Evangelion Sword & Grail
消毒液の匂い漂う白い廊下を黒いジャージの少年が力強い足取りで歩いて行く。
鈴原トウジである。
やや細めのその目はうれしさとも哀しさともつかない、なんとも複雑な光をたたえてい
た。
進む道すがら、白衣姿の男性女性、ナースキャップの女性―明らかに看護婦だが―と幾度も
すれ違い、ある一室に辿りついた。
巨大な白亜の建造物、第3新東京市立総合病院7階・702号室。表札には“鈴原ハルナ”
深く大きく深呼吸し、しばし目を閉じ考え込む。
いつもの彼らしくない。
そうしてから、意を決したようにきっと前を見ると、コンコンとノックした。
「…ハルナあ、ワイや。入るで」
ひとこと言って、スライド式のドアを開ける。
「あ、来てもうたんかあ……」
至極残念そうな、女の子のハスキーボイス。
そこには個室のベッドを占領し、上半身を起こした少女がいた。
年は小学校高学年くらい。長い黒髪を後ろで結び、その兄に似てやや吊上がり気味の目
は、そこは似なかったのか猫を思わせて大きい。
少々キツめの印象を与える利発そうな女の子だ。
鈴原ハルナ・11歳。
もうおわかりであろうが、鈴原トウジの実妹である。
ハルナは何か手に持ってかじりかけていた。
「なんや、迷惑やったか?」
妹の不満げな応対にちょっとムッとした口調で、だが顔はニヤニヤ笑って訊く。
「迷惑も迷惑、大迷惑やわ」
ハルナはそんな兄に返しながら、口にしたそれをぽふっとかじり、もふもふと食べる。
食べるその顔は何やら至福で満ち溢れている。その様子は森でドングリを齧るシマリス
のよう。とてもおいしそうだ。
「? 何食うとるんや?」
訊きながらトウジは近くにあるパイプイスを開いて腰を下ろす。
「…せやから今日は来て欲しゅうなかったんや。みいんな食べられてまう」
ささっとベッドの食事台に乗った白いタッパーを隠す。
「妹のおやつに手えつけるほど落ちぶれておらんわ」
「ほな先月ウチが冷蔵庫に入れとったワッフル食うたの誰や?」
「うっ…」
「その前もおとんが実家からもろうた今時貴重品のリンゴ、いつの間にか数が半分に減っ
とったなあ…」
「……」
「その前も…」
「……ワイが悪かった。…でもどしたんや? それ?」
兄の問いにニッと笑ってハルナは答える。
「もろた」
「もろたって… 看護婦のサナエはんか誰かか?」
「ふっふっふ… シンジ兄はんや♪ シンジ兄はんがクッキーこさえてくれたんや♪」
「シンジやて?」
トウジは一瞬驚きに目を見開くがすぐに、ああ、そうかと納得して頷く。
「さよか」
「そや… 忙しいやろに週一くらいでお見舞いに来てくれはるんやけど、そん度にお菓子
作って来てくれはるんや」
ほうっと頬をピンクに染め、夢見るようにハルナは語り出す。
「…シンジ兄はん、ホンマえーオトコやわあ。やさしゅうて、おいしいお菓子作うてくれ
て……キレイな顔にあの憂いを秘めた瞳…もーたまらんわあ(はあと)」
「……」
(ハルナ、オマエもなんか…)
一瞬トウジの脳裏に先日、双子山で作戦行動中のシンジに向けて一晩中、避難勧告を無
視してまさに命を懸けて応援の旗を振りつづけた一中女子有志からなる“碇シンジ応援団”
のことがよぎった。
(それがモテる秘訣なんか、マメやな、シンジ……)
「オマケにウチら守るために命張ってくれはる、エヴァンゲリオンのパイロットや!…な
のにそれをちいとも鼻にかけへん、なんも知らんと殴りつけたバカアニキの妹んために毎
週欠かさず見舞いにも来てくれはる…えーおひとやあ…」
ハルナちゃん未だトリップ中。
「…ハルナあ」
そんなハルナの夢心地に水を差すように、トウジが口を開く。
「なんや?」
きょとんとしてハルナが、いつもと違って妙に真剣な、それでいて迷うような、普段の
兄らしからぬ様子に怪訝に思って訊き返す。
「なんや?なんか拾い食いでもしたんか?」
「あのなあ……」
「…なんや? はっきりせんなあ、さっさと言うてみいや」
「あのなあハルナ、ワイが、そのシンジと同じ、エヴァンゲリオンちゅうロボットに乗っ
て、使徒っちゅうあの怪物と戦う言うたら、どないする?」
「ほへ!?」
ハルナの目が驚愕に見開かれ、手にしたチョコチップクッキーがポロンと手もとのシー
ツに落ちた。
Evangelion Sword & Grail 第6話
手にした力は、何のため?
その日、トウジが第3新東京市立総合病院を訪れる約6時間前……
備えつけられた電灯と明かり取りの小窓から射しこむ光が、半地下の埃臭い畳敷きの広
間を照らす。
第3新東京市第一中学校・柔道場。
柔道着姿の少年少女たちが騒がしい。
ス…
しゃあっ!
黒髪を短く刈り健康的に日に焼けた、その年齢からすればやや大柄な部類に入る少年が、
小柄で華奢に見える少年の足を、カミソリの如き鋭さで刈る。
ぽて
小柄な少年の背が畳に着いた。
「一本! それまで」
稽古着姿の恰幅のいいヒゲ中年体育教師、矢野イッシン(45歳・独身)が宣言する。
「キャアアアアアアッ! いかりくーん!」
「ちょっと鈴原あ! 前に碇君にボコにされたからってなにムキになってんのようっ!」
「「そーよ! そーよ!」」
それを見ていた女子たちから罵声があがる。
「じゃかあしいわい! これは男と男の勝負や! オナゴが口出しすな!」
鈴原と呼ばれた少年、まあご存知トウジだが、がムキになって言い返した。
「は… はは」
そんな女子の勢いに少々引きながら、投げられた小柄な少年、シンジがよっこらと立ち
上がる。
一中2−Aは体育の授業中だった。
今日は、柔道。科目の男女差別も撤廃されつつある今日この頃、女子も男子と一緒に授
業を受けていた。
もちろん練習は男女別だが。
そんな中、男子の中で練習試合が行われ、その対戦の中にトウジ対シンジの組み合わせ
があったのだ。
結果は、見ての通り。
トウジとシンジが試合の行われる畳の赤線の枠外に出ると、次の試合が始まる。
「…でもトウジ、強いんだね」
シンジが感心したように言う。
「おう、昔、おとんに少し習っとったんや。…しかしセンセ、Hell's Angel 言われとった
いうに大したことないのう…」
「うん… あまり慣れてないんだ、こういうの」
「へえ… でもシンジ、ネルフで格闘訓練とかやらないのか?」
ちゃっかりシンジVSトウジの対戦を、柔道場にデジカメを持ち込んで撮っていたケンス
ケ。画像データは後でしっかりシンジのファンの女子に売るのだろう。
そんなケンスケがカメラを降ろし、横から訊いてきた。
「うん、まあ、やることにはやるんだけど…… あんまり成績良くないし」
ケンスケもトウジも、こりゃ意外、といった顔でシンジを見る。
仮にHell's Angel の噂がガセだとしてもにわかに信じられない。
会った初日にトウジを叩きのめし、その後エヴァであれほどの戦いをして見せたのだ。
「情けない話だけど、綾波さんにもいつも敵わないし。教官に言わせると、打たれ強さは
人一倍らしいんだけどね…」
苦笑しながら言うシンジ。ちなみにレイも先の使徒との戦いから3日ほどの入院の後に
問題なく退院。チルドレンとしての訓練にシンジと共に参加している。
エヴァンゲリオンはパイロットとのシンクロによってそのパイロットの思考をトレース
して動く。そのためパイロット自身の戦いについての身体感覚の学習は必須であり、格闘
術や射撃についても訓練がプログラムされている。
「お! 見てみろよ!」
言いながら咄嗟にカメラを構えるケンスケ。
「なんや?」
「何?」
それを聞いてシンジとトウジがケンスケと同じ方向、女子側の練習風景を見ると、丁度
レイが試合をしているところだった。
(ふっ…いくらあなたが碇君と同じロボットのパイロットだからって手加減はしないわよ
…)
レイと組み合ったショートカットの髪の、ややキツめの顔立ちの少女、守山クミコ(14
歳、2−A一中女子柔道部所属及び一中女子有志による“碇シンジ応援団”団員)は、目
の前の蒼い髪の少女の赤い瞳を睨みつけながら思った。
しかし目の前の少女はあいかわらずの無表情。
(…そうやって、すまし顔でいられるのも今のうちよ…)
クミコは巧みな足捌きで右に左に周りながら、崩しのタイミングを計る。
レイはと言えば… やっぱり無表情だが、上体に無駄な力みがなく、クミコの仕掛ける
押し引きの崩しを難なくかわしている。
と、その時クミコは目の端に、彼女らを囲む女子の向こう側からこっちを見ている少年
の姿を捉えた。
(あっ! 碇君が見てる…)
クミコの意識が一瞬、目の前の勝負から逸れた瞬間、クミコの視界がグルリと一回転し
た。
「え!?」
すぱたーん!
