・・・・・厄落とし清水寺詣出
製作者の正体でご紹介したように、俺は只今40歳。つまり、世間で言う前厄の歳なのだ。こげなもの迷信だ、と笑い飛ばすことが出来ない事が次々に身に降りかかってきた。
くわしくは、はちまんタローの独り言を見てもらえばいいのだが、もう一度ここに書いておきたいと思う。
まず最初に、ビデオがぶっ壊れ、次にノートパソコンがぶっ壊れ、そのまた次にカキの食中毒にかかり、そのまたまた次に尿管結石になり、そのまたまたまた次に花粉症にかかり、そのまたまたまた・・・・・・・・・きりが無いのでこの辺でやめとくけど、とにかくロクデモない事ばかり狙い澄ましたように襲いかかってくる。あっ、そうだ競馬の負けもこんでいる。
こんな愚痴を境港市観光協会の掲示板に書き込んだら、それを見た人が安来市にある清水寺にいって、厄落としをしたほうがいいよと、返事をくれた。今回の自転車散歩は、安来市の清水寺に厄落としツーリング決定。
![]() |
![]() |
|
ぼたんの花が、今満開。
|
つつじも今年は開花が早いです。
|
皆さんは清水寺というと、京都にあるあの有名な「清水の舞台から飛び降りる」の、清水寺かと勘違いされるかもしれないので、ここで少し説明しておく。耳クソをかっぽじって良く聞くように。
このお寺は島根県安来市の少し東側に立っている。何度か荒れ寺になったものの、そのたびに修復されて三重の塔まで建立されて現在に至っている。歴史はかなり古く、戦国時代に毛利氏に焼き討ちされたという記録があるからかなり古い。
現在は天台宗という宗派の名古刹として地元の人に親しまれ、特に厄落としで有名な観音様がみんなの信仰を集めている。
この寺に行くには、いつも通る弓ヶ浜自転車道を通るのが定石だが、気分を変えるため今日は灘道という家の前の小道を米子方面に向かった。
この道は、高校生のころ毎日通学に通った道で、とても懐かしい。道の歴史もかなり古く、自動車がすれ違うことも出来ないような小道なのだが、江戸時代から昭和初期まで、米子市と境港市を結ぶ幹線道路だった。
ところどころ新築のおしゃれな家も立っているが、ほとんど高校時代の景色と変わってないところが嬉しい。
懐かしい高校の前から西に向かって、内浜産業道路に出る。この道路は、米子空港の南側を突っ切って中海という日本で五番目に大きい湖沿いを米子市まで通じている。
この道路沿いに、俺のギャンブラー心に火をつける誘惑の迷宮がそびえている。それは、米子ウィンズという場外馬券売り場なのだ。「ううっ、行きたい。行って一儲けしたい。」鉄の意志をもつ愛の戦士、はちまんタローとは言えこの誘惑はちょいときつすぎる。「モー我慢できん。」いそいそと米子ウィンズにハンドルを向ける愛の戦士、しかし財布の中身が寂しいことが判明して泣く泣く引き返すという体たらく・・・・・
![]() |
|
オリの中のサル。まるでやる気なし。
|
何とか誘惑の危機を脱出して米子市内に入ることが出来た。いつも通る湊山公園に入り、一休みすることにした。
自転車を止めると目の前にサルのオリがある。ここのサルは人間を恐れない。すぐ近くで見ているのに逃げようとせず、逆に近づいてきてゴロンと横になるのだ。間延びをしたサルの寝顔をみながら、サルも人も緊張感がなくなると情けない顔になるもんだとつくづく思った。
公園の裏山から国道九号線に出て、安来方面に向かってペダルをこぐ。目指す清水寺は安来市内よりも少し手前から、山に向かう道路でたどり着くことになる。腹が減ったので、この道路沿いのコンビにでたらこスパゲッティを買って隣の休憩室で食い始めた。このコンビニのように休憩室があると、自転車ツーリストにはとても助かる。ただの空き部屋にテーブルと椅子が数脚置いてあるだけなのだが、かえって遠慮がなくて利用しやすい。
ここからものの10分で清水寺の参道に着くことが出来る。天気がいい上に、気温も高いので汗びっしょりになっていた。
参道の一番奥に自転車を止めて、長い石段を歩いて上る。両側には高い杉の樹がそびえ、なかなか荘厳な雰囲気だ。道の途中の岩の上にお不動様の石造が祭ってある。親戚の寺の住職さんに「おまえを守ってくれる仏様は、お不動様だよ。」と言われた事があるので、手を合わせて拝んだ後、写真を一枚とった。
![]() |
![]() |
|
俺の守り仏様、不動明王。どうかお守り下さい。
|
寺に続く石段の途中にある山門。
|
