気まぐれ日記 2010年10月


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10月1日(金)「また無茶な旅が始まった・・・の風さん」
 誕生月なので、1年に1回の定期健康診断を製作所の診療所で受けることになっていた。
 したがって朝から絶食状態。
 人間、古くなってくると、恥も外聞も気にしなくなる。いい加減に検査を受けていると、「昨年よりも数値が悪くなっていますね。何か問題がありますか」と聞かれる。もちろん問題らしい問題はない。良い検査結果を出す気がなくなっているだけだ。だから、握力なども子供並みの数値をたたき出す(笑)。やはり面倒なので、たとえば「あまり本気になると手を痛めるのでセーブしました」などと殊勝な返事をすることになる。
 レントゲン装置が不調になったりして、健康診断で半日近く使ってしまった。あと、来週、本社の診療所で腹部の超音波検査を受けなければならない。
 3日間会社を休んでいたので、仕事が暗礁に乗り上げていた。頭に血が上って血管が切れそうだったが、この逆境を受け入れることにして、とりあえず対策を練った。挽回するのは来週だ。
 少し早く退社し、帰りにスーパーに寄った。厳島神社へのお土産と「お礼」を包む白い封筒を購入するためだった。
 帰宅し、旅行の準備を急いでやった。合間に夕食をとるのが精一杯で、昨日の執筆の続きなどできるわけがない。広島へ行ってもできるように、モバイルPCのアプリルと参考資料をどっさりカバンに詰め込んだ。
 ワイフに最寄の駅まで送ってもらって、いよいよ旅路についた。
 また夜行バスなのである(笑)。
 今夜は、赤ワインとつまみを買い込んでバスに乗った。階段をのぼってすぐの2階席で、前に座席がない分、スペース的に余裕があった。
 消灯してまもなく眠れるのは、体の半分が棺おけに入っているせいだろう。私の場合、いよいよとなると、あっさり死ねる得な体質なのかもしれない(笑)。おっと、笑っている場合でもないか……。
 
10月2日(土)「目的を次々に達成・・・の風さん」
 首が痛くてつらい夜だった。無理な姿勢で寝ていたに違いない。
 7時半に広島駅に着いた。秋晴れだ。最高の行楽日和になる。
 予約してあるレンタカー屋がなかなか見つからなかった。タイムロスは朝食抜きの出発になった。
 今回の目的を考えて、借りたのは軽乗用車だ。
 ナビをセットして、可部へ向かった。目的地は福王寺というお寺で、文献にある檜山義况(ひやまぎきょう)の墓碑探しである。明日、厳島神社で見学させてもらう算額が、その檜山義况の威徳を称えて、お弟子さんたちが奉納したものなのである。
 福王寺は、真言宗の立派なお寺だが、標高500mの山頂近くにある。麓からのぼっていたら1日仕事なので、9合目までクルマで行くことにした。すれ違うことができない杣道なので、軽乗用車を借りたのだ。しかし、めったにクルマで登山・下山する人はいないらしい。
 少しきつい坂になると軽自動車ではつらかった。
 9合目の駐車場に1台とまっていて、登山者も何人かいた。
 そこからお寺まで600mだったが、それがまたきつかった。何しろ坂の勾配が急なのである。かつて登った笠間城に近い。備中松山城はまだゆるかった気がする。汗びっしょりになった。 
 住職が亡くなっていて、奥様に墓地へ案内してもらったが、檜山義况の墓は知らないという。結局、自分で丹念に調べていくしかないな、と覚悟して、いよいよ墓碑探しを始めたら、まもなく、本当に運良く発見できた。
 無得院雲門義况居士
 これが戒名で、没年月日が檜山義况のものだった。文化11年(1814)1月16日である。
 近くに如海というお坊様の入定した(生きながら食べ物を絶って生仏になる、つまりミイラになる)場所があり、お導きだと思って手を合わせて感謝した。
 ちょうど国勢調査の人が来たりして、ハプニングもあったが、奥様にお礼の挨拶をしてから、次の目的地を目指した。
 竹原市の忠海(ただのうみ)である。ここは、取り組み中の児童文学の主人公、間重富の漢学の先生だった平賀晋民(すすたみ)の生まれたところである。
 途中で山陽自動車道も走ったが、それ以外はほとんどすごい田舎道をナビは案内してくれた。高速道路の上り坂では、床まで踏み込んでも軽自動車は90km/hしか速度が出なかった。
 しかし、今回のレンタカーについているボイスナビはなかなかのスグレモノで、説明がすごく丁寧である。傑作かもしれない。
 忠海で、儒学者平賀晋民先生旧宅跡という標柱を発見し、デジカメにおさめた。
 既に、午後1時近かったが、実は、朝食抜きのまま(空腹)である。
 次は竹原市内を目指すのだが、さすがに途中で何かお腹に入れることにした。
 コンビニで、小さなおにぎりを買って食べ、リポDで元気を出すことにした。
 最初に、5年前に閉館した愛新覚羅美術館を訪ねた。廃墟のようになっていた。想像したよりも小さな美術館だった。一抹の寂しさを覚えた。
 次に市内へ目的地をセットし、安芸の小京都(竹原のこと)を満喫しようと思った。
 ここで優秀ナビが失策をおかした。歴史資料館の位置が違うのである。
 結局、市営駐車場にクルマを止めて、足で観光した。
 安芸の小京都は、かつて訪れた岡山県の高梁市と雰囲気が似ていた。高梁市は城下町である。懐かしさを感じる風情がとても良かった。ここもそうである。
 お土産も買いたかったが、小遣いに余裕がないので諦めて、広島へ戻ることにした。
 レンタカーを返し、広島駅でお好み焼きの夕食をとり、ホテルにチェックインして、ひとまず仮眠することにした。
 午後10時に目覚め、それから午前4時まで日本機械学会東海支部へ出す原稿のリファインに取り組んだ。半分もできなかった。残っている仕事量を考えると、頭がクラクラしてくるが、明日もあるので、また仮眠するこにした。

