中小企業診断士西原裕の経営知恵袋 Vol.3

 

だれも知らないユニクロの歩み

 

ユニクロをはじめ、無印良品・GAPなどのヒットアパレルに共通するのは、企画・製造・販売を一体化して行うSAP(製造小売業)という業態である。今回は、ユニクロが2000年最大のヒットに成長するまでの苦悩の歩みについて、第1号店からユーザー歴16年である講師がその成功に隠された多くの物語を時系列に解説をする。また、この内容は柳井社長から直接ヒアリングをおこなったものではなく、私のユーザー体験とユニクロの成功に関する多くの文献をもとに述べているものである。

 


 

スキーム

1.挫折と屈辱からのスタート
2.カジュアルショップ「ユニーク・クロージング・ウエアーハウス」オープン
3.ロードサイド展開戦略へ
4.スポーツブランドブームと安かろう悪かろうの時代
5.激動の98年
6.SCM(サプライチェーンマネジメント)のベストプラクティスへ進化

 


 

1.挫折と屈辱からのスタート
柳井氏早稲田大学卒業後、ジャスコ入社わずか8ヶ月でスピード退職。
1974年 現柳井社長が父の事業(本業:土建業)の1つである紳士洋服店の小郡商事を引き継ぐ。山口の紳士洋服の市場は、青山商事(広島・福山)、はるやま(岡山)、フタタ(福岡)が急成長し、市場の主導権を握りつつあるなか、苦戦の経営であった。ローカルの紳士服小売店にとって厳しい時代の始まりであった。(青山商事:1号店出店、その後郊外型店舗による急激な市場拡大)
栄光のユニクロのスタートは、最悪の経営環境からであった。
また、青山商事との因縁は、単純ではなく、良きライバル、ベンチマーキングのベストプラクティスとして、重要な存在となる。
今回は、ユニクロがテーマなのであるが、青山商事の戦略が今日のユニクロに実に大きな影響を与えている。
2.カジュアルショップ「ユニーク・クロージング・ウエアーハウス」オープン
1984年 思い切った業態転換。従来の紳士洋服と異なる、カジュアルウエア店「ユニクロ」を広島袋町に出店。…現在は閉店(岡山資本のカジュアルショップに)
当時西原は高校生であり、スタンプカードホルダーのヘビーユーザー。メンズカジュアルのセレクトショップであり、現在のPB商品は、まったくなかった。また、どの商品も価格の割には品質(長持ち)が良く、学生の間で人気があった。
…雑貨の割合も多く、商店街によくあるお店の1つであった。
まさか、今日のユニクロに成長するとは思いもしなかった。
1987年 POSを導入。情報システム化に取り組む
(青山商事:POSシステムは、83年に導入。)
広島中央通りに5号店をオープン。プールバーとハンバーガーショップ併設の店舗で雑貨が多く、典型的セレクトカジュアルショップであった。
…ここも現在閉店(現在ゲームセンターに)
当時のことについて柳井社長は…
「好きな商品」を仕入れ、「好きなこと」をビジネスの中心に置いていた。自分の趣味と売れることは違う。自分の趣味でやっていたことは、すべて失敗した
…われわれに求められいているのは、「ベーシック」なんだと気がついた。
(日経トレンディ12月号P189より)
1988年 PB品開発を本格化。製造小売体制構築にとりかかる。
(青山商事:PB商品は、84年自社ブランド販売)
戦略の構築は、青山商事を4年遅れで追随しているようだ。
3.ロードサイド展開戦略へ
1991年 社名をファーストリテーリングに改称。店舗数20店舗を超える都市型店舗から郊外型店舗にシフト。広島市内の2店舗相次ぎ閉店。
広島市から、すべてのユニクロショップが姿を消した。
…青山商事が戦略的に展開した郊外型店舗による市場拡大戦略に変更
1992年 (青山商事:東証1部上場、価格破壊ブーム、銀座店進出)
価格破壊、ロードサイドの商業施設開発のブームにのり、ユニクロも店舗数を増やした。
1994年 広島証券取引所に上場を果たす。店舗数は100店舗を超える。