「背負い投げ一本! それまで!」
結構若くて男子に人気があるポニーテールの女性体育教師が宣言した。
クミコの意識が逸れたその隙に、レイは見事な左の背負い投げを決めたのだ。
「目標、殲滅」
技が決まった時、ポツリとそんなことを言ったとか言わないとか……
ぱちぱちぱち……
ただ1つ聞こえてきた手を叩く音に、怪訝に思ったのかレイがそっちを見ると、試合を
見ていたシンジが一人、レイに向かってにこやかに笑って拍手していた。
「やっぱりすごいや綾波さん」
シンジは素直に感心していた。
「ほう、たいしたもんやの…」
「売れる、売れるぞおっ! ……あ、先生、ま、待って下さいよう」
隣で心得のあるトウジが感想をもらし、ケンスケはレイの試合を撮影していたのが女子
の先生に見つかってカメラを没収されそうになって泣きついている。
(あ…碇くん……)
シンジが自分を見ていたのを認めると、レイはばっとシンジに背を向けてしまう。なの
に赤い瞳は落ち着かなげにシンジの方をチラチラと伺っている。
頬が紅潮してピンクに染まっていた。元々肌が白いので傍目にもそれがわかる。
何度かシンジと格闘訓練なども一緒のプログラムでこなしているのだからそんなに意識
するのもおかしいと思うのだが… まあ見られているというのはまた別なのだろう。
「イ…イヤーンな感じよ、綾波さん」
シンジの反対側で試合を見ていたおさげのイインチョことヒカリがそんなレイを見て呟
いた。なかなか柔道着が似合ってる。
そして同じようにそんなレイの姿を見ていたシンジのファンの女子たちは、それまでシ
ンジを異性として認識はおろか、存在すら意識していないかのように振舞ってきたレイの
変貌に、一様に危惧を抱くのだった。
(ヤバイ、ヤバイわ)
(綾波さんも参戦か…くっ、強敵ね……)
(綾波さんは碇君と同じロボットのパイロット、一緒にいる時間も多い…はっ! もしか
してもう……)
(あんなに顔赤くして、一体何があったのようっ!)
なんだか邪推した上に飛躍した想像もあるようだが、シンジファンの女子たちの反応は
概ねこんなものであった。
実はヤシマ作戦の翌日、後にミサトによって“シンちゃんたらもうオ・ト・ナ?”事件
と命名される出来事があったのだが、それはまた別の機会に語る。
「ど、どうしたのかな? 綾波さん」
そんなレイの様子にシンジも戸惑ったように言う。
「センセー、やっぱなんか悪さしたんちゃうかあ?」
「そっそんなことあるわけないだろおうっ!」
ニヤニヤしながら茶化すトウジ。シンジも何を思い出したのか顔を赤くしていては説得
力がない。
「…う、ううう………」
シンジとトウジの傍らでは、ケンスケが結局カメラを没収され、るるるーと涙を流して
いたが、ふと、右手を道着の懐に入れて女体育教師からかすめて奪い返したディスクの安
全を確かめるとニヤリと笑った。
同日同刻、第3新東京市ジオフロント。特務機関ネルフ本部・技術部E計画担当総責任
者、赤木リツコの研究室。
本来E計画総責任者であるリツコのための、幹部用にあてがわれた私室なのだが、ネル
フの誇るスーパーコンピューター・マギの端末やら大量の書類やらが置かれて半ば以上研
究室としての機能を果たしているため、こう呼ばれている。事実E計画関係情報の重要度
ランクA以上のもののほとんどがここで処理されている。
白衣のいつもの姿に銀縁眼鏡をかけたリツコがディスプレイの前で一心にキーボードを
叩くその横で、黒髪・胸ぼん腰どんナイスバディなんでこんなんでネルフの作戦部長なんぞになれたんかなー的美女、ミサトが勝手知ったるといった感じで備え付けられたコーヒーメーカーから2つのカップにコーヒーを注いでいた。
「…私はブラック」
ディスプレイを見つめたままリツコが言った。
「わかってるわよ、ハイ」
ミサトはリツコのデスクにコーヒーカップを置くと、自分の分には砂糖とクリームを入
れる。
リツコのデスクの書類の積まれていない部分に軽く腰をかけてから口を開いた。
「明日にはオーストラリア支部からエヴァ参号機の到着、松代で起動実験か… ずいぶん
急ね? あたしは昨日の晩聞かされたばかりだってーのに……」
顔はリツコの反対側、部屋の扉の方をなんとはなしに眺めながらミサトが訊いた。
「そうかしら? 使徒の襲来とサード・インパクトの可能性を考えれば遅すぎたくらいだ
わ」
「2週間後にはドイツの弐号機到着……エヴァが4機か。手駒が揃うのはうれしいけどね
…」
エヴァを操れるのは14歳の子どもだけ。つまり最低でも4人の子どもを人知を超えた戦
場に送り込まねばならないということだ。
「…参号機。パイロットはどうするの? 確かオーストラリアにチルドレンはいないはず
よ」
「そうね」
「アスカは弐号機の専属だから… ヒルダを乗せるの? あの子はまだアスカと一緒に太
平洋のお船の上よ、間に合わないわ」
「………」
リツコは答えずキーを叩いている。
「それとも、ドイツかアメリカのマルドゥック機関選定候補者の中から誰か来るわけ?」
「いえ、もうこの街にいるわ」
「え?」
リツコがチラと目線だけミサトに向けてからタンッとキーを叩くと、研究室の正面の壁
に備え付けられたモニターに、1人の少年のバスト・ショットが映し出される。
「…この子、なの?」
それを見たミサトが愕然とする。
「そう、フォースチルドレンよ。彼がね…」
「どうして… マルドゥックの報告はまだ……」
「今日、届いたわ」
バサ
言ってリツコがファイルに綴じられた一連の書類をミサトの方に放る。
「よりにもよって、シンジ君のクラスメートとはね……」
ミサトは慌ててページをめくり、書類に目を通しながら訊く。
「…当然よ、候補者を集めて保護してあるのだから……」
「彼はもう知っているの?」
「…いえ、何分こちらでも急だったから… 今日これから私が行って直接伝えるわ。了解
が得られたらそのまま松代へ直行、バルキスの調整に入る予定よ。先行して来たオースト
ラリアのスタッフから引継ぎがあるのよ。こっちはマヤに任せるわ」
「…もし彼が搭乗を拒否したら?」
フォースの少年の搭乗が、まるで拒否を認めぬ決定事項のように処理されている現状を
目の当たりにして、ミサトは少し言葉に嫌悪感を滲ませ、声のトーンを落としながら問う。
「…それはないわ」
「どうして?」
(なぜ断言できるの?)
一瞬ミサトの眉間に皺が寄る。
「彼のパーソナリティから分析して、戦う力があるのに、友だちを戦場に送り出しておい
て自分だけ安全な場所にいるなんてこと、できるはずないわ。マギの予想でも96.61%の
確率で搭乗……」
リツコはキイとイスを回転させてミサトの方を向き、デスクに置かれたコーヒーを手に
取り口をつける。
「アンタのそのマギ至上主義、なんとかならない?」
そんなリツコを見ながら、ミサトがやれやれといった感じに若干の皮肉を篭めて訊く。
「失礼ね、純粋に論理的帰結よ」
リツコがクイっとかけた眼鏡を指で押し上げ、整えた。
日中でもなお夕闇の如き印象を見る者に与える広大な一室に、その天井を覆う世界樹だ
けが白く浮き上がり、その存在を主張している。
ネルフ司令執務室に、パチーンと木が打ち合う乾いた音が響く。
「……エヴァ参号機の到着、か…… パイロットはどうしたのだ?」
ネルフ副司令、冬月コウゾウが机の上の将棋盤に駒を置きながら言った。左手にはこの
時代にも未だ根強いファンを持つ雑誌『月刊・将棋ファン』を開いている。
「…問題ない。全ては赤木博士に一任してある…」
冬月の横でいつものポーズで座していたゲンドウは、いつもの低く何を考えているのか
わからない声で答えた。
「ダミープラグはまだ実用には耐えんだろう? では……」
「ああ… 七〇七から選別するようだな」
「よくマルドゥック機関が黙っていたな?」
「奴等も虎の子のキャメロットを乗せる気にはならんのだろう。エヴァ正規シリーズとは
いえ、参号機を造ったのは……」
「ニムロデ、か………」
一瞬、言葉を引き接いだ冬月の眉間に嫌悪の皺が寄った。
「…だから本部から離れた松代の第2実験場で起動試験を行うのか」
「ああ… 何を細工されているか、わかったものではないからな……」
3時限目の体育を終え、更衣室に誰よりも早く駆け込んで着替えを終えたシンジが教室
のドアに手をかけた瞬間…
ガラッ
(あれ?)
シンジが力を入れる前に、ドアが開いた。おかしいなあと前を見ると
「あ…綾波さん……」
カバンを手にし、帰り支度を整えたレイがドアの取っ手に手をかけて立っていた。
ちょっと驚いたのか、赤い目がパチクリしている。
「碇くん……」
レイもシンジの姿を認めると、その名を口にした。今までシンジを呼んでいた呼び方よ
りも若干、その声のトーンは柔らかく…
(やっぱり、綺麗だな……)
2人は身長も同じくらい。真正面から見つめ合ってしまい、シンジは照れて下を向いて
しまう。
だから気づかなかった、レイの頬がうっすらと紅潮したことを。
「あ…あのさ、今日はもう帰るの?」
帰り仕度の整ったレイの様子から、当たり障りのない話題をなんとか思いついたので、
シンジは顔を上げてレイに訊いてみた。
「ええ… ネルフの検査で、早退……」
問いに答える頃には、レイはもう頬の紅潮も消え、無表情に見えるいつも通りのレイだ
った。しかし、それまでだったら任務上必要最小限しかなかったシンジへの反応が、以前
よりも若干丁寧なものになっている。
以前だったら自分から一々早退の理由など説明しなかったろう。
問われれば答えたかもしれないが。
「そうなんだ……」
ちょっと残念さを言葉に滲ませながらシンジがレイに道を譲る。レイはそのままシンジ
の横を通りすぎようとしたが、ふと、何か思い出したように、はっと振りかえると
「さよ……」
言いかけた。でも瞬間、シンジの瞳が少しつらそうにゆれるのがわかる。
(「おねがい、だからさ…」)
脳裏に思い起こされるのは、月の光の下、光るものをたたえた少年の黒い瞳。
レイの胸に小さな… それでいて確かな暖かさが湧き上がる。そして同時に何かがつか
えるような、痛みと言おうか、圧迫感に似た感覚を覚え、言いかけた言葉を飲み込む。
痛みに似た刺激なのに、何故か不快ではないそのはじめての感覚に、戸惑う。
(この言葉を彼に言ってはいけない、いえ、言いたくない… でも何かが心臓の辺りでつ
かえる感じ…… 何かが出ようとしている感じ…… 何なの?)