10月3日(日)「算額見学が無事に終了・・・の風さん」
 セットした目覚ましが鳴る前、午前8時に起きた。少し頭が重い。
 外を見るとどんよりと曇っている。天気予報は雨だが、何とかもってほしいと思う。
 チェックアウトして外へ出たら、雨が降っていた。傘が必要な雨だ。
 広島駅でモーニングの朝食を摂り、JRで宮島へ向かった。ICOCAカードが使えるので、持ってくればよかった。今は現金が減っていくのが心細い。
 宮島口まで30分。次はフェリー。雨は上がっているが、ひどく蒸し暑い。
 宮島は初めてである。船の所要時間は10分ほど。酔っているヒマはない。
 すぐに赤い鳥居が見えてきた。
 宮島の桟橋駅のコインロッカーに荷物を預けた。
 団体観光客にまぎれ込んで、ガイドさんの説明を聞きながらしばらく歩いた。鹿が多い。
 先ず、社務所を目指した。
 狸がいた。うろちょろしている。アジア系の外国人観光客の家族連れ(夫婦と小さな女の子)が狸が珍しいのか(実は私も珍しい)、写真を撮ろうとしていたので、私もシャッターを押した。
 「たぬき」
 と言ったら、よく分からなかったみたいで、
 「ジャパニーズ・ラクーン」
 と言い換えてみた。ラクーンは通じたようだ(正しくは、ラクーン・ドッグ)
 社務所で出てきた巫女さんに来意を伝え、お礼とお土産を渡した。禰宜さんは、午前中の結婚式準備のために出てこれないとのこと。
 干潮時の鳥居をそばで見学し、次に、かつて算額があった千畳閣を見学した。それから本殿に入ったら、結婚式の真っ最中で、多くの禰宜さんや神官、巫女さんが厳かに式をすすめていた。観光客に丸見えで、特に外国人観光客が真剣に写真を撮っていた。私も観光気分でシャッターを押した。
 たぬきの写真を撮った一家と再会したので、彼らの写真を撮ってあげた。
 本殿を出たら雨が強くなっていた。蒸し暑さも一段と高まった。
 土産物店が並ぶ地域へ戻ってもみじ饅頭を買い、あなごの卵とじ丼で昼食にした。このあなごの丼と一緒に出たわかめ汁が抜群に美味かった。贅沢な気分だった。
 集合時刻の1時半までまだ時間があったので、倉庫を改造して作った喫茶店に入った。
 実は朝から頭痛がしていたが、気分的には豊かになって、再び外へ出たら雨が上がっていた。
 宝物館の前には既に先生方が何人かみえていた。約束の時刻には全員がそろった。
 禰宜さんの案内で中へ入ると、奥に算額が既に出してあった。
 お目当ての檜山義况と間重富の出会いの記述は、文献にあった算額の裏ではなく、表面の右半分にあった。立派な額で、くぬぎの1枚板だという。枠は金具までついていて、龍の模様が入っていた。実物を見ると発見は多い。
 16年ぶりの見学は順調に進み、各先生がそれぞれの目的を果たして満足されたようだ。
 最後に、宝物館前で記念写真を撮って、自由解散とした。
 私はすぐ、上野先生と一緒に広島まで向かった。広島駅では、佐藤先生や真島先生、中井先生とも合流した形になったが、乗車するのぞみを変更して、同じのぞみに乗ったのは、私と真島先生の二人だけとなった。
 疲れていた私は帰宅するまで、ひたすら休養をとることに専念した。
 自宅で夕食後、また執筆の続きをやった。
 午前2時まで頑張ったが、まだ終わらない。

10月4日(月)「とうとう締め切り・・・の風さん」
 朝から雨だった。仕事が片付いていないので、憂鬱な雨だ。
 出社して午前中は会議などで忙しかった。
 昼休みに食事をしながら上司と雑談した。貴重な情報がたくさん得られた。
 帰宅して、頭の中は今日が締め切りの原稿でいっぱいだった。
 しかし、無理が続いているので、体力不足である。
 夕食後、仮眠することにした。
 運良く、途中で目が覚めた。午前零時半だった。
 (行けるところまで行こう。いや、できるまでやるしかない)
 執筆マシンの中のゴミを捨て、動きを軽くしてから、執筆開始!

10月5日(火)「25時間起きていた男・・・の風さん」
 必死に頑張っていたのは、来月講演をさせてもらう学会向けの前刷り原稿だった。
 締め切りは10月4日(月)。つまり昨日だった。今朝までに送っておけば実質的に締め切りを守ったことになると踏んでの徹夜だった。
 pdfにしてメール添付して送ったのが出社直前だった。
 元のワード原稿も念のため送ろうとしたら、メールサーバーが容量オーバーで受け付けてくれなかった。危ないところだった。
 牛乳を飲み、トーストをくわえたまま家を出た。
 会社の定時にも間に合った。
 何とか会社生活も無事に(?)過ごし、退社時刻がせまった。
 今日の最大の収穫は、来週の月曜日、会社が休日だと初めて知ったことだった(笑)。
 浮世離れしている風さんの実像がまた浮かび上がった。
 今夜は、児童文学の修正指示に対して、自分なりの解釈をまとめるのが精一杯だった。
 就寝は午前1時半を回っていて、数えてみると、25時間以上起きていたことになる。

