2002年1月
1/7
あけましておめでとうございます。
年末年始に読んだ本をまとめて載せます。
篠田真由美『月蝕の窓』(講談社ノベルス)
建築探偵シリーズ。ミステリ。京介の自分へのこだわりが前面に出ていて、シリーズのキャラ、人間関係、特に前作の内容などを把握していないと、ちょっと読めないように思う。霊能者、幼児期の性的虐待と隠蔽された記憶・疑似記憶、多重人格などを使っているが、本格ものである。
趣味的なことをひとこと言っておくと、作中に稲生平太郎氏が訳した『悪魔を思い出す娘たち』への言及がある。
この作品の建築のモデルとなった洋館の図面、写真、建築費用などの資料を見せてもらったことがあるが、そのイメージとはまったく関係なく小説を読んでしまった。
坂東真砂子『曼荼羅道』(文藝春秋)
戦時中の現地妻の話を中心に、男女関係の迷妄を描く幻想小説。巧みな小説だが、テーマに興味が湧かない。
雨宮町子『死霊の跫』(双葉社)
ホラー短編集。まあまあおもしろく読んだ。
怪物化した葛の話は、この花をたいへんに愛好する私としては感覚的に納得いかないものがある。それを差し引いても、物語としておもしろくはない。また、土葬の話もあったが、私の住むところは土葬地帯であるので、土葬にまつわる怪奇談というのはやはり感覚的になじまない。土葬そのものにはひとつも怪奇的な感じがないが。
日影丈吉『ひこばえ』(河出書房新社)
植物幻想ということを考えつつ、種村さんによるアンソロジーを読んだ。
多和田葉子『変身のためのオピウム』(講談社)
ギリシア・ローマ神話の女たちの名前に仮託された、ドイツの女達の物語。連作短篇集で、ゆるやかな長篇を形成する。いまいち。
C・S・ルイス『ヴィーナスへの旅』(中村妙子訳・原書房)
新しいアダムとイヴの世界である金星に訪れ、悪魔の誘惑を阻止しようとするランサムの話。小谷真理の解説を面白く読んだ。
浜たかや『太陽の牙』『火の王誕生』『遠い水の伝説』『風、草原を走る』『月の巫女』(偕成社)
およそ数百年にわたる戦闘的な牧畜民族の消長を描いた叙事的ファンタジー。青銅器から鉄器への移行時代、そしてその後の時代を描いている。刊行当時に読んだきりなので殆ど内容を忘れている。かなりレヴェルの高い作品なので、子供向けと限定する必要はないだろう。むしろ子供向けとしてわかりやすく書かれているため、大人にしか読み解けないテーマが背後に隠されるという形になっている。
小野不由美『黒祀の島』(祥伝社ノンノベル)
失踪した女性の行方を追って孤立した島にやってきた探偵の物語。あまりにもアホらしい結末部に唖然とする。これなら探偵が嗅ぎ回ったり、謎解きしたりなどする必要はなかったのでは?
