悪夢の南紀路(後編)

昨日の夜は、「老人と海」を読破して結構遅くまで起きていたのに、今朝は七時に目がさめた。今日はいよいよ白浜の「南方熊楠」記念館に足を運ぶのだ。旧南方熊楠邸と南方熊楠記念館に行くことが、今回のツーリング最大の目的なのだ。
七時半に昨日の晩飯を食べた最上階のレストランで、朝食を摂ることにする。と、何と昨日のフロントのお姉さんが今朝はウェイトレスをやっているじゃあないの、しかもとっても愛想がいい。これは、俺に惚れたのに違いない、絶対そうだ !
しかし、よく観察すると他のお客のハゲ親父や、ブッ細工なオッサンにも愛想がよろしい、少しガッカリしたが接客がいいと気分もいい。
朝食は和食と洋食があって、好きなほうを選べるので和食を食うことにした。しかし、これが間違いだった。なんと、俺の大嫌いなイワシの料理が二品もあるのだ。にこやかなお姉さんを前に「替えてくれ。」とも言いづらく、必死の思いで飲み込んだが、嫌いなものはやっばりマズイ。朝から悪夢じゃ。

八時過ぎにさっそく出発、駅前の道を白浜方面に進む。この道は路地ばかりの田辺ではめずらしく、普通の対面道路になっている。そのせいか、交通量が多い。
車道は危険なので、当然歩道を進むが、この歩道とても狭い。歩行者がいるとすれちがうのに苦労するし、それがオバサンなんかだったらジロリとにらまれる。俺は正義の味方なのに、歩行者から見れば狭い歩道を大きな顔ですれちがう悪者になってしまうのだ。
自転車だから何とか進むことができるが、車椅子の人はどうするんだろう。境港でも田辺でも何処でも、車椅子を唯一の足としている人達のことなんかまるで考えてない。
このページを見ている人に、一つ提案があります。車椅子に乗っている人の視点で近所の歩道を歩いてみてください。行政というものの手落ちを感じたなら、自分の住んでいる自治体のHP掲示板などに書き込みをしてみませんか、それで行政が変わるとは思わないけど絶対に良くならないとも言えないんじゃないかな? 俺は人の良心を信じたい。

途中道を間違えたりしながら、それでも白浜の入り口までたどり着くことが出来た。
坂を登る途中におかしな看板を発見した。「あそこ前田 駐車場」 なっ、なんだって。前田さんのアソコって一体・・・・・

前田さんのあそこ?いいのか、おいっ!
あちこちに弁慶が。

その奥を見ると、「あそこ 前田」という蕎麦屋があった。店にこのネーミングをする人間がおかしいのか、それとも「あそこ」と言われてエッチなことを連想してしまう俺がおかしいのか・・・・・いや、絶対にネーミングする方がおかしい。

干物センターという魚の干物を売っている大きな店の近くの海に、「神島」という島がある。「かしま」というこの島は、南方熊楠が必死の思いで原生林を保護し、後に昭和天皇が田辺に御越しになった際、散策されたという南方熊楠の生涯を語る上では欠かせない島なのだ。
地図の上ではこのあたりなのだが、探してみてもこのあたりにはそれらしい島が数多くあって、どれが神島か分からない。どうせ帰りもこの道を通るしかないのだから、帰りにもう一度探してみることにした。それにしても旧南方熊楠邸といい、神島といい、見たくてしょうがない場所が一発でわからないというのは、とてもやるせない。田辺も白浜も、表示板の設置を考えてもらいたい。 。

神島付近からさらに先に進むと、小さな公園がある。中をよく見ると第二次世界大戦中の日本軍戦車や、大砲が並べてある。以前ガイドブックで読んだ事があるゼロパークという、記念公園に違いない。
しかし、ガイドブックの説明ではかなり大規模な物のように書かれていたが、実際にはネコの額ほどの広さしかない。幼稚園の運動場のような物だ。
ガイドブックには有料、しかもかなり値段の高い入場料が必要だと書いてあったが、こんな所でお金を払う者はいないだろう。門には鎖と南京錠が掛けられて、中には入れない。閉鎖してしまったに違いない。
平和を訴えるには、戦車や大砲も展示が必要なのかもしれないが、この程度の公園には人が立ち寄らないだろう。