10月6日(水)「パンク状態の風さんの巻」
 昼食後、駐車場のミッシェルで出版社と電話打ち合わせした。編集長の修正指示の解釈の確認である。運良く3連休になったので、そこで何とか修正し、第5稿を仕上げなければならない。
 午後、出張した。会社の先輩に会うためで、2時間半話し合って、新しい仕事について貴重な助言を得ることができた。
 帰りに薬局に寄った。よく行っていた支店が閉店したので、本店の場所を確認しがてら不足しているものを購入した。作家鳴海風のごひいき筋のお店のひとつなので、大切にしなければ……(まるで芸能人だね)。
 夕食後、たまっていたメールへいくつか返信をした。
 続けて、H大学から依頼されているドラフト原稿の確認作業をした。意見を簡単にまとめて、これもメールにして送信した。実は、8月末に頼まれた仕事を、今頃やっと対応できたのである。作家鳴海風がパンク状態なのは、これを見ても明らかであろう(などと吼えても、誰も感心してはくれない)。H大学には本当に申し訳ない。
 土日に撮影した写真を、やっとワイフに見せた。 

10月7日(木)「翌日が締め切りでない夜は・・・の風さん」
 また睡眠不足になってしまったが、早起きして、久しぶりに本社へ向かった。
 4年に1度の腹部エコー(超音波)検査を受けた。別に妊娠しているわけではない(笑)。
 その後、2時間の特別集合教育を受けた(厳しい経営環境の中におかれている大企業の実態を知ることで、逆に世の中の変化が実感できた)。
 本社の中でもぜいたくな部類の社員食堂で昼食をたべた。焼きそばを選んだのだが、美味かった。30年前、社員食堂はうまくなくても安いから我慢するもの、と納得していた。今の時代には通用しない考え方なのだろう。
 日差しの強い中、ミッシェルを飛ばして製作所へ戻ろうとした……が、眠気をもよおしたので、コンビニに寄ってコーヒーを買って飲んだ。豊富な種類の中から、うまいコーヒーを選んで飲めるのだから、便利といえば便利、しかし、当たり前と思ってしまう怖さを感じる。
 会社の上司に昨日の出張の報告をした。
 帰宅して2階で手を洗おうとしたら、久しぶりに蜘蛛を見つけた。9月24日から行方不明だった蜘蛛だ。窓際にいたので、窓を開けて外へ逃がそうとしたら、逆に家の中へ逃げ込んでしまった。やれやれ。
 夕食後、メールチェックしていたら、猛烈に眠くなってきたので、ちょっとだけ、と思って横になった。
 
10月8日(金)「頭が重い日・・・の風さん」
 目が覚めたのは午前2時だった。
 このまま何もせずにまた寝てしまったら、ますますピンチになってしまう。
 その恐怖感から執筆マシンに向かい、何通か重要なメールを作成して発信した。
 午前5時にまた横になった。
 普通通りに出社したが、何となく頭が重い。
 午前中、人事部からの新制度の説明会があり、来年から給料が減ることを知らされた。さらに頭が重くなった。
 何とか夕方まで仕事して、退社。帰りに給油したついでに、久しぶりにミッシェルを自動洗車機へ誘導した。
 深夜、ワイフと相談して、永年勤続の記念品をネットから発注した。
 高価な品物だが、あまりポピュラーなものではない。ぜいたく品かもしれない。
 30年勤務の重みの実感は、こういうことでは感じられない。

10月9日(土)「まるでスコール・・・の風さん」
 朝から雨模様。昨日、ミッシェルを洗車したのに……。
 次の原稿に全力投入しなければならないのだが、あれこれ気になってなかなかできない。
 5日に完成した原稿で使用した画像についても、掲載許可申請しなければいけないのだが、時間がない。とりあえず初めて申請する機関へ電話してみた。そうしたら、とても好意的な対応で、ファックスで連絡してくれればOKとのことだった。早速、きちんとした依頼の文章を作成し、資料もつけて送信した。9ページで送信時間が13分もかかったが、午後になって、丁寧な受信連絡があった。残りの機関へは来週だな。
 もう一つ心配事項があって、これも動かないと先へ進まない案件だった。電話とメールを駆使してジュンク堂にアプローチしているが、まだ結論が出ない。
 昼食後、疲れて横になっていると、外で激しい音がしだした。
 窓から外を眺めると、……豪雨だった。まるでスコール。
 今日は夕方から文章サークルがあるので、その準備を始めた。
 ミッシェルで出かけるころには、雨は弱くなっていたが、昨日の洗車が無意味になったことに変わりはない。
 文章サークルに持ち込まれた2本の原稿が、とても良い勉強材料になった。
 この調子でいけば、いちいち講義をしなくても、サークルの中身は充実してくる。
 今夜も執筆に取り掛かれなかった。
 たまった名刺をパソコンのデータとして取り込んで、とりあえず整理しただけ。
 
10月10日(日)「ようやく第5稿に本腰・・・の風さん」
 昨日とうって変わって秋晴れになった。
 この週末は礼状を書くつもりだった。しかし、どうもできそうもない。
 午前中にまた重要なメールをいくつか出した後で、やっと執筆に着手した。児童文学の第5稿になる。
 修正作業をきちんとやろうとすると、文献を調べる作業をともなう。
 時間はかかるが、勉強になる。
 文学的な内容だけでなく、使っている材料の正確さも、私の自慢なので、自然と力が入る。
 そんなことをしているところへ、クール宅急便が届いた。
 先々週お邪魔した塩原温泉の和泉屋旅館からで、秋の塩原を賞味できる逸品だった。
 ジュンク堂からやっと反応があったので、電話で少し話した。
 メールは出してあるが、込み入った内容なので、やはり直接話すのがベスト。
 意思は通じたと思う。やっと動き出すのではないだろうか。
 夕食時に、和泉屋旅館から送られた逸品をワイフに調理してもらって楽しんだ。
 事情で、日本酒を飲めなかったのが惜しまれる。
 夜もひたすら執筆を続けた。

