気まぐれ日記 2017年8月

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8月1日(火)「リハビリ後は昼寝・・・の風さん」
 定年退社して3年以上が経過するのに、まったくそれらしい日が1日もない。もしあるとすれば、疲れてすぐダウン(昼寝)する(できる)ことぐらいだろう。3年前にフルタイム勤務は困難になっていたということだ。
 延々と続くリハビリに出かけた。今日は2か月に1度の内科受診も。定期健康診断の結果も持った。当然、早めに着いた。
 偶然、友人とバッタリ。入社以来の友人で、仕事を一緒にしたことはほとんどないが、今や比較的近くに住んでいるから、人生は不思議だ。
 それほど混雑していたとも思えなかったが、今日は時間がかかった。結局、午後1時近くまでかかってしまい、その後の予定を少し修正した。
 急いでホームセンターで買い物し、JAのATMにも寄って、まっしぐらに帰宅。
 落ち着いているペコを確認して、シロップを飲ませた。
 昼食時、編集者から電話があり、しばし情報交換。
 書斎に入って雑務をしているうちに猛烈な疲労感。いつもリハビリ後に味わう現象だ。今日のリハビリでは「固くなっていますね」と言われたぐらい、なぜか症状が戻っていた。その分しっかりほぐされたので、老骨がいつも以上に疲労していたのかもしれない。
 2時間半近くダウン(昼寝)してしまった。
 夕方、昨日と同じようにペコに特製カプセルを飲ませたが、吐き気止めは、量を半分にした。
 夕食前からやっと執筆再開。これじゃ進まないわなあ。
 夕食後、早くもペコに薬の効果と副作用が出てきた。心配したフラツキは、いくらか程度が弱くなっている。もう少し減らしてもいいかもしれない。
 就寝前に、明後日のセミナーの配布資料の送付と、児童書の第二稿の準備を少しした。
 ペコは落ち着いているので、今夜は安心して寝られそうだ(もっとも非常時でも爆睡してしまう体質ではあるが)。

8月2日(水)「セミナーの準備で日が暮れた・・・の風さん」
 今日の最大のミッションは、明日のセミナーの準備である。通算3回目になるのだが、アップデートするスライドもあるし、課題を解決するため追加するスライドもある。
 先ず、アップデートから始めた。アップデートしたスライドは、月末のセミナーでも使えるので無駄はない。あ、そうだ。月末のセミナーは、新たな顧客がついたらしく、それをベースにした企業研修をおこなうことになる。おそらく11月で、この秋のスケジュールがどんどん埋まっていく感じだ。
 スライドの準備をしながら、持参していく小道具類も決まるので、ミニキャリーバッグを用意した。
 課題解決は、主にIT分野のスライドで、使用する動画も決めなければならなかった。
 相性もあるので、ここからは MacBookAir での作業にした。やはり思った通り、スライドに貼り付けない動画ソフトがある。変換を試みたが、うまく行かない。結局、個別再生をすることにした。
 ここで、MacBookAir に異常発生。CPUが暴走したようになり、発熱し、ファンが止まらなくなった。MacBookAir では初めての経験である。かなり使い込んできたので、そろそろ買い替えた方が良いのかもしれない。しかし、本体を更新すると、インストールしてあるソフトを乗せ換えるか、あらたに購入するかの問題が出てくる。厄介な話だ。
 準備は終わったが、(ペコの病院まで延期したのに)昨日まで続けてきた執筆がまるでできなかった。

8月3日(木)「通算3回目のセミナー・・・の風さん」
 電車と地下鉄を乗り継いで、セミナー会場へ行った。通算3回目なので慣れているのだが、受講者は少ない。このセミナーは、今回限りになるだろう。
 受講生の1人は10年以上前に、異業種交流に参加してくれた人で、今回、私が講師だということで、わざわざ石川県から来てくれたという。嬉しかった。受講生が少なかったので、事務局と色々とサービスを考えていたが、もっと何か工夫すべきだったかもしれない。
 セミナーの前半は快調だった。だらだらと喋る悪い癖を封印して、後半に余裕ができるように進めることができた。
 昨日から睡眠含めて体調を整えてきたので、昼食時にダウンすることもなかった(笑)。
 午後の後半戦をゆったりと始めたら、知らない間に、時間がどんどん経過した。午後の休憩時までに、余裕をすべて食いつぶしていた。
 それでも、最終コーナーを回ってからは、受講生と質疑をしながらも、何とか最後までたどり着くことができた。
 事務局と少し今後の打ち合わせをしてから家路についた。
 スムーズに電車に乗れたが、ペコが不調ということで、最寄りの駅についてすぐその足で、犬猫病院へ直行した。
 珍しくペコが病院に着いても鳴いていた。明らかに新たな症状だ。
 それでも、主治医の診察では特に異常は見つからず、投薬量を調節しながら様子を見ることになった。
 帰宅は午後9時過ぎになり、疲労でもう何もできないくらいだった。
 リフォームしたバスタブに浸かり、気持ちを落ち着けて、いつもより早く就寝した。

8月4日(金)「ペコの容態が悪化・・・の風さん」
 起きたら、ペコが不調になっていた。病院の注射はうまくいくと24時間効果が続くのだが、今回は意外と早くその効果が切れた。
 それでも、何とか現状を維持したかったので、午前中に、下剤を少しずつ2回飲ませた。
 ところが、ワイフがちょっと外出している間に、ペコの症状が悪化した。私は2階の書斎で仕事をしていたので、気が付かなかった。
 ショックを受けた私は、外へ出て、裏の土地の草刈りをした。腰痛になって以来だ。
 夕方からペコはさらにぐったりしてしまい、何かしてあげるのが怖いくらいだった。だから、二人とも意気消沈して見守っているしかなかった。
 これまでに2回死ぬかと思ったが、今回もまた少し違った症状で、危ないと思った。本当に精も根も尽き果てたような感じなのだ。
 ワイフは、もうペコを看取る態勢になっている。
 私の執筆はさっぱり進まなかった。ただ、今回の容態の急変が、病院の注射のせいであって欲しいと願っていた。つまり副作用である。主治医は注射の量を減らしたのだが、それ以上にペコが弱っていたという想像である。もし、注射の副作用なら、時間が経過すれば、快方に向かうはずだ。

8月5日(土)「望みを信じて・・・の風さん」
 ペコの容態に思った変化はなかった。注射の副作用ではなかったのだろうか。
 昨日からペコは水すら飲もうとしない。まともに歩けない状態である。
 ワイフはつきっきりの看病をしているので、私は2階の書斎で仕事を続けた。執筆は思うように進まずピンチである。
 午後になって、ペコがトイレに行くようになった。私が2回、ワイフが2回介助して、オシッコをした。一昨日まで水を大量に飲んでいたが、昨日はまるで飲まなかったし、トイレにも行かなかった。なぜ今ごろになって? と不思議だが、良い傾向ではある。
 私は、何も飲もうとしないペコに、わずか1ccの水やシロップを飲ませてみた。いちおう飲み込むことができ、その後、吐くこともなかった。まだ望みはあると思った。いや、信じたかった。
 夜になって、子猫用のミルクの缶を開けた。前回は、開けたけれども、飲ませる機会がなかった。だから、グラスに移し替えて冷蔵庫に保管してあったが、すべて捨てて、また新しい缶を開けたのだ。今夜のトライは、飲むかどうかだ。以前は飲んでくれた。しかし、味覚が変わっているのが心配だった。
 飲んでくれた。よし。まだ望みはある。
 夜中に心配した長女から電話があった。次回、長女が帰省するまでに、ペコを復活させねば。
 今日は、頑張ったので、執筆も進んだ。

