花紅柳緑

 私が小学校高学年の頃の話である。私が住んでいた町のはずれに,秋祭りでにぎわう大きな神社があった。鳥居をくぐって長い参道を登ると境内に巨大なクスノキが2本,凛として立っていた。境内の一画には樫の木の生け垣があって,その奥には小さなほこらがあり,子宝の神様が祀られていた。ほこらの傍らには,男性と女性のシンボルを模した石が置かれ,その周りは濃い緑のテープのような草が植栽されていて,まさにナニそのものであった。アソコに毛の生え始めた少年達にとって,そこは非常に淫靡な空間だった。 神社は隣の小学校の校区であったが,私たちのテリトリーから,川を渡ればすぐのところにあった。しかし,川を渡るためには,ぐるりと遠回りして国道に掛かる大きな橋を渡るか,台風のたびに流されてしまう木製の「一銭橋」を渡るしかなかった。「一銭橋」を渡れば,かなりショートカットできるものの,その橋は幅が2メートルほどの木で組まれた橋で,地域の人が生活道として使うだけのものなので,石ころだらけの河川敷に,簡易に作られたものであった。当然,車は通ることができず,歩行者又は自転車が利用するだけで,欄干もなく,自転車に乗ったまま渡ると,バランスを崩して川にダイブすることがあった。地元の悪ガキ達は,一度は一銭橋ダイブを経験して成長していくものだったし,一銭橋を自転車に乗ったまま渡ることは,ある意味,勇気の証明だった。小学生の私たちにとって,隣の校区の神社に遊びに行くことは,高学年の証であり,自転車に乗ったまま一銭橋を渡るという危険を冒して,男と女のシンボルが祀ってある場所に行くという行為は,ものすごくワクワクすることだった。
  ある時,その神社のクスノキにムササビが住むという噂が流れた。早朝,悪友がとうちゃんと神社の寺社林のクヌギにクワガタを捕りに行ったとき,クスノキの前を通りかかると,木から木に飛び移る生き物を見たというのである。
「あのクスノキにはモモンガが住んどる!見たんじゃ!」
「モモンガ!!!」(一同驚愕する。) 「モモンガ捕まえに行こや!」
 いたずら盛りの少年達にとって,「モモンガ捕獲」というのは非常に魅力的な遊びだった。いつも捕まえているザリガニや,クワガタではなく,モモンガである。捕まえてどうするわけでもないし,家に連れて帰って,飼わせてもらえるはずもないのだが,少年達の狩猟本能は,メラメラと燃え上がった。「モモンガ捕獲作戦」決行の日,学校が終わるのを待ちかねて,いつもの悪ガキ達は一銭橋近くの河川敷に集合した。中には,自転車の荷台に,オヤジのカニ籠(モクズガニ捕獲用の鉄製のカゴ)を結びつけてきているものもおり,誰もが自分たちの手でモモンガを捕獲できることを信じて疑わなかった。
 私たちは一気に一銭橋を渡り,神社の参道を駆け上がってモモンガの巣くうクスノキの根元へとたどり着いた。見上げると,クスノキには,ご神木の証である注連縄がまかれており,その上に大きな雨露がぽっかり口を開いていた。おそらく,獲物はその穴の中に身を潜めているに違いない。雨露までの高さは10メートル程度だったろう。巨木であるので,とっかかりがなく,登ることはできそうにない。
「バチが当たるかもしれんのぉ・・・・。」
誰かがつぶやいた。 みんな心の底で,同じことを考えていた。
「バチなんか当たらんわい!」
リーダー格の一人が足下の砂利を拾って雨露に向かって投げた。それを合図に,尻込みしていた悪友達4〜5人がいっせいに石を投げ始めた。
「穴にどんどん投げ込んで,モモンガを追い出すぞ!」
ご神木に手を触れずにモモンガを捕獲するなら,少しだけバチも軽減されるような気がしたのだ。 どれくらいの時間大騒ぎしただろう。奥の神殿から,神主さんが怒鳴りながら走ってきた。
「コラ〜!!お前ら何しよんぞ〜!!」
めいめいがちりぢりに逃げたが,逃げ遅れた一人が捕まってしまった。
「お前ら,隠れとらんと,出てこな,学校の先生に言うぞ!」
当時の担任は,間違ったことをすると,本当に怖かった。渋々,一人二人と神主さんの前に並んだ。
「これで全員か?」
「・・・・・はい。」
「ご神木に石投げたりしたらいかんかろが!何をしよんぞ!!」
「・・・・・・モモンガ捕ろ思て・・・・。」
「モモンガ〜!!!!・・・・・・・・・・」
