されるだけよ」
遅かれ早かれこうなってたけどね、とイリヤは結んだ。この現象自体はどうやら予測の範疇らしく、落ち着いたものだ。
「くっ!」
士郎の頭、イリヤにバールで殴られた部分がズキズキと痛み出した。士郎が痛みにうめいている間にも、入れ替わる世界のうち土蔵の占める時間が大きくなってゆく。アーサー王とマーリンの姿は、もう三秒と長く見続けることができない。
士郎にとっては元々半信半疑で挑んだ時間旅行だ。元の時代に戻ることに異存はない。
しかし士郎は気になった。マーリンが、アーサー王を助け続けた魔術師が自分に何を言おうとしているのか。知りたいからこそ、必死にその灰色の瞳を見続けた。
そして、アーサー王とマーリンの姿が完全に見えなくなる間際。士郎は見た。
『この娘を頼むよ、お若いの』
最後にそう告げてきた老爺が、食事を摂るアーサー王…否、アルトリアを見守って、その皺深い顔に更に深い皺を刻んで微笑むのを。
・
・
・
・
・
「ん……」
瞼に射し込む陽光に士郎は目を覚ました。幾度か瞬きして周囲を見れば、和室でなくて埃っぽい土蔵のなか。
(そうだ、鍛錬してて…)
その途中で疲れて寝てしまったのだと思い出す。脇に転がった時計を見れば午前六時三分を示している。早起きの癖がついているせいか。寝たのは二時過ぎだったはずなのに、目覚めは結構快調だ。
しかしなんだか、変な夢を見たような気がする。どんな夢だったのかはうろ憶えだが、イリヤが女王さまで、セイバーがピンクのもぐらで、巨人がいて、とんでもなく強い騎士が剣を二本持って暴れてて槍が九本に増えて… だっけか? かなり支離滅裂だ。
(まあ、いいか)
士郎は思い直して身体を起こす。今日は日曜だが、寸劇に燃えた藤ねぇとイリヤが昨夜は泊まったはずだ。イリヤを除いて藤ねぇも桜もセイバーも寝たのは遅かったから、全員が起き出してくるのはいつもより遅いだろう。
しかし、朝食の仕度はせねばなるまい。是非に、絶対に。
妙な使命感に突き動かされた士郎は本邸を目指して歩き出し、土蔵の入口で何かにつまづき転びかけた。見下ろせば、二つに折れて曲がったバールが転がっている。
「また藤ねぇのガラクタだな」
やれやれと拾い上げて、士郎はバールの欠片を土蔵に備え付けの棚に置いた。いらんもん持ち込むなと、後で言っておかねばならない。
一歩外に出ると、土蔵の薄暗がりに慣れた目に陽光が眩しい。見上げてみれば、雲一つない青空だった。
本邸の洗面所で手と顔を洗ってから士郎が居間に入ると、既に起き出していたイリヤがお茶を飲みながら新聞を読んでいた。
「おはよう、イリヤ」
「あ、おはようシロウ。頭の方は大丈夫?」
広げた新聞越しに挨拶を返しながら、イリヤはこころもち心配そうな声で訊いてくる。
「ん? 何のことだ? 別になんともないぞ。こぶがあるけど、これは土蔵の棚から落ちてきた工具箱でやっちまったもんで、別に大怪我じゃないしな」
そんな士郎の受け答えに、イリヤはしばし考え込むような仕草をしてから
「…そっか、ならいいわ」
微笑んで、そんなことを言った。
士郎は台所に立つとエプロンを装着して腕をまくる。今朝はなぜだかよくわからないが、普段の五割、十割増しでやる気が違う。
「いっちょう、気合い入れていきますか」
やがて、白いブラウスと紺のスカートにきちんと着替えたセイバーが、ふすまを開けて食卓に現れた。
見下ろしたテーブルの上の光景に、かつて…そして今も王である少女は、台所に立つ少年の背中に問いかける。翠の瞳を感嘆に大きくしながら。
「シロウ、今日は何か祝いごとでもあるのですか?」
その日の衛宮家の朝食は、いつにも増して豪勢だったということ。
おしまえ
書き終えるたびに「これでもう最後にしよう」とか思うんだけどね…
※真名以外の呪文とピンクもぐらの着ぐるみに意味はありません。強いて言うなら魔法使いのお爺さんの趣味。たぶん。
※伝説による〈わざわいの一撃〉はダヴィデの剣ではなく、バリンが聖杯王から奪ったロンギヌスの槍によって成されます。
【きっとわからないだろうネタ解説】
◇黒玉と黄金の鎧の騎士、黒い船と盲目の船長、その弟の舵手
このネタがわかった人となら、野狐は朝まで一緒にお酒が呑めます。掲示板かメールで質問されたら回答しますね。
◇バール、あるいはハンク・モーガン“時渡る酔漢のかなてこ”
一九世紀コネティカット州の工場長、ハンク・モーガンは“ヘラクレス”の渾名を持つ男にバールで殴られ、アーサー王の時代にタイム・スリップしたことがある。
(マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』参照のこと)
【騎士名鑑】
円卓以前の騎士たちの方が、忠義もんに見えるんだよな…
ケイ(カイ)
アーサー王の義兄。アーサー即位後は王国の国務長官となる騎士。後世のアーサー王物語ではランスロット一派の騎士に対する当て馬的役割を負わされているが、もっと古い『マビノギオン』では九日間水中で活動できたり、敵に決して治癒しない傷を負わせることができたり、手から火を起こすことができたりする異能の戦士として描かれる。アーサーに忠告しても、あまり聞いてもらえないのは後世と同じで面白い。剣を居合抜きして巨人を倒したりと、主役級の活躍もする。
ベディヴィエール(ベディヴィア,ベドヴァ)
アーサー王即位の頃から、その最期まで仕えた近衛騎士。後世の物語で目立たないのはケイ卿と同じ。『マビノギオン』では隻手(片腕)ながら動作が素早く、並の戦士三人を相手にしても余る速度で動くことができ、繰り出す槍の一突きで九突き分の傷を敵に負わせることができたという(多次元屈折現象?)。ケイ卿とつるんで冒険していたりする。
バリン(ベイリン)
アーサー王の宮廷にて“石に刺さった剣”を抜いた男。常に二本の剣を携えていたことから“双剣の騎士”とも呼ばれる。騎士というよりはゲール(ケルト)の戦士。手に入れた剣には強力な呪いがかけられており、その剣でバリンは母の仇であった〈湖の貴婦人〉を殺したことを手始めに、冒険のさなかで騎士やら王やらを殺してゆく。しかしその全てが身を守るためであったり、仇討ちであったりするので、理不尽な殺しでもない。ロンギヌスの槍で“わざわいなる一撃”をもたらし、三つの国を焦土に変えたこともあるが、これも敵との戦いのさなかのことで、事故みたいなもんである。言動が野蛮で騎士たちには嫌われたが、アーサー王には忠義もので、十一王との戦いにおいては敵の王を捕らえたりと活躍。最期は互いにそれと知らず、弟と戦い果てる。最後に相手が弟であったと気づくのはちとかわいそうだと思う。
今回の話では赤アーチャー氏の代わりに、士郎君に双剣術を伝えるお手本になってもらいました。
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