8月6日(日)「ペコが安定してきた・・・の風さん」
 油断はできないが、ペコは3回目の危機を脱したような感じがする。少しずつ元に戻すためには、たまっているウンチを出すための下剤と、力をつけるためのミルクを、どちらも少しずつ与えていくことになる。あまり極端にやると、吐く恐れがあるので、慎重に慎重に、である。
 私の執筆は目標にはとうてい届かないことがわかったので、今日中に絶対に届く目標を定め、それを中間状況として編集者へ報告することにした。
 夕方までに、何とか、その目標に届いた。
 一昨日に続いて、草刈りをすることにした。これも頑張り過ぎると、腰痛が再発しかねないので、無理はしなかった。
 ぐったりしてはいるが、ペコは安定している。
 夜、編集者へ中間報告をして、ひと安心。次の目標は、児童書の第二稿で、これは8日がターゲットだ。それが終わるとすぐ、また今日中間報告したビジネス書の執筆の続きである。ペコのケアをしながら、執筆も続けなければならない(実は、他にもたくさんあるのだが)。

8月7日(月)「ペコの復活を信じて・・・の風さん」
 ペコを復活させるためのカギは、経験的に言って、下剤とミルクにある。ただし、効果が出てくるのに時間がかかる。しかし、ウンチが出れば復活のスタートとなる。明日の8日をウンチの出る日と目標に定め、今日は、コンスタントに下剤とミルクを投与する計画だ。
 児童書の第二稿に取り掛かる前に、ビジネス書もペースを見失ってはいけないので、少しだけやっておこうと手をつけたら、これがすげえ手間取った。けっこう難しい内容だったからだ。
 その間に、電話と郵便で、児童書の表紙カバーと挿絵の相談をすることになった。児童書は、これらがとても楽しい。表紙カバーについては、5つの案が出ていて、編集者と選択順位が一致した。呼吸ピッタリである。挿絵についても、ほとんど問題なく、ただ、一枚だけ追加の希望を提案させてもらった。続けて、その挿絵の参考資料をメールで送った。
 ペコへの下剤とミルクの投与は忘れずに続けた。
 夕方、なぜか私が疲れてしまい、児童書の第二稿に取り掛かることができず、洋画を1本、ネットで見た。タイトルは有名な映画で、映像的には面白かったが、脚本のレベルはCだろう(不可ではなく可ということ。もちろん優でも良でもない)。
 夕食後、やっと第二稿に取り掛かった。第一章だけ見直した。
 ペコへの下剤とミルクの投与も、目標のそれぞれ4回を達成した。やれやれである。台風5号は今夜中に通り過ぎるだろう。

8月8日(火)「ペコが復活しない・・・の風さん」
 台風5号は迷走しているらしい。
 あれこれ準備している間に、リハビリの時刻が迫って来て、慌ててキャメロンで出発した。
 駐車場の状況で、クリニックの混み具合が分かる。今日も患者が多そうだ。それでも、リハビリ前にエレキテル(電気治療)を終えることができた。
 先週、内科受診をしておいてよかった。会計を終えてすぐホームセンターへ行き、あれこれ買い物をして、山道を通って帰宅した。
 ペコは相変わらずウンチが出ていない。
 私が帰宅したので、ワイフが外出した。交代でケアしている、というか、目が離せない状況だ。
 ワイフの外出中にシロップ(痛み止め)を飲ませた。
 その後、いつものリハビリの後遺症で、猛烈に疲労感をおぼえ、書斎でダウンした。玄関にワイフが帰宅した気配がしたが、起きて「お帰り〜」が言えなかった。
 夕方になってやっと階下へ降りたら、私がペコをほったらかしにしていたと激しく非難された。
 木曜日に会社の同期会が企画されているが、この分では出席は困難だ。精神的にも余裕はないだろうと思ったので、欠席連絡を送った。今回は私の本の課題図書選定が酒の肴になっていたいので申し訳なかったが仕方ない。
 今日で第二稿を完成させる計画だったが、とても無理だった。
 とうとうペコのウンチは出なかった。

8月9日(水)「盆施餓鬼・・・の風さん」
 今日はお盆行事の心月斎での盆施餓鬼である。1時間ほどで帰って来られるのだが、今年は私一人で行くことにした。
 受付で前の住職の奥さんから「課題図書、おめでとうございます」と言われたが、「猫の看病で今年は私一人です」というのが返事になった。
 到着した順番で焼香順が決まったので、待ち時間はそれほど長くなく、お経をあげてもらえた。
 恒例の精進料理をいただいて(これはワイフの楽しみだったが、あんぱんをお土産にした)、住職の奥さんから、ここでも課題図書の話になった。娘さんが中学生で、『円周率の謎を追う』を読書感想文の本に決めたそうだ。ありがたいことだ。
 それから、前の住職さんからお抹茶をいただいて、家路についた。
 意外と早く帰宅できたので、ワイフが驚いていた。あんぱんは、ワイフの昼食になった。
 ペコは相変わらず元気がない。ウンチも出ない。
 素人判断で間違った対応をしてはいけないから、このまま復活の兆しがないなら、明日の夜、病院へ連れて行こうと相談した。
 北海道のミニトマトが、東京の編集者から大量に送られてきた。知人が無農薬で作ったものだという。ほおばるとお日さまの味がした。
 夕方、ワイフが心月斎の墓の掃除に行ってきた。
 夜になり、ゴミの分別に関する説明会が町からなされる時刻になった。
 先日の早朝草刈りも出られなかったので、今夜は出なければ、と思っていたのだが、二人で相談し、どちらかが出ても、色々なことに支障が出ると判断し、ご近所の人にあとで聞くことにして、欠席することにした。
 予定より1日多く、第二稿にかけたのだが、信じられないことに完成しなかった。また、遅延の連絡を高知に帰省している編集者と東京の編集者にした。

8月10日(木)「最後の病院か・・・の風さん」
 今日こそは何が何でも第二稿を完成させなければならない。ビジネス書が遅れる一方だ。
 ところが、ますますペコの元気がなくなって、こちらも元気が出ない。
 裏の土地の雑草がまた伸びだした。気になってしようがない。しかし、仕方ない。名古屋の長女からは何度もペコの病状を気遣うメールが届く。忙しいのだが、明日、帰省するという。長女のためにも、やはり今夜、主治医に相談しておいた方がいいと思った。
 第二稿がなかなか進まない中、ペコの鳴き声が弱い。そうなると、ますます第二稿は進まない。
 ペコは復活どころか、ますますぐったりしてきたが、予定通り病院へ出かけることにした。
 お盆前のせいか病院は混雑していた。珍しくペコが、病院内に入ってもか弱く鳴いていた。
 主治医に、「いよいよ最期が近いように感じられます」と覚悟を述べてから、今後の対応を聞いた。
 すると、「薬の投与はかえって苦しさを増す恐れがあるので、水とミルクだけにしてあげてください」と言われた。人間の末期のがん患者(ただし高齢)に対するのと同じだと思った。「眠るように死ねる気がしますよ」という。私たち夫婦もそれが一年前からの希望だった。安楽死は絶対にいやだった。「もう今日が最後になる気がします。長い間、本当にお世話になりました」と二人で頭を下げて診察室を出た。
 それでも、子猫用のミルクを2缶処方してもらって帰った。
 帰宅してから、もう下剤はストップだった。出ないウンチに対しては、もう水の投与しかなかった。
 会社の同期会はもう終わったころだろう。やはり出席は無理だった。
 私は徹夜覚悟で書斎に向かった。何が何でも第二稿を書き上げなければならなかった。