シンジの前で、レイは幾度も何か言おうと口を開きかけるのだが、言うべき言葉が見つ
からずにまた閉じてしまう。
(なんて、言えばいいの?)
言いたいことと言えない言葉。
伝えたい思いにあてはまる言葉。些細な日常の挨拶の言葉。なのにそんな言葉すら少女
はまだ知らない。
はじめての感覚に戸惑い、出口が見つからず、レイはどうにもならなくなって俯いてし
まう。さよなら以外、別れ際のことばなど知らないから。
(どうしたんだろ。よくわからないけどなんか困らせちゃったみたいだな…)
シンジはそんなレイの姿を見ながら、なんだかわからないけど自分のせいらしいと感じ
た。対人交流がへたっぴで、人の気持ちに少々鈍感な彼にしては上出来である。
見るからに困ってしまっているレイを安心させようと、微笑みながら、言った。
「…じゃ、また後でね、綾波さん。僕も学校が終わったらネルフだからさ……」
(また、後で……)
再会の意味の篭められた、別れ際の言葉。
かちりと思いにあてはまる。
「…また、あとで……」
レイは顔を上げ、シンジの黒い瞳を見ながら、言った。
(これで、いいのね……)
うれしげに細まるシンジの目に、胸のつかえはすっとなくなる。その感覚が心地よく、
レイは自分でも知らぬうちにかすかに笑みを浮かべていた。
キーンコーンカーンコーン………
4時間目の終わるベルが鳴ると、戦いの火蓋は切って落とされる。
「うっしゃーーーーっ! メシやあーーーーーー!!」
一中2−A最後部席に生息する、ジャージ姿の最終食欲決戦魔人スズハラが拘束具を解
除(机を前に押し出し、その反動でイスを後ろへ突き出す)して起動した。
「ぐおっ!」
トウジの前の席に座っていた男子生徒が、腹部を己の机の縁に圧迫されて、というか縁
が腹に食い込んで苦しげに呻き声を上げて突っ伏した。
「うおおおおおおっいっくでエー!」
暴走する某人型決戦兵器の如く、吼えながら教室から駆け出す。購買の並み居る敵を倒
し、今日もメシという名の可能性を手に入れるため。
「待ってよトウジ! 僕も今日は購買なんだ!」
シンジも言いながらトウジの後を追って購買部へ向かって駆け出す。
「おーい、先に屋上行ってるぜ」
ケンスケはちゃっかり登校途中でコンビニ弁当を確保しているため、“Fマート”と書か
れたビニールを手に提げてのんびり教室から出て行った。
「鈴原…」
飛び出していったブラックジャージの弾丸を、このクラスの学級委員長であるおさげに
ソバカスがチャームポイントの可愛らしい少女が自席から見送っていた。
「ねえねえヒカリ、早く食べようよ!」
「今日はあたしねえ……」
ヒカリの周りで彼女の友人たちが、座席を固め終わって弁当を広げながら喋っている。
なかなか彩りのある光景だ。
「…碇君、ひとこと言ってくれれば…」
「そういえば碇君、独り暮しなんだってえ…」
「それ本当! じゃあお食事作りに行ってあげるって言えば…」
「…そんなことして“援団”に睨まれても知らないわよ」
女3人寄ればかしましい。箸が転んでも笑い転げるというこの年代の少女たちが寄り集
まるのだから、そりゃあもうかしましい。
「…おやおや、彼はもう行ってしまったようですねえ…… ちょっといいですかな? 洞
木君」
「ひゃっ! …あ、先生、脅かさないでくださいよ……」
トウジを見送り、目の前に手製の弁当を置きながら広げもせずにもの思いにふけってぼ
ーっとしていたところを背後から突然話しかけられ驚くヒカリ。
ヒカリの後ろに2−A担任の初老の教師が立っていた。
「なんでしょうか?」
しかし先生の前だ、立ち上がって用件を訊く。
「ああ… すまないんだが鈴原君を呼んできてはくれないかね? 私ではどこにいるのか
わからないのでね。至急応接室まで連れてきて欲しいのだよ」
「鈴原… 何かしたんですか?」
先生は穏やかに話す。応接室に呼び出しとは奇妙ではあるが、ただごとではないだろう。
そんなヒカリの気持ちを察したのか
「ああ、別に彼が何か問題を起こしたのではないよ。ただとても重要な用件なので、すぐ
に来て欲しいそうだ…」
「わかりました。多分屋上にいると思うんで、すぐに連れて行きます」
どこか他人事のようなその教師の口調を訝しみながらも、教師の頼みをヒカリは引き受
けた。
ここ数日は晴天の日々が続いている。空には少しばかり途切れ途切れに雲が浮いている
他は何もない。陽光を遮るものもなく、抜けるような、という言葉がふさわしい青空であ
る。
「しかしセンセが購買のパンとは、珍しなあ…」
ピッとメロンパンのフクロの封を切りながら、トウジが訊いた。
もうそれで彼の胃に消えたパンは5個目である。彼の戦果がその脇にまだ山と積まれて
いた。
彼らは屋上フェンスの傍の台石に腰掛けながら、のんびりランチタイムに入っていた。
「うん… 昨日はもうヘトヘトでさ。訓練が終わって家に着いたのが夜の11時過ぎ。シャ
ワー浴びてベッドに横になって、気づいたらもう朝の8時だったんだ。お弁当作る暇なん
かなかったよ…」
ふう、と昨日の訓練を思い出したのか、シンジは大きく溜息を吐きながらヤキソバパン
をもさもさ齧る。
「エヴァのパイロットゆーんわ、大変なんやなあ…」
「シンジ、ちょっとこっちを向いてくれないか?」
ケンスケに話しかけられ、シンジがパンをくわえたままそっちを向くと
カシャ
「なっ… 何するんだよケンスケ! 恥ずかしいよっ!」
口にくわえたパンを片手に、もう片手を広げてぶんぶん振ってデジカメのレンズを遮る。
「自然な感じでよかったぜシンジ」
カメラを降ろし、ケンスケはニヤッと打算の入りまくった笑みを口元に浮かべる。眼鏡
のレンズが陽光を反射して目の表情が見えないのが不気味だ。
「パンをくわえたシンジの写真… パンをくわえたシンジの… くわえたシンジの… く
っくっくっく… きっと売れるぞ。……女子たちは一体なにに使うんだろうなあシンジ…
くっくっくっくっく………」
もう少しで修正をくってしまいそうなことを言い出した。
体育の着替えの際に偶然見たその傷痕に気を遣ってか、ケンスケは未だシンジのセミヌ
ード写真の撮影には着手していない。そのためかどうかわからないが、この「パンくわえ
シンジ」の写真は後に結構な売上を残した。買った人たちが何に使ったかは秘密だが、漫
画研究会の女子たちが毎日活動の前と後に特大パネルにしたものを拝んでいるという噂が
ある。
「け… ケンスケって一体……」
「ああ、あいつは今妙な電波受けとっとるんや、ほっときゃええねん」
自分の写真が売れるという事実を本気でわかっていない朴念仁シンジが引き、トウジが
諭す。
ギイイイイイッ
などとやっていると、屋上の扉が音を立てる。
3人が揃えたようにそっちを向いた。
屋上に上がってきたのは、彼らのよく知った少女。
「どしたんや? イインチョ」
「…呼び出しよ、鈴原」
生徒たちがめったに足を踏み入れない、応接室へ続く職員棟の廊下をトウジとヒカリが
2人並んで歩いていた。
「…しっかしなんなんや? ワイは呼び出されるようなコトしてへんで?」
彼にとって学校唯一の楽しみと言うべき昼食を中断され、ゲンナリとしながら隣のヒカ
リに顔を向けて訊いた。
「そ、そんなの、あたしが知るわけないじゃない……」
生徒の姿が見えなくなってからずっと、無表情を装いながらもチラチラとトウジの方を
伺っていたヒカリは急に話を振られ、やや上擦った声で答えた。
「…そりゃそやなあ……」
「あ… あたしは先生に頼まれて……」
(ちがう… 言いたいのはこんなコトじゃない……)
ヒカリはちょっと俯き気味に、トウジの隣を歩く。トウジは中学生の中では背も高く体
格も良い方なので、必然的に足のコンパスもある。そのためトウジが普通に歩けば小柄な
ヒカリはかなり早足にならねばならないのだが、別にそんなことをする必要はなく、少女
は通常のペースで歩いている。
トウジが意識してか無意識にか、ゆっくり歩いているのだ。
彼にとっては誰にでもしている些細な気遣いなのかもしれない、しかし少女にはそんな
小さな気遣いがうれしく、顔には小さな笑みが浮かんでいる。
「…ここでええんやな?」
「えっ?」
物思いに耽っていたヒカリは唐突に話しかけられて思わず訊き返していた。
見ればトウジが重厚そうな両開きのドアの上にあるプレートを見上げている。
「うん… そのはずよ…」
2人きりで誰もいない廊下を歩く。そんなシチュエーションも終わりを告げる。
自分でも気づかぬうちに、ヒカリの声には残念そうな響きが含まれていた。
「なんや? 気分でも悪うなったんか?」
いつも掃除や週番の仕事をさぼっては叱りつけられているトウジは、ヒカリのそんな様
子に怪訝な顔をする。
「べ… 別になんでもないわ、ちょっと考え事してただけ……」
まさか、あなたのことを考えていたとは言えないヒカリは慌てて笑顔を作って言いつく
ろう。
「さよか… いっつも迷惑かけてスマンなあイインチョ」
トウジの気遣いの篭った視線を向けられドキドキしてしまう。
「い、委員長として、当然のことよ…」
俯きながら、答える。
「…ほんじゃ、行ってくるわ」
トウジは応接室のドアの前に立つと、コンコンと2回ノックしてから開けた。
「失礼します」
ノブを捻り、ドアを開けると、高価そうなソファーの応接セット。向かって左のソファ
ーには1人の女性が座っていた。
(なんや美人やけどキッツそうなネエチャンやなあ… 葛城はんとは大違いやわ…)
などとトウジが思っていると
その女性、黒のタイトスカートに上は濃紺のスーツ姿の金髪美女は立ち上がってトウジ
の姿を確認すると言った。
(眉は黒やんか、髪は染めとんのか…)
「…鈴原、トウジ君ね。入ってドアを閉めて頂戴」
「はい」
(一体ワイに何の用や?)