 神主さんにしこたま叱られた後,本殿の裏にある神主さんの家に連れて行かれた。私たちは座敷に案内され,神主さんは奥の部屋に入っていった。てっきり,学校に連絡され,担任の先生が謝りに来るのかと思っていると,神主さんが1冊のアルバムを持って現れた。アルバムには,神社のクスノキに住むムササビの写真がたくさん貼られていた。
 神主さんの話によると,昔は,神社の周辺は雑木林があって,ムササビはそこで暮らしていたのだが,雑木林は切り倒され,周辺で唯一残った寺社林で暮らすようになったらしい。写真に写ったクリクリとした愛くるしいムササビの目は,私たち悪ガキの悪行とは対極にあるような気がした。
  あたりが薄暗くなる頃,我々は神主さんに謝って,家路についた。 さっきまで,ヘコんでいた悪ガキも,愛車にまたがると,いつもの調子を取り戻す。誰が一番早く一銭橋を渡るか競争を始めたのだ。
「ドベのヤツが,明日イワマでみんなにホームランバーおごるんぞ!」  
「イワマ」というのは,悪ガキ達が集う学校近くの駄菓子屋のことで,私たちは,遊びに行くとき母ちゃんに50円玉を握らせてもらって,イワマで駄菓子を買うのが楽しみだった。中でも,ホームランバーは10円のアイスバーで,一番人気の商品だった。10円といえども,5人分買うとなるとその日の小遣いはそれでなくなってしまう。絶対ドベになるわけにはいかない。 当時の里道は,街灯が少なく,自転車のライトをつけなければ,真っ暗である。しかし,ライトをつけると,スピードがでない。誰もが無灯火で河川敷を駆け下り,我先にと一銭橋になだれ込んだ。その時点で私はドベ2である。後ろからはホームランバーが追い上げてくる。私はプレッシャーに負けて,狭い一銭橋の上であるにもかかわらず,後ろを振り向くという間違いを犯した。次の瞬間,私の愛車は宙を舞っていた。橋の上から水面まではせいぜい2メートル弱である。しかし,ダイビングしている時間はスローモーションのようにゆっくりとしていた。暗闇が濃い粒子のように全身にまとわりつく感じを覚えている。着水後,底の石で体中を強打した。悪友達は橋の上から,大丈夫かと声を掛けてくれる。
  その時,対岸のテトラポットから何か大きな生き物が「ドボンッ!」と飛び込んだ。
「!!!!エンコじゃ!!!」
  今では水のない川だが,当時はまだたっぷりと水があり,テトラ際は深くえぐれ,水が反流していた。私たちは,テトラの上からテナガエビやゴリを釣って遊んでいたので,そこから飛び込むなんて自殺行為であることをよく知っていた。あんなとこに飛び込むのはエンコ以外考えられない。私は必死で逃げた。小学生の身長で,水深は腰あたりまであったと思う。冷静に考えれば,泳げばいいのだが,エンコが追いかけてくるという極限状態では,少年はパニックを引き起こしていた。川底の丸石に足を取られ,転倒して溺れそうになった。エンコはどんどん近づいてくる。水から立ち上がろうとしたその時,ついにエンコに腕を捕まれた。
 おいどを抜かれて喰われる!!
 私は必死で抵抗したが,腕をふりほどくことができない。その度に大量の水を飲んだ。ついにエンコはその冷たい手で,私のほおを数回ビンタした。もう終わりだ・・・・。
 その時,エンコが「しっかりせんかい!」と怒鳴り,私を浅瀬へと引き上げてくれた。
 エンコの正体は,ウナギ釣りに来ていた地元のおっさんだった。岸に上がると同時に私は大量の水を吐いた。吐けども吐けども,水が滝のように出てきた。・・・・死ぬとこだった・・・。
  エンコのおっさんは,水中を懐中電灯で照らし,私の愛車を引き上げてくれた。私たちは,エンコに大目玉を食らった。
 私の愛車は,ハンドルをどちらかに切ったままでないと,まっすぐに走らせることができないような状態であったが,何とか家にたどり着くことができた。
 家にたどり着いて安心すると,体のあちこちが痛かった。濡れ鼠の私を見て,親に理由を問い詰められた。当然,モモンガの話は言えるはずがない。今でも,あの時のことは,ゴリ釣りに行った帰り一銭橋ダイブをしたことになっている。
 あのモモンガは,神社のクスノキで次の世代に命を繋いだのだろうか?川にたくさんいたゴリ達は,細々と命を繋いでいるらしい。  
  「花紅柳緑(カコウリュウリョク)」ありのままの自然の美しさを言う言葉である。モモンガが雑木林から追われ,寺社林で暮らしていた当時の自然は,すでにこの言葉からは遠くかけ離れていたのだろうが,私にとって,当時の思い出はまさに花紅柳緑の自然とともにある。川の流れや,森の虫たちは,私のふるさとの原風景である。