エドガー・パングボーン『オブザーバーの鏡』(中村保男訳・創元SF文庫)
火星人が地球人を見守り続け、やがて文明的に合流しようとする話。一種の神観念を提出している作品。
フリッツ・ライバー『放浪惑星』(永井淳訳・創元SF文庫)
惑星を燃料にして宇宙を放浪する惑星とその住民の一人と地球人の接触を描いた作品。
ジェイムズ・ブリッシュ『悪魔の星』(井上一夫訳・創元SF文庫)
きわめて理性的で合理的で平和的な星がある。しかし信仰はない。神はいない。つまりこれは悪魔の星なのだ。イエズス会の神父はそのように結論づけて星からの完全撤退を要求するが……。キリスト教神学の最も偏狭なところがよく表れた作品だが、著者が神学者であることを無視すれば、まったく別の読み方もでき、問題提起に富む作品。
フランク・ハーバート『鞭打たれる星』『ドサディ実験星』(岡部宏之訳・創元SF文庫)
ジャンプドア・シリーズ。サボタージュ局の工作員マックスの活躍を描く。面倒なものは岡部に訳させろ、というような暗黙の了解でもかつてあったのだろうか。難物ばかりよく訳している訳者である。
サミュエル・ベケット『ワット』『マーフィー』(高橋康也・川口喬一訳・白水社)
前者は戦後に書かれた分裂的な作品。とある屋敷での奇妙な奉公の様子を狂人が書き留めるという体裁。表現的には執拗な反復でぞっとさせられる。マーフィーは自己に忠実に生きようとする夢見る青年が、現実的な女性の力に引っ張られて普通になろうとしたと途端に裏切られていくという話。いまいち。この後の『モロイ』などの方がやはりずっとおもしろい。
ジョゼ・サラマーゴ『修道院回想録』(谷口伊兵衛訳・而立書房)
戦場で片手首を失った七太陽バルタザルは人の中を見通すことのできるブリムンダと結ばれる。二人はローレンソ神父に頼まれて、空飛ぶ機械・大鳥の製作に関わることになる。機械を飛ばす鍵の部分はファンタジーとなっていて、これがとてもユニーク。背景としては、18世紀のポルトガルの王ジョアン5世が子供が産まれることを感謝して大修道院を建設したというのがあって、なかなかおもしろい歴史伝奇小説である。読み始めたのが去年の夏だったから、とんでもなく時間がかかってしまった。不勉強で、こんな小説が翻訳されていたのを知らなかった。『幻想文学』でもまったく紹介していないので、歴史幻想小説に興味のある人にはここでお薦めしておきたい。
小熊英治『単一民族神話の起源』(新曜社)
戦後の圧倒的な単一民族説がどのように生まれてきたか、というよりは、明治以後、戦前までどのようにさまざまな起源説が語られ、それらが最終的に戦争に利用されていったかということを概観していく。高群逸枝、柳田などがことに興味深く、イデオロギーの功罪に思いを致させられる。全体に真っ当な歴史書なので、偽書的なものの奇妙な細部に立ち入ることはないが、それでもユダヤ十二支族の末裔論なども少しだけ紹介していて、この手の史書としては非常に目配りが広い。
ジョン・クーパー・ポウイス『ウルフ・ソレント』(鈴木聡訳・国書刊行会)
幻想文学ではない。一九二九年の作。女に翻弄される男を描いた作品。母と別れた父が住み、死んだ田舎に帰って来たウルフ・ソレント。強いことこのうえない母親(当然主人公はほとんどマザコンである)、絶世の美女である墓石屋の娘で、黒歌鳥の物まねの天才的に上手な、後に妻となるガーダ、肉体にまでいかない恋の相手である本屋の娘クリスティ、父の愛人だった、奇妙に人を見通す、一方では非常に残酷で現実的な女セリーナ・ゴールト、本屋とクリスティの姉とあいいだにできた近親相姦の子供など、女たちは少なからず魔的に描かれる。一方男はウルフの雇い主アーカート(男色家でドーセット年代記を作ることに異様な情熱を持っている)を筆頭に偏執狂的人物が多く、ウルフは自分しか見ていないし、詩人のオッターはあからさまにおかしい、といった具合。近親相姦、同性愛、不倫など、性的なテーマがちりばめられているが、なにしろまったく興味がない分野なのでおもしろくない。
マーセデス・ラッキー『運命の剣』(山口緑訳・創元推理文庫)
魔法使いケスリーの孫ケロウィンの一代記。
ジャン=クリストフ・グランジェ『ヴィドック』(江崎リエ編訳・角川文庫)