ゼロパークからほんの少しの所に、歓喜神社というのぼり旗と看板が出ていた。なんだろうと思って駐車場の奥にあるらしい神社に足を運んでみることにした。
入り口付近で草刈をしていたオバサンがやって来て、拝観料が必要だという。そのオバサンに拝観料を払い中に入った。
順路板にしたがって、まずコンクリートの建物に入る。ここは白浜美術館というらしい。歓喜神社と美術館は二つでワンセットのようだ。
美術館に入って、「歓喜神社」の意味が分かった。古代インドの神様と女神様が、その〜何というか  愛し合っている 像のオンパレードなのだ。
色んなポーズが有るものだと感心することしきり、はっと気づいて伸びた鼻の下を必死で縮める努力をする。この後、小学生を連れた夫婦が入ってきたが、「うっ !」という表情をしたまま呆然と立ち尽くし、慌てて出て行った。あの子供には、とってもいい勉強だったに違いない。
それにしても、よくここまで集めたものだ。皆本物だから、かなりお金が掛かったに違いない。残念ながら写真撮影禁止なのであった。
エロフィギアに圧倒されつつも全部見物し、建物を出ると、出口の隣に神社がある。ここが歓喜神社なのだ。
神社の御神体は、古代人の彫った男女の「あそこ」の石像であった。古代人の子孫繁栄のための聖地だったのだ。その後、文明を持った人たちがこれを発見し、神社の御神体として祭ったのである。
パンパンと手を叩いてここを後にした。しかし、今日は「あそこ」に縁がある日だぜ。

御神体です。
これもまた、御神体

時間は十時、いよいよ南方熊楠記念館までやって来た。南の島の木々が植えてある急坂を登ると、そこに記念館はあった。
以前から来たくてしょうがなかった場所にようやくたどり着いたのだ。
入館料を受付で払って、さっそく二階の展示室に足を運ぶ。中には数人の見学者がいたが、話し振りからしてあまり熊楠のことを知っている様子ではない。
展示物は全て熊楠由来の本物ばかり、マニアにとっては垂涎の品々なのだ。中でも熊楠が写本したものが展示してあったが、細かい字でびっしりと、しかも絵まで小さく写してある。当時は紙が高級品だったため、紙節約のための小さな文字だといわれている。「ほしい。」
展示室の隅っこに本物の粘菌を顕微鏡で見せてくれるコーナーが設けられていて、自由に顕微鏡を覗けるようになっていた。さっそく俺も覗いてみることにした。
顕微鏡を覗くと、その中にはメルヘンの世界が広がっていた。不思議な形をした木のくずの上に、イギリスの近衛兵そっくりな粘菌が整列している。この光景を見てカルチャーショックを受けた俺は、顕微鏡を買う決心をした。以前から熊楠に感化されて顕微鏡がほしかったのだが、こんな面白くて美しい世界を見せてくれるのなら、少々の出費は覚悟しなければならない。

天皇陛下の熊楠を偲ぶ歌碑
記念館屋上。神島が見えるはずだが・・・

見学者が何組も入れ替わる中、おれはゆっくりと自分のペースで展示物を見てまわった。十分満足したので展示室を出て屋上に上がってみた。今日は晴れてはいるが、水蒸気が多いせいだろう、田辺湾の中にある「神島」をくっきりとは見せてくれない。とても残念だ。
神島が見えなくて、少しがっかりして一階の受付まで降りると、そこに来館者が感想を書くノートを発見、早速読んでみた。その中に面白い書き込みを見つけた。こう書いてある。「南方君の曾御祖父さんだとは信じられませんでしたが、写真の顔が南方君そっくりでビックリしました。 東京都 小学三年生」熊楠の曾孫は、東京の小学生らしい。きっと熊楠の娘さん、文枝さんの孫に違いない。きっと頭がいいんだろうなあ。
俺もノートに鳥取県の境港から来た、というようなことを書いてノートを閉じた。
その後、受付の横に熊楠関係の本が販売されているコーナーを見つけたので、まだ読んだことの無い「巨人伝」上・下という南方熊楠伝記を購入した。熊楠の本は他にも、「縛られた巨人」「南方熊楠を知っていますか」「自由の旅人南方熊楠」「南方文枝著 父・南方熊楠」など、たくさんの書籍がある。変わった所では、ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるの描いたマンガ「猫楠」などがある。どれも面白いが、「猫楠」はとっつきやすくしかも、かなり正確に描いてあるマンガなので南方熊楠を知らない人はぜひ読んで頂きたい書籍なのである。