(がちんこ鱸倶楽部時代のバックナンバー)


富士川遠征

 去年の10月,HUMPの代表の山本さんの案内で,静岡県の富士川に釣行する機会があった。
  富士川と言えば,南アルプス北部に源を発し駿河湾に注ぐ総延長128kmの大河であり,日本三大急流の一つに数えられている。われわれスズキ釣り師としても,富士川と言えば全国紙に何度もとりあげられ,モンスター級の実績も多い名川である。縁あってHUMPさんとお付き合いをさせていただくようになってから山本さんから富士川の話を聞くにつけ,いつかは遠征してみたいという気持ちがあった。
 結局,富士川釣行のためだけに日程を調整することができず,別件で東京に行った最終日の夕方,富士川に入り,翌日の早朝の新幹線で東京に戻って羽田から帰ってくるという強行軍だった。
 釣行当日,山本さんに迎えに来ていただき,あいさつもほどほどに富士川へ直行。夕暮れ前にフィールドに着き,ポイントの説明を受ける。雄大な富士山を仰ぐ富士川のロケーションは最高である。富士川の流れは,太くしかも急流の名のとおり強く流れ,地形が変化しているところでは流れが反流している。所々にウナギ漁のために石が積み上げられており,格好のストラクチャーとなっている。
 山本さんと私,それぞれにルアーをキャストしていく。ルアーをリトリーブすると,富士川の流れの強さがロッドに伝わる。地元の河川なら,どんよりと流れているようなオープンエリアでさえ,ルアーをアップクロス気味にキャストしなければならないほどの流れがあることに驚かされる。 山本さんのロッドさばきは,非常に勉強になった。小刻みにトゥイッチをいれたり,わずかにラインが流されても,丁寧にラインをメンディングしたりする姿は,ルアーの動きを熟知し,流れに潜むターゲットがルアーにバイトしてくることを的確にイメージしているからこそ必要ときに必要なことができる,そういったふうなのである。
  私は,川がカーブして対岸に流れが当たり反流しているポイントにアップクロス気味にアプローチし,反流点にたまっているであろうベイトを捕食しているスズキを狙ってキャストを繰り返していた。一方,山本さんは,私の下流側のオープンエリアでキャストしていた。四国からはるばるやってきた私にポイントをゆずってくれたのだと思い,しばらくキャストを続けていると,私の下流側でキャストしていた山本さんから「バレたぁ!」という声。ポイントとしては,私がキャストしていたポイントが1級に思えた。しかし,魚信をとらえたのは山本さんである。これが,エキスパートとの違いだろうと思った。
  ポイントを休ませるため,しばらく談笑した後,辺りもすっかり暗くなり,いかにも「出そう」な雰囲気になってきた。少し上流部の瀬尻に移動し,暗くなってからベイトを捕食するためシャローの流れの中に出てきたやる気のある個体を狙ってキャストを開始した。立ち位置を変えながら流れを攻めていると,私のロッドに「ガツン!」とアタリがあった。グンとあわせると,「ジイ〜ッ」とドラグが鳴ったものの,すぐにフックアウトしてしまった。気を取り直してキャストしていると,私の下流側で,「バシャ!バシャ!」とエラ洗いの音。山本さんのロッドが弧を描いている。しかし,これもフックアウト。 この後,どちらのロッドにも魚信はなく,結局,駿河のスズキをキャッチすることはできなかった。
  ベストシーズンにリベンジすることを約束して,翌早朝のこだまで東京にとって返し,空路,富士山を見下ろしながら松山に帰還した。

2009.3.21


痛 恨

 長いことスズキばかりを狙っていると「当たり年」というのがある。
 ベイトフィッシュの多少や、地形の変化、水温、流れといった様々なファクターが絡み合って爆釣を呼ぶ「当たり年」もあるし、単に偶然が重なって記録魚に巡り会ういわばラッキーな「当たり年」もある。
 去年の秋のシーズンはまさに後者の典型だった。
 しかし、幸運は、それが天から降ってくるのを待っているだけの愚者には微笑まないものである。
 昨シーズン私に訪れた幸運は2回・・・、2回もチャンスをもらったのだ。
 1度目のチャンスは、ファイト中にロッドがバッドから折れた・・・。
 確かに大型ではあったが、ロッドが折れるとは思わなかった。ヘッドシェイクの大きさから推測するに90cm、7kg級・・・。こいつは、ヤワなタックルで釣行した自分の不注意と、タックルの寿命だと無理矢理自分を納得させた。
 はたして2度目のチャンスである。
 正直言って、完敗である。バイトの瞬間から超大型であることは明らかだった。一度も走りを止めることができず、最後はストラクチャーにラインが擦れてラインブレイク・・・・。
 まさに「痛恨」である。
 釣友には「3年に1度の魚だった」と話した。
 去年は「当たり年」だった。3年に1度の魚を2尾である・・・。
 ということは、次の「当たり年」は6年後か・・・・・。
 6年後には経験値を上げて、レベルアップしているのだろうか。
 ダーマの神殿で転職して伝説の「勇者」になっていたい(ドラクエしない人はわからないネタか)。