10月11日(月)「やっと第5稿ができた・・・の風さん」
 今日も秋晴れ。でも、私は、どこへも出かけられない。執筆で忙しいし、お金もない。
 今日が会社の休日だということは、1週間前まで知らなかった。
 執筆がたまっているときに、こんなありがたいことはない。
 朝から、子供たちやワイフが外出していき、私だけが家に残った。お留守番、というより、取り残された印象がある。
 ますます空は青く澄んで、行楽の秋を感じる。しかし、私はどこへも出かけられない。
 だいたい1時間半に1回は休憩をとるようにして、ひたすら執筆に専念した。
 恥ずかしい間違いがたくさん見つかった。やはり第4稿でゲラにするのは無理だったのだ。
 飼い猫のペコやちび助と勝手な会話をしながら、何とか精神を安定に保ちつつ、執筆を続けた。
 すっかり外が暗くなってから、家族が順に帰ってきた。
 第5稿が何とか形になって、出版社へ送ったのは、午前3時だった。
 
10月12日(火)「出したばかりの第5稿の見直しに着手・・・の風さん」
 昨夜、最後に執筆マシンの(データフォルダのみの)バックアップをスタートさせて就寝したのだが、今朝書斎へ行ってみると、まだ終わっていなかった。
 出社寸前に終わったので、それからミッシェルへ急いだ。
 また、眠い1週間が始まった。
 いちおう第5稿は送ったのだが、指摘された部分を修正するのが精一杯だった。不安だったので、いじってないところをチェックしてみると、……目も当てられない状態だった。
 帰宅して、夕食後仮眠して、運良く午前2時に目が覚めたので、第5稿を始めから見直すことに着手した。いちおうシャワーを浴びてから。
 
10月13日(水)「第5稿改は背水の陣・・・の風さん」
 出社寸前に第5稿改を送信した。全体の60%しか見直しが完了しなかった。続きは、また今夜だ。
 睡眠不足の二日目である。
 起きているのが不思議なくらいだ。
 しかし、先週の火曜日は、確か午前零時半からずっと起きていたが、今回は午前2時からだ。ずっとマシだ、と考えることにした。
 昼休みにケータイで必要な電話をしたが、最近雑務がさっぱりできていない。
 私の原稿が収録された新人物文庫は、昨日、出版社から知人宛てに発送されたらしい。
 会社の同僚で不幸があった。まだ若い社員だが、お母さんが亡くなったのだ。入院闘病中とか聞いてなかったので、急死されたのかもしれない。
 帰宅して、昨夜と同じように、夕食後仮眠した。
 午後11時に目が覚めた。これまた昨夜と同じように、シャワーを浴びてから、今朝の続きに取り掛かった。今夜はできるまでやるしかない。

10月14日(木)「第5稿改を送信終了・・・の風さん」
 第5稿の最終ページまで見直しが終わったのが、午前5時過ぎだった。
 すぐにpdf化して、電子メール添付で出版社へ送った。本文の書き出しは……当然、おはようございます、である。
 出社まで少し時間があったので、書斎の床にお昼寝布団を敷いて横になった。
 爽快な気分だった(残業規制でしばられた会社では、今の若い人たちには味わえない達成感だろう。気の毒だ……あ、どういう意味かと言うと、私の場合、こういうことは会社でもたっぷり味わってきた、幸福人間なのだ)。
 睡眠不足は同じでも、出社前に少し寝たのがよかったのだろう、今日は、会社で元気だった。積極的に現場に足を運び、ちょっとした報告書も書いた。
 帰宅時に、お気に入りの封筒を買った。ど貧民状態なので、それしか買わなかった。購入資金は、ミッシェルのグローブボックスの中に入れてある、スペイン製の小銭入れの中身。
 夕食後、気にしていた手紙を書いて、買ったばかりの封筒に入れた。
 この間行った、広島の、福王寺と厳島神社への礼状である。
 月末の上京作戦も立てた。ど貧民の私らしい「往路は夜行バス、復路は格安新幹線」である。
 午前零時で心身ともに限界に達した。

10月15日(金)「五十肩が再発・・・の風さん」
 久しぶりに7時間の睡眠をとった。これくらいがちょうどいいかも。
 会社でも、昨日に続いて調子がよく、現場へ行って実験をした。
 退社時に寄り道し、買い物をした。資金はワイフから借りたお金(どうも最近、話がしけてるなあ)。
 帰宅したら、右腕に違和感を覚えた!
 数年前に経験した五十肩の再発だ。あのときは、積極的に右腕を動かして、五十肩を追い払った。
 自慢そうに腕を振り回していたら、ワイフからたしなめられた。
 「あなたは、何をやるにも乱暴なのよね」
 グサッときた。
 だいぶ遅い時刻に、兄貴と電話でオフクロの相談をした。
 来週、市の福祉課の人が訪ねて様子をみてくれるので、その結果を元にまた話し合うことにした。
 ウィスキーをロックであおって、さっさと寝た。

10月16日(土)「論文掲載が決定・・・の風さん」
 ようやく時間ができたので、塩原温泉へ行ったときの写真をプリントした。プレゼントするために、けっこうな枚数になった。昨日買った、写真を入れる小さなビニール袋に、小分けした。
 続けて、送付状ともなる手紙を2通書いた。
 ジュンク堂書店に提案しているトークセッションについて、先方と電話で話した。新宿本店では、ある事情で対応ができないことが分かり、池袋本店に提案することにした。池袋本店でも対応できない場合は、次は渋谷店に提案することも話した。
 結論は、来週の月曜日くらいだろうとのこと。
 夕方からトレーニングに出かけた。
 4回通った8月の最後から2ヶ月ぶりだった。
 筋を伸ばして凝りをほぐすくらいの気分で行ったのだが、五十肩の再発もあり、前回と同じフルメニューをこなした。やはり、私のやることは極端か……(笑)。
 帰宅したら、うれしい通知が届いていた。日本機械学会に投稿した論文の掲載決定通知である。厳しい査読結果に、一時は取り下げを決意したのだが、大野先生の助言もあって、大修正して再提出したものが、正式に受理されたのである。これで、私の社会人入学は、いちおう大きなひと区切りを迎えたことになる。今回の論文もアウトプットと考えれば、3年間の社会人入学の成果は、学会発表が8回で、論文が6つとなる。とにかく、やれやれである。
 バイトに注力している次女から、バースデープレゼントとして「日めくり猫カレンダー」をもらった。うれしい。そう言えば、次女には『猫と女房』を見せていないな。
 今夜もウィスキーをロックであおって、さっさと寝た。