8月11日(金)「長女も急きょ帰省・・・の風さん」
 海の日で祭日である。海の近くに住んでいるが、今年も海を満喫できないでいる。
 結局、徹夜しても、第二稿を完成させることはできなかった。何事もなければ火曜日の深夜にできていたかもしれない。
 もうへとへとだった。少し寝ることにした。
 ワイフが帰省する長女に「少しでも早く帰って来て」とメールしてあったので、1時間早い電車でやって来た。間に合わないことを誰もが恐れていた。しかし、執念の私は、実はまだ諦めていなかった。諦めたら、あまりにも悲し過ぎるからだ。ペコが受け入れられる間は、水とミルクを少しずつ飲ませるつもりだった。ウンチが出れば、それをきっかけに復活する。そう信じていた。ペコも頑張っている。だから、僕らも頑張らねば。
 3人で焼きそばを食べた後、心月斎の住職さんが棚経に来てくれた。
 例年のように、仏壇にはお盆提灯(死んだ母の妹つまり叔母さんが送ってくれた)をはじめ、飾りやお供え物がにぎやかに飾られている。ただ、今年はペコがリビングで臥せっていた。体重は1.5キロほどしかない。骨と皮ばかりだ。そんな体で必死に病と闘っているのだ。
 お経をあげてもらった後、水ようかんを食べながら、住職さんと歓談した。住職さんは若いけれども博識なので、情報交換できて楽しい。
 その後、再び気合を入れて、第二稿の仕上げに取り組んだ。これまでなかなか書けなかった、最後のある部分だ。そこをスッキリまとめるのはむずかしかった。しかし、何とか形ができた。高知と東京の編集者へ送付している時に、夕食の準備ができたという知らせが入った(書斎とキッチンと庭のログはインターフォンみたいなものでつながっている)。
 やっと第二稿が遅れたが、達成感や安堵感はなかった。夕食後、ペコに水を飲ませて、私もリビングのソファでダウンした。 
 午前2時に目が覚めた。ペコは相変わらずぐったりしている。明日から旅行に出かける長女は、明日の朝名古屋へ帰ることにして、二階の自室でやすんでいる。
 シャワーを浴びた後、ペコにミルクを飲ませて、私も寝室へ向かった。
 今夜も、ワイフはペコに付きっきりで看病だ。

8月12日(土)「ペコの表情が復活・・・の風さん」
 ワイフは今日は、午前も午後も自宅でトールの教室を開催する。夕方まで、私は頑張らなければならない。
 昨夜、私は寝室でほとんど寝られなかった。その前に、2回寝ていたから、というのもあるが、心身共に、不調だった。
 9時に、長女を名古屋まで送って行った。シャバはお盆休みに突入しているはずだが、有料道路がとても混んでいた。名古屋市内に入ると、天候がくずれ、雨も激しく降ってきた。旅行に行く長女も不安そうだったが、天気のことより、ペコが心配なのだ。
 帰宅した私は、ペコが臥せっているリビングのソファで横になった。睡眠不足のせいと名古屋往復で疲れていた。
 昼に、ペコに水を飲ませてから、私もようやく元気が出てきた。
 編集者からも第二稿に関する電話があり、これでゲラへ向けて編集作業をしていくことになった。
 ペコがむっくり起き上がったので、トイレに連れて行ったら、玄関で少しお漏らしし、トイレの中で残りを出した。スッキリしたらしい。表情がしっかりしてきた。
 私も覚悟を決めて、書斎からMacBookAirを持って来て、ビジネス書の執筆をリビングですることにした。
 しばらくして、またペコがむっくり起き上がった。抱いて、トイレまで連れて行くと、ウンチをする態勢に入った。頑張ったが出なかった。もう力が入らないのだ。それでも、そのけなげな様子に感動した私は、リビングまで戻ってから、頑張ったペコのお尻とお腹をしばらくさすってやった。すると、とつぜんタオルの上でオシッコをもらした。生きている証拠だった。私の手にかかったが、全然気にならなかった。
 後始末をしてやると、ペコは気持ちよさそうだった。尻尾を少し振ってくれた。目に感情も現れていた。
 俄然元気が出てきた私は、執筆の合間に、何度もペコの介抱をした。そして、声をかけ、目を見つめてやった。ペコの目が生気を取り戻してきた。
 もうペコは歩くこともできなかったが、顔付きは元気なころのペコに近付いてきた。
 教室が終わったワイフも、ペコの様子を見て安心した。明日は次女が茨城から帰省するので、間に合うかもしれないと思い始めたようだ。私は、間に合うと信じ切っていた。火曜日には長女もまた短時間帰省してくるので、それも大丈夫。うまくいけば、京都の長男も間に合うかもしれないと思っていた。
 こういった様子を、旅行に出発した長女にラインで写真付きで送ってやった。長女も安心したようだった。しかし長女は、最近の無理がたたって、じんましんで悩まされていた。人生とは、長くなればなるほど、自分のことだけでなく、周囲のさまざまなことを心配しながら生きていくようになる。
 夕食後も、リビングでビジネス書の執筆に取り組んだ。
 ペコの表情がしっかりしていて、苦しんでいる様子がまったくないので、(ビジネス書の執筆は大ピンチだが)安心して寝ることにした。

8月13日(日)「とつぜんの別れ・・・の風さん」
 午前5時前だった。ワイフが寝室へやってきて起こされた。ペコが死んだという。
 まさか、昨夜、あんなに元気だったのに……。信じられない想いで階下へおりると、リビングでペコがいつもの姿勢でタオルの上に横になっていた。
 このところ、寝ていても目を閉じることはないので、目は開いたままだ。両目とも透明な眼球の中で、丸い黒目がまっすぐ何かを見つめている。
 深くゆっくりした呼吸で上下に動いていたお腹がまるで動いていなかった。触ってみると、体温が感じられるが、呼吸はもちろん鼓動も感じられなかった。
 ワイフが寝ている間に、少し苦しんで吐き、抱いている間に、死んでしまったという。最後の体力を使い果たしたのかもしれない。
 今にも起き出しそうなペコを眺めながら、一方で、両目を閉じさせてやろうとした。生きているときもそうだったが、ペコは抵抗せず、しかし、なかなか目を閉じてはくれなかった。だから、今こうして、同じことをしていても、寝ているペコにそうしているような気がして、ペコの死がなかなか受け入れられなかった。
 ペコの両目は死んでも澄んでいて、閉じずに、私たちをしっかり見つめ、記憶にとどめようとしているようだった。そのひたむきさで、かえってペコが死んだことを受け入れざるを得ない状況に追い詰められ、悲しみが一気にピークになった。
 4時半ころにペコは死んだのだ。15歳。メス。三毛猫。野良猫だった。我が家を終の棲家に定めたような必死さで、屋内への突入を何度も試みていた。ちゅうちょするワイフに「入れてやろうよ」と提案して、シルバーに加えて二匹目の飼い猫になった。当時中学生だった次女が、猫が腹ペコだった様子からペコと名付けた。
 私は超多忙で家の中のことはワイフ任せだったが、ペコは家族の一員として、愛された。ゴキブリやハエを捕まえるのが得意で、意外な貢献もした。
 三人の子どもたちが成長する中、ペコはいつまでも子供のようだったから、ワイフも溺愛するようになった。
 大腸がんが見つかってから、1年間、退職していたこともあり、私とペコの関係も急速に深まった。家族の一員になっていることを実感した。
 死んだペコを前にして、時間が過ぎて行った。
 その後、不在の子どもたちの都合も確かめて、今後の計画を決めた。ペット専門の葬儀社にペコを預かってもらい、葬儀は15日(火)の午後、立ち合いでおこなうことにした。
 少しずつ準備をした。ペコを保冷材の入った箱の上に、タオルにくるんで乗せた。ワイフがペコをきれいに拭いてくれたし、目も閉じさせたので、本当に寝ているようだ。エアコンで室内温度を下げ、次女が描いたペコの鉛筆画を飾り、ペコの近くで線香も焚いた。
 観光地へ向かう車の列と反対方向へ走った。12時にペット専用の葬儀社に着き、ペコを仏画の前に安置し、手続きを済ませた。
 そこから脱力した夫婦は買い物に出かけた。買い物をしている間は、ペコの死を忘れることができた。ちゃんとしたレストランに行く気もなく、ファーストフードの店でハンバーガーを食べた。こういった店は、久しぶりだった。
 帰宅した。まだ日は高かったが、二人とも疲れていた。リビングのソファで横になった。私は爆睡した。
 日が落ちる前に、心月斎へ行った。今日は先祖の霊を迎える日である。
 墓地は閑散としていた。墓石を拭き上げ、花を供え、手を合わせた。これから毎年この日は、ペコを思い出す日になる。
 夜、次女が帰省してきた。歓迎の夕食だったが、私は執筆があるので、早々に書斎にこもった。