(青山商事は87年広証・大証上場 店舗100店超)
店舗100店舗で上場の戦略あたり、青山商事をベンチマークした戦略と言えよう。また、上場によって市場から資金を調達し、市場拡大戦略を推進していった。
4.スポーツブランドブームと安かろう悪かろうの時代
1995年 スポーツブランドのアウトレット商品販売(ナイキ、ヘリーハンセン、ノースフェース)ライセンス外商品を販売。当時はナイキブームでもあり、アディダス、ナイキ等のブランドアウトレット商品を多く扱う。このころの商品は中国製だけでなく、アジア各国製の品物が並んでいた。
店舗数150店舗超
1996年 中国に生産拠点。SPAの本格化
1997年 東証2部上場、店舗数300店舗超
事業規模拡大で、生産から各店舗までの管理が難しくなる。情報システムを改革しSCMのシステム強化。
今日のユニクロ急成長影の仕掛人沢田氏入社。セブンイレブン的な合理的経営とSCMをサポートする強力な情報インフラ整備
沢田氏のキャリア:伊藤忠商事化学品貿易→セブンイレブン買収担当→FR
「いかなる理由でも返品致します」というTVのCMが話題になった。この背景には、安かろう悪かろうの商品が多くあり、イメージ悪化を防ぐための戦略であったと思われる。
5.激動の98年
1998年 5月に新チャネル「スポクロ」「ファミクロ」展開…なんと半年で閉店
閉店の理由は明らかではないが、推測するに、スポクロの主力商品となる、スポーツブランドからのライセンス外商品に対するメーカークレームが大きく影響したと思える。
(激安のからくり)ヘリーハンセン、ノースフェース
→正規ライセンス:ゴールドウィン社(中国工場)…定価販売
→ユニクロ:ライセンス所有不明(バングラディッシュ工場)
            …アウトレット商品で激安販売
…この内容は公式発表ではなく、アパレル業界筋のヒアリング
6月株価最安値、売上マイナス推移
改革の一環で本社が機能充実した新社屋(山口市)SCMの強化TCMへ
9月役員陣一新、30代若手を起用
11月原宿店進出、フリースブーム
(青山商事:92年銀座店進出、激安スーツブーム)
ユニクロの成功の軌跡は、ほぼ4年前の青山商事がたどった成功要因とほぼ同じである。このことからも、単なる因縁ではなく、男性紳士服シェアNO1の青山商事をベストプラクティスとして、ベンチマークしたことがうかがえる。しかし、この1年はユニクロにとって地獄と天国が一度にやってきた、そんな激動の1年であった。
6.SCMのベストプラクティスへ進化
1999年 東証1部指定替え
SCM強化のため、中国広州に生産管理事務所開設。生産委託先をばらばらになっていた工場を中国に一元化。60の工場と独占契約、1工場1商品のみ生産という独占委託生産の実施。
2000年 433店舗超(8月末)
4月渋谷マークシティに東京本部開設
8月期決算売上高2289億円(前年比2倍)
経常利益604億円(前年対比3.4倍)
ネット通販やeマーケティングに取り組む
90年代急成長した青山商事であるが、現在は売上高1600億円で伸び悩んでいる。ただ、伸び悩んでいるのは、青山だけでなく、アオキ、はるやまも同様に低迷状態にある。要因に紳士服のマーケット規模が限られているため、頭打ち状態になっている。
一方ユニクロは2290億円に迫る勢いで急激な成長を成し遂げた。ユニクロの今後の課題は、カジュアル衣料のマーケットの飽和による成長の低迷が危惧される。
 また、先日新聞でも発表されたが、フリース素材となるポリエステル繊維の輸入に反ダンピング課税の申請を日本化学繊維協会が申請を行った。もちろん中国で生産しているユニクロ商品も対象になることから、セーフガードが発動されれば厳しい舵取りとなるであろう。

 

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