怪訝に思いながらもトウジは言われた通りにすると室内に足を踏み入れる。
「かけて…」
向かいのソファーを勧められた。
トウジが腰を下ろすのを見ると、その女性は話し出した。
「私は特務機関ネルフ、技術部所属の赤木リツコです。この街が、いえ、人類全てが今、
使徒と呼ばれる敵性体、わかりやすく言えば謎の巨大怪物によって危機に瀕しているのは、
シンジ君の友達のあなたなら、もうご存知のはずよね?」
「ええ… 知ってます」
(なんや、避難勧告無視がばれたんでなんか罰でももらうんか?)
今まで2度も避難勧告を無視し、あまつさえ最初は結果的に戦いの邪魔をしたようなも
のだ。トウジは内心焦りまくり
(…懲役やろか? 罰金で済むんやろか?……ウチ今金ないねん……懲役やわ……ハルナ
あ、スマン、次に会うときオマエのアニキは檻ん中や……)
暗い想像にずうーんと沈む。
「時間がないので単刀直入に用件を言います。あなたはネルフ第4適格者・フォースチル
ドレンとして選ばれました。ついてはあなたも知ってるネルフの兵器・エヴァンゲリオン
のパイロットとなって敵性体・使徒と戦って欲しいの」
「ハア!?」
予想もしなかった言葉に、トウジの素っ頓狂な声が、防音の効いた室内に響き渡る。
「どうしたんだろトウジ… ケンスケ、何か知ってる?」
「さあなあ… 避難勧告無視の件だったとしたら、呼び出されるのはアイツだけじゃなく
ってもっといてもいいはずなのにな」
「は… あはは……」
シンジはヤシマ作戦の際に丁度ここで行われた応援の様子を思い出して、ぎこちなく笑
った。
「…おっとシンジ、そろそろ休み時間終わりだぜ」
ケンスケが腕のUN払い下げ多機能ウォッチを見ながら弁当をかきこむ速度を速めた。
使徒は両腕を使用不能にされて、もはや対する術を持たなくなった片腕の初号機の頭部
を掴み上げ、その掴んだ左手から光の槍を発し、顔面に打ちつける、何度も、何度も。
ガンッガンッガンッガンッ……
『うわあああああああああああああああっ』
スピーカーから轟くシンジの絶叫。
「なんや! なんちゅう無茶しよるんや! アンタら!!」
「…ええ、そうね。でも、ああしなければ、私たちは今、ここでこうして生きてはいなか
ったわ……」
使徒は残った右手を初号機に向け、光の槍を撃とうと突き出すが、初号機はそれをひょ
いとかわすとグワシッと大口を空けてその顎で使徒の手首に食らいつく。
ミシッミシッ…ブチイッ!
使徒の右手は食いちぎられ、初号機はベッと咥えた使徒の手を吐き捨てる。
ゴオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアッ
初号機は咆哮し、右の拳を振り上げる。
使徒はその胸の仮面の2つの穴を発光させ、怪光線を撃とうとするが…
バキン!
初号機の拳の方が一瞬早く、その仮面を叩き割った。
そのまま初号機は狂ったように何度も何度も右の拳で使徒を殴りつける。
「あれ…… シンジがやっとるんでっか?」
そのあまりに禍禍しいあり様に息を呑む
「…そうとも言えるわね」
この時、リツコは初号機とシンジの関係について、最高機密事項にすら繋がりかねない
ことをさらっと言ってしまっていた。
相手が子どもであるためか、普段から張り詰めていた気が緩んでいたのかもしれない。
プツン…
リツコが応接室に備えつけられたDVDのコントローラーを手に取り、映像を切る。
少年の方に向き直り、言葉を続ける。
「…で、どうする鈴原君。エヴァに乗る? それともやめて今まで通りの生活を続ける?
…今なら選べるわ。同時に、今しか選べないけれど………」
「………」
エヴァ初号機の戦闘記録映像を見せられてから、少年は深くソファーに座り込み、俯き
黙っている。
(……戦う、あのロボットに乗って、ワイが、あのバケモンと……)
「シンジ君は、戦うことを選んだわ。今のあなたのような余裕もなく……」
続けられるリツコの言葉。シンジと比較して対抗意識でも煽ろうというのか。
トウジの脳裏をたった今見せられた映像と、病院の妹の病室から生で見た初号機と使徒
の戦闘場面がよぎる。
(…シンジ、ワイらはみんなオマエに命もろうたようなもんなんやな……)
たった独り、苦痛に耐えながら、命がけの戦場に立つ、自分と同い年の少年。
(…………)
そして彼の妹の屈託のない笑顔が思い浮かぶ。
(守らな、アカンな……)
彼がネルフに対して持つ感情的なしこり。妹の怪我。それは明らかな重傷だったが、手
術に成功し現在回復に向かってはいる。しかし、これはシンジも妹のハルナ自身も知らな
いことだが、彼女は脊髄を損傷していたために、今後補助器具なしでの歩行は絶望的だと
トウジが主治医から聞かされていた。
術後の元気な様子からは想像もできないことだったが……
しかし妹が、自分が、そして彼の父や祖父、ケンスケをはじめとする友人・クラスメー
トが生きていられること自体、シンジが命を賭けたおかげ、ひいてはネルフのおかげなの
だ。何も知らぬままに、知らされぬままに、シンジは見ず知らずの人間たちを守った。結
果的に。それが彼の本意であったかどうかは別としても……
『…嘘なんかじゃありません。僕がエヴァに乗るのが自己満足のためだっていうのは、本
当です』
夕暮れの中で、シンジがミサトに告げた言葉。
(…そか…… そやな…… ワイが今から言おうとしてるんも、結局は自己満足ゆうこと
なんやな……)
顔を上げるとトウジは真正面からリツコを見つめ返し……
「ワイで、ワイでお役に立てるんでしたら、使うてください。……でも、でも1つ、条件
があります…」
Evangelion Sword & Grail:Episode 6
Don't worry !
(「明日、あなたの専用機になる予定の、エヴァンゲリオン参号機がオーストラリアから松
代に到着するわ。そのまますぐに起動実験に入るので明日は一緒に行動してもらいます。
明日0800―午前8時のことよ―にあなたの家にネルフの迎えが行くから彼らに従って。
用意するものは特になし。必要なものは全てこちらで用意するわ。…え? 学校? そち
らも事前に手続きは済ませておくから心配しないで、それでは… 協力、感謝するわ……」)
教職員棟から教室へと続く、誰もいない廊下に歩みを進めるそのジャージの少年の足取
りは、どこがどうとは言えないが奇妙な雰囲気を漂わせている。
それはどこかおぼつかなく迷うようでいて… しかしその目はしっかり前を見据えてい
る。
キーンコーンカーンコーン……
少年が自分の教室2−A後部ドアの前に立ったとき、5時限目終了のベルが鳴った。
眠い授業が終わり、ある者は帰宅の、ある者は部活の準備に沸き立ち、教室は俄かに騒
がしくなる。
少年はドアを開けると、目当ての少年を探した。
「あ、トウジ、遅かったね。一体どうしたの?」
昼休みに呼び出されてから今まで姿を消していた友人の姿を認めて、ただ1人長袖シャ
ツを着た少年が、探すまでもなく向こうから寄ってきた。
「おう、ちょい野暮用でな…… シンジ、悪いんやが今からちいっと付き合うてくれへん
か?」
「あ… ごめん、今日これからネルフで訓練が……」
「5分ばかし帰り道に付き合うてくれればええねん」
「トウジ……」
いつものトウジとどこか違う、思いつめたような雰囲気にシンジは戸惑う。
「なんだトウジ、そんなのいつものコトじゃないか」
2人の会話にケンスケが横入りする。まあここまではいつもの2−Aの光景だ。
しかし……
「スマン! ケンスケ… 今日ばっかしは席はずしてもらえへんやろか?」
トウジはケンスケに両手を合わせてがばっと拝み倒す。
「この通り、後生や……」
ケンスケと一緒になってシンジをからかう、いつものふざけた感じのまるでない真剣な
様子に、シンジとケンスケは目を丸くしている。
「……ふう、わかったよ。オレが席をはずせばいいんだな?」
やれやれといった感じで頷くケンスケ。
(トウジ…… そんなにシンジと2人きりで帰りたいのか? トウジ、オマエはいいヤツ
だったのになあ、オレの写真を買わなかったのはそのせいか……)
トウジがケンスケの美少女写真を買わないのは、単に硬派を気取っているせいなのだが、
ケンスケは何を誤解したのか、どこか憐れむような眼差しをトウジに向けた。
「おおきに! ケンスケ、埋め合わせは必ずさせてもらうわ! ほな行くで!!」
「あっ!… そんなに急がなくたって……」
トウジはさっさとカバンを手に取ってシンジの腕を掴んで引っ張ると、教室を出て行っ
た。
(鈴原あ! いっつも碇君と一緒にいるのはそのためだったのね! だめよ! 碇君を不
毛な道に走らせるわけにはいかないわっ!)