8月14日(月)「階下へおりても・・・の風さん」
 ビジネス書の原稿の中間報告の2回目をしたのは、今朝の4時過ぎだった。1週間前に中間報告をしたときには、1週間後にこれしかできていないとは、まったく予想できなかった。しかし、ある程度、区切りの良いところまで書いて送りたかった。それで、こんな時刻になってしまったのだ。
 午前5時にベッドに倒れ込み、再び起床したのは午前10時半だった。
 階下へおりてもペコはいない。喪失感が再び襲って来た。家族を失う悲しみの裏返しは、家族と一緒にいられる幸せだ。その幸福感が大きければ大きいほど、失った悲しみが大きいのは皮肉だ。しかし、そういった大きな悲しみを味わえるのも、生きてきた幸福の一つなのかもしれない。人はそう思って、また前に進めるのだろう。
 とは言え、今日は静かに過ごそうと思った。静かにとは書いたが、呆けたようにと書いた方が当たっているかもしれない。
 iPhoneのミッキーのカバーから、キラキラしたプラスチックの小さな部品が4個脱落していたので、昨日買って来たネイル用の部品をワイフに貼り付けてもらった。そこで使用した工業用接着剤を使って、キャメロンのドアを開いたところに貼り付けてある反射板の脱落防止もした。どちらも前から気になっていたのだ。
 夕方、裏の土地の草刈りをした。
 書斎に入って、気まぐれ日記をまとめて更新した後は、気力が戻らない。ネットで、シュワちゃんの『エンドオブデイズ』を観た。劇場で観た気もするのだが、まったく思い出せない。宗教観が背景にあって、自分にはなじまないため、あっさり記憶から消去されたのかもしれない。
 何度も繰り返しているが、書斎から出て階下へおりても、そこにペコはいない。次女が帰省していても、その穴を埋めることはできない。
 就寝前に、フェースブックを久しぶりに更新しておいた。それが、今日、やっと手をつけることができた最後の雑務だった。

8月15日(火)「ペコの葬儀・・・の風さん」
 実際は違うのだが、判で押したような1日が始まりそうだった。
 朝食後、リハビリに出かけた。出かける準備は昨夜のうちにほとんどしてあった。
 リハビリが終わるとすぐ次回の予約をするのだが、今後のことを考えて、来週の月曜日にした。ホームセンターへ直行して、衝動買い含めて少し買い物をした。それからドラッグストアに行き、家庭用品をまとめ買いした。
 役場のATMに並んでいると、シニアカーの老人がやってきた。目的は同じらしい。シニアカーはだいぶ使い込んでいるようだ。やっと私の順番が回ってきたが、老人に譲った。私も老人だが、そんなことはどうでもいい。しかし、この老人、シニアカーでやってきてまで、自分で現金をおろしているのだろう。もしかするとボケ始めているのかもしれない。感謝されたが、私もやがて電車で他人から席を譲られる日が来る。そう思うと、電車に乗る気もなくなる気がする。
 最後に、JPで2件の送金、残高確認、レターパックの購入をして帰宅した。
 ログにいるワイフのところへ行っている時に、正午のサイレンが鳴った。二人で黙とうした。愚かな人間は、世界中のどこかで戦争の歴史を継承し続けている。学校の授業で歴史を学ぶことがあるが、やがて学びきれないほど歴史が膨大になっても、まだ戦争が続いているかもしれない。生まれた時は何も知らない。学ぶようになっても学びきれなくなってしまうのか。SFのように、記憶や学習は一瞬でできるようになるだろうか。
 午後2時、ワイフと次女と3人で出発した。
 心月斎で送りの墓参をした。
 コンビニでペコの好きだった海苔を買って、ペット専用の葬儀社に着いた。少し雨が降り出した。長女と彼氏が先に到着していた。
 次女は8年前にここでシルバーを見送ったのだ。2度目の今日は何を思っているのか。
 人間と同様に静かなオルゴールの曲が流れる中、葬儀が進んだ。祭壇のペコは、2日前より少し大きく目を開けていた。お別れに来た人たちをしっかり見て、天国への思い出にするかのように。すすり泣きが続いた。
 火葬炉の前に移動し、タオルから取り出されたペコを台の上に横たえた。進行役の指示にしたがって、次々と儀式をおこなった。私はときおりiPhoneで写真を撮ったが、それは悲しみをまぎらすためで、記念ではなかった。
 しかし、それも、ペコが炉の中へ入れられてからは、もう写真を撮る気になれなかった。あとで、残った写真を見るのがつらいからだ。遺品整理で何度も須賀川へ通ったが、母のいない家の中の写真は、つい目に入るたびに、悲しみがよみがえる。
 小雨がぱらつく中、アクアに5人が乗って、近くの喫茶店へ行った。満席だったが、回転がよく、まもなく座ることができた。
 1時間ほどそこで過ごした後、葬儀社へ戻った。火葬炉の前に出された台の上で、ペコは真っ白な骨になっていた。
 うんちがかなりたまっていたようです。それは取り除きました。葬儀社の人の言葉に、生前のペコの苦しみと闘いが想像されて、悲しさと悔しさがよみがえった。もっと良いケアができたのではないか。そういう煩悶だ。
 今夜の用事がある次女を駅まで送った後、4人でステーキレストランへ行った。午後5時のレストランは、さすがにガラガラだった。
 ここで2時間近く、葬儀の後の会食をした。なるべく楽しい話をするように心がけたが、誰しも、胸の底には沈んだ想いがあったに違いない。
 ペコの骨壺を抱えて、夫婦で帰宅した。
 仏壇の横のシルバーの骨壺を置いてある一画を、ペコと一緒になるようにレイアウト変更した。前よりもきれいになった。