石の階段を上りきると、いよいよ寺の本堂が見える。 正面の石段を上り本堂に入ると、中には作務衣を着たおばさんと、若いお坊さんが話をしていた。賽銭をあげ手を合わせたあと、厄払いのお守りを買うために堂内の売店でお守りを選んでいたが、この売店には売り子さんがいない。お守りを手に持ったままキョロキョロしていると、雑談をしていた作務衣を着たさっきのおばさんがあわててやって来て、お金を受け取った。どうもこのおばさんがここの売り子さんらしい。「来年は本厄だから、拝んでもらいに来なさい。」とおしえてくれた。前厄の今年でさえこんなにろくでもないことが多いのに、来年はいよいよ本番かと思うとため息が出てきそうになる。絶対来年は拝んでもらいに来ようと、心に決めた。
![]() |
![]() |
|
清水寺の本堂
|
山陰では珍しい三重の塔
|
本堂の裏山には、山陰では珍しい三重の塔が建っている。塔に上ることが出来るが、お金がかかるのでせこいとは思ったけど上るのをやめた。しかし、京都にある有名なお寺と違って、山の中にある静かな古刹で、落ち着いたいい雰囲気だ。
お寺のあちこちには、かわいらしい花が植えてある。今はチューリップとパンジーがバリバリ咲いていた。なんと言う心安らぐ落ち着いたお寺。俺のような大人の詩人には良く似合う所といえる。
![]() |
![]() |
|
パンジー。この花の名前くらいはしっている。
|
チューリップ。こいつを知らないやつはいないだろう。
|
お守りも買ったし、そろそろ山を降りようかともと来た石段を降りていると、下から関西弁のおっさんの一団が下品に大声を上げながら上がってきた。ここは聖域なのにタバコを吸っているし、すれ違うとスンゲー酒臭い。こんなやつらが拝んでも仏様は聞き入れてくれないに違いないし、地元の俺達には聖域を荒らされたような腹立たしさが沸いてきて情けなかった。よっぽど「タバコ捨てんか、馬鹿もん。」と言ってやりたかったが、ぐっと抑えた。最近の若い者は、とよくオッサンは言うが、礼儀正しいおっさんなど最近見たことがない。ほんとに情けない。何をしにこのお寺までやって来たんだと言いたい。
清水寺を出て、車一台通らない田舎道を安来市に向かう。安来市の手前で、広瀬まで行こうかとも思ったが、体力が少々落ちていたので、このまま松江市方面へ向かうことにした。
広瀬町には戦国時代の山陰の雄、尼子氏の居城「月山富田城」がある。尼子氏の家臣、山中鹿之助は山陰の英雄だ。またの機会に広瀬にはいってみたいと思っている。
松江の手前に東出雲町という所がある。ここには、出雲神話にでてくる死者の国「黄泉」があると言われている。そのため、国道には黄泉の国の入り口という看板まで出ている。
黄泉の国の入り口に行くには、国道から畑道を通って五分も進めば着く。しかしかなり急な坂道なので疲れた足にはきつい。
黄泉の国の入り口は、別名黄泉平坂(よもつひらさか)といい、薄暗く木々が生い茂っている場所にある。
![]() |
![]() |
|
国道沿いにこんな看板が立っている。
|
ここが黄泉の国の入り口、黄泉比良坂。
|
ここの言い伝えを少し書いてみたい。昔世界はドロドロに溶けた海だったという。そこにイザナギという男の神様と、イザナミという女の神様があらわれて、棒で海をかき回した後、そのしずくの落ちたところが陸地になったという。この夫婦の神様はとても仲が良く、幸せに暮らしていたが、女神イザナミが病気で亡くなってしまった。悲しみに暮れた夫のイザナギは妻のいる死者の国、黄泉へ出かけていった。そこで見たものは、なんと体も顔も腐り果てて見るも無残な愛するイザナミの姿であった。驚いて逃げるイザナギ、後を追いかけるイザナミ、黄泉の入り口まで逃げ帰ったイザナギは大きな岩で黄泉の国の入り口にふたをしてしまった。かわいそうなのはイザナミノミコト、愛する夫が逢いに来てくれたかと思うと、自分の姿を見て逃げていく。イザナギは怒りのあまりそれまで不死だった人間に死を与えた。イザナギはそれでは人間が哀れと、子供が生まれて来るという世の中の仕組みを作った。
女の悲しみで人が死に、男のエゴで人が生まれる。神話とは言えなんとも悲しくなってくる。イザナミノミコトはこの後心が救われることがあったのだろうか。
黄泉の入り口をふさいだという大岩を見ていると、若いアンちゃん二人と、お姉ちゃんが一人 車でやって来た。散々あほな話をした後車で去っていった。何しに来たんだ、一体。
黄泉の国から松江方面に向かう。途中、馬潟というところにある中海大橋を通って境港方面に帰ることにした。体力がだいぶ落ちている。いかん、ふだんなら中海に浮かぶ大根島の海沿いの景色のいい道を通るのだが、今日は疲れ果てて景色は悪いが一番近道の中央道路とおって境港まで帰り着いた。
これで厄落としは出来たのだろうか。
この記事を書いている二日前、京都競馬場まで天皇賞を見に行き、ン万円負けてしまった。厄は落ちたのか?
競馬の負けは厄年とは関係ありません。清水寺は厄年の人にはありがたいところに違いありません。