訳者による映画脚本のノヴェライゼーションであろうと思われる。19世紀のパリに実在したならず者上がりの警官(後に探偵)ヴィドックの活躍を描く。ミステリ的に見ると、犯人はすぐにわかってしまうような話なのだが、物語全体としては怪奇小説で、犯人の本当の正体は何なのかということは、論理的には解かれない。人の魂を奪って不老になっている錬金術師って何者なの? 映画だから細かいことは考えられていないのだろうか。
コリン・ウィルソン『精神寄生体』(小倉多加志訳・学研文庫)
近未来、人間の精神に巣くって、人間をマイナーな方向へ導こうとする精神寄生体の存在に気づき、それと戦おうとする考古学者オースティンの活躍を描く。昔読んだ小説だが、当時は何を思って読んだのか、読んでも何も思い出せなかった。
クリストファー・ファウラー『スパンキイ』(田中一江訳・創元推理文庫)
悪魔との契約もの。心理学的に解釈されているところがおもしろい。
『また、つかぬことをうかがいますが…』(金子浩訳・ハヤカワ文庫NV)
科学に関する素朴な質問集。杓子定規な答えではないのが良い、楽しいシリーズだが、やはり一巻の方がおもしろい話題が多かった。
アミン・マアルーフ『サマルカンド年代記』(牟田口義郎訳・ちくま学芸文庫)
前半がルバイヤートの作者オマル・ハイヤームの伝記、後半が幻の手稿本をめぐる物語。文庫化されたので買った。前は図書館で借りて読んだのだが、そのときの印象と変わらず。やはり前半の方がおもしろい。
アイリーン・シルバーブラッド『月と太陽と魔女』(柴田秀藤訳・岩波書店)
インカ帝国以前、以後、スペイン植民以後のおよそ三期を歴史的に設定し、時代の流れの中で女性というジェンダーがどのように捉えられ、利用され、搾取され、反逆してきたかを論じたもの。おもしろく読んだ。訳者の言うように、文化的・政治的言説に支配されがちな記述のケーススタディにもなりそう。
瀬名秀明『ロボット21世紀』(文春新書)
現代ロボットの状況と今後の展望について日本を中心にまとめたもの。夏に読みさしたものをようやく完読した。
松原秀一『異教としてのキリスト教』(平凡社ライブラリー)
フランスの古典文学者による評論。キリスト教と古典文学とが何らかの形で絡む。おもしろし。
中村明蔵『隼人の古代史』(平凡社新書)
クマソとは誰のことか、記紀はどこまで信用するに足るか、隼人という名称は何処から来て、その役割は本当のところ何だったのか、といった疑問に答える、南九州の古代史。従来のクマソ地域指定に異議を唱える。まあまっとうな本。
クルト・ルドルフ『グノーシス』(大貫隆・入江良平・筒井賢治訳・岩波書店)
1977年刊行、90年の改訂版を定本とする翻訳。平板と言ってもいいほどに堅実に、主に古代におけるグノーシスを、解説している。学ぶところは多かったが、あまりにも高価なので、一般の人には薦められない。興味のある人は図書館で。
川村湊『日本の異端文学』(集英社新書)
六、七〇年代の文学・出版状況のムーヴメントから名付けられた《日本の異端文学》なるものを解説。とりあえず、そういうブームがあり、言葉があったということから、幻想文学の中のある種の人々を拾って論じていく。中井、山田風太郎、小栗、橘外男と日影、国枝と三角、大菩薩峠、渡辺温と尾崎翠、ポルノとSMが取り上げられる。乱歩、夢野、久生、野溝、大坪、百間などが入らないのはたまたまそうなったのであると後書きにいう。
なお、『幻想文学』が、12号で終わった『幻想と怪奇』に比べて、寿命が異様に長いわけについて「時代状況の差違によるものだろうか。あるいは?」と言っているが、この「あるいは」のあとに何が続くのか、川村さんに聞いてみたい気もする。
五十嵐太郎『新宗教と巨大建築』(講談社現代新書)
単に建築そのものではなく、宗教空間としての新宗教の建築を語ろうとする著者の姿勢は、たいへんに良いと思う。『幻想文学』62号で述べられていた天理についても詳しく語られている。
ジェフリー・パリンダー『神秘主義』(中川正生訳・講談社学術文庫)
アジアの宗教を中心に、神秘主義全般について語ってしまう概説書。狭義の神秘主義は宗教的な、全体との合一であると要約できると思うが、本書はその線に添って、合一と同一の違いにこだわりつつ、概観していく。こういう書物を読んでいると、つい原典主義に思考が傾く自分を感じるので、考えさせられることは多い。異論は多々あれども、あちらからはかように見えるのか、ということがわかって勉強になる。
池上俊一『身体の中世』(ちくま学芸文庫)
身体にかかわる中世の観念・習俗なとのカタログ。
