Evangelion Sword & Grail
Evangelion Sword & Grail:Episode 10
Your hand helped me.
『外れよトウジ君、もう1度始めから!』
トウジが乗り込むシミュレーションプラグに、叱咤するようなミサトの声が轟く。
「ハア…ハア…ハイ!」
荒い息をつきながら、トウジは頭上に上げていたバイザーをかぶり直した。
『何もたついてんのよフォース! 止まった的はずしてんじゃないわよっ!』
「…だまっとれソーリュー、わーっとるわ…」
通信機から入るアスカの罵声に言い返すが、いかんせんいつもの勢いはない。
その視界に映るのは仮想の山並み。そして同時に映し出された、望遠補正された遠く第3新東京市の映像の中では弐号機が双頭の使徒―目標・シュリンプを押さえ込んでいる。
ピピピ……
小さな電子音を立てながら使徒を目掛け、円十字の照準が自動補正されて行く。螺旋の槍はただ一点、厚い盾に守られる御使いの心臓・予想コア位置を目指して。
『スタート!』
「おおっ!」
ミサトの掛け声と同時にトウジは参号機を駆け出させる。視界の景色が急速に流れ、色も形もロクに識別できなくなる。
体にかかるGまでもを忠実に再現された中、トウジ自らが自動補正される照準に合わせて槍・スパイラル・ランスの穂先をコントロールし、参号機の姿勢を制御する。軋む肋骨の痛みに顔をしかめながら。
(チャンスは1度や…)
助走のために再度後退し、大容量電池とコンデンサーを再充填、必要ならばスパイラル・ランスのブレード交換…最短でもゆうに5時間はかかるという。
その間にも双頭の使徒は活動を続けるし、上空の使徒は確実に飛来するだろう。
1度外せば次は、ない。
どんなに大勢の人がいて騒がしい空間でも、必ず人っ子1人いない見捨てられたかのような静かな空間ができる。台風の目のように。物理的意味でも心理的意味でも。
黒いプラグスーツの上半身だけを脱いで袖を腰で結び、健康的に日焼けした肌を白い室内照明に晒しながら、フラフラとどこかおぼつかない足取りでトウジがやって来たのはそんな空間。作戦前の喧騒に、スタッフ全員が出払った休憩室だった。
どっかと備え付けのソファーに腰を下ろし、背もたれに背を預け
「ふあ…」
時刻にしてみれば早朝5時を回ったところ。涙目になりながら大欠伸を噛み殺した。そんな時
「どわっ!」
急に頬に触れたひんやりとした感覚に驚きソファーから飛び上がった。咄嗟に振り向き見てみれば
「トウジ、おつかれ」
2本の缶コーラを持った青いプラグスーツ姿のシンジが立っていた。
「なんや、シンジか。おどかすなや」
「はい、差し入れ」
言いながらシンジが缶コーラの1本をトウジに向かって放る。
「おお、ありがとさん。シンジんとこも今休憩かい」
空中でカンをキャッチしたトウジは、そのままシンジに背を向ける形で再度ソファーに腰を下ろし、缶のプルタブを落とした。ぷし
「うん」
シンジもその傍らの壁に背をあずけ、コーラのプルタブを落として口をつける。
最大級の作戦を前にし、ネルフのスタッフ全員が喧騒と緊張に包まれる本部施設内。そこに生まれた間隙に、世界の命運を背負わされた少年が2人。1分か、2分か。しばらく互いに目を合わそうとせず、黙り込んでいた2人だったが
「…そっちはどう?」
シンジが先に沈黙を破った。
「『外れよトウジ君、もー1度始めから!』」
トウジが聞いたことのある口調、と思えば彼らの上司たる作戦部長の声色で言って見せる。
「プ…、それって…ミサトさん?」
ちょっと吹き出すシンジ。ミサト本人ならば一種の美しさすら感じさせる真剣さも、トウジがやれば滑稽なだけ。もちろんトウジもそれを承知でやっている。ご丁寧に指でまなじりを吊り上げて見せながら。
「おう…ありゃあ夜叉か般若や。ただのキレーなネーチャンやないゆーことかのう」
「へえ…」
「シンジの方はどないなっとる? あのドリル使徒、どうやって止めるんや?」
「それなんだけど…」
ホウゾウイン作戦。槍持て駆ける参号機に乗るトウジと、デュアルATフィールドを展開し、双頭の使徒―目標・シュリンプを食い止める弐号機に乗るアスカとヒルダはそのポジションの特殊性ゆえ、どうしてももう一体の使徒―目標・ラムにまで手が回らない。
そのため万一、作戦中に目標・ラムが飛来した場合に備え、初号機に乗るシンジと零号機に乗るレイが衝角使徒―目標・ラムに対する迎撃フォーメーションの戦闘シミュレーションを行っていた。
「あのドリル、水の替わりにトリモチ詰めた水鉄砲で止めるいうんか?」
シンジの説明に、トウジが驚きとも呆れともつかぬ妙な顔をする。
「うん…どうもそうらしいんだ」
ミサトら作戦部の考案した対衝角使徒対策。それは弾頭に液状硬化ベークライトを詰めた弾丸で使徒のドリル…もとい衝角部を撃ち、急速硬化で回転を止めるというものだった。
「…回転さえさせなければ、ATフィールドも使えないだろうからってさ」
参号機のATフィールドを突き破ったあの奇怪なATフィールドは、衝角の回転と同時に発生するものであるらしいことが、今までの観測データからわかっていた。現に先の戦いで参号機は1度、その回転を止めて使徒のATフィールドの発生を止めて見せているが。
「できるんかい、そないなことが。…やりおうたから言えるんやけど、“硬化べーくらいと”なんぞであのドリルが固められるんかいな」
無意識にか、トウジの右手が己の左肩に触れた。
参号機の左腕をもぎ取られたときの感覚が、脳裏に生々しく思い起こされる。
「リツコさんが言ってたよ…回転前なら」
続く言葉にトウジも口を開く。
「「理論上は」」
見事にハモった2人の言葉。
「やろ?」
「ご名答」
「毎度毎度、ユニゾン作戦ときとえー、ミョウチキリンな作戦思いつくわ」
ニヤリと笑うトウジにシンジも苦笑で返す。しばらく笑い合っていた2人だったが、不意にまた沈黙が差し込む。
今度の沈黙を先に破ったのはトウジだった。
「…シンジ、見てみい。手、震えとるわ…」
自嘲げに言うトウジがその目の前に差し出した右手に、シンジが無言で視線を送る。確かに、小刻みに震えていた。
「なんでなんやろな。なんでワイみたいなのに、人類の存亡なんぞ賭けてバケモンと戦うなんてお鉢が回ってきたんやろ…今さらやけど正直、荷い勝ち過ぎるで……」
チルドレンとして選ばれ、参号機に乗り、今の今まではロクな怖れも知らずに戦ってきた。それこそ無我夢中で。自分の痛みなぞ二の次以下に。
しかし今、そんなトウジの心の間隙にスルリと不安が忍び込む。
自分のしくじりが、全てを……
「…今度のチャンスは1度きりや。はずしたら、次はあらへん」
全てを……
手の震えを止めようとしているのか、缶を握り締める。アルミがひしゃげてきしりと鳴った。
「……まかしとき、なんてゆーておいて、このていたらくや。情けない話やで……」
「……」
傍らに立つシンジはさっきから缶を持ったまま、トウジを見ずにただ前方に視線を投げかけている。
「…恐いんや、ほんまに…」
全てを、消してしまうかも、しれないから。
不意に、ずっと黙ってトウジの言葉を聞いていたシンジが口を開いた。
「…強いんだね、トウジは……」
「はあ?」
想像しなかったシンジの言葉に、トウジが間の抜けた声を出す。ソファーに座るトウジが振り仰いで見れば、そこにはどこか眩しいものを見るような、黒い輝きがあった。
「トウジが恐がってるのは、自分が傷つくことじゃ、ないから」
(それに比べて、僕は…)
トウジから目を逸らし、己の右手を軽く握り締める。
(…僕は単に、僕の目の前で人が苦しむのが嫌だってだけだ。自分が嫌な思いをしたくないってだけ。傷つきたくないだけで…)
「そんなん、シンジかて同じやないんか?」
「違うよ。きっと僕は……」
シンジが反論しようとした時…
ピルルルッピルルルッピルルルッ……
小さな電子音が、シンジの左手首とトウジの腰から鳴り出した。シンジはそのまま左手首を軽く触れ、トウジも腰に巻いた袖を解いて手首に当たる部分に軽く触れる。
『シンジ君、トウジ君。そろそろ休憩時間が終わる。トウジ君は第1、シンジは第2シミュレーションルームに戻ってくれ。H−5通路が最短距離になる…』
2人のプラグスーツに組み込まれた携帯端末から、ほぼ同時に作戦部の日向マコトの声が聞こえてきた。本部内のチルドレンの移動は常にトレースされている。
「了解です」
「…了解や」
端末に向かって返事をするとシンジは壁から身を離し、トウジがソファーから立ち上がってスーツを着なおすのを待つと声をかける。
「行こうか」
「おう」
そして並んで歩き出す。シンジは休憩室を出る間際に、出入り口の傍らにあるゴミ箱に空き缶を捨てる。しかしトウジは何を思ってか、3メートルほど手前で立ち止まると、ふと険しい眼差しでゴミ箱を見据え、空き缶を投げた。
…カラン! からからから……
空き缶はゴミ箱の縁に当たって乾いた音を立てるとそのまま外に落ち、トウジの足元に転がって戻った。
トウジはその空き缶を拾い上げ
「ふん…何や、さいさき悪いなあ…はずれてもうた」
ニヤニヤおどけながら軽い口調で言う。しかしシンジはそんなトウジに振り向きながら言った。妙に確信めいた口調で。
「はずさないよ。トウジは」
「なんでや?」
「射撃じゃないから。それに…」
自分とは、きっと背負うものが違うから。戦う理由、その重さが違うと思うから。
「?」
「はずしたら、ばかにされるよ。惣流さんに。“バカジャージ!”ってさ」
「そら確かにガマンならんわ。是が非でも当てんとなー」
腰に手を当て居丈高に振舞う、赤い髪をした同僚のことを思い浮かべ、2人は同時に笑みを浮かべる。
それは彼らと同年代の少年たちが、学校帰りの寄り道にでも浮かべそうなありきたりの笑みのよう。でもそれでいて、少年らしからぬ、そのまま消えてしまいそうな奇妙な透明感を持った、そんな笑みだった。
赤いレンズのサングラス越しに見るような、赤に染め抜かれた視界の中を、ダイバースーツの影が幾つも回遊していた。ダイバースーツたちは手に手に一見何に使うのか見当もつかない器具を持っているが、医療に詳しい者が見たらすぐにわかったかもしれない。それは人間の外科手術の際に使用する器具に酷似していた。
ただ…その大きさは桁違いに大きかった。まるで巨人の手術にあつらえたように。
ゴポン……ゴポゴポン…・・
1つ、また1つと大きな気泡が浮き上がって行くその様から、そこが液体に満たされた空間であることがわかる。気泡の発生源を辿って見れば、そこには赤と黒の、2体の巨人が浮いていた。その周囲をダイバースーツたちがせわしなく泳ぎまわっている。
ザバア…
水音を立てながら、金に染められた髪から赤い水滴をしたたらせ、細身の影がケージの冷却プールから這い上がってきた。
「ふう……」
大きく息をつくと、濡れそぼった髪をかきあげ無骨なゴーグルを首元に下ろす。すると、ぱたぱたと白いタオルと折りたたんだ白衣を手にした女性スタッフが駆けてきた。
「どうぞ、先輩」
「ありがとう。マヤ…」
リツコはタオルを受け取って髪と顔を拭くと、肩に羽織って歩き出した。
「これで間に合いますね。弐号機の左足と、参号機の左腕」
その半歩後ろをマヤが追随する。
「壊れたのが弐号機と参号機でよかったわ、量産機はパーツの互換が利くから。零号機と初号機だったらこうはいかないもの」