(鈴原君と碇君… やっぱり碇君が“受け”なのかしら……キャッ!)
そんな2人を見送った女子生徒の中にも、ケンスケと同じような誤解をした者が若干名
いた。
「鈴原……」
おさげの少女は、どこか寂しげな視線で彼らを見送った。
常夏の気候に緑に生い茂るポプラ並木の歩道を、2人の少年は並んで歩いていた。
並木は歩道とその隣の車道を遮る境界となっている。
午後の夏の陽射しがポプラの葉を通って、シンジの白いシャツを青く染める。
「…話って、何?」
勢い込んだトウジによって学校から連れ出されたシンジだが、それから黙り込んだまま
一向に話し出さないトウジに、このままでは埒が開かないと話しかけた。
「何か、心配事?」
思いつめた様子に、水を向けてみる。
「……あのなあ、シンジ………」
「何? できるコトだったら、なんでも相談に乗るよ?」
「シンジは…… なんのためにエヴァに乗っとるんや?」
トウジはシンジの方を向くと立ち止まり、真正面から見つめて問う。
一緒に立ち止まるシンジ。冗談事では済まされない真剣な目に息を呑む。
(この感じ、どこかで……)
そう、ごく最近、これと良く似た質問をされた。今と同じくらいの重さを持った問いを
(「…何故? 何故あなたはエヴァに乗るの?」)
月明かりの下、赤い瞳の少女の問い…
(僕は……)
同じ問いを問う、自らが傷つけた少年。
「僕が… エヴァに乗るのは、ただの、自己満足だよ………」
「それで… それで命を賭けられるんか?」
「…危なくなったら、逃げるよ…… でも……」
シンジの脳裏をよぎるのは、自らを盾にして敵加粒子砲に全身を晒す零号機。
抱き上げた白い少女の細く、軽い身体。スーツごしの、ぬくもり。確かな命の暖かさ。
そして…… 月明かりの下の、彼女の小さな小さな笑み。
「でも、なんや?」
「でも…… 自分の命よりも、なくしたら恐いものって、あるのかもしれない……」
目の前の少年と、同じ問いを発した少女を思い浮かべ、少しつらそうな目をする。
「………」
トウジはそんなシンジをしばらく無言で見ていたが、やがて
「…そか…… そやな…」
言ってフッと顔に笑みを浮かべると
「今日は付き合うてくれてありがとな!」
「へっ?」
急にいつもの調子に戻ってバシッとシンジの背を叩き
「ほなまたな!」
言うやいなや、シンジの前から走り去ってしまった。
「…一体どうしたんだろ、トウジ………」
後にはどうにもわけわからんといった、狐につままれたような顔をしたシンジが取り残
されたとさ。
プラグスーツのシンジが、白いタオルでLCLを拭いながらドアをくぐる。
「お疲れ様、シンジ君」
「ミサトさん… あれ? 今日はリツコさん、いないんですか?」
本日の訓練メニュー、生身での射撃・格闘訓練からテストプラグによるハーモニクステ
ストまでをこなし、通常ならば今いるコントロールルームでミサトとリツコの講評をもら
うのが恒例なのだが、今日に限ってミサトと、リツコの助手を務めるマヤしかいない。
「そ、お仕事で松代へ行ってるわ」
「結構遠くですね」
「ええ、参号機が届くのよ」
あっけらかんと答えるミサト。
(教えておくいい機会ね…)
彼女は既に、鈴原トウジの参号機搭乗承諾について報告を受けていた。
「参号機って… エヴァ、ですよね?」
「そうよ… 気になる? これからあなたと一緒に戦うことになるわけだし」
「ええ、まあ…」
(やっぱり、僕や綾波さんと同じで、14歳の子どもなのかな……)
戦力が上がるのは単純にうれしい。今まではいつ死んでもおかしくなかったような紙一
重の勝利の戦いしかできなかったから。しかし、それは同時に、自分と、自分や綾波レイ
と同じ戦いの苦しみを互いに分け合うということでもある。命を賭けるということである。
そんな戦いに、また1人の子どもが立たされるのだ。
奇しくも、そんなシンジの葛藤は、ミサトが抱えた葛藤に良く似ていた。
(先のばしにしても、仕方ないことだしねえ……)
「…参号機のパイロットはね……」
ミサトが言いかけた瞬間…
ピンピロリン・ピンピロリン……
なんだか気の抜けるようなコール音で、ミサトのポケットの携帯通信機が鳴った。
「はい、葛城です。あ、日向君? ええ… ええ… わかったわ、すぐにそっちにいくか
ら……」
ピ…
一通りのやりとりの後、通信を切ってポケットにしまう。
「ちょーっちゴメン、すぐに作戦部に顔出さなきゃならなくなっちゃった、参号機のパイ
ロットについては明日になればどっちにしろわかるから…… まったねー」
ミサトは片手拝みして早口でまくし立てると、コントロールルームを駆け出した。
ポカンと見送るシンジとマヤ。
「…あの、マヤさん。参号機のパイロットって、どんな人なんですか?」
気になってシンジはそばにいたマヤに訊いてみた。
「ごめんなさいシンジ君。私にはあなたにそれを言っていい権限がないの…」
マヤはキーを打つ手を休めるとちょっと申し訳なさそうに、シンジの方に向き直って言
った。
「そう、ですか…」
シンジはミサトが消えたドアを見ながら、少し沈んだ声で答えた。
(…まさか、ね……)
―翌朝、午前7時58分。
閑静な住宅街の一角、ごく普通の一戸建ての2階家。鈴原と表札のある玄関の前で、黒
いジャージの上下を着た少年が空を見上げていた。
やや湿った朝の空気がまだ夜の涼の名残を留めているが、わずかな雲しか空にはなく、
これから日が高くなるにつれてさぞ暑くなるのだろうと予想させる。
キイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!
びゅおっ!!
「どわっ!」
突然目の前に突っ込んで来た青いスポーツカーとその巻き上げた突風に煽られて少年・
トウジは後ろに跳びずさった。
「な、なんやねんっ! ワイを殺す気かい?」
ガチャッと車のドアが開く。トウジは体勢を立て直してからそこに近寄ると文句をたれ
はじめる。
「ふーっ、間ーにあってよかったわあ……」
言いながら、運転席から黒髪の美女が颯爽と現れた。
「あ…か、葛城はん……」
呆然とするトウジ。ネルフは国連直属の特務機関、迎えに来るのはいかついオッサンだ
ろうと思っていた。しかしやって来たのはどうやらシンジの上官らしい美女・葛城ミサト。
それも思春期少年のサガか、是非ともお近づきになりたいくらいの美女だ。
ネルフに所属することになるのだから想像くらいしていたろうと思うのだが、彼は自分
がお目にかかることになろうとは思ってもみなかったらしい。
「…お久しぶりね、鈴原トウジ君。会うのは3度目かしら?」
ミサトはトウジに悠然と微笑む。
ガラガラガラッ!
ドアが開く。
「はあっ… 間に合った……」
朝のHR開始のチャイムと同時に2−Aの教室に駆けこんできたのは、一中のカメラメ
ガネなどと、あまりうれしくないニックネームを女子たちから囁かれている少年・相田ケ
ンスケ。
「あれ? トウジと一緒じゃないんだ?」
ポツネンと空く、最後尾席。
まだ担任教師は来ないので、シンジはケンスケの座席に近寄って訊いてみた。大概ケン
スケとトウジは一緒に登校してくる。大抵は遅刻も仲良く一緒だ。
窓際の後ろから2番目の座席も空いているが、そこの主は3日に1度は欠席し、出席し
ても2回に1回は早退するのでクラスの人間はあまり気にはかけない。
シンジもネルフの仕事が忙しいのだろうと理解していた。零号機は試作機であり機能が
かなり不安定で、専属操縦者との微調整が常に必要なのだとリツコから説明されていたか
らだ。
(綾波さん、体もそんなに丈夫じゃなさそうだしなあ……)
「ああ、昨日の夜電話があってさ、今日は学校休むってさ」
「……ハルナちゃんのことかな?」
シンジの顔がちょっと沈み込む。
「違うと思うぜ… 野暮用とか言ってたけど…… シンジだってお見舞い行ったろ? ハ
ルナちゃん、元気そうだったじゃないか」
「うん……」
そんな2人に近づくおさげの少女が1人。
「あ… あの、碇君?」
「え? あ… 何? 委員長?」
面識はあるものの、あまり話したことのないヒカリに話しかけられてシンジは驚く。
「委員長がシンジに用事なんて珍しいなあ…」
ケンスケはクイッとメガネを整える。
「あの、その… ねえ、昨日あれから鈴原と、何話したの?」
あれとは昨日トウジがシンジを引きずって帰ったことを指すのだろう。
「何って… うーん、どうしてエヴァに乗るのかって訊かれただけだけど…… でもどう
して僕にそんなこと訊くの?」
「うん…… なんだか鈴原、昨日のお昼休みに呼び出されてから、なんだか様子がおかし
かったから……」
「…それは確かにそうだったけど…」
シンジは考え込む。
「お、委員長! そんなにトウジのことが気になるのかな?」
ケンスケがキラーンとメガネを輝かせてニヤリと笑う。
「なっ… 何言ってるのよ相田あっ! あ、あたしはただクラスの委員長として……」
ヒカリは誰の目にもわかるくらい顔を真っ赤にしてうろたえる。
「ひっひっひ… まあそういうことにしておくよ」
ニヤニヤ笑いを更に深くするケンスケ。
そんなだからもてないんだよ………
ゴオオオオオオ……………
遥かな高みより地上に轟く、輸送ジェット機のエンジン音。
見上げると、青と黒のコントラスト。空の青をバックにこちらに向かって来るのは、漆
黒の十字架。
「……あれが、エヴァンゲリオン参号機………」
サングラスをかけたミサトが髪をかきあげる。
「…まるで、刑場に運ばれて行く罪人ね……」
「………」
両腕を組んで立つミサトの傍らにある、施設内移動用のジープの助手席で、いつもの白
衣姿になったリツコは黙ってクリップボードの書類に目を通している。
輸送ジェット機に吊り下げられる姿勢で、灰色の十字架の形をした拘束装置に固定され