『幽霊がいっぱい』(山内照子編・新風舎)
女性作家による怪談のアンソロジー。自費出版の会社だよね、この出版社。ブリティッシュ・ホラー特集をするというから読んでみたが、こんなものを訳して本にしようという人がいるということに驚く。バイアットの邦訳ありの「隣の部屋」が入っていたりするところを見ると、紹介目的というよりは、自分で訳したいのだろう、と思う。
ペネロピ・ライヴリー『犬のウィリーとその他おおぜい』(神宮輝夫訳・理論社)
ライヴリーも怪談を書いていて、児童文学にもコメディ・ホラーがあり、本書もそういう系列かもと思って読んでみたが、動物ファンタジー系の作品だった。とある人間の家に住む、犬、鼠、ワラジムシ、蜘蛛の生活を描いている。特にワラジムシ・ネットのキャラが素敵。
秋山完『天象儀の星』(ソノラマ文庫)
デビュー作となった短篇などを含む短篇集。秋山完はいいなあと思う。私はこの作家がかなり気に入っているようだ。ハードSFでありつつ、ファンタジー性もあるところを高く評価しているらしい。単に感覚的に合うのだろうとも思うけど。表題作はデビュー作の一つだが、失われたプラネタリウムと時を越えるという物語で、本篇を読んでから瀬名秀明の作品を読んだら、似すぎと感じただろう。でもこの作品自体にもどこか既読感があって、要するにSFのよくあるモティーフで出来ているのであろうな。
藤崎慎吾『螢女』(朝日ソノラマ)
生きている森が生態系全体として開発に抵抗する話。エンターテインメントとしてまとまってはいるが、テーマが古くさく、キャラに立体的な陰影が乏しく、物語の盛り上がりに緊迫感を欠く。要するに全体に平板なのだ。
映画『ハリー・ポッターと賢者の石』を観に行く。まだ混んでいる。ストーリー的には確かにかなり忠実な再現だけれど、少なくとも物語の中では見られた子供たちの心の動きが、ほとんど表現されておらず、つまらぬ映画というほかない。あれだけの長さの作品を映画にするには三時間では到底足りないのだから、もっと独立させたものであるべきだろう。もともと美術・特撮目当てで観に行ったわけだが、その点でも精彩を欠き、興行収入に見合った映画とは言い難い。ブームの力とは恐ろしいものだなとつくづく思う。
ところで、映画を観てあらためて自分がハリーをどのように映像化していたか気付いた。ロアルド・ダール風の戯画のアニメーションにしていたのだ。中学校に入学するまで悲惨としか言いようのない日々を送ってきた少年をイメージするのには、それが相応しかったからなのだと、人間が演ずる生活描写を観て思った。リアルに想像すると、ポッターは素直な善人に育つ環境にはまったくない。実は強大な力を持つ人々のバックアップがあるのに、悲惨なままに打ち捨てられ、最も身近な人間の愛情が必要な子供時代に、ただただ憎しみと嫉みだけを一身に受けて育ってきたのだ。これをリアルに考えれば、以後の展開はホラーにしかならないはずで(例えばジョン・ソールみたいな)、それが友情・努力(克己)・勝利の夢物語となるのが、お伽話的ファンタジーというジャンルであるのかもしれない。
などと馬鹿なことを考えたのは、東とファンタジーとホラーの境界をめぐって電話で長話をしたせい。ハリー・ブームについては、中野善夫氏からきわめて啓発的な意見をうかがって、少しは自分でも考えている。上の駄文よりはちょっとはましなことを。考える材料になるという点ではハリーも良い作品である。
1/8
灰崎抗『想師』(学研)
ムー伝奇ノベル大賞優秀賞受賞作。想師というアイディアは相当におもしろい。主人公のキャラクターなども良いと思う。しかしギャグのセンスがいまいちであり、軽みのある文体作りに失敗しているのが難点。なお、この賞に関わりがなくもないので、忌憚なく意見を言うことは差し控えた。
1/9
久綱さざれ『ダブル』(学研)
ムー伝奇ノベル大賞優秀賞受賞作。最初はどうなるかと思ったが、おもしろくまとめている。小説単体として見たときは本書の方が上だと思うが、粗削りな大胆さがあるという点で、将来性は『想師』の方がありそうで、どちらをも落しがたかった感じはよくわかる。
1/10
牧野修『だからドロシー帰っておいで』(角川ホラー文庫)
オズの魔法使いをホラー的にした妄想世界と現実とが並行して描かれる。妄想世界はどこか筒井の『驚愕の曠野』を思わせる。抑圧されていた人々の解放を描いた物語。この結末は途中の展開と矛盾するのでは?