「プロトタイプとテストタイプ。強いですからね、拒絶反応。初号機は特に」
「…パーツも全ての生体組織を遺伝子レベルで再調整してやらないと、繋いだ瞬間から腐食が始まる…手間がかかるわ、本当に」
(他のエヴァとは桁違いに強固な自我境界線。シンジ君以外のあらゆるものを受け入れない。まさしく“危険の座”ね…)
リツコは立ち止まって振り向くと、マヤの持つ白衣を受け取り、そのポケットから銀縁眼鏡を取り出してかけた。
「マヤ、あなたはもう休みなさい。浅間山からずっと寝てないでしょ?」
「先輩こそ休んでください、後は私たちでやれますから…」
「でもまだ弐号機と参号機の最終調整がまだなのよ…それに開発部に任せたスパイラル・ランスの調整と、参号機との接続作業の監督も…」
「先輩1人に押しつけて休むなんてできません!」
真っ直ぐな目で、リツコを見つめてくる。
「マヤ…」
(…この子が私たちのしてきた所業を知ったら、一体どんな目で私を見るのかしら…)
リツコの冷徹の瞳の奥が、ゆれる。しかしそれもほんの束の間。
「…なら、弐号機と参号機の最終調整、お願いできるかしら」
「はい!」
技術開発部が総力を決し、螺旋の槍を組み立てるネルフ第3格納庫。その様を一望できるコントロールルーム。
ケージより一旦私室に戻り、ダイバースーツから白衣に着替えたリツコが入ると、長い黒髪の、見慣れた後ろ姿が組み立て作業を見下ろしていた。
背後の気配に振り向くと、リツコに声をかけてくる。
「お疲れ様」
「ミサト……いいの? こんなところにいて」
リツコが呆れたように言う。今の時刻は午前10時も半ば過ぎ。作戦開始まで24時間を切ったところ。作戦部は明日の備えにおおわらわのはずだ。
「もうやれることはやったわ。あたしたちにできることは、ね。後はエヴァの修理とスパイラル・ランスの完成を待つだけよ」
「あの子たちは?」
「休ませたわ…寝不足で失敗されたらシャレにならないもの…」
問われたミサトは答え、組み立てられる槍を再び見下ろしながら続ける。
「…勝てると思う? 2体の使徒を相手にして」
リツコはそんなミサトに歩み寄ってその隣に立ち、共に槍に目を落とした。
着々と組み上げられる棘だらけの螺旋の槍。御使いが人類に突きつけた楔を、今、返しの刃と為す。
「できるできないじゃないわ、使徒には勝つしかないのよ…作戦を立てたあなたがそんなことを私に訊くなんて、らしくないわね。疲れてるの?」
「…そうね。そうかもしれないわ……」
(あの時…あたしはあの子たちを道具として見てた…)
ミサトが思い起こすのは失敗に終わった浅間山殲滅戦。あの時自分は確かに弐号機を犠牲にした作戦を実行しようとしていた。
(…そして今も……)
「辛いの?」
見透かすような唐突な言葉にミサトは一瞬目を見開くが、すぐにその顔から表情を消して訊き返す。
「何が、辛いってえのよ?」
「あの子たちを、あなたの私怨に巻き込むことが、よ……」
ジオフロントにある、白亜の建物。ネルフ総合病院。
窓から早朝の陽射しが指し込む白い一室。ベッドに眠る少女の頬をカーテンから漏れた光が照らす。フィルターを通して人工的に弱められた光ではあったが。
とんとん…
「んー…」
ノックの音が耳につくのか、ベッドの少女はドアに背を向ける。いつもは後ろでまとめた髪も今は解かれ、ちょっと吊り目がちの目は閉じられている。
とんとん…
辛抱強くも続けられる控えめなノックだが、この部屋の住人は全く目覚める様子はない。
「うふふうう……」
どんな夢を見ているのか? 照らされた頬はゆるみきっている。
「ハルナあ、まだ寝とんのかー? 入るでー」
言いながら入って来たのは、黒いプラグスーツ姿の鈴原トウジ。見下ろせば、妹がだらしなく頬を緩ませなにやらゴニョゴニョ寝言を言っている。
「なんや、だらしのーゆるみきった顔してからに…」
口ではそんなことを言っていても、妹を見る目は限りなくやさしい。
ここに来たのは、確認のため。
「…ンジにーはあん…ん?」
ようやく趁入者の気配に気づいたのか、ハルナは怪訝な顔をして薄目を開けた。
視界に入った兄の顔に、ゆるんでいた顔が一瞬でぶーたれたものになってしまう。
「…なんやアニキ。何しに来おったんや……」
(せっかくいー夢見とったゆーに…)
ゆっくりと上体を起こし、恨みがましい目で兄を睨みつける。寝起きな上にいい夢を見ていたところを邪魔されて、大層ご立腹のご様子。
「近くまで来たからのー。ちっと顔見に来ただけや」
そんな妹の冷たい視線も、どこ吹く風とトウジは軽く受け流す。
「それになんやそのカッコ。オトコがレオタードなんぞ着てはずかしゅーないんか?」
不機嫌なハルナはトウジの格好を見て、些細なコトでも攻撃の対象にしてしまう。
「ハルナは見とらんかったか。こりゃーぷらぐすーつ言うて、エヴァに乗るためのパイロットスーツや」
エヴァ…その音がトウジの口から出た刹那、ハルナの体がビクリと震えた。その顔から表情も消える。
「…戦いに、行くんか…」
「まあ、そういうことや…」
ハルナはトウジを見上げていた視線を逸らして、俯く。そんな妹を見守りながら
「ほな、な…」
トウジはその身を翻し、右手をヒラヒラ後ろに向かって振りながらドアを出て行く。
「ふん! せいぜいシンジにーはんの足引っぱらんよー気いつけや!」
ドア越しに聞こえてくる妹の声に
「おう、まかしとき!!」
一際…病院中に響き渡りそうな大音量で返事をした。視線はただ前を見つめ、そして振り返らずに。
ぽつりぽつりと雲の浮く青空の下、巨人たちは剛鉄の甲冑で夏の陽射しを照り返す。
第3新東京市北部の一角、焼かれた地より立ち昇る陽炎にその姿をゆらめかせながら、零号機、初号機、弐号機の3体のエヴァンゲリオンが立つ。
見る者に奇妙に平板な印象を与えるその場所は、中心に立つ弐号機から半径約1キロメートルに渡り、兵装ビルを含む多くの建造物がジオフロントに沈められていた。
使徒を貫くために、矢となり駆ける参号機の障害となるものは、全て。
必要最小限と考えられる数機の兵装ビルと電源ソケットのみが、その空間に荒野の墓石のごとくポツリポツリと佇んでいる。
ネルフスタッフらが忙しく動き回る第1発令所。
その一際高所に備えつけられた司令席でゲンドウが、その横に立つ冬月が前方の主モニターの映像を見ていた。
「使徒への一点集中突貫攻撃・ホウゾウイン作戦か…」
「……」
着々と進む作戦準備を眺めながら言う冬月だったが、黙したままのゲンドウのために独り言を言っているように見える。
「葛城一尉もこれまた思いきった作戦を立てたものだ。ヤシマ作戦といい、これが人間相手の用兵なら、即、降格ものだよ」
「…使徒を相手に人間の常識は通用せんよ。兵器も、戦術も」
低く響く、ゲンドウの言葉。
(ほう、珍しいな…)
チラと視線をゲンドウに向ければ、常と変わらぬその様子。しかしその言葉の響きに、かすかに滲んだ感情を、長い付き合いの冬月は聞き逃さなかった。
(碇が負け惜しみを口にするとは…)
そのまま冬月は視線を前に戻し、その細い目を更に細めて主モニターに映った使徒・シュリンプの拡大映像を射る。
「スパイラル・ランス。果たして無双を誇った宝蔵院胤舜の槍、たりえるか?」
「いよいよね…」
コックピットのアスカがスクリーンに、未だ小さな黒点でしかない使徒の姿を確認した。
「今度は前みたいにはいかないわよ」
チラと後ろを振り返れば、いつもはくるくる表情を変えるその顔から一切の表情をかき消し、その目を禅定にいる尼僧のごとく半眼にしたヒルダがいた。
己の心を空と為し、アスカのあらゆる動きを読み取り陰に陽に機体とATフィールドを制御する…
(…コイツに頼らなきゃならないってのがシャクだけど…)
ヒルダがおらねば、デュアルATフィールドは使えない。デュアルATフィールドが使えねば、あの使徒には太刀打ちできない。
それは事実だ、受け入れねばならない。
(弐号機のメインはアタシ。ヒルダは戦術のためのオプション。そう思えばいいのよ)
徐々に大きくなる使徒の影を睨み据え、レバーを強く握り締める。
(ただ止めるだけじゃあ済まさない)
「…借りは、10倍にして返してやるわ!」
弐号機より3時の方向距離約600mの地点。数少ない兵装ビルの1機の傍ら、パレットライフルを手にし、アクティヴ・ソードを腰に装備した初号機が姿勢を低くし身構えていた。
シンジはその視界にある、プラグ内スクリーンの4つのウインドウにそれぞれ視線を移して行く。迎撃地点でソニック・グレイヴを携え仁王立ちする弐号機と、弐号機を挟んで初号機の反対に位置し、ポジトロン・ライフルを構える零号機、そして今まさに絶対防衛線を突破せんとする双頭の使徒、目標・シュリンプの拡大映像。
そしてもう1つは、初号機の現在地点より4時の方向距離52km。
荒地に片膝立ちで長槍を担ぐ、エヴァンゲリオン参号機。
(「恐いんや…」)
言いながらその手を震わせていた友人の姿が、シンジの脳裏をよぎった。
(…僕はトウジみたいにはなれない。何かを守るために戦うなんて、できない。でも、だからこそ…)
右手を握り締めゆっくりと、何もないはずのプラグの天井を睨み上げる。
「…邪魔は…させない」
「エヴァ弐号機、初号機、零号機、所定の位置につきました」
「目標・シュリンプ、絶対防衛線を突破。迎撃ポイント到達まで残り600秒をきります!」
スタッフらの報告が飛び交わされるネルフ第1発令所・主モニターには、第3新東京市北部外延の林間地を、地を削り木々をなぎ倒し突き進む双頭の使徒の姿が大写しになっている。
「…陸に揚がってきたのを見ると、改めて気色悪いヤツよね……」
見上げるミサトがポツリと言う。
「奇形、というものは例えどんな生物であれ、生理的嫌悪感を生じさせるものよ」
(そう…恐怖にも似た、)
その傍らで観測情報の分析を監督するリツコが、マヤのコンソールから視線を外さずに答えた。
ミサトがコンソールの通信端末に向かって呼び掛ける。
「日向君、参号機は!」
迎撃地点より52km。木々もなく住む者もなき荒れ果てた大地に、手にした長槍を左肩に担ぎ、片膝をつく黒い巨人。その巨体を封じようとするかのように首元まで組み上げられた櫓の上を、人間たちがせわしなく動き回っている。
本部を離れた地点での参号機の整備のために組み上げられた、仮設アンビリカルブリッジと拘束具であった。
見る者に、どこかスウィフトのリリパット帝国を想起させる。
エヴァンゲリオン参号機待機地点、指揮車両。
「追加大容量電池、装備完了」
「コンデンサー、充填率最大!」
参号機とスパイラル・ランスの最終調整の報告が、狭い指揮車内を戦場の矢のように飛び交う。
作戦部所属、ミサトの副官日向マコトがこの仮設基地で参号機の指揮を任されていた。
「スパイラル・ランスはどうなってる!」
汗を散らし、マコトがスタッフの1人に問う。マコトだけではない、冷房の効いているはずの指揮内にいるスタッフの全員が、滲む汗を止められなかった。今までで最大級の作戦への緊張感。しかも今現在自分の携わるパートはこの作戦の要になる。些細なミス1つが人類の破滅に直結する。
「左腕との神経連結作業終了」
「フォースチルドレン。スパイラル・ランスを思考トリガーで起動してみてください」
「了解や」
コックピットのトウジが、左手に握るレバーに意識を向ける。
ギュルン!