る黒い巨人は、磔刑に処された太古の罪人を思わせる。
(…死と隣り合わせの場所に送り込むという意味では、大差ないか………)
「……では、これとこれにサインを……」
漆黒のスーツに身を包んだその女性が嫣然と微笑ながら差し出す一連の書類に、素早く
漏れなく目を通しながら、ミサトは署名していく。
「…それでは、確かに……」
歳は20代半ば程だろう。同じ女であるミサトまで嫉妬しそうな、美しく、腰まであ
る長くつややかなストレートの黒髪。縁無し眼鏡をかけた京人形のごとき和風の美女は、
書類をブリーフケースに納めていく。
「ご健闘を祈ります……」
再び微笑むと、ペコリと頭を下げる。ボディガードだろうか? 銀髪のオールバックに
サングラスをかけた国籍不明の、いかにも暴力をその業務の主幹としていそうな黒いスー
ツの大男を従えてネルフのV−TOLLに向かって歩いて行く。
「オーストラリア支部技術部所属、山岸二尉、か…… ねえ、リツコ知ってる?」
ピラミッド型をしたジオフロントのネルフ本部とは異なり、松代第2実験場は巨大なド
ーム型をしていた。その前に広がる無意味にだだっ広い、空港として利用するため舗装さ
れた敷地に、十字架に張り付けられたまま仰向けに横たわる参号機。
ミサトの横でリツコはそのドーム施設への搬入のため作業員に指示を出している。
「…2年前までは本部技術部所属でここにいたわ。オーストラリア支部での参号機の建造
が決定したんで辞令が降りて、向こうの所属になったの……」
工程の書かれた書類にチェックを入れながら答える。
「へえ……リツコみたいな科学畑の人間には見えないけど……」
V−TOLLに乗り込む後姿を見ながら、ミサトがそんな感想をもらす。
(鋭いわね……)
ミサトの観察眼の鋭さに舌を巻く。
「なんやあ… シンジのエヴァに輪あかけて凶悪そうな面構えやないか……」
ドーム施設内のケージに直立した姿で固定されたエヴァンゲリオン参号機を、その巨大
な足元から見上げながら、鈴原トウジはそんな感想をもらす。
専用機となる参号機のカラーリングに合わせたのか、既に黒のプラグスーツにその身を
固めていた。
エヴァンゲリオン参号機。その形状は角のない初号機といった感じだが、全体的な印象
はかなり異なる。頭部には2つのセンサーアイと拘束された顎部を持ち、初号機と良く似
てはいるが、初号機が“鬼”を連想させるのに対し、参号機は今にも食らいついてきそう
な獰猛な肉食恐竜を思わせた。また全身のフォルムも初号機と比べてより鋭角的で、攻撃的な印象を見る者に与え
る。肩パーツは初号機より一回り幅が厚くなっており、また肘と膝には、明らかに格闘戦
を意識しているとわかるスパイク状の突起が突き出ていた。参号機を攻撃的に見せている
のは主にこれが原因であろう。
『鈴原君、そろそろ起動実験に入るわ。エントリープラグ所定の配置について』
ケージにリツコの声で放送が入った。
「了解っ! ………なんか柄やないなあ………」
1度真剣な顔で答えてみるが、ふっと笑っていつもの顔に戻ると、トウジは参号機の側
面に備えつけられたタラップに向かった。
シュオン…………
エントリープラグがマニュピレーターによってエヴァ参号機の後頚部に装着され、挿入
が開始される。
丁度参号機の頭部を側面から眺められる高さにあるコントロールルームから、強化ガラ
ス越しにリツコとミサト以下本部より派遣されたE計画担当スタッフらが起動実験を見守
る。
(…参号機OS……本部マギの支援を受けたバルキスによる1027回のスキャンでも何も検
出されなかった……いえ、できなかったと考える方が自然ね………)
リツコの参号機を見る目に険が走る。
(……相手はニムロデのソロモン、参号機をマギに接触させるのは最小限にすべきか……
…)
「鈴原くーん! 準備はいーいー?」
ミサトがパイロットの緊張をほぐそうというのか、勤めて明るく軽く、備えつけられた
マイクに向かって話す。
『まかせといてください! 葛城はん!』
「さっき言った通り、ミ・サ・ト・でいいわよん」
サブモニターの中で、プラグ内のトウジが左腕をまくる動作をして見せる。
「これよりエヴァンゲリオン参号機、起動実験を開始します。第一次接続、開始」
リツコが宣言すると、所定の位置についたスタッフたちが次々に作業を開始し報告が飛
び交い出す。
「主電源コンタクト」
「稼動電圧臨界点を突破」
「フォーマットをフェイズ2へ移行」
「パイロットと参号機、接続開始」
「フォースチルドレン、パルス及びハーモニクス、共に正常」
「シンクロ、スタート…」
リツコがスタッフたちに告げると、報告の声がやや緊張を孕み出す。
「シンクロ、中枢神経素子共にに異常なし」
「1から2598までのリストクリア」
「絶対境界線突破まであと1.8……1.5………0.7…0.4…0.2…」
誰しもが零号機の暴走場面を思い出し、スタッフ全員の緊張が否がおうにも高まる。
「…0.1…ボーダーラインクリア! 参号機起動に成功しました!」
ヴオン……
参号機の両眼に光が灯る。
おお…… と安堵の声があちらこちらから聞こえてくる。
「シンクロ率、37.16%……」
「……いい数値ね、起動指数を軽々クリアよ、今日は起動できないまでもシンクロ率さえ
はじき出せればいいと思っていたのに。これは意外な拾い物かもね……」
リツコがトウジと参号機のデータを見ながらそんな感想をもらす。
「これなら即、実戦も可能よ……」
「……しかし良く乗る気になったわね、彼… 彼にとっては使徒だけじゃなくてエヴァも、
妹の仇みたいなものでしょうに……」
胸元に取り付けた参号機へ繋がるマイクを切り、光の灯った参号機の目を見つめながら
ミサトが言った。トウジの生育歴や家族背景、最近の行動についての調査報告は既に受け
ていた。
「…彼の妹の治療をネルフの最新技術で行い、叶うならば再び彼女を自分の足で歩けるよ
うにすること…… それが彼の搭乗の際に出してきた条件だったわ………」
2人がそんな会話をしていると、コントロールルームの一角が急にどよめいた。
「何事?」
リツコがそちらに注意を向けると同時に、今度はミサトのジャケットの内ポケットから
例のピンピロリン・ピンピロリンと思わず気が抜けてしまうようなコール音が鳴り響く。
携帯通信機を手に取ると
「はい、葛城です……え? なんですってえ!!」
ミサトが目ん玉ひんむいて叫んだ。
「赤木博士! 戦自より入電、現在北東約20q地点に未確認飛行物体を確認しました!」
「進行ルートがこの松代第2実験場を通過する確率は、バルキスの予想で96.32%。到達
まで約21分!」
リツコに次々と寄せられる報告。それは間違いなく……
「……ええ、ええ、至急シンジ君と初号機をウイングキャリアーでこっちに寄越して……
ええ、こっちの電源設備じゃエヴァ一機の戦闘行動で限界なのよ、追加増量電池、忘れな
いでね…それじゃ」
携帯通信機で話すミサトの顔は、対使徒戦の指揮の際にしか見せない険しいもの。
ピ…
通信を切る。
「ミサト……」
「ええ、本部でも確認したわ。間違いない、使徒よ…」
「で、どうするの? 作戦部長?」
どこか茶化すようにリツコが問う。もう答えはわかりきっているような口ぶりだ。
「本部へ戻って体勢を立て直して……と行きたいところだけど、参号機を抱えて撤退なん
て間に合わないわ。それに首都圏に入られるわけにもいかない。ここで迎撃します… あ
わよくば殲滅と行きたいところね」
逆境に闘争心が煽られたのか、ミサトはニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
「参号機はこのまま使うの?」
「あら、即実戦可能と言ったのはあなたよ? ……どのみち初号機は間に合わないわ、な
んとか時間稼ぎだけでも、ね。今は参号機とトウジ君に賭けるしか、あたしたちの生き残
る術はないわ」
「それが本音?」
「……じゃあ、ここで死にたい?」
ゴオンゴオンゴオン………
ドーム施設の1箇所が横にスライドし、第3新東京市でエヴァが使用するものと同じ固
定具によって直立した姿のエヴァ参号機が前にせり出してくる。
『目標到達まであと176秒!』
「あれが……使徒かいな……」
プラグ内でトウジが、360度スクリーンのモニター正面に映る、小さな紫色の物体に目
をやり、それからその物体を拡大して映した片隅のサブモニターに目を向け、呟く。
体表の色は紫。
水平面に平たく丸く、前面に尖った頭部らしき部分には、まるで畑で鳥払いに使われる
それのような目玉模様がある。
そこに潰れた円筒形をした胴体らしき部分が水平に繋がっている。
『最終安全装置、解除』
ガコン……
戒めを解かれ、自由になる参号機。
『…トウジ君、シンジ君と初号機が来るまでのあとおおよそ8分間、なんとか時間を稼い
で』
「ハイ!」
モニターを全て、この施設の周囲にある山や周辺施設に配置されたカメラにリンクさせ、
今や仮設指揮所となった松代第2実験場コントロールルームのミサトから通信が入る。
『エヴァンゲリオンは説明したように、あなたの考えた通りに動くわ… 今、どんな感じ
かしら?』
リツコから操縦についてのレクチャーがはじまる。
「なんか、もう1つ、でかい体があるような感じです」
『そう、それがエヴァとのシンクロ感覚。あなたの思考がそのままエヴァに伝わるの。だ
から今あるその大きな体の感覚と、自分自身の感覚の間の“ズレ”を忘れないで……ズレ
を忘れてしまうと感覚がパニックを起こしてコントロールが利かなくなるわ』
そう、丁度初戦のシンジと初号機のように、歩いたと思ったらぶっ倒れてしまう。
『…参号機の武装は、まだ左右下腕に装備されたプログナイフだけ……今外部操作で出す
わ、受け取って』
バシュン!