8月16日(水)「執筆再開・・・の風さん」
 昨夜帰宅したとき、精神的な疲労を感じていたが、肉体も同じだったのか、リビングのソファに横になったら、両足の指がつって困った(笑)。「これじゃ、足の指でじゃんけんしても、グーしか出せない」と冗談を飛ばしたが、悲しかった。
 今朝は8時間睡眠で起床。
 朝食後、仏壇周りのお盆セットを片付けた。
 片付けはまだたくさんあるが、少しずつやっていこう。
 いよいよビジネス書の執筆再開である。もう待ったなしだ。ワイフも雑務がたまっている。朝から外出した。次女も、昼前に出かけて行った。
 私はひたすら執筆に専念。
 午後、先日交換したばかりの庭のログのエアコンが不調になったので、まちの電器屋さんが来て、まるごと交換して行った。原因は不明。
 結局、午前零時過ぎまで執筆に専念した。もっと他にもやることがあったのだが、いつもこれだ。
 ペコのケアがなくなったので、自分のことができているのだろうが、何となく張り合いがない。 

8月17日(木)「月末のセミナー準備終了・・・の風さん」
 睡眠不足で起床。以前だったら、ペコに薬を飲ませるため、何が何でも起床していた。しかし、階下へ降りてもペコはいない。しかたなくデブ丸の毛をブラッシングしてやった。際限なくとれる。全身をおおっているのが抜け毛じゃないかと思いたくなる。
 デブ丸は今年になって、ペコがあまり食べられなくなって、逆に太りだした。つまり、一匹分以上食べていたからだ。最近はお気に入りの冷蔵庫の上にも登れない。これかダイエットが重要だ。
 月末に東京でセミナー講師をつとめる。これで3年連続で、毎回受講生がたくさん集まる。人気のセミナーになっている。しかし、その理由は私にはないかもしれない。年に3回開催されて、2日間のコースで、1日目は毎回講師が変わる。その講師が私なので、のべ6回の中の1回が私の担当ともいえる。
 もっと手強いセミナーが来月初めに待ち構えているので、月末のセミナーの準備は、今日1日だけと決めた。
 できれば半日で、と思ったが、それは無理だった。昼過ぎに猛烈に眠くなってきたので、昼食は抜きにして、書斎でダウンした。つまり昼寝。
 夕方、目が覚めた。2時間半近く寝たらしい。
 セミナーの準備は午後9時過ぎまでかかった。が、とにかく終了させることができた。
 それから、執筆の続きをしたのだが、思ったほどできなかった。 

8月18日(金)「来月初めのセミナー準備開始・・・の風さん」
 今朝も少し寝不足気味で起床。
 昨年の今ごろは、寝室のカーテンをそっと開けると、柿の実がいっぱい生った枝が目の前にあり、早朝からスズメバチが何匹もその周りを飛び回っていた。その木は、後に、真ん中から上をバッサリ伐ってもらったため、今年は何もない。再び実が生るまで8年かかるのだろうか。
 1週間前、ペコは元気を取り戻しつつあった。最後の踏ん張りだったのだろう。1年間のケアを振り返るたびに、色々な後悔と反省があるが、そもそも大腸がんだったというのが、決定的で、もう少し長生きさせていれば、また別の局面になっていた可能性も高い。そうなると、絶対に避けたかった安楽死という選択に直面していたかもしれない。運命にはあまり強く逆らってはいけないのかもしれない。
 月末のセミナーのテキストを昨日完成させることができたので、次は9月初めのセミナーだ。これは初めての内容になる。今日は、最低限読んでおく必要のある資料に目を通すことにした。
 帰省していた次女は昼前に帰った。日曜日は休日出勤で、来週は昼勤から始まるという。9月1日に茨城から帰るときに、次女のアパートに寄ろうと思っていたが、夜勤明けなのでやめることにした。
 昨日と同様に、昼過ぎに、昼食も摂れないほどの疲労感に襲われたので、また昼寝。
 その間に、土砂降りがあったらしいが、知らない。
 夕方、昨日とまったく同じパターンで目覚めた。
 セミナーの準備はやめにして、執筆の続きをやった。区切りのよいところまで行ったので、今夜はそこでやめ、雑務を少しこなした。
 デブ丸のブラッシングを毎日やっているので、だんだんとれる毛の量が減ってきた。 

8月19日(土)「昼寝の代わりに花火?・・・の風さん」
 最近無理が続いていて体調があまり良くない長女が、今日は遊びに来ないので、昨日と同じ一日になるような気がした。
 とにかく大ピンチの仕事を前進させねば。
 来月のセミナーの準備から始めた。昨夜、ベッドに倒れ込んだ直後に浮かんだアイデアを、忘れないうちにスライドにしようとしたからだ。
 ところが、やり始めてみると、それ以前にやるべきことがあった。全体のフォーマット決めである。
 昼食抜きで続けようと思っていたら、階下からインターフォンで呼び出し。ラーメンができていた。
 今日帰省してくる長男の到着が遅くなることが判明した。それで、断念していた花火大会行きが急きょ決まった。ペコが死んで落ち込んでいた中にも、今日の花火大会を楽しみにしていたワイフなので、これは自然な流れだった。
 こうなると、執筆の続きが重要である。今日予定していたところまでは完成させなければならない。
 追い詰められたお蔭で、執筆のペースが上がった。昨日、一昨日なら昼寝していた時間帯である。出発寸前までにゴール近くまで到達した。
 花火大会は地元である。合計1万発上がるというから、けっこう力が入っている。コンビニで飲食物を購入し、数年前と同じ、会場まで徒歩で30分くらいかかる某所の駐車場にキャメロンを置いた。
 目的地まで浴衣姿の若い男女がたくさん歩いている。ファッションだが、ベースが日本の伝統衣装なので良いことだ。
 既に会場はいっぱいだった。すき間を見つけて座るとまもなく花火が上がり始めた。
 死んだペコを思い出したり、心のふるさとの大花火大会を思い出したり、感慨にふける時間が流れた。その間に、持ってきた飲食物をたいらげた。
 フィナーレに近くなると、景気よく花火が連続的にあげられた。豪華な一発よりも数と組合せで勝負ということだった。
 iPhoneで最後の花火の動画を撮影した。6分くらいになった。
 帰宅したのは9時過ぎだった。地元に住んでいる者のメリットで、楽に楽しませてもらった。ワイフも大満足していた。
 しばらくして長男が帰宅した。リフォームした浴室に驚いていた。
 寝る前に執筆の続きをした。今日の目標まで到達した。今日は昼寝しなかったので、眠い。 

8月20日(日)「思い通りにはいかなくても・・・の風さん」
 ビジネス書の原稿を区切りのよいところまで書いて送る日がまたやってきた。
 雑務を片付けてから、執筆の続きに取り組んだ。
 昼食抜きで続けようと悲壮な覚悟でやっていたが、「お昼ご飯ができました」というインターフォンの声で、ほいほいと階段をおりた。
 まずまずのペースで執筆をしていたのだが、4時半にリフォーム会社の営業マンが保証書を持ってやって来た。いつものように楽しく情報交換した。
 執筆に戻ってまもなく、東京在住の作家の友人から電話がかかってきた。小説の書き方について、意見交換した。長電話になってしまった。
 結局、夕食前までに区切りのよいところまで到達できなかった。
 何事も思ったとおりにはいかない。
 夕食後、何とか、執筆の区切りがついたので、挿入図表データと一緒に送付した。重たいファイルになってしまった。
 時間を十分残して、あとは来月のセミナーの準備をするつもりだったが、いくらか時間はあっても気力と体力がもう残っていなかった。
 それで、今回のセミナーのために読もうと思っていた、高校の先輩のビジネス書を取り出して、読み始めたら、もうやめられなくなった。
 約2時間半で読了した。すばらしい本だった。私のセミナーの基本方針を確定させてくれた。 