参号機に担がれた長槍がひとたび、唸りを上げて回転した。
槍の中ほどから幾本も伸びるケーブルが、参号機左腕の肘に繋がっている。スパイラル・ランスのコントロールはパイロット→エヴァ参号機→スパイラル・ランスという過程を経ずに、神経連結を通じてパイロット→スパイラル・ランスと直結していた。
長槍を手の延長として扱い、照準への誤差を最小限にするためである。
「思考トリガー、誤差修正完了」
「神経素子、インパルス共にオールグリーン」
それを聞き、マコトは首にかけたマイクを口元に寄せる。
「葛城さん、いつでも出せます!」
『葛城さん、いつでも出せます!』
コンソール・モニターの向こうから届くマコトの言葉に、ミサトが険しい顔で頷く。
「目標・シュリンプ。迎撃ポイントまで距離2000!」
「来たわね…」
ミサトが再度見上げる主モニターには、使徒がその奇怪な…双頭の姿を弐号機正面に晒していた。弐号機、初号機、零号機のパイロットらには既に望遠によらずともエヴァのセンサーアイのみで目視が可能な距離だ。
ミサトは改めて、不気味だ、と思う。思い出すたびに身も凍る、拭いきれない恐怖と嫌悪、そして消し去れない怒りと憎しみともに。
異形の怪物、人類の敵、使徒。
しかしその使徒を倒すため、生き延びるため、自分たちはエヴァというもう一種の異形を造り上げ、年端もいかぬ子どもたちを乗せて送りだし、使徒から造った槍を使わせる。
使徒と人類、怪物なのは、果たしてどちらか?
(…そんなあたしの心こそが、使徒並の怪物なのかもしれない…でも…)
束の間目を閉じると、ミサトは大きく息を吸い、目を見開くや使徒を睨んだ。そして迷いを振りきるように、告げる。
「ホウゾウイン作戦、スタート! アスカ、頼んだわよ!」
「まっかせなさい!」
作戦スタートと同時にアスカが不敵な笑みを浮かべるや、目標・シュリンプに向かって弐号機が駆け出した。
弐号機後方左右より、初号機と零号機も援護射撃を加えながら使徒に向かって駆ける。
「目標シュリンプ、なおも接近! 距離500!」
「シュリンプ、デュアルATフィールドを展開…いえ、2極に分化!」
発令所に次々と飛び込む観測情報。
ミサトらの見上げる主モニターの中、見る間に弐号機と使徒が接近する。
「アスカっ、ATブレードが来るわ!」
弐号機の正面、使徒…目標シュリンプがその腕足の一本を振り上げている。
「はん! 今のアタシには無駄よ! デュアル・フィールド全開っ!」
アスカが言うや、駆ける弐号機前面に単独ATフィールドとは比較にならない、強力な光の壁が現れた。
振り下ろされる使徒の腕足と同時に、光の刃が襲いかかる。
ヒイン……
凍ったグラスを弾くような硬質の音が響き、光の刃が霧散した。
「それさえ使えなきゃ、アンタなんかただ硬いだけのエビよ!」
アスカが勝ち誇ったように言うが…
「シュリンプ、分化したATフィールドを単極化、前面に集中…って何、コレ…」
コンソールに向かい観測情報を分析していたマヤが、見出した何かに戸惑っている。
「どうしたの? マヤ」
「…シュリンプのデュアルATフィールドが、一定の振幅で分化と単極化を繰り返してます! これでは中和が…」
再度対峙した、エヴァ弐号機と双頭の使徒・シュリンプ。
弐号機の展開するデュアルATフィールドと使徒の展開するデュアルATフィールドがぶつかり合う。本来なら互いに中和し合うはずが…
「いったいなんだってえのよ!これはっ!」
想像の埒外の事態にアスカが叫ぶ。
弐号機と使徒の間に生まれた、見えない巨大な渦巻く何か。その結果、弐号機と使徒は、その見えない何かを差し挟んで押し合う。
そしてその渦巻く見えない何かは徐々に大きくなり、周辺の兵装ビルを巻き込み“押し潰す”
「17番、21番、28番兵装ビル…圧壊…渦状のATフィールド、なおも拡大…」
スタッフの1人が呆然と告げた。
「リツコ、あれはなんなのよ!」
予測外の事態にミサトの問いには焦燥が篭る。
「…あくまで推測だけど…使徒は、デュアルATフィールドを一定の間隔で結合、分離させることで、干渉のタイミングをずらして中和させないつもりのようね…結果、双方向からぶつかり合う同種の力場が、あの渦を生んでいる…」
答えるリツコの言葉尻はわずかに震えていた。
弐号機と使徒の生み出すATフィールドの嵐の中を、弐号機援護の任務を帯びた初号機と零号機は、果敢にも接近しようとするが…
渦巻く力に砕き潰された、建造物の残骸や抉れた大地の破片が襲いかかる。
初号機はライフルを左手に持ち替え、右手で抜き放ったアクティヴ・ソードでそれらを薙ぎ払う。しかし台風の雨水のように次々に襲いかかるその全てを、防ぎきることができない。破片の1つが初号機の左側頭部を打つ。
「つっ!」
フィードバックする痛みに、シンジがその顔を顰めた。
「そんな…それじゃ…」
ミサトの見上げる先、弐号機は使徒と見えない何かを挟みながらも、少しずつ使徒に押されていく。
ATフィールドを打ち破れねば、使徒には触れることもかなわない。
零号機はポジトロンライフルを一旦置くと、まだ無事な兵装ビルからより小回りの利くパレットハンドガンを装備、襲いかかる破片を正確無比の射撃で撃ち抜いていく。
『この状況下では弐号機にも目標にも接近不能です。指示を…』
レイの冷静な声が発令所に届く。
(どうしたら…)
ミサトに打開策はない。使徒のデュアルATフィールドが中和できない。このことで既に作戦自体が根本から瓦解していた。
しかし……
その時…それは聞こえてきた。
……don Bridge is broken down………
「何?」
零号機のレイが、スピーカーに届くその音に、珍しく戸惑いの表情を浮かべる。
…Broken down, broken down……
「これって…」
初号機のシンジには、それに聞き憶えがあった。戦闘の場にあまりに場違いなそれは、向日葵園にいた頃、よく子どもたちが歌っていたものだ。
London Bridge is broken down…
エヴァに、発令所に、参号機待機地点仮設基地に響き渡る、澄んだ少女の声の紡ぐ、誰もが知る旋律。そしてそれに合わせて…
(いったい…!?)
コンソールを見たリツコが驚愕する。
「シュリンプのデュアルATフィールドが…」
…My fair lady……Build it up with……
少しずつ少しずつ、しかし確実に、弐号機とシュリンプを中心に渦巻いていた嵐が…弱まって行く。
「なんや…ヒルダはんが歌っとるんか…?」
参号機のトウジが呆けたように言った。
「ヒルダ! アンタ!?」
アスカが歌の主を振り向き、息を飲む。
そこに在るのは、歌い続ける翠の鏡。
見開かれたその目の焦点は何処も指し示してはいない替わりに、その光の届く全てを映し込む。
「Wood and clay, wood and clay. Build it up
with…」
歌われるそれは、きっと知らぬ者の方が少ないであろう、よく知られた童謡。
楽しげで能天気で、そしてどこか不気味さと悲哀の漂う。マザーグースの“ロンドン橋がおっこった”
「弐号機のデュアルATフィールドが単極化と分化を繰り返して…シュリンプの振幅に近づいて行きます…」
「セミセカンドチルドレンの歌の旋律と、シュリンプのデュアルATフィールド振幅との相関係数、0.999967」
発令所スタッフの告げる観測結果が、示すものは…
「なんてこと、あの子…使徒に合わせてる……」
口にしたリツコの声には驚愕と…そして確かに賞賛が含まれていた。
その声音から、ミサトは事態は好転し出したことに気づく。
「どういうこと?」
「ヒルダがシュリンプのデュアルATフィールドの振幅、リズムといった方がいいかしら? を抽出して、そのまま弐号機のデュアルATフィールドにそれを使っているのよ。寸分違わず。共振する音叉のようにね」
「可能なの? そんなことが…」
驚きに目を見張るミサトらネルフスタッフの耳に届くヒルダの歌声。それは電子を通じて地の底に届いたものにもかかわらず、発令所を満たす空気全てを震わせる。
「…使徒に合わせてATフィールドを変化させる。他の子なら無理でしょう。並外れたATフィールド感知能力と制御能力を持つ、ヒルダならではの離れ技、ね」
発令所サブモニターに映ったヒルダは歌い続けていた。音楽に合わせて踊り、歌い、忘我の境に至る巫女のように。
そしてそれに合わせて少しずつ少しずつ、嵐は弱まり、弐号機とシュリンプの間にあった不可視の塊も小さくなる。
呆けたようにその様を見ていたミサトだったが
(呆けてる場合じゃないわ!)