1/11
紀田順一郎先生にインタビュー。
M・R・ジェイムズの翻訳や『幻想と怪奇』の裏話がいろいろ。本誌を楽しみに待って下さい。
1/14
沼野充義『W文学の世紀へ』(五柳書院)
沼野さんは普通の文芸批評みたいなこともなさるのね。若い頃は大江と安部公房だけが現代日本文学だったのだとか。あとに三島由紀夫が加わったそうで。まあ、人には誰しも何らかの好みがあるのだと思う。でもよくわからない選択。
1/15
南條竹則さんへのインタビュー。新居(千住の古いアパート)にて。
オフレコの話がそれはもうおもしろいんだけど、オフレコだからここでも書けません。悪しからず。
1/16
マルクス・ジョルジュ『異星人伝説』(盛田常夫編訳・日本評論社)
ハンガリー出身の科学者の紹介とハンガリーの教育の良さをアピールする本。ハンガリーと言ってもマジャール人じゃなくて、ユダヤ人がほとんどなんだよね。19世紀から20世紀にかけての、科学界におけるユダヤ人の足跡というのは、それこそ凄かった。私はその「何とか系ユダヤ人」の中にハンガリー系の占める割合を知らないけれども、「異星人」(すぐれた科学文明を持って彼方の星からやってきた人)たるこの栄誉は、やはりハンガリー人ではなくて、ユダヤ人が受け取るべきものなのではないだろうか、と思う。(京)
粕谷知世『クロニカ』(新潮社)
ファンタジーノベル大賞受賞作。ミイラがインカ帝国の末期における個人史を語る。あいまに語り手の解説が入る。ミイラの語りのなまりは何だろう。日本語の表現では、まあそこんなものかという気もするが、しかし物足りない語りだ。文字の神と語り文化とを対比させる趣向はいささか不徹底。ちょうど『日蝕』を読んだときの索漠感にも似たものがあり、個人的にはまったく共感できる作品ではないが、少なくともこのところのファンタジーノベル大賞の無惨さを思うと、ちょっとは書ける人ではないかと期待もしてしまう。
笠井俊彌『蕎麦――江戸の食文化』(岩波書店)
江戸時代の日記、川柳、俳諧、その他の文学などに現われた蕎麦をめぐるエピソードを紹介しつつ、江戸時代において蕎麦がどのように食されていたかを解説するもの。女性の丼ものの食べ方の話までを盛り込んだ、立ち食い蕎麦のしゃがみ食いの話。また夜鳴き蕎麦と迷子が関わるシーンを、式亭三馬が描いていると初めて知った。鏡花の作品に迷子と夜泣き蕎麦のエピソードがあるのは、こうしたことがあったからか。大名の蕎麦好きの話。一世を風靡した道光庵にならって蕎麦屋に庵の字が使われるようになったことなどの蕎麦と寺の話もおもしろい。(京)
グロリア・ウィーラン『家なき鳥』(代田亜香子訳・白水社)
インドの貧しい13歳の少女コリーが、不幸な結婚の後に幸せをつかむまでを描いた中篇。(京)
瀬田季茂『科学捜査の事件簿』(中公新書)
筆跡、指紋、スーパーインポーズ、DNAなどの人物特定、また毒物鑑定や銃器鑑定といった物的証拠の確定などに関する技術史を、その技術の重要さを印象付けた有名な事件と絡めて紹介するもの。(京)
17日
西崎憲氏へのインタビュー。
時代を担うアンソロジストの方へのアドヴァイスあり。
古川日出男『アラビアの夜の種族』(角川書店)
数日かけて読了。素晴しいファンタジー。やったね! という感じ。bk1
19日
宮田登『都市空間の怪異』(角川選書)
雑誌発表記事の寄せ集め。加門七海など文学への言及多し。既読のものばかりのように思う。
20日
村田喜代子『人が見たら蛙に化れ』(朝日新聞社)
タイトルは骨董とはそれを扱わないものには価値がない、その価値を寧ろ見せるな、という、言葉なので、怪奇とは関係ない。多少の怪奇を期待していた私は、作中で、アホか、と言われてしまった。普通の骨董小説。つまらなくはなかったが、取り立てて言うものでもない。
網野善彦対談集『「日本」をめぐって』(講談社)