8月21日(月)「やっぱり多忙か・・・の風さん」
 朝食後、犬猫病院へ電話した。主治医へのその後の結果を報告しがてら、やはりお礼を言いたかったのだ。気にしていたことがやれて、ホッとした。こうやってペコの思い出からだんだん遠ざかっていくのだろう。
 週一のリハビリである。今日のメニューには初めての動作が含まれていた。あまりにも回復が遅いので荒療治に出たのかもしれない。背中に当て物をした状態で寝たまま、左右の腕に様々な動作をさせられた。肩甲骨周りの筋肉をほぐす目的らしい。やれるなら自宅でやっても気持ちいいかもしれない。
 ATMに寄り、ホームセンターで少し買い物をし、山越えルートで帰宅した。
 いつも以上にリハビリがきつかったので、早速ダウンした。そのまま約2時間の昼寝。
 さすがに空腹を感じたので、久しぶりに卵かけご飯をかっこんで、すぐ書斎に戻った。
 来月初めのセミナーのテキスト作成の続きを始めた。とにかく使えそうなスライドをどんどん集めてみた。全体構成の中の、ある部分に集中した。これをほぐす作業は明日だな。
 編集者からメールがあり、10月出版予定の児童書のタイトルとカバーデザインが決まったとのこと。期待通りだったので、先ずはひと安心。
 夕食時、帰省している長男と少し話をしたが、あいかわらずだった。父子でも子どもたちは皆キャラが違うので、私のことなど参考にはなるまい。しかし、相手からの投げかけがないと、つい自分の話をしてしまう。
 その後は、ビジネス書の執筆の続きだ。毎週目標を決めてやっている。週末に山形へ行くので、今週は時間がない。なので、目標はそこそこでも、かける時間は最小限にしなければならない。私の最も苦手とするところだ。
 しかし、今夜は何とか達成できた。
 リハビリの後遺症もあるが、ずっと喉が痛い。風邪ではなさそう。エアコンのせいか。それとも何かまた病気? あ〜もうやめて。

8月22日(火)「また昼寝・・・の風さん」
 どんどん追い詰められているので、もう待ったなしだ。
 午前中、ビジネス本の執筆の続きを必死でやった。今日の目標までとにかくがむしゃらに突き進んだ。
 昼食時までに到達できたので、卵かけご飯をかっ込んで、さあ次はセミナーの準備だ、と思ったが、猛烈な疲労感。これが今の私の最大の障害だ……と言いつつもう3年くらい経つ。筋トレにせっせと通えばいくらか体力が戻るとは思うのだが、その余裕がない。
 書斎の窓から裏の土地を眺めると、雑草が私をあざ笑うようにぐんぐん伸びている。草刈りをする余裕もない。
 とりあえず30分か1時間と思って横になったのが百年目、目覚めたらもうすぐ5時だ! やば。
 セミナーの準備の続きに着手。
 名古屋の北の方へ出かけているワイフから電話が入った。スーパーに寄っていたら突然の豪雨に襲われたという。今年何度も起きているやつだ。
 雨雲レーダーで見てみると、ワイフのいる辺りが真っ赤に染まっている。名古屋以外には雨雲はほとんどない。
 日本が熱帯地方になって久しいが(私の解釈)、スコールである。
 雨雲レーダーの予測によれば、あと30分は無理だと伝えた。
 再びセミナーの準備。
 7時ころワイフは無事帰ってきたが、猛烈な雨だったという。
 穏やかな四季の変化を感じながら育った昔の子どもと、地震、津波、集中豪雨、土砂崩れ、火山の噴火を身近なものとして育っている現代の子どもたち。現代の子どもたちの将来の情緒が心配だ。
 セミナーの準備は、午前2時前に目標のところまで到達した。

8月23日(水)「へとへとだぜ・・・の風さん」
 久しぶりに電車で出かけるワイフを送るため早起き(普通の人には普通の時刻)。
 何年も前から準備していた手作り表札『鳴海風』を門にかけた。木製の部品は大昔に東急ハンズで買ったもの。トールペインティングの手法で色を塗って接着剤で合体させた。その上にUV硬化タイプの透明接着剤で分厚くコーティング。裏にゴムの緩衝材を貼り付けて、樹脂製チェーンは、針金で補強した。
 台風が来るときは取り込むつもりだが、普通の風雨や日光に耐えられるかがポイントだ。
 寝不足で頭痛がするほど眠かったが、出版社の温かいフォローもあって、今日中に本文のおしまいまで書き上げて送るつもりだった。
 結局、昼を過ぎてもできず、夕方にやっと送付が完了した……と思ったら、珍しくワイフから電車に乗ったよメール。
 迎えに行って、コーヒータイムにし、やっと少し横になってから、セミナーの準備を再開することができた。こちらも、今日の目標というものがある。
 ワイフが新聞に入っていた小冊子を読んで「やはりあなたの運勢はすごいわ」とコメント。昨年から今年の私の運勢がきわめて良いことは知っていた。一つの占いだけでなく、複数の占いがすべて良いのである。だから、きっと本当に良いのだろうと思っていた。
 これまでその通りになっていた。しかし、今年も半ばを過ぎて、現在も良い運勢が出ているというのだ。ワイフによると、10月からきわめて良いらしい。誕生月占いならちょっと怪しいが(私は10月生まれなので)、そうでないなら期待しよう。
 名刺の追加印刷もしながら、セミナーの準備がだいたい目標のところまでできたのが、午前1時過ぎだった。
 もうへとへとだった。

8月24日(木)「セミナー準備が進む・・・の風さん」
 今朝は早起きする必要がなかったので、いつもより1時間以上ゆっくり起床。
 ビジネス書の区切りが昨日少しついたので、今朝は参考文献の一覧を書いただけでおしまいにし、セミナーの準備の方へパワーを注ぐことにした。
 それでもまだ他にやることをやって、気が付いたらもう正午を回っていた。
 今日もランチはやめて、インスタントコーヒーを淹れて飲み終わったら、帰省していた長男が京都へ帰るため階段をおりてきたので、駅まで送ってやった。最小費用で帰るので、向こうに着くのは夕方くらいだろう。途中で何を考えるのか、まったく想像できない。
 帰宅して、おにぎりを1個食べてから、ようやくセミナーの準備を再開した。
 初めての内容なので、準備には苦労している。結局、小説と同じで、自分をさらけ出してやるしかない。いや、むしろセミナーは、私のキャリアが売りになっていて成立しているのだから、素の自分を出す方がよいのだ。
 できれば、今日中に講義用のスライド(案)をほとんど完成させてしまいたい。そうすれば、テキストを構成するのは楽にできる。先に完成すべきはテキストなのだが(先方にデータを送る必要上)、講義内容がだいたい決まっていないと、これはできない相談だ(笑)。
 とは言え、土日は山形なので、その準備も並行しながら、セミナーの準備を続けた。
 結局、最後までは完成しなかったが、午前零時過ぎに、キリの良いところまでできた。明日でできそうな気がした。