「今がチャンスよアスカ! そのエビモドキを抑えこんで!」
「わかってるわよっ!」
(負けてらんない!)
アスカは視線を後部シートで歌うヒルダから前に向けると、レバーのロックを外して高起動モードをオンにした。
(アンタなんかに負けないんだからっ!)
弐号機が突き進んで来る使徒・シュリンプの正面に立ちふさがる。
後ろから聞こえてくる歌声によって、刃を阻んだ壁は、その身を襲った刃は最早、消え去った。
キイイイイイイイイッ!
唸り声を轟かせながら、使徒は4本ある内の2本の腕足を、弐号機目掛けて振り下ろした。
ガッ!
弐号機は腕足の一方を手にした長矛で受けとめ、もう一方は身を捩ってかわす。
「シンジ君、レイ! 弐号機を援護、そいつをそこで足止めして!」
『はい!』
『了解』
ミサトの指示に従い初号機と零号機が、弐号機とシュリンプに向かって再度駆け出す。
「トウジ君、出番よ!日向君、参号機を出して!」
『トウジ君、出番よ!日向君、参号機を出して!』
参号機の待機する仮設基地に、ミサトの号が下る。
「聞いての通りだトウジ君、準備はいいかい!」
『いつでも出られまっせ!』
指揮車内モニターの向こう、トウジはマコトに問われ威勢良く返事をしながら、安心させるように不敵に笑って見せる。そしてマコトも同様にトウジに笑みを返していたが…ふっとその顔に影が射した。
「トウジ君、僕らは君らに何も言えない。いや、言うべきじゃないと思う。本来守るべき存在である君たちを、こんな戦いに巻き込んだ僕ら大人は、軽蔑されてしかるべきなんだ」
『……』
「…でも、これだけは言わせてほしい…」
マコトは胸元のからマイクの制御端末を取り出すと、参号機へ向けての通信以外を一時的にカットする。
告げる言葉は、ネルフにあるべきものではなく
トウジは無言で頷いた。
「参号機の拘束具を解除! 出撃準備!」
マコトの号令一過、仮設基地スタッフ全員が動き出す。
片膝立ちの参号機に組まれた櫓が、仕掛けられた爆薬によって小さな破砕音と共に呆気なく崩れて行く。
(そらちゃうわ、日向はん…)
拘束を解かれ、荒野にゆらりと立ち上がるエヴァンゲリオン参号機。
(ワイがエヴァに乗ったのは、あんたらに巻き込まれたせいやない。オマケにハルナんためでも、誰のためでものうて、テマエのためや…)
担いだ螺旋の槍を下ろし、諸手で構える。振り向けられた切っ先が狙うはただ一点。使徒の心臓部・コア。
(「僕が…エヴァに乗るのは、ただの、自己満足だよ………」)
何もできなかった自分、何も知らなかった自分、何もしなかった自分がただ、許せないだけ。
(そやな、シンジ…)
グラリ…参号機が姿勢を低くし前傾する。
(…ワイかて同じや…守りたいわけやないんや。失くとうない、それだけや…)
深く、そして静かに、その瞳は正面遥か向こうを見据えて…
『エヴァンゲリオン参号機、発進!』
バシュン!
参号機の背部に繋がれた、アンビリカルケーブルが煙を吹いて抜け落ちた。
「応!」
ギュルンッ!
螺旋の槍が咆哮する。限界までたわめられたバネが一気に弾け飛ぶように、黒き魔弾は解き放たれた。
御使いの骸より造りし槍で、御使いを滅ぼすために。
シュリンプの腕足による攻撃をかいくぐり、弐号機が斬りつける。
「なんて硬いのよアンタはっ!」
ATフィールドは中和されているのに、ソニック・グレイヴの高速振動を帯びた刃が刃こぼれした。
「止まれよ!」
シンジが叫び、初号機が腕足の一本を抱え込んでその侵攻を何とか抑え込もうとする。
幾ら撃ってもまったく効果のないパレットライフルはとうに捨てていた。
「……」
レイもまたその秀麗な眉根を寄せ、零号機はプログナイフを抜いて使徒を抑えに回る。
しかし、3機のエヴァを同時に相手にしながらも、使徒・シュリンプはジリジリと前進し、それにつれてエヴァたちも後退する。
(やっぱり重量が違いすぎるか…)
主モニターを見上げるミサトの眉が顰められた。
シュリンプの全長はエヴァのおおよそ2.5倍はある。
しかし、それは始めから予想できていたこと。そのための仕掛けは、してある。
シュリンプを抑える3機のエヴァのポジションと仕掛けの位置、そして何よりシュリンプの位置を把握しタイミングを計る。そして…
(今よ!)
「8番ピット、開放!」
ボシュッ!
ミサトの命令と同時に仕掛けられた炸薬が火を吹き、使徒・シュリンプの足下のアスファルトが煙を吹いて陥没。その平たく長い体の後部3分の1ほどが地に呑まれる。
ジオフロントを覆う天井都市の構造を利用し、急遽用意された落とし穴であった。
そして…
「ベークライト注入! ありったけぶちこんでやりなさい!」
使徒の尾部に埋まった大穴に、赤い硬化溶液が濁流となって流れ込み、見る間に硬化を始める。
ギイイイイイイイッ!!!
使徒はまるで怒りに震えるかのように、唸り声を轟かせた。
第3新東京市北部・目標シュリンプ迎撃ポイントを目指し、参号機が加速する。
色も形も激流に呑まれたかのように意味を為さなくなり、トウジは背後に手を遣りバイザーを被った。
その眼前に映し出されたのは、使徒と、それを抑え込むエヴァたちの望遠補正された映像。
ピピピピ…・・
トウジが使徒の急所を指し示す円十字の照準サイトに意識を集中すると、神経連結された槍先が予測コア位置へのラインを辿る。
ぎし…
「…ぐ」
参号機の急加速に、負った傷が、軋んだ。
そして、螺旋の槍も徐々にその回転を加速する。
(これで参号機が来るまでなんとかもつ、か…)
一時はどうなるかと思ったけど…
冷房の只中にある発令所にありながら、ミサトは流れる汗をその手の甲で拭う。
モニターを見れば、使徒・シュリンプは体の後部3分の1ほどを地に埋め固められていた。シュリンプはその場所からその体を引き離そうとするも、エヴァたちによってそれを阻まれている。
初号機、零号機が使徒の腕足を抑え込み
『借りは返すわ!』
弐号機が使徒の2つある口の一方に、ソニック・グレイヴを突っ込んでいた。
(案外、参号機が来る前にカタがつくかもね…)
「参号機到達まであとどれくらい?」
「このまま迎撃ポイントが動かなければ…490秒です」
ミサトに問われてオペレーターの1人が告げた、まさにその時…
「第3新東京市上空3000の地点でエネルギー反応! 目標・ラムが活動を再開!!」
ロンゲを振り乱し、青葉シゲルが叫んだ。
第3新東京市上空の雲上に漂っていた使徒は1度、ゆらん、とその長い尾をゆらすと、その衝角部を鞘に覆ったまま落下し始めた。
「ラム、降下を開始」
「マギによる降下パターン解析終了! 弐号機かシュリンプを狙っているものと推測されます!」
双頭の使徒、シュリンプへの対処に慌しい発令所に次々に飛び込んで来る、衝角使徒、目標ラム活動再開の報。
主モニターのウインドウに映し出された新たな使徒の姿に、ミサトの表情が険しくなる。
「…やはり来るか…シンジ君!」
「わかってる!」
迎撃シミュレーション通り、初号機が対シュリンプの戦線を離れて衝角使徒、目標・ラムに向かって駆ける。
迎撃ポイントを抜け、兵装ビルの立ち並ぶ第3新東京市に差しかかるや、駆け抜けながらパレットライフルを受け取りベークライト弾倉に交換する。
ネルフの予想よりはるかに早く、修復を終えて上空より降下する使徒・ラムの衝角を覆う鞘がべろん、と剥け、参号機の左腕をもぎ取った螺旋の槍がその姿を覗かせた。
ギュルンッ!ギュル…ギュル……
衝角は徐々に回転を開始する。
「螺旋状のATフィールド、衝角部に収束! これでは…」
「いきなり全開だっての!? それじゃ…」
主モニターに加わった、衝角を回転させる新たな使徒の姿を見上げ、ミサトが歯噛みする。
目標・ラムの衝角が回転する以前に、ベークライト弾頭を使ってその回転を止めるという、当初のフォーメーションは最早意味を為さなくなっていた。
一度衝角がその回転を開始してしまえば、絶対の壁・ATフィールドですら紙と言わんばかりに易々と破られる。
ベークライト弾頭ごときで、止められるのか?
急降下する使徒・ラムは地上スレスレまで来ると、その身を水平に翻して滑空を開始、弐号機と使徒・シュリンプのいる迎撃ポイント目掛けて突き進む。
突っ込んでくる使徒に真っ向から立ちふさがり、初号機は腰溜めに構えたパレットライフルを撃つ。
ガガガガガガガガガ!!
その射線は全て違わず使徒・ラムの衝角部に集中しているのだが、当たる寸前に皆全て、回転する螺旋のATフィールドに弾かれ赤い霧となって四散してしまう。
(利かない!)
「くっ!」
ゴキャッ!
迫り来る使徒・ラムの回転衝角を寸前でかわす初号機。接触間際にATフィールドを展開したにもかかわらず、手にしたパレットライフルは微塵に砕き散らされ、初号機自身が衝撃波で弾き飛ばされた。
その間幾本ものビルを巻き込んでしまい、その残骸の中に埋もれてしまう。
ミサトが見れば、衝角使徒、目標・ラムは初号機との接触で落ちた勢いを回復するため、再度上空に舞い上がっていた。
(初号機1機じゃ食い止められない…)
「アスカ! 弐号機1機でそいつを止めていられる?」
「…誰に向かって言ってんのよ!」
弐号機は振りかかる使途・シュリンプの腕足の1本をかいくぐりながら、肩パーツより取り出した携帯式ソニック・グレイヴを伸ばして起動、使徒のもう一方の口に向かって突き立てた。
ギュイイイイイイイイ!!!!!