小さな破裂音と共に参号機左手首の装甲が隙間を開け、中から左手の甲に沿ってエヴァ
サイズの巨大なナイフの柄が出てくる。
参号機=トウジがそれを右手で掴み、引き抜く。初号機のものより一回り大きく、ナイ
フというよりは短剣といった方が近いかもしれない。
(いきなり実戦かい……シンジ、オマエもこないなカンジやったんか?)
トウジが正面に目を向けると、もう使徒の全貌が望遠を使わずとも明らかな状態で映し
出されていた。もう目の前だ。
参号機は一歩踏み出すと軽く膝を曲げて腰を落とし、右手に持ったプログナイフを胸の
高さに構える。なかなか道に入った構えだ。
(やったろや、ないかい……)
トウジは目の前の敵を睨み据える。
使徒は首(?)の部分から折れ曲がって、縦になった円筒に頭部の付いた、直立したよ
うな姿になる。
ワサワサワサ…
前面に顕わになった腹部に生えた節足が蠢く。
その中央に赤い光球・コア。
そしてその胸元から2本の突起が突き出てくる。
「…なんや? 気味悪いわ……」
言った瞬間………
パシュン! シュルルルルルル!!
使徒のそれぞれ2本の突起から生える光の鞭。
シュオン!
2本のそれが、各々別の生き物のようにうねりながら凄まじい速度で参号機に襲いかか
る。
バチン!
鞭の一本が、参号機が差し出した右手を強打する。
「くおっ…」
右手に受けた衝撃と痛みに顔を顰め、トウジは苦痛の声を上げる。
「しもたっ!」
気づいた時はもう遅く、参号機の右手にあったはずのプログナイフは弾き飛ばされ、ひ
ゅるひゅると宙を舞うや
ドスッ!
遥か遠くの山の岩壁に突き立ってしまい、そのまま高速振動で岩を裂いて落ちる。
呆然とそれを見送ってしまったトウジに、半ば罵るようなミサトの叫びが、通信を介し
て轟く。
『なによそ見してんのっ! 使徒は目の前よっ 応戦して!』
「そなことゆうたかて…… うおっ!」
ミサトに叱咤されすぐさま使徒に目を戻す。
使徒の光の鞭の一本が頭上から振り下ろされ、もう一本が右から横薙ぎに襲いかかる。
それを避けようというトウジの意識に同調した参号機は、左方に横っ飛びに跳んで使徒
の攻撃から逃れようとするが…
ズズウウウウウンンンンン………
足をもつれさせ、バランスを崩して左側面から地面に倒れ込む形になってしまう。
ズガアン!
ドドン!
参号機が倒れた瞬間、かつて参号機があった場所を縦薙ぎの光の鞭が襲いかかる。
ドーム施設のハッチを縦に真っ二つに切断し、次の瞬間横薙ぎの光の鞭が薙ぎ払い、吹
き飛ばす。
「……ったいわあ……」
参号機が倒れた際の衝撃と、フィードバックしてきた痛みにボヤく。
(…これがシンクロいうんか……)
兵器が受けたダメージが、そのままパイロットにもかかってくる。そんな状態で戦えと
いうのだから、考えてみればとんでもない兵器である。
松代仮設指揮所となったコントロールルーム。
「ああっ! いわんこっちゃない! 早く起き上がって!」
ミサトが声を張り上げるコントロールルームのモニターの中では、倒れた参号機に今ま
さに光の鞭が襲いかからんとしている。
「…初搭乗で反射的に回避行動を取ろうとした。シミュレーションもまだなのに…なかな
かセンスあるわよ、彼」
リツコはモニターされて流れ込んでくる参号機のデータだけを見て、ニコリともせずに
そう評した。
ガッガッ!
参号機を敵と見定めたのか、光の鞭が参号機のあった場所に突き立てられる。
ゴロゴロと横に転がってなんとかそれをかわし、距離を稼ぐとドーム施設
からかなり離れた地点で片膝立ちに体勢を立て直す。
『トウジ君、今度は右腕のナイフを出すわ、今度は落とさないでね!』
「わかってます! はよやってください!」
バシュン
参号機は右下腕から出てきたプログナイフの柄を左手で引き抜き、右手に持ち変え構え
直す。
(…ワイじゃあ、あの鞭の速さにゃあついていけん……間合いもコッチの倍以上や……)
しゅるしゅると2本の光の鞭をゆらしながら、参号機に向かって来る使徒。
(…シンジイ、オマエならどないする?)
頭によぎるのは、昨日学校の会議室でリツコに見せられた初号機の戦闘場面。
トウジたちが結果的にシンジの邪魔をしてしまったあの戦い。
シンジがそれを意図して行ったのかわからないが、初号機は自らを敵の毒針に晒して活
路を見出した。
それを思い出し、1つの案が浮かぶ。しかし、先ほど受けた参号機からのダメージ・フ
ィードバックがそれを躊躇わせる。
(これやったらイタかろな……)
迫り来る使徒を見ながらそんなことを考えていると、使徒は一体何を思ったか(思う、
という活動が使徒にあればの話だが)急にクルリと方向転換し、ドーム施設に向かって浮
遊し出した。
そこにはまだ、ミサトやリツコら、ネルフのスタッフたちが大勢いるはずだ。
(迷うとるヒマ、あらへんな…)
「リツコはん、あの使徒の弱点は、首んトコに見える赤い玉でええんやな?」
『ええ、そうよ…… トウジ君、何する気? あと4分保ちこたえられれば初号機の応援
が来るのよ!』
リツコからの返答を聞くや立ちあがり、参号機はプログナイフの柄に左手も添えて両手
で腰だめに構えると、使徒に向かって全力で駆け出した。
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
プラグ内でトウジが叫ぶ。
使徒に向かって疾走する参号機。
クルリと再び参号機に向かって方向を変える使徒。
ひゅるひゅるひゅるひゅる…シュオン!
グネグネと宙をうねる2本の光の鞭が、参号機を狙って襲いかかる。しかし参号機の疾
走は止まらない。
ドシュドシュッ!
「トウジ君!」
コントロールルームのモニターには、2本の光の鞭に腹部を貫かれて立ち止まり、赤い
体液を吹き出す参号機の姿があった。
「リツコ! 参号機のシンクロカット早く!」
「だめよミサト! この状況でシンクロをカットしたら参号機はそれこそ使徒の餌食
よ!」
シンクロをカットしてしまえば、エヴァは事実上の活動停止。ただ金のかかるデク人形
以下に成り果てる。
『…ぐっ…う………これで、ええんです、ミサトはん』
参号機から、苦痛に耐えながらの切れ切れのトウジの言葉が届く。
「…トウジ君……」
『…これで、ようやっと、捕まえたで……』
サブモニターの中、苦痛に顔を顰めながらもトウジは不敵な笑いを浮かべた。
「ふっ!」
腹部を貫かれた瞬間、その衝撃と激痛に意識が真っ白になりかけたが、なんとかそれを
持ちこたえると、鋭く呼気を吐き出し、トウジは腹筋に力を篭める。
すると、貫かれ、腹部から吹き出していた体液の勢いが若干弱まる。
「……っつう……」
(やっぱ痛いわ……)
光の鞭がギリギリと腹の中で蠢き、使徒が引き抜こうとしているのがわかる。
内臓を引き裂かれるようなその痛みに再び意識を失いそうになるが、トウジはさらに腹
筋に力を篭めて、光の鞭を引き抜かせまいとする。
(させへんで…)
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
これで敵の攻撃手段は封じられた。
参号機は腹部を貫かれながら、再び使徒に突進を開始する。
そして、己の間合いに捉えるや否や、腰に構えたプログナイフを突進の勢い、己の質量、
全てを乗せて使徒の赤い光球めがけて突き出した。
「もろた!」
しかし……
キイイイイイイイイイン・・・・・
ナイフの刃が赤い光球に届く寸前、金属を弾くような音と共に立ちはだかる八角形の光
の壁に遮られる。
「なんでやあーっ!」
絶望の混じった驚愕の叫びが、参号機プラグ内からコントロールルームまで轟く。
「トウジ君っ! 後退して、早くっ!」
このままではいいように使徒に弄ばれるだけだ。
「初搭乗でATフィールドを使いこなすのは無理か……」
「リツコ、初号機到着まであとどのくらいなのっ?」
「2分と少しよ…」
モニターから振り向いて問うミサトに、こんな状況でも落ち着いた声で答えるリツコだ
が、モニターを見つめるその顔が急に強張る。
「何をする気?」
モニターの中、使徒は参号機を貫いたまま光の鞭を頭上に高々と持ち上げた。
「ぐああっ!」
激痛に叫ぶトウジ。なにせ腹を2本の槍で串刺しにされたまま持ち上げられたようなも
の、全質量が貫かれた腹部にかかるのだ。それは凄まじい激痛であろう。
使徒は参号機を持ち上げると
ブオン!
ドーム施設に向けて投げつけた。
ドガアン!