南方熊楠記念館を堪能し、グラスボートが出航する桟橋の横を走り、円月島を横目で見つつ白浜海水浴場にやって来た。

奇妙な形の円月島
グラスボート。カップルなら乗るのだが。

狭いビーチに、人の山、山、また山。茶髪の兄ちゃん、姉ちゃんが水着姿で山ほどひしめいている。俺は思わず自転車を止めてじっくりと水着の姉ちゃんを堪能した。南方熊楠記念館もしっかり堪能したが、水着姉ちゃんもしっかり堪能したのだ。ただでは帰らん。
すっかり開放的な気分になったはちまんタロー、水着に着替えて泳ごうかと思ったが、水着を持ってないし、自転車も盗難の恐れがあるので泣く泣く止めておいた。
後ろ髪引かれる思いで白浜海水浴場を後にする。

目の保養だぜ、白浜海水浴場
美しい海岸線。しかし暑い。

この先には、有名な千畳敷とか三段壁がある。
まず最初に千畳敷を見物したが、ものすごく大した事無い。ただの平たい岩場だ。
アホらしくなって三段壁に向かった。国道から三段壁まで遊歩道がついている。その道の脇には、焼きイカやトウモロコシ、みやげ物などを打っている店が並んでいる。近くの店で大好物のトウモロコシを買ったのだが、ここのオバサンとても愛想が悪い。しかも焼きトウモロコシ一本が何と500円。ボッタクリもいいとこだ。他のお客さんもどっちが客だか分からないような受け答えをされて「ムッ! 」としている。皆さん、500円はともかく、接客業でありながら接客態度がなっていない店では、物を買うのをやめましょう。俺も「どっちが客なんだ。」とイヤミを言って500円玉をテーブルに投げてやった。
そして三段壁。千畳敷に比べて少しは見栄えがするような気がするが、感動するほどでもない。さっきの店のこともあり、腹が立ったのでさっさと帰ることにした。

期待はずれの千畳敷
大した事無い三段壁

レストランでラーメンライスを食べた後、京都大学水族館に行ってみた。おれは食べ物としての魚は嫌いだが、水族館で飼育されている海洋生物は大好きなのである。
中に入ると、色々な魚や、カラフルなイソギンチャクなどたくさんの海洋生物が飼育されている。大きな水族館とちがってこじんまりとしている所が、とても好印象だ。客も少なく、騒ぎまわる子供もいないのでゆっくりと見物できた。
ここ京都大学水族館は、南方熊楠の時代にはもう存在していたらしくて、熊楠が天皇陛下に講義されることに対する嫉妬からか、かなり茶々を入れてきたようだが、今はそれも昔の話で、すぐ隣に南方熊楠記念館が立てられてお互いに観光スポットとして仲良く共存している。
水族館の中はとても静かだし、冷房も効いているし、薄暗くメルヘンチックな魚たちの世界が目の前に広がっているので、落ち着いた気分になって長椅子に座ったのはいいが、居眠りをこいてしまった。

何と、サメがいた。
まるでメルヘンの世界だ。

時間にして数分間だろう、突然眠りの世界から現実に引き戻された。「はっ、腹が痛い。」考えてみたら、今日は朝からトイレに行ってない。
館内にトイレを発見して慌てて駆け込む。出てきたときの顔は、爽快さにあふれているのであった。
南方熊楠記念館と同じように、後ろ髪を引かれる思いて゛水族館を後にし、田辺の町に引き返すことにした。
もう一度熊楠の旧居を探してみたかったのと、熊楠のお墓にも参りたかったからである。

帰る途中、朝通りかかったゼロパークの門が開いている。中には人っ子一人いないので、大きな顔をして入っていった。
近くで見る大砲と戦車、こんな兵器でアメリカ軍と戦ったのか。戦車は鉄で出来た棺桶に見えて思わずぞっとしてしまった。俺の親戚の人もフィリピンの戦車戦で戦死している。とても暗い気持ちになった。

こんな物の中で死ぬのは御免だ。
人殺しの道具。見るに耐えない。

田辺に帰るまでにもう一箇所見ておきたい場所がある。神島である。
神島は自然保護の観点から、熊楠の尽力により天然記念物に指定されているので上陸は出来ない。しかし対岸からすぐ近くなので、遠目ながら見ることができるのである。
地図を見るとやはり、干物センターから見るのが一番ちかい。干物センターまで行ったが海が見える場所が無い。さんざんそこらあたりを探し回ったあげく、干物センターの建物脇から海岸に通じる道を発見した。
海岸に立って対岸に浮かぶ神島をながめた。何のことは無い島だが、南方熊楠が愛してやまなかった島だと思うと、妙に感動を覚えた。