使徒・シュリンプが怒りに震えるような声を上げる。
「アタシ1人でジューブンよ!」
『レイ! 初号機の援護に回って参号機が来るまでラムを抑えて!』
「了解…」
ミサトに命じられ零号機が対シュリンプ戦線から離脱。初号機の後を追いかける。
手近な兵装ビルに手をつき、身にかかったガレキを振り払いながら初号機が立ち上がる。
シンジはフィードバックして来た痛みに顔を顰めながら、スクリーンとマギが送ってくる観測結果にエヴァと使徒の姿を確認した。
弐号機が目標・シュリンプを抑え込み、参号機がシュリンプ目掛けて疾走中。そして零号機がシンジのいる初号機の方角へ援護に向かっている。
(まだ使徒は2体とも生きてる…)
上空に再度舞い上がった使徒、目標・ラムが再び降下を開始した。その軌道は先程と同じ。その禍つ槍の狙うはエヴァか? 双頭の使徒か?
「…止めなきゃね………」
(でもどうやって?)
口にしながら、心の中で反論する。
ベークライト弾は利かず、ATフィールドも簡単に破られる。ましてや盾で止めるなど愚の骨頂だろう。
押しても引いても留まっても、無駄ならば…
「シンジ君…何する気?」
ミサトを始めとした発令所スタッフが一時、呆然となったのも無理はない。
初号機が突然、その腰にした剣、アクティヴ・ソードを腰から一閃させ、手近な兵装ビルに斬りつけたからだ。
ガコン…
輪切りになった兵装ビルから、初号機は非常事態用エヴァンゲリオン牽引装置、トラクションアンカーを引っ張り出した。
トラクションアンカーとは、エヴァの重量にも耐えうる特殊鋼製のワイヤーの先端に、多機能アームを取り付けたものである。
初号機はアクティヴ・ソードをもう一閃させ兵装ビルを再度輪切りにすると、その中からパレットライフル用硬化ベークイト弾倉を取り出す。そしてトラクションアンカー先端の多機能アームに器用に取り付けると、その先端を左手に持ち替えて…
ダン!
アスファルトに罅を入れながら使徒・ラム目掛けて駆け出した。
「何考えてんのよシンジ君! 無茶よ! 死ぬ気!?」
ロクな装備もなく使徒・ラムに向かって駆ける初号機の…シンジの行動は、ミサトらそれを見る多くの者にとってただの無意味な特攻にしか見えない。
ギュオン!
衝角唸らせ迫る使徒に向かって、初号機はその真正面から駆けて行く。キュルンキュルンとトラクションアンカーのワイヤーを盛大に引っ張りながら。
『何考えてんのよシンジ君! 無茶よ! 死ぬ気!?』
「……」
そんなミサトの制止など聞かず、シンジはただ目前に迫り来る回転衝角を睨む。
見る間に小さくなる両者の距離。
これでもかと言わんばかりに見開かれるシンジの目と、振り上げられる、初号機の左手。
そして、交差する。初号機のATフィールドが突き破られる刹那の狭間…
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
シンジの叫びと同時に初号機が、手にしたモノ諸とも使徒の衝角にその左手を打ち下ろした。
ばきゃ!
液体交じりの重いものが砕ける嫌な音が、第3新東京市中に響き渡った。次の瞬間…
ギュルギュルギュルギュル…
瞬く間に使徒の衝角がトラクションアンカーのワイヤーを、凧の糸巻きのように巻き込む。そして…
ぎいん……
鋼の糸を弾くような音を立てて、止まった。
「くうっ…」
コックピットのシンジがその顔を苦痛に歪める。見ればその右腕を幾重にも締め上げる、見えない何かがそこに在った。
ミサトをはじめ、発令所のスタッフたちはその光景に唖然となる。
第3新東京市のビルの狭間。初号機が担いだワイヤーを右腕に絡めてその身を折るように屈め、その後方で使徒・ラムが衝角部にワイヤーを絡みつかせて低空で静止。
初号機と使徒の間に張られたワイヤーは、羽毛が触れただけでもたちまち切れそうに張り詰めていた。
使徒が衝角を回そうとすれば、初号機がワイヤーを引いてそれを止める。初号機が引けば、使徒が衝角を回す。トラクションアンカーの特殊鋼ワイヤーを介して行われる、互いに背を向けた形の初号機と衝角使徒の綱引き。
しかし見るからに初号機に分が悪い。なぜなら…
「マヤ! 初号機左腕のシンクロカット急ぎなさい!」
「はいっ!」
初号機の左腕は、その肘から先が失われていた。
「あんな方法で衝角の回転を止めるなんて……」
思いつかなかった。あのような方法は。まともな思考であんなやり方は思いつかない。
「ATフィールドが破られる、一瞬の間隙を縫って…」
リツコが観測結果を見返しながら言った。
「…とんでもないわね……」
ミサトはモニターに映る初号機と使徒・ラムに向かって言う。それはどちらに向けて言った言葉か…
回転する、使徒の螺旋のATフィールドに己のATフィールドを叩きつけ、生まれた刹那の中和状態を狙ってワイヤーを使徒の衝角に接着する。
回転する衝角は必然的にワイヤーを巻き込むことになる。回転するものは近寄るものを弾き飛ばすと同時に巻き込みもする。その性質を逆手に取って…
終わってしまった後で何かを語ることは極めて容易い。しかし何のシミュレーションも行わず、訓練を受けた兵士であるわけでもなく、それをこなした年端もいかぬ少年・碇シンジ。
ただ、度胸がいい、それだけでは済まされない。
ぞくり…戦術家である自分の埒外の思考と、その恐ろしいまでの決断力に、ミサトは恐怖に似た戦慄を覚える。
ギリ…ギリリ………
初号機コックピット内から発するその音は、その形の良い眉を寄せるシンジの口元から聞こえて来た。
脂汗を額に滲ませ、音が出るほど奥歯を噛み締める。
初号機の右腕を締め上げるワイヤーが、そのままシンジの右腕を締め上げていた。
最初に受けた、そのまま引きちぎられるかのような激痛が、締め上げられ滞った血流に段段と鈍くなる。
その上、使徒の衝角に叩きつけた際に砕き散らされた、左の二の腕の喪失感。シンクロをカットされてもこれは消えない。
一瞬、朦朧となる。
ギャルン!
「うわっ!」
その瞬間を見逃さず、使徒・ラムが衝角を回して初号機から逃れようとする。
ワイヤーを取られて仰け反る初号機。しかしそれに意識を取り戻したシンジはすぐに体勢を立て直した。
身を屈め、ワイヤーを背に担ぎ右手を引く。力の限り。
しかし、鈍くなる感覚を止められない。再度朦朧となる意識を…
「…!」
プラグスーツの上から己の右肩に噛みつくシンジ。痛みで、その感覚を、その意識を覚醒させる。
(邪魔させないんだよっ!)
だがその初号機の甲斐あって、使徒・ラムの回転螺旋ATフィールドは発生を止めていた。
そのコアを潰すには、今しかない。
「今がチャンスよレイ! 急いで!」
初号機と使徒の綱引きの場に躍り込む、青い影。
兵装ビルの影から飛び出したのは、エヴァンゲリオン零号機。エヴァを以ってしてもその腕だけでは支えきれない、エヴァ近接戦闘兵器中、最大最長最重量の兵器を担いで。
おおよそエヴァの2倍はあろうかという長柄に取りつけられた、兵装ビルほどもある六角柱を紫電の火花が覆う。
エヴァの機動力を損なうために、今までの戦いで1度も顧みられなかったが、重力をも利用するその破壊力は、理論上全ての近接戦闘兵器中最大だと言う。
超重量兵器。電磁戦槌、ギルベルト・ハンマー
「………」
コックピットのレイの目が、使徒を目指して見開かれる。
(はずさない…)
胸の奥で何かがチリチリと焦げつく。その何かが自分を追い立てる。
(…この感じ、似てる……)
それは、レイが最初に臨んだ使徒との戦い。地の底で初号機と共に戦ったあの時、使徒に組みついた初号機のシンジを目にした時、感じたものに非常に良く似ていた。
それゆえ、この武器を選んだ。
(一撃で、終わらせる)
静止する使徒。その衝角部の付け根にあるはずのコアを目掛け、青い巨人が雷の戦槌を振り下ろす。
ゴギン!
硬く重いモノ同士がぶつかり合う鈍い音が第3新東京市中に響き、ギルベルト・ハンマーがアスファルトを叩き割って地にめり込む。今まで戦って来た使徒なら、否、3日前の襲来当時の使徒・ラムでも、この一撃でコアを粉砕されて沈んでいただろう。しかし…
「殻…」
レイが呟く。
参号機が戦った際には剥き出しだった衝角使徒・ラムのコアは、黒く強固な外殻に覆われていた。
「空で自己修復してる間に機能強化したってえの?」
ミサトが言った。参号機に負わされた傷を、ただ治していたわけではなかったのだ。
「…シュリンプほどの硬度はないわ、今のレイの一撃で小さいけど亀裂が入ってる…ギルベルト・ハンマーなら十分いけるわ!」
リツコはマヤの傍らからそのコンソールのキーに手を伸ばし、観測結果の分析から告げる。キーを叩くのは右手のみだが、その処理速度は両手を使うマヤよりも速い。
「レイ! 初号機が止めている内に、もう1度よ!」
「了解」
2度、3度と、零号機はギルベルト・ハンマーを担ぎ、そして殻に覆われたコア目掛けて打ち下ろす。
ピ…ピッ、ピピッ……
それにつれて、入った亀裂が目に見えて大きくなる。
ビッ…ビシッ……ビシッ!
そしてその亀裂が、コアを覆う殻の全体を覆い、零号機がとどめの一撃と言わんばかりにギルベルト・ハンマーを振り上げたその時
(何?)
それは、まさに一瞬の出来事だった。
ゆらん……
それまでピクリとも動かなかった、使徒・ラムの尾がのたうち、そして…
きゅと…
「が…はっ……」
ごぼり…
シンジの口元、初号機コックピットのLCLが赤く煙る。
初号機の喉を、使徒・ラムの尾が槍となって背後から貫いていた。
(碇くん!)
レイが声にならない声で叫ぶ。その一方、零号機のギルベルト・ハンマーは慣性に従い狙い通り使徒・ラムのコアを目指して落下するが…
ぐるん…とその傷口を広げるようにひとたびうねると、使徒の尾が引き抜かれ、初号機の喉から盛大に赤い組織液が吹き上がる。力なく垂れ下がる右腕からワイヤーが解け落ち、そのまま膝を折ってうつ伏せに倒れ伏した。
そんな初号機を尻目に、ようやく拘束から逃れた使徒・ラムは零号機の戦槌を難なくかわして衝角を回転。回転螺旋ATフィールドを使って絡みついたワイヤーをちぎり解き、中空に舞い上がる。そして…
「初号機頚椎破損!」
ブシュウウウウ!!!