ガラガラガラ………
搬入口に叩き付けられた参号機。
ドーム施設が半壊し、施設内部の建材が崩れ落ちる。
「くっ……」
叩き付けられた衝撃と痛みに意識を失いかけながらも、腹の中を蠢くモノの感覚に意識
を覚醒させられる。
(なんや… まだ抜けとらんのか……)
ゴゴゴゴゴゴ………
参号機激突のショックに室内がゆれる。
「プラグの強制射出はできないの!? このままじゃトウジ君が…」
「あの状況でそれをやったら、先のレイの二の舞よ…」
ミサトの問いに答えるリツコの声にも、こころもち焦りが見える。
悲劇と死の予感に緊張が高まるコントロールルーム内に場違いな、1人のスタッフの喜
色の混じった報告が響き渡った。
「来ました! 初号機です!」
松代上空200メートルの低空を、エイのような形をした巨大なエヴァンゲリオン専用輸
送ジェット機・ウイングキャリアーが飛ぶ。
『目標確認……任務は使徒の殲滅と参号機の救助、シンジ君、用意はいいかい?』
「はい!」
初号機プラグ内に届く、ウイングキャリアー・コックピットにいる作戦部所属のミサト
の部下・マコトの通信に答えるシンジ。
『カウントダウン開始』
シートのレバーを握るシンジの手に力が篭る。
『…………4・3・2・1、降下』
ガコン…
ウイングキャリアー下部に繋がれた形の初号機の固定が解除され、両肩に追加増量電池、
手にはパレットライフル、左の腰にアクティヴ・ソードを装備した初号機が、松代第2実
験場へ向かって降下をはじめる。
「トウジ君? もうすぐ初号機が来るわ、なんとか持ちこたえて!」
(“なんとか”なんて、指揮官の言葉じゃないわね……)
ミサトは思い知らされる、エヴァの、子どもたちの戦いに自分は本当に必要なのかと。
(それでも… あたしは……)
『トウジ君? もうすぐ初号機が来るわ、なんとか持ちこたえて!』
(さよか…シンジが来るんか……)
援軍に安心したトウジは痛みに意識が遠のきそうになる感覚に身を任せようとしたが…
ぐりん
腹をうねる使徒の光の鞭。
「ぐふ…」
痛みに覚醒させられる意識。
シンジが来たとわかって安心したせいか、段段腹が立ってきた。
(今まで散々したい放題やりよって……このまんまじゃあ、気が済まへん!)
腹の痛みにも、いいかげん“慣れ”が生じてきた。これが人間の感覚の面白いところで
ある。
腹から生える使徒の光の鞭を、両手で掴む参号機。
バチッバチバチ!
両掌の装甲が火花を散らして弾ける。
「腹の痛みに比べりゃあ、こんくらいの痛みはへでもないわい!」
ガコン!
ガラガラガラ…
被った建材を振り降ろしながら立ち上がると、参号機は光の鞭を掴んだまま駆け出した。
バゴオオン!
搬入口がさらに崩れ、使徒を引きずりながら参号機が駆け出してくる。
「うおおおおおおりゃあああああああっ!!!!」
そのまま使徒を、己が軸となって回転するように振りまわすと、膝を曲げ、腰を低くし
た体勢で体を入れ替え、掴んだ光の鞭を右肩に担ぐ。
バキャッベキッ…
本来武装ラックとなる参号機の肩パーツが光の鞭に当たってもげ落ちる。
「どえええりゃあああああああっ!!」
掛け声と同時に掴んだ光の鞭を引き、体を深く屈め……
参号機は使徒を、投げた。
「い、一本背負い……」
モニターを見つめながら呆然と呟くミサト。
リツコ以下その他のスタッフの目も点になっていた。
ドガシャーン!!
丁度仰向けになった形で大地に叩きつけられる使徒。
首のあたりでかくかく動き、腹にある節足が何かを掴もうとしているかのようにワサワ
サと蠢く。
「なんや……起き上がれへんのか?」
トウジも自分を苦しめた使徒の、そんなまぬけな姿を呆けたように見ている。
ズウウウンンン……
そこへやっと初号機が降下してきた。
仰向けになった使徒を見るや、パレットライフルを放って腰のアクティヴ・ソードを抜
く。
ATフィールド中和。ソードを逆手に持って、仰向けになってジタバタもがく使徒の剥
き出しになった赤い光球目掛けて突き立てた。
バキン!
みるみる輝きを失い、使徒は動きを止める。
「ふう………」
初号機のプラグ内で息をつくシンジ。
「…大丈夫かな? 参号機のパイロットの人……」
使徒の光の鞭に貫かれながら、そこに佇む黒いエヴァンゲリオンを見ながらシンジは言
った。
(これが、参号機…… なんだか強そうだな)
シンジがそんなことを思っていると、プラグ内のスクリーンの片隅にウインドウが開く。
EVA−03 TOUJI SUZUHARA
『遅かったやないか? シンジ』
そして聞きなれた声が響いてきた。
「トウジ!? トウジなの?」
驚き目を見開くシンジ。しかしウインドウに映る姿はまぎれもない自分の友人・鈴原ト
ウジだ。
『おう、ワイがフォースチルドレン、エヴァンゲリオン参号機パイロット・鈴原トウジや!
これからよろしゅうな、シンジ』
スタッフが気を利かせたのかシンクロは既にカットされ、苦痛から解放されたトウジは
シンジに向かって屈託のない笑顔を見せる。
「そんな…どうして……」
そんなトウジを見つめながら、シンジは呆然と呟く。
明日をも知れない戦場に、新たに立つのはその戦いを、そして戦っている人間たちを最
も憎んでいいはずの友人。
『んーな心配そな顔すなや! 別に強制されたワケやあらへんで。ワイが自分で考えて決
めたコトや!』
「死ぬかも、しれないんだよ?」
自分はまだいい、このまま消えたとしても、哀しむ家族などいやしない。
(向日葵園のみんなは、僕が死んだら哀しむのだろうか?)
はじめて人間らしい暖かさ教えてくれた人たちを思い浮かべ、そんなことを思う。
しかしトウジは違う。彼には家族がいる。恐らく彼のことを誰より大切に思う家族が…
『それはシンジや綾波も同じやないかい……』
なおも心配げな顔をする友人を、トウジは細い目をさらに細めて見ながら答える。
「………」
『シンジはあんとき言うたな、自分がエヴァに乗るんわ自己満足んためやと……』
「うん」
『ワイかてそうや、結局は手前のために乗るんや、だから、シンジが乗るな言うてもワイ
は乗るで……なんか上手く言われへんけど、つまりはそういうこっちゃ』
「……でも…」
それでも気遣わしげな光がシンジの目からは消えない。
『かーっ! 勝ったんやから、んな辛気臭い顔すな! ワイとシンジの自己満足が人類を
救う、それでええやないか!』
ふんがーっと鼻息荒いトウジの顔のドアップが、シンジの前に映し出される。
「ん…ぷぷっ…… ハッ、ハハハ!」
そのおかしさに、シンジは思わず吹き出してしまい、それはやがて笑い声に……
(そう、そうだよね…トウジは“僕”じゃないものね……)
『何がおかしいねん!』
ウインドウの向こうでトウジが憮然ととして腕を組む。
それでもシンジの笑い声は止まない……
カラカラカラ……
昼なお薄暗い広大な一室を、黒い遮光シートをその荷にかけた台車が通る。
台車を押すのは、黒いスーツに身を包んだ、銀髪、サングラスの大男。
天井には、白く大きく描かれたセフィロティック・トゥリー。
大きな執務机を前に佇む長身の男の表情は、背後の窓から射し込む光によって逆光とな
って見えない。
ただ赤いサングラスだけが黒い影の中に浮き上がったように見える。
「…松代に使徒が現れること、ご存知だったのでしょう?」
大男を従え、赤いサングラスの男・碇ゲンドウの前に腕を組みながら立つのは参号機受
け渡しの際にいた美女。
ネルフ・オーストラリア支部技術部所属、山岸マユミ二尉。
…と、いうことになっている。
「『使徒と使徒とは相いれない。それこそが我等に与えられた断罪であるが故に…』……葛
城博士の第六書簡ですわね? 参号機、“コレ”のために捨てるおつもりだったのです
か?」
山岸マユミの薄い口の端が、つっとつり上がる。
室内に射し込む光は、ミラーモードになった彼女の眼鏡を白く照らし、その表情を非常
に酷薄な笑みに見せる。
「…それが、そうかね?」
ゲンドウはマユミの問いを問いで押しつぶす。
「……ええ、これがお望みの品です……ジェリオーネ」
マユミが言うと、背後に控えていた大男が、台車の荷にかかった黒いシートをはがす。
バサ…
ヴン………
設置された浄化・循環装置が駆動音を発する。
ゴポン……
泡が浮き上がる。そこにあったのは、薄赤いLCLに満たされた水槽。
丁度中央で仕切られ、その左右に浮く握りこぶし大の胎児のような形状をしたモノ。
すっとマユミが左手で一方を指し示し
「アンゲロス・シリーズ、試作幼生体壱号、シェミハザ……」
白い体表。目も鼻も耳も無く、ただ人間で言うところのこめかみまで裂けた顎から牙を
覗かせる双頭の胎児。
右手でもう一方を指しながら
「…そして弐号、アザゼルです……」
対照的に黒の、どんな光も照り返さぬように見える漆黒の体表。抱え込むようにした腕
は4本。鼻も耳も口もなく、ただ1つ赤い目玉が顔の中心にある胎児。
「扱いには、細心の注意を払うようにと… バロン・ナカザワ博士の伝言です」
「……そうか、ご苦労だった……」
ゴポン……
けけけ…
水槽の中、シェミハザの2つの口が半開きにつり上がり
ぎょと
アザゼルの1つ目が、ゲンドウを射た。
〈続く〉
予告
ドイツから到着するエヴァ弐号機とパイロット
ささいなことから騒動に巻き込まれるチルドレン
昼下がりの第3新東京市で出会いが踊る
次回 Evangelion Sword & Grail 第7話 「拙きワルキューレたちの行進曲」
後書き・言い訳・その他のこと
アヤナミストな方ごめんなさーい。
レイ殿の出番が序盤しかありませんでした。
でもいかがだったでしょう? トウジの駆る参号機VS使徒。
今回トウジが主役になるのは決定事項だったんです。
次回、ついに“彼女”が来日します。
しばらく、ノリ、軽くなります。