10月17日(日)「平和なひと時・・・の風さん」
 ようやくマイペースで仕事ができると喜んでいたが、いつもまにか、もうスケジュールから大きく遅れ始めている。やはり私の計画は、「無茶×無謀×無理」なのかもしれない。これではとても勝利の方程式とは言えない。
 連載原稿のための準備として、文献の再読をした。細かな点も確かめながらする作業なので、ひどく時間がかかる。
 そうこうしているうちに名古屋へ出かける時刻になってしまった。
 今日は、ワイフのお父さんが、私の学位取得を祝ってくれるのである。
 少し早く名古屋に着いて、自分の身の回りの買い物をした。私はど貧民なので、我が家の財布での買い物である。……というわけでもないが、少し買い過ぎた。何とかしなければ。
 お義母さんも含めて、4人で楽しく食事した。いちおう元気そうな私を見てもらったので(実はとっても久しぶりだったのだが)、それが今夜のとりあえずのお返しである。今度は、こちらから何かしに行かなければならない。
 酔っ払って帰りの電車に乗ったら、いつの間にか、バイト帰りの長男も乗り合わせていたらしく、駅から3人で歩いて帰ることになった。こういうのを平和なひと時と私はいつも思う。だって、30年後を想像してみれば、この事実はすぐ理解される。

10月18日(月)「今週は早寝週間・・・の風さん」
 今週はちゃんと睡眠をとろうと思う。それで、昨夜は午前1時にならないうちに就寝できたので、今夜もそうするつもりだ。
 会社で資料(技術者教育の関係)を読む時間がとれたので、喜んで読み始めたのはいいが、すぐに目が痛くなってきた。シニアグラスをかけずに必死に読んでいたからだ。
 夕方、とうとう我慢できずにシニアグラスのお世話になって、何とか最後まで読み通した。あまりシニアグラスの助けを借りてしまうと、どんどん老眼が悪化するので、今日は抵抗してみたのだが、せっかくの十分な睡眠も生きなかったし、かえって目が疲労してしまった。
 帰宅して、たまっていたメールを一気に出し始めたら、それだけで貴重な時間が過ぎてしまった。つまり、予定からまた遅れていくのである。今夜が外部と約束した締め切りなら、たとえ徹夜してもやり遂げるのだが、そうではないので、早々に片付けをし、1週間に1度はやろうと決めたデータのバックアップを仕掛けて、寝る準備に入った。
 それでもしぶとくベッドで読みかけの本を読了した。今年やっと29冊目である。

10月19日(火)「急げ、雑務の積み木崩し・・・の風さん」
 起床して、データのバックアップはできたかな、と書斎に見に行ったら、外付けHDの接続を忘れていたため、プログラムが止まっていた(笑)。こうして私は、着実に老いていく。
 今日も会社で文献を読む時間をとった。最初からシニアグラスをかけて読んだので、いくらか進んだが、目が疲れないとなると頭脳が疲労していく(笑)。こうして私は、着実に老いていく。
 速攻で退社した。トレーニングに行くためである。そのトレーニングの目的は、明日、会社の診療所での血圧測定で良好な値を出すことである。
 トレーニング前に体重を測ったら、一昨日の値より0.9kgも軽かった。ひと通りのメニューをこなし、時間がないのでストレッチは省略して終了。もう一度体重計に乗ったら、0.1kgしか減っていなかった(笑)。
 トレーニングルームに若い人がたくさんいたが、彼らの目的は何だろう?
 今夜も必死に雑務に取り組んだ。制限時間は2時間だ。
 これまでやりたくてできなかったことを、またいくつか積み木崩しができた。
 掲載申請書を2通、CDを1枚、販売書籍1冊とおまけの準備、あとは電子メール。
 何とか午前零時前にベッドに伸びた。

10月20日(水)「病院送りは回避・・・の風さん」
 朝から小雨が降っていた。やはり季節は秋だ。
 階下へ降りたらワイフの姿が見えない。ゴミ出しの日はこんな感じなので、自分で朝食の用意をしなければならない。
 駐車場にワイフのクルマがあった。ミッシェルで角を曲がるとき、ゴミ捨て場を見たら……(ゴミ出しの日ではない!)。
 会社に着いて、ワイフのケータイにメールしても返事がない。電話してみたが応答しない。しばらくして家の電話にかけたが、誰も出ない(長男と次女はいるはずだが、寝ていると出ないのだ)。
 だんだん不安になってきた。ワイフが家出? いや、それ以前に、私はコーヒーメーカーのスイッチを消さずに家を出てきたのだ!!
 長男と次女に、スイッチを消すように依頼のメールを送った。
 しばらくしてワイフから電話があった。
 「どうかしたの?」
 ワイフはトールペインティングの会合で名古屋へ出かけていた。しかも、クルマでなく電車で。まもなく次女からもメールがあって「了解」とのこと。ひとまずホッとした。
 次が、今日の最大の課題である、診療所での診察だ。
 昨日の効果は出るだろうか。とにかく病院送りは断固として回避しなければならない。忙しい私は、他人にスケジュールを強制されるのをひどく嫌うのだ。
 ドクターの質問にたくさん答えなければならなかったが、ほとんど想定質問だった。近所の医者から診療所へ送られた手紙に、「今後は当院で診察と加療をします」と書いてあり、これはなかなか手ごわいエビデンスだった。どこかの政治家だったら、どうやって言い逃れるのだろう。私の場合、次のように対応した。
 「また来なさい、と言われなかったのですか」
 「言われていません」
 「薬をもらいに来なさい、と言われなかったのですか」
 「いいえ。言われていません」
 最後にドクターが、私の血圧を測定した。
 「124−86です」
 (しめた! 致命的な数値ではなかった)
 「じゃあ。家で測って記録するようにして、半年後にそれを見せてください」
 とりあえず執行猶予6ヶ月となった。妥協点だろう。
 今夜も、写真の掲載許可申請書を1通書き上げた。
 明日は朝が早いのでもう寝ようと思っていたら、オフクロから電話がかかってきた。
 相変わらず被害妄想に凝り固まっていたので、焦っている私も切れてしまった。母は病気だが、私のは人間ができていない証拠だ。