8月25日(金)「9月のセミナー準備・・・の風さん」
 年末までの自分の仕事をざっと眺めてみると、とんでもないことになっていた。早く詳細スケジュールというか実行計画を立てなければならない。それはまるで1日の計画のように。そして、明朝から出かけ、帰宅は明後日の夜になるので、今日だけでも、決めたことは達成必須だった。
 9月のセミナー用のスライドの、残っている1セクションが先ず当面の課題だった。しかし、最後に残っていただけあって、実は、これは難物だった。ここまでどちらかというと、自論中心だった。せめてここくらい一般論もしっかり入れねばと思っていた。それで、一般論のスライドを準備し始めたのだが、イマイチ迫力がない。やはり、自分の本当の気持ちを入れていくべきだと思い直した。
 こうして、やっとセミナースライドのほぼ全貌というか、ネタのスライドがそろった。
 夢中でやっている間に、会社の元同僚から今年の収穫(巨峰)が届いた。今年は天候不順でずいぶん苦労したらしい。しかし、そんなことはまったく予想できないすばらしい形と味だった。
 元気が出てきたので、ワイフが外出している間に、裏庭へ飛び出して草刈りをした。恐ろしいほど伸びていた。わずかな抵抗に終わったが、やらないよりはマシだった。
 ワイフが帰って来て、ひと休憩したら、アクアの燃料がだいぶ減っていることが判明した。今後のスケジュールを考えると、今、給油しておくしかないと判断した。例によって私が給油に行ってきた(安価なセルフを頑固なワイフはなかなか自分でやろうとしないから)。
 週明けには、セミナーのテキスト用データを送らねばならないので、夕方までにそろえたスライドから抜粋する作業に着手した。
 膨大な枚数になってしまった。セミナーで説明しない参考資料をテキストに入れることにしたので、増えてしまったのだ。
 今度は厳選する作業になった。
 こうして、やっとテキストデータもほぼそろった。
 明朝は時間はないので、旅行の準備も完璧に終えておかねばならなかった。
 何とか終えることができ、いつものような時刻に就寝することができた。

8月26日(土)「全国和算研究大会山形大会・・・の風さん」
 起床すると土砂降りだった。他の地方が悪天候でも、住居地は好天に恵まれていたので油断していた。急きょ、旅行の荷物の中に折り畳み傘を追加した。
 8時半にキャメロンで出発。
 有料道路にのると、土砂降りの中で、ガードレールに突っ込んでいるクルマがいた。スリップしたのだろう。事故という電光掲示が出ていたので、連絡はいっているらしい。
 名古屋が近付くと雨は降っていなかった。
 久しぶりの県営名古屋空港に1時間弱で着いた。セントレアに比べてやけに小さく感じた。
 国内線のLCCと思われるカウンターでチェックインし、搭乗券を手に入れ、すぐ手荷物検査を受けて、待合室へ入った。
 缶コーヒーを飲んでのんびりと時間を過ごし、やがて搭乗の時刻になった。原色で塗られた小型ジェット機だった。ほぼ満席。まだ夏休みシーズンだからだろう。
 山形空港に着いたが、快晴だった。これなら秋田県大曲の花火はやれるのではないか。昨日のニュースでは雄物川が氾濫し、桟敷席が冠水していたので開催が危ぶまれていたのだ。
 空港ロビーに入ると、歓迎第13回全国和算研究大会の看板が出ていた。驚いた。
 すぐにシャトルバスで山形駅へ向かった。
 山形駅に入ると、次々に知った顔と遭遇した。12時集合なのだが、レストランでランチをしている余裕はなく、売店でパンとコーヒーを買って食べた。
 なんと大型バスと中型バスが待機していた。集合した人たちはそれら2台に乗り込んだのだが、補助席を出して満席になった。70名をこえる参加者だったのだ。
 元城下町だった山形市内に入り、長源寺というお寺での、和算家会田安明の没後200年祭からスケジュールが始まった。法要が盛大にとりおこなわれた。県の和算研究会だけでなく、山形市や地元マスコミも協賛する行事だったからだ。私の好きな会田安明は、地元でも好かれていたのだ(和算家としての活動は江戸で、故郷に帰る準備をしている間に死んでしまったのだ)。
 それから市内にある湯殿山神社、三島神社もめぐって、3面の算額も見学した後、記念講演会に合流した。一般市民もたくさん来ていた。
 夕方、やっと宿舎に着き、恒例の記念撮影と懇親会になった。
 途中で多くの人たちから課題図書選定の祝辞を言われたが、懇親会で自己紹介し、10冊持参したことを言ったら、あっという間に売れてしまった。倍の20冊持参していても完売したろう。
 知人から12月の講演を依頼され、また忙しくなってしまった(笑)。
 硫黄の温泉に浸かったあと、疲労が出て、すぐ寝床にぶっ倒れてしまった。今夜は4人部屋で雑魚寝に近い。

8月27日(日)「順調にスケジュールをこなす・・・の風さん」
 早く寝てしまったせいもあるが、午前零時にいびきで目覚め、その後は熟睡できなかった。
 午前6時前にもう寝るのを諦めて、枕元でMacBookAirを立ち上げてメールチェックなどした。昨夜の大曲の花火大会は無事に開催でき、18000発が70万人をこえる観客を感動させたという。来週の大仙市での打ち合わせが楽しみになった。
 午前7時に再び温泉に行き、汗を流してから身支度を整え、午前8時からの朝食に行った。そこで9時までゆっくり歓談しながら朝食を楽しんだ。
 9時半から研究発表会が始まったが、内職しようと最後列の席に座った。
 睡眠不足のはずだが、不思議と気力は残っていて、内職をしつつ研究発表もちゃんと聴講した。
 充実した午前中を過ごし、12時に研究発表会も終了した。
 また大型バスと中型バスにわかれ、会田安明の記念展示会をやっている山形大学へ行く中型バスでなく、大型バスに乗って山形駅へ向かった。
 山形大学の展示会も見たかったのだが、今回のスケジュールを決めたときは、ペコが生きていて、最短で往復するスケジュールを組んだのだ。
 山形駅で急いで土産物を購入し、シャトルバスで空港へ向かった。
 山形空港は、県営名古屋空港以上に閑散としていて、滑走路には旅客機の姿はなかった。便数が少ないのである。
 午後2時に、やっと昼食を摂ることができ、懐かしい芋煮定食を選んだ。
 待合室で、今夜送付予定のセミナーテキストの見直しをした。これで最終チェックだけやればいいのだ。
 年内の超多忙なスケジュールに対して、だいたい1週間単位の重点活動計画を作り始めた。これが実に時間がかかったのだが、とても重要なことだった。
 手荷物検査場は、出発に合わせて開くので、出発便のない間は閉鎖である。それが開いていの一番に私が通った(笑)。
 搭乗待合室は少しずつ人が増えたが、その中にツアー客がいて、添乗員らしき女性が、大曲の花火の内閣総理大臣賞が決まったと伝えて歩いていた。どうやら大曲の花火も見るツアーだったらしい。受賞したのは茨城の花火師で2年連続だという。これで、今週末茨城へ行くのだが、話題が一つ手に入った。
 帰りの便もLCCで、期待の色はまた違っていた。客室乗務員が、私の好きな女優そっくりだったので、ひそかに楽しんだ(笑)。
 予定通りに名古屋に着き、キャメロンで家路についた。
 午後7時前に帰宅した。
 夕食後、予定通りに、セミナー用のテクストデータを送付することができた。
 さらにもう一つ、知人への手紙を書き、拙著を同封したレターパックも準備した。
 午前1時に就寝できたので、まあ、上出来の週末ということにしよう。