発令所スタッフの見守る第3新東京市の大地を、初号機の赤い組織液が染めて行く。
「初号機のシンクロカット早く!」
「もうやってます!」
ミサトに問われたマヤは猛烈な勢いでキーを叩いている。
「シンジ君は!?」
「心音微弱、意識不明。脳波も乱れてます!」
なだれ込んでくるデータに、シゲルがせわしなくその目を左右に流しながら答える。
「厄介ね。もし小脳か頚神経叢がダメージを受けてたら……」
「どうなるっての?」
「生き残っても最悪半身不随。当然エヴァとのシンクロにも支障が出るでしょうね。可能性の問題だけど」
リツコはただ、事実を告げる。冷然と、淀みもなく。
「そんな…フィードバックって言っても物理的なものじゃないでしょう?」
「脳は未だに人類にとって謎だらけの場所なのよ? あの状況でダメージを受けてるのは恐らく、神経のより集まる神経叢か、小脳か、その両方。場所が場所だけに、何が起きても不思議じゃないわ」
ギャリン!
舞い上がった使徒の回転する衝角が真下を向く。仕返しとでも言うつもりか? その矛先を倒れる初号機に定めた。
「とどめを刺そうっての? レイ! 初号機の救出急いで!」
しかしミサトが命じる前に、零号機は駆け出していた。
真っ逆さまに降り下る、御使いの名を持つ天の逆鉾。その矛先は一直線に、倒れ伏す1本角の巨人を目指す。
「碇くん!」
レイは思わず声に出して叫んでいた。少年の名を。
そしてその時
『インチキよっ!』
発令所に怒声が響き渡った。
衝角使徒に向いていた発令所の注意が、一斉に弐号機と双頭の使徒に向く。
「何? アスカ! どうしたの?」
ミサトが弐号機の映るモニターに目を移せば…
一進一退を繰り返しながら、エヴァ弐号機は2本のソニック・グレイヴを操り使徒・シュリンプを迎撃ポイントに抑え続けていた。
体の3分の1ほどをピットに固められた使徒・シュリンプが、急にそれまでの激しい抵抗を止めておとなしくなる。
「何よ? 諦めたっての?」
油断無くソニック・グレイヴを片手に1本ずつ構え、アスカは訝しげな顔をする。
やがて使徒は、完全にその動きを止めた。
「…?」
弐号機は警戒を緩めずに使徒に接近。ソニック・グレイヴの1本で動かなくなった使徒をつついて見る。
「まさか、死んだの?」
しかし弐号機に送られてくる使徒の観測データは、この使徒がいまだ健在であることを示している。
(そんなわけないか…)
ばり…
そして聞こえてきた、奇妙な音。
ばり…べり……
何かを引き剥がすようなその音は使徒・シュリンプの内部から聞こえてくる。それと同時にアスカは1つのことに気がついた。
…sday's child is full of woe……
ヒルダの歌が、いつの間にか変わっていた。
Thursday child has far to go……
そして…
バキン!
硬化ベークライトの砕け散る音が鳴り響き
キュオオオオオオオオオオンンンンンンン!!
使徒が、その身を起こして跳ね上がり、弐号機に飛びかかった。
弐号機は後退してそれを避けようとするが、何かに足を取られて後ろへ倒れこむ。
「痛っ…何?」
打ちつけられた背中から来るフィードバックに、顔をしかめるアスカだったが、その目の前に見えた光景に愕然となる。
ばっくりと、使徒の腹部の甲殻が観音開きに開いていた。そこから現れ出でたモノ。それに足を掬われたのだと気づく。
「コイツ…こんなの隠してたの!?」
開いた使徒・シュリンプの腹部から、左右4本ずつ計8本、先端に鋭い鉤爪を持つ細い節足が生えていた。
そのまま弐号機に覆い被さるように襲いかかる。
「インチキよっ!」
「参号機はまだなのっ! このままじゃ弐号機が!」
(…でも、今弐号機は迎撃ポイントを大幅にズレてるわけじゃない)
このままであれば、参号機の螺旋の槍は、間違いなく使徒を貫ける。ただ、弐号機とパイロットも無事では済まないだけで
(何を考えてるの? あたしは!)
浮かんだ考えに、ミサトは激しく頭を振った。
「スパイラル・ランス。シュリンプ迎撃ポイント到達まで、あと174秒!」
轟!
空気の壁を突き破り、黒い魔弾が荒野を駆け抜け第3新東京市に到達する。
ピピピピ……
(何や?)
青い光の円十字、照準サイトを映し込むその目が訝しげに細められる。それまでほとんど位置を動かなかった弐号機と使徒・シュリンプがその位置を急に変えたからだ。
照準補正。意識を向けるだけでスパイラル・ランスはコアへのラインを辿る。
槍の照準修正直後…トウジはその光景を見て愕然し、目を見開く。
(!?)
使徒が、弐号機を抱え込むように抑え込んだ。
「はよ離れいソーリュー! ヒルダはん!」
ぎしり…
軋む肋骨の痛みに、奥歯を噛み締め、耐える。
「…くっ! このまんまやとエビ使徒と道連れや!!」
覆い被さった使徒・シュリンプは4本の腕足で弐号機の四肢を押さえ込み、腹部の節足をギチギチと鳴らして弐号機に向けて伸ばす。
ギッギッギッギ…
「コイツ…」
あの時と、同じだ。
(嘲笑ってる…アタシを!)
アスカの整った顔が怒りで染まり…そして次の瞬間苦痛で歪む。
「くうっ!」
使徒腹部から生えた節足先端の鉤爪が、弐号機の装甲を割り、その生体組織直に突き立ち抉る。
倒れ伏す初号機目掛けて零号機が走る。ギルベルト・ハンマーはとうに捨てていた。
使徒・ラムの衝角がその回転をさらに加速させて降り来る。
「!」
差し伸ばされる、手。そして…
間一髪、まさに髪一本の差で零号機は初号機を横抱きにしてサイドに飛び退く。
ズガァン!
回転螺旋ATフィールドを帯びた使徒の衝角が大地を穿ち、巨大なクレーターを作り上げた。
「…第3装甲板まで…一撃で……」
シゲルが呆然と呟く。強力な加粒子砲を備えた第7使徒のドリル・シールドとて、これほどではなかった。
まともに食らえばいかなエヴァとて、ひとたまりもなかろう。
「先の戦いより、威力が上がってる…」
リツコが言った。計測された数値がリツコの眼鏡に反射し、その表情は見えない。
使徒の衝角の放った衝撃波も手伝い、零号機は初号機を抱えて転がった。
体勢を立て直し、左手で抱えた初号機のプラグ固定ボルトを引きちぎり、エントリープラグを抜き取ろうとする。
(なぜ?…)
胸の奥で、焦げつく何かが加速し止まらない。そのせいで、ミサトに命じられる前に、自分は既に初号機に向かって駆け出していた。
(なぜ、こんなに…)
レイは己を駆りたてるものの正体も掴めぬままに、思考のどこかは冷静で、淀みなく一連の作業を行おうとする。初号機パイロットを助けるために。
しかし当然その間に使徒も浮上。体勢を整え、今度は上空からではなく正面から零号機と初号機目掛け、高速で突き進む。
プラグ固定ボルトを取り除かれて、突き出る初号機エントリープラグ。LCLを吹き出すそれに手を伸ばしかけたその時…
『レイ!その場を離れて! 早く!』
ミサトの声にレイがその赤い瞳を初号機から離して前に向ける。
「!?」
回転する禍つ槍・使徒の衝角が目前に迫り…
パシャ!
レイの視界が真紅に染まった。
サア………
(…………)
雨に煙る空気を、青くさい草の匂いが満たしている。
「………」
薄汚れたよれよれだぶだぶのTシャツと半ズボンの小さな男の子が、その目をいっぱいに見開いて立っていた。その口は真一文字に引き結ばれ、その目からはただただしずしずと、透明な涙がこぼれ落ちる。雨と混ざりながら。
その低い視線の先には、かつて生きていたモノがあった。
男の子が運ぶ僅かばかりの食べものに、ぱたぱたと振られた尻尾も、今はない。
男の子には、友愛に満ち溢れて見えたくろぐろとした目も、今はない。
男の子に向かって懸命に駆け寄った、小さな足も、今はない。
尾と四肢を切断され、その目をくり抜かれた、小さな小さな子犬のむくろ。
(「いそーろーのくせに、いぬなんかかっていいとおもってんのかよ!」)
男の子の住むおうちの子は、そんなコトを言った。
言われてすぐに感じた胸騒ぎに、来て見れば…
(そういう、いみだったんだ…)
しゃがみ、手を伸ばして触れてみる。つめたさがあった。気温と変わりないはずなのに、なぜか男の子には“つめたい”と感じられた。
(どうして、こんなことができるの?……)
空を見上げても、そこにあるのは涙に歪んだ灰色だけ。
(どうして、いたいって、わからないの?…)
シャツと一緒に、その胸を右手でかきむしる。
(いたいよ…)
べしゃ…
水分を多く含む何かを、硬いものに叩きつけたような音が聞こえた。
急いで駆け寄り窓から下を見ると、そこには…
落下の衝撃に砕け散った頭から出る、赤いものと白いもの。
かつて生きていた者が、一瞬で、モノになる。
ころん…と零れて転がる眼球に、ぽっかりと開いた暗がり。
「……」
その奥を覗き込んだ少年の中、暗がりで箱の蓋がコトリ…音を立ててズレた。
「66番、オマエは女みたいな顔をしているな、ん?」
放り込まれた3番目の施設に入った翌日の夜、少年は太ったその男に呼びつけられた。
「………」
まだ10歳にも満たないその少年は男の方も見ず、その部屋の片隅を何の感情も篭らない目で見つめていた。
その施設の養護教諭だというその男が少年を見る目が、濁った欲望にてらてらと光り、蛍光灯の光が、その脂ぎった素肌を肌を照らす。
その太った男は素裸で、ベッドに腰掛けていた。
立ち上がり、動かぬ少年に歩み寄ってその顔に肉厚の指を這わせる。
しかし少年は表情1つ変えず、部屋の片隅を見つめ続けていた。
「なんだ…ソレがどうかしたか?」
「………」
「…あんまり暴れやがるからな、ちょいとひねったら壊れちまった」
少年の視線の先に在ったモノは、やつれた少女の肉体。第2次性徴を迎えたばかりの、血の通った身体だったもの。
投げ出された手足と、光なき瞳。ロクに手入れもされていないバサバサの髪に、日に晒されていない白い肌。
そして、有り得ない角度に曲がった、首。
「わかるだろう? 逆らえばオマエもこうなる……」
にやりと笑いながら、男はねっとりと、少年の頬に舌を這わせる。
「オマエ等みたいな親もいないガキどもなんざ、いなくなったってどうとでもなるのさ」
少年は無抵抗のまま、そっと男の猛るソレに左手を伸ばした。
「ほう…ものわかりがいいな?」
男は下半身から来るその感覚に、うっとりとその目を細めるが、次の瞬間…
「ぎゃあああああああああっ…」
まさに魂消るような叫びを上げて、股間を押さえて転げのた打ち回る。
びしゃ…
少年が手にしたソレを、無造作に放り捨てる。
右手には、ギザギザのノコギリ状に刃を削られ血に塗れた、洋食弁当などに付いてくるプラスチックのナイフが握られていた。
「…オマ、おま、オマ……」
男は股間から溢れ出す己の血に塗れながら、言葉にならない呻き声を上げ続ける。少年はそんな男の右目にプラスチックナイフを突き立てた。
(…痛みと)
「あ! あぎゃ、あぎゃあっ!」
抵抗しようと振りまわされる男の手を取り、その指を反対方向に曲げる。ぽき。
(恐怖と、悪意から、逃げられないなら……)
少年の眉がほんの一瞬、寄せられる。
「げっ!げえっ!」
男の目からはもう欲望の光は消え去った。そこにあるのは、ただ、尋常ならざる恐怖だけ。
(自分が、なってしまえばいいんだ…)
「ひいい……」
そんな男を見る少年の目は、先ほどからまったく変わらず、何の感情も篭もらない。
(痛みと恐怖、そのものに……)
そうすれば、楽になれる…
ほんとうに、そうおもっているの?