またもや「あそこ 前田」を通り過ぎて田辺に戻る。
この頃になると、暑くてバテそうだったけど熊楠の旧居を訪ねるという目的を達していなかったので、頑張って散策することにした。
昨日はガイドブックの地図を頼りに探したけど、全くそれらしき所がなかった。今日は違う方法で探してみることにする。
まず、見当を付けてあるあたりに行き、人に尋ねるのが一番手っ取り早いだろう。さっそくそのあたりに行ってみた。なんとそこには「南方熊楠邸⇒」という表示板があるじゃあないの、指示通りに行けばたどり着くに違いない。それにしても昨日は、熊楠邸はてっきりNTTのビルの下になっていると思い込み、とてもがっかりした。俺の早合点だったのだ。
指示通りに進んだが、途中で分からなくなる。表示板の説明が不親切なのだ。何度か行きつ戻りつしながら、細い路地裏にやっと目指す南方熊楠邸を発見、ほっと一息入れた。
昔ながらの細い路地に面した「南方熊楠邸」。門のところになにやら表示がしてある。なんと、今月一杯邸内の見学が出来るように開放してあるので、自由にお入りくださいとのこと、普段は外側からしか見られないのに何とツイているんだろう。

南方熊楠邸。これが見たかったのだ。
田辺はこんな路地がいたる所にある。

さっそく中に入ろうとすると、正面の新聞屋から新聞配達のオバサンたちが俺のほうをジッとうかがっている。とてもいやな雰囲気だ。何で人のことを胡散臭そうにうかがうんだろう、少し腹が立った。
気を取り直して邸内に入る。熊楠が家族と暮らした家、研究材料を探した庭、短い時間だったけどじっくりと見せてもらった。有名なみかんの木はもう今は枯れてしまったということだった。
ここは知らない人から見れば普通の古い民家にしか見えないのだろうが、俺は何だか熊楠を身近に感じることが出来てうれしかった。

南方熊楠邸を後に、田辺市内にある古刹「高山寺」に向かった。ここには熊楠のお墓の他、熊楠の親友北幅武三郎や毛利清正雅の墓もある。
大きな川に掛けられた橋を渡り、山が見える方角に自転車を進めた。と、正面の山に中腹に墓所が見える。あそこに違いない。思いの外あっけなく発見できたのだ。
山の裏手の急坂を登り、墓場の端っこにたどり着く、正面に大きな道路があるがなぜか寺への入り口が分からないので裏山の小道を着たのだ。
墓の墓碑銘をざっと見渡しながら先に進むと、熊楠の墓はすぐに見つけることが出来た。南方家の墓と、熊楠個人の墓が二つ並んで建っていた。
線香は無いものの、しゃがんで手を合わせる。
ふと見ると、熊楠の墓の対面に北幅家の墓が建っていた。北幅武三郎は熊楠の親友で、インフルエンザで死にかけた熊楠を救い、熊楠の長男の熊弥が精神に異常をきたした時も、南方一家のために尽力した。ここにも手を合わせた。

熊あんのお墓。綺麗に掃除が行き届いていた。
熊あんの親友 北幅武三郎の墓。

もう一人の親友、毛利清雅の墓もあるはずだが、探し出せなかった。
高山寺の建物を見学して、ここを後にした。もう一度熊楠邸に行ってみたが、時間が5時を過ぎていたため門は閉まっていた。

今日はとても疲れたが、有意義な一日になった。見たかった熊楠邸も記念館も見たし、雰囲気のいい水族館も見た。水着のお姉さんまで見ることが出来た。
シャワーの後、ホテル最上階のレストランで飲むビールは最高の味がした。さて、明日は潮岬や那智の滝を見物しに行こう。自転車の出番はないが、たまにはドライブオンリーもいいじゃいの。きっと楽しい一日になるに違いない。

ところが! 次の日、潮崎、那智の滝、本宮大社と見て周り、さいごに中辺路に行く途中の山道で車のマフラーステイが腐って落ち、マフラーが落下するというアクシデントが発生。幸いにも針金を道の脇で発見し、応急修理をしたが、携帯も圏外になっている山の中でトラブッて冷や汗をかいてしまった。全く今回の自転車旅行は悪夢のようなアクシデントが次々に発生したのだった。
やっぱり安倍清明の京都旅行が正解だったのか。いや、熊あんに会えた今回の旅行はアクシデントが有ったとしても楽しい自転車散歩になったのだった。

皆さん、南方熊楠に興味を持ったなら田辺に行かれるのも面白いと思います。