10月21日(木)「有意義な出張・・・の風さん」
 5時半に起床した。昨日と違って、ワイフより先に起きた。
 しかし、自分で朝食を作ったのは昨日と同じ。
 今日も雨なので、止むを得ず傘をさして家を出た。
 久しぶりの出張である。
 横浜のみなとみらい駅に着いたのは、自宅の最寄の駅から電車に乗って、ちょうど3時間後だった。
 夏の猛暑のときにここを訪れた記憶がまだ生々しい。
 今日は生産技術に関する講演会の聴講が目的で、H社やT社の講演内容に、素直に感銘を受けるとともに、自分の勤務先のことがとても心配になった。かつて私もここで、革新的な話を講演したことがあるが、今も同じような話ができるだろうか。できないような気がする。
 そして、さらに不安になったのは、世界に冠たるH社もT社も、創業者の精神を確実に受け継いでいて、自分の会社に対する誇りが感じられたからである。同じようなスタンスで、私の勤務先の誰かが最近外で講演しているだろうか。
 今日の講演の主催者とは長年のお付き合いである。
 情報交換もしっかりやって、講演会が終了した後、いつものプライベートタイムとなった。
 某所へ移動し、某社と打ち合わせをしてから家路についた。
 今日は何とか新幹線の車中で爆睡することなく、読書タイムとして有効活用できた。
 帰りは最寄の駅までワイフに迎えに来てもらった。
 「おやすみなさい。おはよう。おかえりなさい」
 昨夜からのあいさつをまとめてワイフからもらった。

10月22日(金)「何とか週末にゴールイン・・・の風さん」
 ハードな1週間の最終日である。会社の仕事も効率良く終えて、さらにハードな週末を突っ走らなければならない。
 午前中は業務打ち合わせをし、午後から昨日の出張報告もまとめた。文章にしていくと、必然的に昨日の危機感が頭の中で整理されてくる。同僚に、社内の状況を調べてもらうようにお願いした。できれば現場に行く時間も作りたかったが、その余裕はなかった。
 帰宅途中で郵便局に寄って、振込みをし、ついでに切手などを買ってしまった。病気だね、まったく。貧乏作家なのに。
 2週間ぶりにミッシェルに満タン給油して帰宅した。
 夕食後、やはり疲労が出てきた。チビたんを膝に抱きながら、4週間前に頂戴した、五大路子さんの一人芝居「横浜ローザ」のDVDを鑑賞した。感性に訴える詩的な作品に仕上がっていた。場面展開のメリハリが見事で、エンディングは感動的だった。
 今夜予定していた小栗まつりシンポジウムのテープおこし原稿の修正は、明日に延期して、さっさと就寝した。

10月23日(土)「中日がCSを制した・・・の風さん」
 今日は2年ぶりに眼科へ行くつもりだった。経過観察状態だからだ。土曜日で午前中しかやっていないし、遠いし、検査にはちょっと時間がかかる。だから夕べは早く寝た。
 しかし、結局寝坊してしまったので、中止した……いや、延期した。ただし、次の日程は未定。
 昨夜できなかった小栗まつりシンポジウムのテープおこし原稿の修正に、かなりの時間を使った。喋っていることがそのまま原稿になっているので、まともな文章じゃないし、間違った発言も含まれていたからだ。それらを真剣に直していたら、夕方までかかってしまった。
 珍しくテレビで野球を観た。セリーグのクライマックスシリーズだ。中日は山本昌が先発していたので、ノックアウトされていなければいいが、と心配でスイッチを入れたのだ。
 ピッチャーは代わっていたが、6回に入っていて、2−0で中日がリードしていた。山本はノックアウトはされなかったらしい。よかった、よかった。
 中日ファンの次女が帰ってきたので、続けて観てしまった(笑)。
 長年の勘で、もつれて接戦になることは予想できた。ペナントレースとは違うのだ。高校野球のような意外な展開が起こる。
 9回裏、1死1、2塁で、打順が和田になったところで、「ここでヒットが出て決まる」と確信した。舞台が整って役者がそろうと、ヒーローになる人がちゃんとヒーローになるのだ。
 40年も昔、日本シリーズで、好投していた阪急の山田投手から逆転の3ランを打った王選手のことが忘れられない。
 試合が決着した後、書斎へ戻り、国立天文台に画像掲載許可申請をする準備をした。
 入浴後、五大さんが送ってきたお友達の原稿を初めて読んだ。なかなかの出来の作品で、明日コメントを書くのに苦労しそうだ。レベルの低い作品と、今回のようにレベルの高い作品に対するコメントがもっとも書きにくい。