赤い瞳が、問いかけた。
何かが破裂する乾いた音
ゼンマイがきれたように、その胸から赤い花を咲かせて倒れ伏す白い…
「いやだ! あんなものを見るのはもう2度と!!」
(死んだの? わたしは…)
視界いっぱいに広がった赤に、レイはそんなことを思った。
しかしすぐに気づく、視界の赤は、己のものではない。視界を赤に染めているのは、コックピットのスクリーンだったからだ。
(まだ、死んでない…)
やがて、前方の赤がドロリ…としたたり消え去った。
そしてそこに現れたもので、再度レイの視界はいっぱいになる。
それは…
発令所の、そして参号機待機仮設基地の誰もが使徒・ラムの回転衝角に砕かれる零号機と初号機の姿を想像したその時、それは起こった。
零号機の目の前に差し出された、初号機の右手。
その紫の甲を貫き出た使徒の衝角の先端が、零号機の一つ目の目前僅か数センチで停止している。
零号機の視界を染めた赤は、初号機の手から吹き出した組織液だった。
「エヴァ初号機…再起動……」
マヤが呆然と呟いた。
「そんな、ありえない…プラグは排出されてる…LCLもないのに……」
「シンクロ率は?」
横から問いかけてきたリツコの声はいつもの冷静なものだったが、マヤはその言葉のイントネーションに、ひどくこの場に不似合いなものを感じ取った。
(先輩…何を…)
そう、期待めいたものを。
しかしそれを口にはせず、コンソールに初号機のシンクログラフのデータを出力し、そしてまた驚愕する。エヴァが動いている以上、シンクロ値が出てあたりまえなのだが…
「プラス92.6%からマイナス168.9%の振幅をもって周期的に変動…こんな状態で、どうして動けるの?」
シュイン…
発令所のスタッフが呆然と見守る中で、初号機のエントリープラグがひとりでに挿入されていった。そして…
ガクン…
解除される顎部拘束具。ゴボゴボと喉に開いた穴から血にしか見えない赤い組織液を垂れ流し、開かれる、アギト。
ルウぉオオおおオオオおおおオおおオおおおオオオンんんン!!!
零号機に抱かれ、赤い組織液をそのアギトから吹きこぼしながら、初号機が咆哮した。
聞く者全てがその声に戦慄し、発令所では誰もが声を発するのを止めた。
目を逸らし続ける己の罪を突きつけられるような、虚脱と恐怖に襲われて。
「何よ…これ…」
ミサトの膝はかくかくと笑っていた。
「止まりな、さいよ」
しかしその初号機の咆哮に、それ以外の何かを感じ取った者が、ひとり。
「…碇くん…なの?」
その身を襲う言い知れぬ冷たさと震えの中、言葉にならない訴えを。
それを聞いた少女が最も、そこに篭められたものを語るために必要な言葉を知らないというのは、いかな皮肉か。
そして…使徒でさえもその声に…
ギュルン!
衝角使徒・ラムが、初号機の右手を貫く衝角を逆回転、後退しようとする。今まで突き進むことしかなかったあの使徒が、である。
グるルるるルルルるるる…
ぎり…ぎり……
回転する衝角にその掌を抉られながらも、初号機の右手が使徒を逃すまいと握り締められる。赤い組織液を撒き散らしながら。
そしてそれに合わせて、使徒・ラムの回転螺旋ATフィールドが…
(中和…いえ、侵食されている……)
その光景を最も間近で見るレイにはなぜか、人の肉眼では見えないはずのそれが“みえた”
初号機の右肩から吹き出す、幾重にも絡み合った螺旋の…
(今なら…)
初号機をそのままに、零号機が駆け出した。
「これって…」
奇しくもその光景の観測結果を分析、自分のコンソールに可視化したマヤが、レイと同様のものを見ていた。
初号機の右肩から生える、幾重にも絡まり合った黒い“それ”が、使徒・ラムの回転螺旋ATフィールドを
「食ってる…」
そうとしか、言い表せない。そしてそれは、マヤにある連想をさせた。
幾重にも重なり獲物を食らう黒い螺旋。その姿は、まるで…の群れだ。
「へび…?」
口にした瞬間に横合いから出てきた白い指がキーを撫ぜると、マヤのコンソール画面からその光景が消え去った。
「何をするんで!…って、先輩?」
振り仰げば、息がかかるほど間近でマヤを見つめるリツコの顔があった。
「どうして…」
リツコは問われる前に、その耳に口を寄せる。
「…このデータ、今すぐミディール第7ディレクトリにコピーしてバロール防壁を展開。その後すぐにデリートして」
それは事実上、スーパーコンピューター・マギにおけるデータの完全封印凍結。1度行ってしまえば自分ですらそのデータにはアクセス不能になる。
可能なのは…
「それでは…!」
マヤの目が、リツコを驚愕の眼差しで見つめる。
「そう、可能な限り隠し通して。…司令にも、副指令にもね…」
マヤにのみ聞こえたその言葉は、事実上の、ネルフへの背任宣言に他ならなかった。
アスカは全身を駆け抜ける痛みに耐えていた。
「くっ…そおっ!」
腕足で四肢を押さえつけられたまま、節足でいいように身体を蹂躙される。装甲の合間を縫って鉤爪がその生体組織を直に抉る。
その痛みは、皮膚を剥がれて剣山で刺されるのを想像すればよいか。
つまり…想像を絶する。
「っつう!」
痛みに零れそうな涙を、こらえる。
(アタシは…泣かない…もう…)
その悲壮な覚悟が、アスカを支えていた。
(…決めたんだから……!?)
しかし突然、その身から痛みが失せた。
(なんで?)
訝しむのも束の間、その回転の良い頭脳がすぐに結論を見出し、アスカは背後を振り返る。
「ヒルダ!」
見れば、アスカより白いその肌をさらに蒼白にし、ヒルダが額に脂汗を流していた。
「…くウっ……」
「余計なことすんじゃないわよ! 痛覚系をこっちによこしなさい!」
ヒルダが、アスカと自分に等分された弐号機の痛覚フィードバックを、自身のみに切替えたのだ。
「…アスカ…ボクはいいかラ、はやく……ソイツを……」
息も絶え絶えに、ヒルダがかすれた声を漏らす。
「ふざけんじゃないわよ! これ以上アンタに借りを作ってたまるもんですか!」
「…カリだなんて、思わないデヨ……」
その身を抉る倍化した激痛に苛まれながらも、ヒルダは笑みを浮かべてみせた。
「ダッテ…アスカは…ボクの……」
ヒルダが言いかけた言葉は最後まで届くことなく、アスカの逆鱗に触れ遮られる。
「黙りなさい!」
その灼熱の感情に激した言葉に、ヒルダはビクンとその体をすくませる。
「…それ以上言ったら…許さないから……」
言いながら、アスカの指が手もとのキーを高速で叩く。痛覚フィードバックを己に切替えるつもりなのだ。
「……」
「…アンタを、ゆるさない…く…がっ!」
ヒルダが己に受け止めた痛みが全て、アスカ自身に振りかかる。
その時
『ルウぉオオおおオオオおおおオおおオおおおオオオンんんン!!!』
轟き渡った初号機の咆哮。
ビクン!
その声に、その背筋をいつか感じた冷たいものが駆け抜けた。
(何なのよ、これ…)
アスカは己が両肩を反射的に抱き締めた。痛みも忘れて。
(…!?)
違う、痛みが無い。いや、ないわけではないが、先ほどまでその身を襲っていたものに比べればひどく小さなものになっている。
見れば、使徒・シュリンプの動きが止まっていた。
初号機の咆哮に、一時静まり返った発令所だったが
「参号機到達まで、あと42秒!」
いち早く自分を取り戻したシゲルの報告を皮切りに、発令所には次々と現状の報告が飛び込んでくる。
零号機は、唸りながら使徒・ラムを片手で止める初号機から離脱、放置したギルベルト・ハンマーを回収してラムに向かい、参号機は螺旋の槍持て駆け…
「弐号機は!」
血相変えてミサトが問う。
「未だシュリンプと交戦中。ポイントからの動きはありません! このままでは!」
あと40秒足らずで、参号機のスパイラル・ランスで爆砕されるだろう。使徒もろとも。
零号機を弐号機救助に回す時間はない。仮に間に合っても、巻き込まれるのがオチだろう。初号機は論外だ。
だからミサトはこう言うしかなかった。
「アスカ! ヒルダ! 早く離れてっ、巻き込まれるわ!」
だがミサトは、何がそうさせたのか無意識に避けていた。
参号機を止める、という案を。
「超電磁モーター冷却、順調…」
「スパイラル・ランス。高速順回転、回転速最大へ…」
参号機をモニターする、仮設基地のスタッフ。
彼等とて使徒・シュリンプに押さえつけられる弐号機が見えていないわけではない。しかし何の命令も降りてこない以上、与えられた任務を遂行するほかない。
スパイラル・ランス側部冷却ファンが唸りを上げると同時に
ギュイイイイイイイインンンンンンン!
スパイラル・ランスの回転速が最大限に跳ね上がる。
「何やっとんのやオドレらはっ! はよう逃げんかあっ!」
既に音速を超えて駆ける参号機の中で、トウジが怒鳴る。
バイザー越しの映像の中では、未だ弐号機は使徒に組みつかれていた。
回転する槍を、槍と一体化した参号機を、止められぬことはない。己が参号機を動かしているのであり、槍は左腕に神経連結されているので己の腕の延長のようなものだ。
ただ…まさに弾丸のごとき速さで駆ける今の状態で止めるとすれば、自分自身、きっとただでは済むまい。
現在、作戦中止の命令は、為されていない。つまり、トウジに優先せよと言うのだ。弐号機パイロットたちの安全よりも、使徒の殲滅を。
(ここ軍隊、なんやな……)
しかし…トウジの何かがそれを許さない。許すはずもない。そして
(「君たちは…」)
出撃間際のマコトの言葉が、トウジの背中を押す。
(…ヒルダはん……ソーリューはいけすかん女やけど……死んでええ、そないな話があってたまるかいな!!)