『「日本」とは何か』を契機とする対談などを収録。小熊英二をインタビュアとするものが網野の背景に迫っておもしろい。ただし小熊の見当はことごとくかわされるという形で、網野の姿勢が浮き彫りになる。(京)
水木揚『脱所有社会の衝撃』(PHP研究所)
これからは時間、それもサーヴィスつきの時間が売れる時代だ。もう物の所有なんてださい。時間を有効利用して、自分にとって素晴しい時間を過ごすことこそこれからの生き方だ。既にリッチな人の意見と思う。余裕を作るための時間だって、現代の日本ではお金で買うものだ。(京)
21日
楠見朋彦『釈迦が寝言』(講談社)
幻想小説ではなく、これまでの作品中最もつまらなく読んだが、たぶんこういう方が一般受けはするのだろう。四人家族がネパールへ行く話で、家族それぞれの悩みと体験などが綴られている。ほんと、寝言のような小説だった。
畠中恵『しゃばけ』(新潮社)
ファンタジーノベル大賞優秀書受賞作。帯には「選考会場も大笑い」とあったが、ギャグ小説ではまったくない。多少のユーモアを感じさせる普通の小説である。江戸時代、妖怪に守られて生きている大店の病弱な若だんなの話。お話としては良く出来ていて、おもしろく読んだ。展開にはちょっと変なところもあるが、まあいいか。目くじら立てるほどのことでもなし。話の筋とは関係ないが、和菓子屋の話が出てくる。二代目が餡をうまく煮ることができないというのは相当に変だと思う。これは妖怪のたくらみだと疑った方がいい。
アレッサンドロ・バリッコ『シティ』(草皆伸子訳・白水社)
天才少年とエキセントリックで魅力的な女性との触れ合いを描く長篇小説。ウェスタンとボクシングの作中作の方が比重が大きく、これに二人の生き方を重ね合わせているとも言える。(京)
古川日出男インタビュー。『アラビアの夜の種族』をめぐって
一部をbk1にアップ。
1/22
SFマガジンの特別号のためにファンタジーの座談会。ひかわ玲子さん、妹尾ゆふ子さん、三村美衣さんと。親しく言葉を交わすのはほとんど初めてという人ばかりなので、たいへんにおもしろかった。座談会というより放談会で、ここはカットね……というところの多かったこと。
ピアズ・アンソニイ『魔法使いの困惑』(山田順子訳・ハヤカワ文庫FT)
ハンフリー一代記。表紙の暗い感じの兄ちゃんは若き日のハンフリーなのだ。半分くらいは、これまでのザンスの復習。読むとこれまでの全巻がどんな話だったか思い出す。ハンフリーってやっぱり好みではない。魔法使いの戯画だからかな。
24日
稲生平太郎インタビュー。英国怪談の伝統についてと、『アクアリウムの夜』文庫化について。
まさかスニーカー文庫で『アクアリウムの夜』が出る日が来るとは! このページを読んでいる人はみんな買って読んでね! 私の愛読書です。篠田真由美さんのすてきな解説付き。
27日
トールキン『指輪物語』など
bk1では『指輪』がたいへんに売れているそうで、特集を組むことになった。そのための原稿を書かせてもらったので、関連書を久々に読み返し、感涙にむせぶ。詳しくはbk1を参照のこと。このページを見ている人で、まさか『指輪』を読んだことがないという人はいないと思うけど。映画をすでに御覧になったひかわさん玲子さんの話では、特撮、俳優を含めてなかなか出来が良かったとのことなので、『指輪』フィーヴァーが起きないかと夢想する。
1月の雑感。
今月は座談会のほかに七つもインタビューをした。そのうち二つは日影丈吉関連で、おまけでくっついていったようなものだが、たいへんに疲れた。月の後半はその起こしとまとめに、また誌面作りに忙殺された。種々の本が読みさしとなっている。次月後半に何とかしたい。
☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。 2003/7/5更新