10月24日(日)「ロボットに託す夢とは・・・の風さん」
 五大さんが送ってきたお友達の短編小説の感想を書いた。ほとんどプロと言ってよいほど実力のある方の作品なので、重箱の隅をつつくような指摘など書けない。所詮、書き手としてというか、新鷹会流の「もし自分が書くならこう書く」といった感想である。
 それにしてもいい加減な感想は書けないので、力いっぱい考えて書いた。はたしてお友達に少しは役に立つ感想が書けただろうか。
 それが終わってすぐ、小雨の中をトレーニングに出かけた。
 先客は少なかったが、意地悪するように、私の使いたいマシンを先に使い始めるので、私が決めているメニューの順番は大きく狂った。
 帰りに、地元の郵便局に回って、五大さんへの郵便物を投函した。
 夕食前にゆっくり入浴した。普段は時間に追い立てられるような生活をしているので、カラスの背中に乗っているハエのような行水である(笑)。
 就寝前にワイフに女の子ロボットのビデオをまとめて見せた。今年の5月ごろ、展示会で偶然未夢(みーむ)を見て衝撃を受けたが、今や未夢は歌って踊れるロボットにまで成長している。その感動をワイフにも共有させようと、わざわざ見せたのだが、ワイフの反応は冷たかった。
 「こんなの作ってどうするのよ?」
 「どうするのよって、すごいと思わないのかい?」
 「危険な場所で働かせるには弱そうだし……」
 「き、きけんな場所? ヨン様みたいなロボットができても、工事現場なんかで働かせるのかい?……(くそ。100年後に生まれ変わったら、ボクは未夢ちゃんをお嫁さんにするんだい!)」

10月25日(月)「経済支援効果・・・の風さん」
 朝から太ももと上腕の筋肉が痛い。昨夜のトレーニングがもう効いてきたようだ。しめしめ。
 はっきりしない天気の中、出社した。午前中はほとんど会議。午後も会議から始まる予定だったが、ボンヤリしているうちに終わっていた(笑)。どうもボケを感じる今日この頃だ。
 目を覚まそうと、塩原以来になるが、五大さんに電話して声を聞いた。相変わらず元気で陽気で刺激を受けた。しかし、長話できなかったので、親しいやっちゃんに続けてかけて、足りない部分を補った。五大さんはしばらく公演で多忙になるとのこと。集中しないと仕事ができないそうで、なるほどと納得。
 退社して、会社の同僚からCDを受け取った。社内では遊びでもこういうことができない。不便な会社だ。社外と積極的に交流すべき若手の行動が制限されているのを私は心配している。
 帰りにスーパーに寄ったら、ドラゴンズの応援歌が流れていた。目当てのコーヒーの粉を買ったら、420g入りのUCCが398円だった!
地元球団が勝つと、こういった経済効果がある(いや、貧乏な私に経済支援効果がある)。日本シリーズでもぜひ買ってもらいたい(しかし一方で、地上波の全国テレビ放送が、史上初めてなくなったという現実もある。ローカル球団は、全国ネットのテレビから見放されるのだ。夢のない話だ)。

10月26日(火)「冬型の気圧配置・・・の風さん」
 昨夜の雨が上がったかと思ったら、朝から強風が吹き荒れている。冬型の気圧配置の影響だろう。自然は正直なものだ。しかし、寒い。
 まるで秋を通り越して冬が目前のような風景の中を、ミッシェルで疾走した。
 しかし、まだ取り入れていない稲田も多い。今年はススキよりもセイタカアワダチソウが目立つ。稲穂の色とセイタカアワダチソウの黄色は、秋景色をいっそう際立たせているが、心なしか寂寥感があるのは、今年もあっという間に年の瀬が近づいているせいか。
 寒いせいもあって、会社の仕事ははかどらなかった。
 帰りに買い物に寄った。少しでも用事を済ませておかないと、執筆に影響が出るような気がする。しかし、本当はそうではなく、執筆には膨大な時間を要するので、それ以外の仕事も忘れずにやっておかないと、たまってしまい、あとで目の前が真っ暗になってしまうからだ。
 週末は上京する。天気予報はどうも悪そうだ。東京雨男の異名をなかなか返上できない。
 今夜も執筆で就寝が遅くなってしまった。それでもあまりはかどっていないのは、いつものことだが。

10月27日(水)「ミッキーのフリーカップ・・・の風さん」
 沖縄に台風が近付いているらしい。前線も停滞していて、それで天気が悪いのだ。締め切りのある月末が近付いていて、多くの仕事が停滞している私は、当然機嫌が悪い。
 仮眠して睡眠不足を補いたい昼休みに、会社周辺のゴミ拾いに出かけた。わざわざバスに乗って少し離れたところまで行き、ゴミを拾いながら歩いて帰ってくるという企画だ。目的は地域貢献だが、大企業としてのカッコつけの印象は否めない。もっと心のこもった活動の仕方はないのだろうか。所詮大企業である限り、何をやっても疑いの目で見られてしまうものかもしれないが。それにしても、わたしは企業の存続そのものを危ぶんでいるのだが……。
 今夜もたまっている執筆を少しでも減らそうと頑張ったが、力不足で、時間ばかりかかってわずかしか進まなかった。今週になって信号は「黄色」が点灯しっぱなし。
 長女と食事して帰ってきたワイフから、長女のディズニーシー土産をもらった。ミッキーのフリーカップだった。いろいろに使えて重宝しそうだ。

10月28日(木)「執筆がピンチの週末・・・の風さん」
 連載原稿などの仕事がピンチになっているときに限って、会社の仕事も報告書作成という文章を書く仕事が最優先になってしまう。文章は得意なのだから、すらすら書けるだろうと思われるかもしれないが、私の場合は違う。やたら目標が高くなってしまい、結局、悪戦苦闘してしまうのだ。効率が求められる会社の仕事で悪戦苦闘はほめられない。それでも、手書きでなくパソコンで作成できる時代になっているから、私でもかろうじて仕事ができるのだろう。
 夜、書斎でPCに向かいながら、週末の到達目標を決めた。100%達成が無理と分かったので、もう優先順位をつけるしかない。その中で、ちょっとあいまいなのは、連載原稿である。日曜日の帰りの新幹線の中でアプリルを使って続きをやるつもりだ。その進捗状況によって、提出時期が見えてくるはずだ。それまでは判断ができない。