ヴン…
赤く燃え立つ参号機のセンサーアイ。
(ワイがどーなろーと、ヒルダはんとソーリュー巻き込む言うんなら止めたるわ!)
覚悟を決めたトウジの目前に、使徒・シュリンプと弐号機が迫っていた。
急に動きを止めた使徒・シュリンプだったが、何を思ったかスルスルと節足を腹部に引き込み出し、弐号機の四肢を押さえつける腕足が、ゆるんだ。
そしていそいそと弐号機からその身を離そうとする。先ほどまでの勢いが嘘のように、まるで何かに脅えるように。
(なんだかわからないけどチャンスよ!)
アスカの青い瞳が勝機に煌き
「このおおおおっ!」
その両腕に渾身の力を込めて、使徒の腕足から弐号機の両腕を解放する。そして
(そこは柔らかそうじゃない)
節足の折りたたまれて行く開いた腹部を、喜悦に満ちた目で睨みつけた。
すぐさま右肩パーツからプログナイフを抜き放って弐号機の上体を起こす。そして離れて行こうとする使徒・シュリンプの腹部目掛けて
「てぇりゃあああああああ!!!」
腰を落としたまま、諸手突きに、突き上げた。
ギイイイイイエエエエエエエアアアアア!!!
はじめて受けたダメージらしいダメージに、悲鳴じみた声を轟かせながら使徒が弐号機から飛び退く。
使徒が弐号機から飛び離れた。
「おっしゃあっ!」
そして、まだ参号機の射程内にいる。その光景を見ていたトウジに一瞬、笑みが浮かぶが、すぐに掻き消えその顔が引き締まる。
ピピピピ………
見開かれた黒眼に重なる、青い光の円十字。瞬きすらしない。弐号機から離れたせいで、動き回って固定されない使徒の予測コア位置に、確実に槍の切っ先を届かせるために。
初号機に衝角を掴み取られ、その動きとATフィールドを封じられた使徒・ラム。
「……」
レイがその秀麗な眉をひそめた。そしてその罅の入ったコア殻目掛けて、佇む零号機が再びギルベルト・ハンマーを振り下ろす。
ゴギャ!
紫電を帯びた破壊槌が、使徒・ラムのコアを殻もろとも粉々に打ち砕いた。
ただ、一撃で。
(はずさへん!)
「おおおおらあああああああああああああああっ!!」
使徒の中心と、スパイラル・ランスの軌道が同一直線上に並んだ次の瞬間
拌!
黒き魔弾の化身の使う、使徒より造りし螺旋の槍が、外殻穿ち抜き御使いを微塵に爆砕した。
…しかしその一方
「どわああああああっ!」
ビルを崩して地を抉り、途上のあらゆるものを破壊しながら、勢い止まらず外輪山の方へ向かって、参号機がスパイラル・ランスを抱えたまま転げて行く。
ぱらぱらと、かつて双頭の使徒であったものが塵となって、第3新東京市に降り注ぐ。その色は黒く、さながら黒い雪のように…
「初号機と弐号機と参号機に急いで救助を! レイは初号機の回収作業を手伝って!」
戦いが終わり緊張のゆるむ発令所スタッフに、ミサトが戦後処理の指示を出していった。
そして、当面要される一通りの命令を出し終えた後
「……」
降り注ぐ黒雪の光景を、ミサトは見つめていた。疲れ切った表情で。
全てが怒涛のように目の前を、通り過ぎて行った。
弐号機、初号機が損傷するも、2体の使徒は殲滅された。エヴァの損傷自体は今までの戦いの中でも珍しいものでもないし、都市の損害とて、迎撃都市としての使命を十分に果たした結果である。
スパイラル・ランスによる使徒への突貫攻撃・ホウゾウイン作戦。
一応の、成功と言えるが…
(なのに…勝った気がしないわ…)
使徒には勝ったのは決して自分ではない。そして、使徒ではない何かに自分は負けた。そんな思いが渦を巻く。
(…じゃあ、使徒に勝ったのは誰で、あたしは何に負けたというの?)
ミサトが思いをめぐらせようとした時
『…ぬ…抜けへん!』
トウジの必死な声が発令所に聞こえてきた。
『何よフォース、そのカッコ。みっとない』
続いてアスカの声。
モニターを見てみれば、参号機が外輪山の一角にある岩壁に突き刺さったスパイラル・ランスを懸命に引き抜こうとしていた。
両足を岩壁にかけて踏ん張ってみるも、ビクともしない。
『じゃかあしいわ! オドレがしっかりエビ使徒止めとけば、こないなカッコせえへんでもよかったんや!』
『何よ! 誰のおかげでエビ使徒仕留められたと思ってんのよ? アタシのおかげよ。わかってんの?』
『……(使徒と一緒に殺っとくんやったわ…)』
『トウジクン、逆回転させればいーんじゃないカナ?』
『おお! ヒルダはんは頭ええのう。どこぞの誰とちごうてやさしいし、言うことないわ!』
『そんな簡単なことも思いつかないなんて、やっぱりジャージだからかしら?』
『なんやと!』
『あら? 誰とは言ってないわ。もしかして自覚あんの?』
そんなチルドレンのやり取りに、発令所の面々が安堵の笑いに包まれる。
(少なくとも勝ったのは、あの子たちよね…)
ミサトも小さく、笑みを浮かべた。
どこか、翳りを帯びたものではあったが。
オーシツクツク……オーシツクツク………
(…蝉?)
蝉の鳴き声に、気づいたシンジがうっすらと目を開けると、視界に入って来たのは夕陽に赤く染め上げられた天井。
(前にも来たな…ここ……)
見覚えのある情景に、いま自分が病室におり、ベッドに横たわっていることを悟る。
(そう、あの時も夕暮れで…)
射し込んでくる赤い光にまだ目が慣れないため、眩しげに目を細めると
「眩しいの?」
聞き覚えのある、少女の声が聞こえてきた。
(綾波さんがいて、って…え?)
シンジが驚いて声の方、ベッドの左側に視線を向けると、窓より射し込む夕陽よりもなお赤い双眸と目が合った。
(あ…)
蒼い髪が夕陽に溶け込みその肌の白さも相俟って、シンジは神話に出てくる女神に見つめられているような幻視を…錯覚をおぼえる。
「綾波さん…」
レイが備え付けのスツールに座って、シンジの顔を覗きこんでいる。
そちらに頭をめぐらせようとすると
ズキン!
(っ!!)
喉から引き裂くような痛み走り抜け、思わず顔をしかめる。
「安静にしていて。エヴァのフィードバックで喉が内出血を起こしているから…」
言われて右手で喉元に触れてみると、幾重にも巻かれた包帯の感触があった。それに右手の感触もおかしい。
シンジが己の右手を目の前の差し上げて見ると、これまた包帯まみれの手があった。
指先にある包帯の隙間から、内出血のせいなのか? 真っ赤になった肌が見える。
(負傷したのか…そうだ!)
「綾波さん、使徒は?」
どうなったのだろう? 衝角使徒を食い止めていて、喉に灼熱を感じてから後のことは、ほとんど憶えていない。
ただ、ひどく嫌なものを見たような気がするのに、そんな時に限って感じる右手の嫌な感触が、不思議となかった。
ないどころか、少しだけ、気分がいい。
「殲滅されたわ。2体とも」
「他のみんなは、無事?…」
「ええ…」
レイの答えに安堵する。そして問いかけた自分にふと、シンジは可笑しくなった。
(目が覚めて、開口一番に使徒のことを訊いてるなんて…)
かつてヤシマ作戦の前に病室のレイを訪れた時、シンジの顔を見るなり使徒の動向を訊き、エヴァに乗ろうとしたレイに、言いようのない怒りを覚えたのに、今は自分が同じことをしようとしていた。
「はは…」
思わず、笑みがもれた。
「どうしたの?」
そんなシンジをレイが不思議そうな顔で覗き込んで来る。
「うん、前にも同じことを綾波さんと話したなって思って…」
「…? わたしの記憶にはないわ」
「そうだと思うよ? だって、セリフも立場も逆だもの」
(それに…こんな風に綾波さんと話せるとも、思ってなかったな…)
「?」
シンジの言っていることがますますわからないといった風情で、レイは小首を傾げる。
(いいな、こういうの…)
夕陽射す一室にレイがいて、自分がいる。どうしてレイがいてくれるのかわからない。けれど、そんなことは不思議と気にならない、穏やかな時空。
サア……
窓から風が流れ込み、カーテンをゆらす。
なぜか、今は何を言ってもいい、泣き言も痛みも苦しみも。根拠もなくそんな気分にさせられて
「…結局、肝心な時に役に立たないんだな、僕は……」
シンジの口を言葉が流れ出る。
自分は負傷した後のことをほとんど憶えておらず、そして使徒は倒された。
その結果シンジは、自分はたいして役に立たなかったんだろうなと思う。
「肝心な時に、役に立たない…いつも…」
レイから天井に視線を移し、そこに右手を上げて見た。
「この手は、人を傷つけることしかしないんだ。いや…手が傷つけるんじゃない。傷つけるのは僕でしかない。恐がりで、痛がりな…」
見えない何かに耐えるように、見えない何かを押さえ込むように、目を、閉じる。
「………」
レイはそんなシンジを黙って見つめている。
「傷つく前に傷つけて…ずっと、そんなことばかりしてる…」
「そう…」
その口から流れ出る吐息のようなレイのことばは、シンジの言葉を否定はしないが…
「……でもその手は、わたしを助けた、手でもあるわ……」
「…え?」
シンジが目を開けその声の主を向くと、蒼い髪がドアを抜けて行くところだった。
…タッタッタッタッタ………
廊下から小走りの足音が聞こえ、そして徐々に遠くなる。
シンジはまた、その右手を差し上げ見つめてみた。
遠くなる、少女の足音。
それがずっと、耳に残った。
<続く>
予告
激化していく戦いのさなか、第3新東京市を訪れた雨
降りしきる雨が少年少女の心を濡らす
雨に閉ざされた教室で
戦場と日常の狭間に立つ少年を、日常に引き留めようとする少女が想いを口にし
消えない痛みを抱えた少年を少女が抱擁する…雨に打たれながら……
次回 Evangelion Sword & Grail 第11話 「さまようこころ」
後書き・言い訳・その他もろもろ
アップ予定を3ヶ月も遅れふとどき者が何を言えるというのでせう
この第10話、書いた当人は「シンジとトウジ、炎の友情編」と名付けてますが、どうなのかなあ
え?どこがだって? ほら、コーラのシーン、マーロウとレノックスを彷彿と・・・させないか
書き足りてないところとか結構あるんで、加筆修正するかもしれません