8月28日(月)「書き入れ時・・・の風さん」
 次の旅行前の書き入れ時である。頑張らねば。
 昨夜用意したレターパックを投函しつつリハビリに出かけたが、クリニックが大混雑で、なかなか駐車できなかった。それでも、ほぼ予定の時間に終えることができた。
 近くのスーパーに行って買い物をし、ATMでキャッシュを引き出してから、常滑焼の店に行った。いつも利用している店で、また黒い招き猫を購入した。来週の秋田行きのお土産である。
 それからGSに寄って、キャメロンに満タン給油したが、GSのおじさんに山形土産をあげた。いつも親切にしてくれるので、そのお礼。
 帰宅し、たまっていた雑務の処理に取り掛かった。これをある程度片付けておかないと、重要な仕事に取り掛かれない。
 終わったところで、例によってぐったりした。リハビリの影響らしい。
 横になったら、また夕方まで起きられなかった。
 実は、残っている雑務はまだいっぱいあって、重要な仕事になかなか着手できなかった。
 夕食後、やっとビジネス書の執筆に取り掛かることができたが、着手が遅すぎた。
 就寝は午前2時。

8月29日(火)「左腰だけ痛い・・・の風さん」
 朝から左腰に違和感があった。
 山形行きから始まった秋のロード(年末近くまで旅行が断続的におこる)の2つ目が明日からである。
 今日中に絶対にやっておかなければいけないことがいくつかある。
 最優先に決めていたのは、ビジネス書の執筆だった。付録以外のこまごましたものも含めた原稿を一段落させて、出版社へ送ることだった。さらに、この関係の専門家である会社の大先輩に、原稿のチェックをお願いすることだった。
 疲労がたまっているせいか、残っていた執筆の能率は悪かった。
 そこで、今週のセミナーの事前勉強をしたり、あちこちへメールを送って、調子が戻るのを待った。
 そうこうしているうちに、左腰の痛みがひどくなってきた。今朝の違和感は、この間の腰痛の左側だけという感じだったので、痛み止めを飲み、コルセットもはめてみた。しかし、まったく効果がないまま、腰痛ははっきりと認識されるようになってきた。
 夕方、少しだけでも草刈りをしようと思っていたが、断念した。悪化させたら、明日からのスケジュールに問題が起きる。
 ビジネス書の執筆は、夜になって何とかかっこうがついたので、出版社へ送ることができた。
 左腰の痛みは変わらず、明日の準備を完了させるのは諦めて、就寝することにした。

8月30日(水)「秋のロード第2弾へ出発・・・の風さん」
 ロングドライブになるので、睡眠時間だけは確保するつもりが、目標の8時間にはとても及ばなかった。
 今朝も左腰の痛みは変わらず、しかたなく、痛み止めを飲み、今日からの秋のロード第2弾にも持参することにした。
 運転は大変だが、荷物が多いときは助かる。気になれば、いくらでも持って行けるからだ。
 しかし、油断も起きる。USBメモリに入れたデータを、最終チェックしたら、なんとセミナー用スライドのデータが入っていなかった! もし最終チェックをしなかったら、恐らくこのことに気付くのは今夜のホテルでPCを立ち上げたときだったろう。自宅の執筆マシンはシャットダウンしていたので、ワイフに頼んでやれないことはないが、ファイル容量が大きいため、そのままでは送れない。大変なことになるところだった。
 そうやってだいたい準備できたので、キャメロンで出発したのだが、インターにのる前にお土産を買っているうちに、また忘れ物に気が付いた。
 あらためて出発したのは、予定より1時間くらい遅い時刻だった。
 しかし、それからしばらくは順調だった。新東名の某PAでお土産の買い足しをし、いつものSAでコーヒータイムにし、次の予定SAで遅い昼食(チャーシューメン)を摂った。そのまま行けば、日暮れ前にホテルにチェックインするのも可能と思われた。
 ところが、横浜の手前で前方に事故渋滞があることが分かり、作戦を変更した。海老名SAに寄って、時間をつぶすために、今夜ホテルで予定していた著者校正をやり、渋滞の解消を待つことにしたのだ。自分としてはなかなか良い作戦だと思ったが、海老名SAの3km手前でもう渋滞の末尾につかまってしまった。その3kmを走るのに1時間もかかったのである。
 さらにどれだけかかるか分からない渋滞を走る気はなかったので、海老名SAに寄ったのだが、大混雑だった。
 著者校正は章一つ分しかできず、それでも1時間半ほど経過したのだから、もう渋滞は解消しているだろうと思ったら、まだ渋滞だった。
 やっとの思いで東名をおりて環八に入り、途中のセルフスタンドでガソリンを少し給油し、ホテルにチェックインできたのは、午後8時を回っていた。
 こんなに疲れる予定ではなかった。
 近くのファミレスで栄養補給し、予定していたもう1章分の著者校正をし、明日のセミナースライドを事前チェックし、と作業を続けたのだが、明日のチェックでずっこけた。午前中の時間配分などにミスが見つかったのだ。さらに、各セクションのポイントが不明確に感じられたので、決め言葉を追記していった。
 結局、就寝は午前2時になってしまった。

8月31日(木)「2晩続きの就寝2時の大アホ・・・の風さん」
 午前6時起床。こんなに早く起きる必要はなかったのだが、不安材料があると早めに行動を開始することになってしまう。
 窓の外を見ると、小雨が降っていた。傘1本でも荷物が増えるのはつらい。
 セミナー会場にも当然早く着いてしまった(徒歩と電車)。かすかな記憶をたどると、昨年も同じだった気がする。とりあえず1階のトイレに寄ってから、あとは会場での準備にたっぷり時間をかけることにした。トイレの小物置きスペースに折り畳み傘が置いてあり、「忘れてやんの。アホだなあ」と思った。
 10時から12時半までは、私の講演のようなもので、休みなしでやりきった。ほぼ思い通りできた。3年連続の同じセミナーだが、今年が一番スムーズだった気がする。ほぼ満員の受講生も楽しめたろう(休憩なしはきつかったかもしれないが)。
 昼食は、企業セミナーの担当者もまじえた4人だったが、私が2時間半ぶっ続けでやったことに驚いていた。11月の企業セミナーでは、休憩を入れるか、タイムスケジュールを見直す必要があると思った。
 午後からはグループディスカッションと発表、課題共有の時間である。6つのグループに分かれ、3つのテーマで繰り返した。なので、途中2回の休憩もあった。
 最後のグループディスカッションをやってもらっている時に、ふと近くに傘がないことに気が付いた。今朝、アホだと思った人物が置き忘れた傘の横に、私も自分の折り畳み傘を置き、そのまま16階のセミナールームへ向かったのだ。私もアホだった、と言うより、他人のアホさを笑う大アホだった。
 急いでエレベータで1階へ降り、トイレに行きと、アホと大アホの傘が2本ともそこにあった。私は間違いなく大アホの傘を取って、再び16階へ、何事もなかったかのような顔をして戻った。
 定刻にセミナーを終え、事務局と挨拶を交わして、ホテルへ帰ることにした。既に雨は上がっていた。
 ホテルの部屋に着くと、もう死にそうだったので、そのままベッドにぶっ倒れ、1時間ほど仮眠した。な〜んだ、いつも家でやっていることと同じじゃないか。
 何とか元気が出てきたので、また昨夜と同じファミレスへ行き、昨夜以上の栄養補給をした。支払いも昨夜に続いて、セルフに挑戦してうまく行った。
 明日のために、著者校正を完了させねばならなかった。追い詰められていると、もうわき目もふらずにやることになる。
 やっと終わったからといって、寝るわけにはいかなkった。まだ、やらねばならないことがあった。
 とりあえずシャワーを浴びて、気分を一新させてから、明日のための事前チェックにとりかかった。
 こうして、また就寝が午前2時になってしまった。昨夜も今夜もアルコールは飲んでいない。