10月29日(金)「また夜行バスで・・・の風さん」
 また夜行バスで上京する。綿密な計画に基づいて確実にこなせる自信がない。それだけ仕事がオーバーフローしているからだ。
 土日に地元の文化祭がある。いつもワイフのトールペインティング教室が展示するので、必ず見ることにしている。しかし今年は、私は上京するので、体育館に搬入が終わったところで見るしかない。
 会社から体育館に直行してみたが、まだ展示作業が完了してなかったので、会場がしまるギリギリにまた来ることにした。家で上京の準備を少しした後、小雨がぱらつき出した中、再び体育館へ行った。台風が近付いているということで、周囲には出展そのものをやめたグループもあったようで、閉館間近の会場は、例年に比べて隙間の多い寂しい風景だった。ワイフのブースも、ひとり1点という制限のため、華やかさがイマイチだった。しかし、そういう中で、初めて見る作品が多かったのには感心した。
 夕食後、本降りになってきた雨の中、ワイフに駅まで送ってもらった。
 先週、急遽スケジュールを変更したので、いつもより早いバスである。それでもしっかり寝て行かないと、明日がつらい。今回は缶入りの水割りを買ってバスに乗り込んだ。車内はほとんど満席状態だった。

10月30日(土)「東京大雨男・・・の風さん」
 新宿駅西口に着いて、カーテンの外を眺めると、まだ夜が明けていない暗い高層ビル街は、土砂降りの雨に激しく洗われていた。
 これによって、着いてからの二つのスケジュール(お寺の取材)を諦めた。
 地下鉄の「大手町」駅まで行き、9時から開いている「ていぱーく(逓信博物館)」に行った。
 ペリーが2度目に来航したときに持って来た「エンボッシング・モールス電信機」の複製を見学するのが目的である。既に短編小説にも書いているし、講演でも何度も事例に引いている電信機なので、今頃現物確認をするのは遅きに失した感があるが、見ると見ないのとでは何か違う発見があるだろうと思って出かけた。
 複製電信機のあるところへ直行した。つぶさに観察した。紙テープへの印のつけ方などよく分からなかったことで多くの発見があった。送りは手動のハンドル操作だが、等速機構は、時計のからくりと似ているのではないかと推定した。
 他の展示もざっと見て歩いたが、すぐ次の目的地へ行く時間になってしまった。
 東銀座の某カフェで、出版社と挿画をしてくださる高山ケンタさんと落ち合った。先に、挿入写真や図版の相談をし、その後、挿画の話になった。
 私はケンタさんに持ち味を出してもらいたいということだけを伝えた。そのためには、資料を詳細に見る必要はないだろうと意見を言ったが、まじめなケンタさんは、いちおう見ておきたいとのことだったので、それには協力することにした。
 ランチ後、ケンタさんが築地で開いている「二人展」を見に行った。
 相変わらず雨が強かったが、芸術に触れている間は、何となく自分が自分でいるような気になるから、こういった世界から当面遠ざかってはいけない。でないと、たちまち生きる意欲がなくなってしまうだろう。

10月31日(日)「お元気な恩師の姿に感涙・・・に風さん」
 昨夜から雨が弱まっていた。風もそれほど強くなく、今日はしっかり行動できる気がした。
 ここ数日、早寝が続いているので、今日も寝不足は感じられない。
 東京駅のコインロッカーに大きな荷物を預けてから、中央線で「御茶ノ水」駅へ向かった。
 いつもと違うコースで駿河台の坂を下った。このへんは大学が多い。
 YWCA会館の玄関脇にある「小栗上野介屋敷跡」を眺めてから、東京古書会館へ行った。
 そう。今日はうまい具合に「神田古本まつり」なのである。貧乏な風さんだが、欲しい本があったら、1万円以内で購入しようと思って、地下の即売場へ入った。
 ある、ある、欲しい本がたくさんある。
 1時間以上うろついた挙句、和算書2冊と詩集1冊を購入した。
 続いてすずらん通りの屋台を物色しながら歩いた。特価になっているので、喉から手がすぐ出てくるが、ぐっと我慢して、京都の某専門書出版社で1冊だけ買った。これで合計1万円になった。やはり我慢できない性格か(笑)。
 今日の最大の目的は、学士会館で開催される、大学院時代の恩師の米寿のお祝い会である。教え子たちがたくさん集まったが、先生の人柄や研究室の雰囲気を反映して、和気あいあいとしたパーティになった。全員のスピーチは楽しく、思い出のスライド撮影はとても懐かしかった。当時から小説家を目指して猛烈に勉強していた私だったが、研究室ではそれなりに必死に実験と研究に明け暮れていたわけで、間違いなく私の青春の1ページである。夢中になっていた過去の日々はいとおしい。
 教え子たちからの祝福に対して、先生は相変わらず明るく、最後の挨拶でもジョークを飛ばしておられたし、そして、しめくくりの「東北大学で教えていたときが、ぼくの人生で最高に幸せでした、ありがとう、ありがとう」というお言葉には、にじむ涙をこらえることができなかった。
 お年をめして、偏屈になったり意固地になったりする人が多い中、これほど周囲に気を配って感謝の言葉を連発できる人格は、先生の風格に違いない。老いてなお、教え子たちの目標足り得る恩師を持つ我々こそ本当に幸せだ。先生、ありがとう。
 帰りの新幹線では、予定通りに、アプリルをカバンから取り出して、連載原稿の執筆に集中できたのは、恩師から頂戴した元気と生きる勇気だろう。
 最寄の駅までたどり着くころ、雨がひどくなっていた。
 迎えに来てくれたワイフがひとこと。
 「雨はあなたについて歩いているみたいね」