2009.2.10


烏兎匆々

九夏三伏を過ぎ,夜風が心地よくなってくると,必ず思い出す少年時代の出来事がある。
私が少年時代を過ごした町には,石鎚山系に源を発する清流が流れていたので,夏の間は毎日,川遊びに行くのが日課だったが,9月も半ばを過ぎると,長い時間川で遊ぶには少々水が冷た過ぎるようになるし,台風による増水が多くなり,親から川に行くことを禁止されるようになる。
雑木林のクワガタたちも,あまりいなくなる時期だから,私たちのターゲットは,中流域の河川敷にある草むらのバッタたちになるのが常だった。草むらでは,ショウリョウバッタやトノサマバッタがたくさん捕れたが,少年たちの一番の獲物は,オオカマキリだった。バッタたちは,オオカマキリの餌なのである。 夏の間,カブトムシを飼っていた大きなプラスチック水槽は,オオカマキリを頂点とした食物連鎖の実験室となるのである。勉強机の上に置いた水槽の中で,オオカマキリは不気味に体を揺すりながら,緑色の目で私の方を恨めしそうに見ていた。
カマキリの餌取りをしていたある日,悪友の一人が草むらで野ウサギを見つけた。
「ウサギじゃぁ!」
「うそぉ!」
数人で追いかけ回したが,少年たちに野ウサギを捕獲できるはずがなく,あっという間に,逃げられてしまった。 それまで気づかなかったのだが,草むらのいたるところに,野ウサギの糞らしきものがたくさんあることに気づいた悪ガキどもは,野ウサギ捕獲大作戦を計画した。
「落とし穴作ろや!」
「ほやけど,ウサギやけん,そうとう深ぁに掘らんと,逃げられるのぉ・・・。」
「1メートルぐらい掘ったらええんじゃないん?」
「落とし穴の上に,新聞紙ひいて,ニンジン置いといたら捕まえれよがや。」
「ほうじゃのぉ!落とし穴掘ろ!」
めいめいが,家からスコップを持って集まり,手にマメを作りながらも,2日間,のべ人数8名を要して「野ウサギ捕獲穴」を完成させた。穴の深さは6年生の背丈程度。最後に,新聞紙を掛け,その上に,それと気づかれないように軽く土をかぶせ,中央に誰かが家の冷蔵庫から盗んできたニンジンを置いた。 「何匹捕れよか?」
「めやくちゃクソがあるけん,そうとう捕れるかもしれんのぉ。」
少年たちのおバカな妄想は,落とし穴の中に何羽ものウサギが落ちている画像を鮮明に映しだしていた。 翌日の放課後,捕獲穴に獲物を確認に行った私たちは,手つかずで残ったニンジンを発見しただけだった。数日間,オオカマキリのエサとりの度に,捕獲穴を偵察したが,獲物がかかった気配はなく,少年たちの関心がそれほど長続きするはずもなく,誰もが,自分たちの手に野ウサギを捕らえることを諦めかけていた。
捕獲穴を作って,1週間ほどたった頃だろうか,河川敷の草むらの近くに住んでいた悪友の一人から,興奮した様子で電話がかかってきた。
「捕れた!捕れた!」
「なにがぁ〜。」
「アホじゃのぉ!ウサギにきまっとろがぁ!」
「!!!!!!!うそぉ〜!!!!」
「すぐ行こわい!逃げられんように見張っとけよ!」
ペダルが壊れるほど自転車をこいで,捕獲穴に到着したときには,悪友の父親がウサギを鳥かごに入れていた。捕獲された野ウサギは,1羽,学校のウサギ小屋にいるウサギよりも,少しずんぐりとして,一回りほど小さく感じた。
カゴに入れたウサギを自転車の荷台に縛り付け,悪友の家まで帰った。獲物を捕らえた喜びと自分たちのテリトリーまで獲物を連れて帰った安堵感から,気のゆるみができていたのだろう。ウサギのカゴを自転車から下ろそうと,縛ったゴムひもをゆるめようとしたとき,はずれたゴムひもにカゴが引っかかり,ウサギもろとも地面に落ちてしまったのだ。獲物は文字通り脱兎のごとく逃げ出してしまった。幸い悪友宅の庭であったので,悪友のオヤジを含めて3人で追いかけ回した結果,ウサギを捕獲したのは,悪友宅の番犬柴犬のユウだった・・・・・。悪友のオヤジは,狩猟が趣味で,玄関には魔よけだかなんだかのために,猪の蹄が打ち付けられていた。オヤジさんの猟について行っているユウは,獲物の首根っこをしっかりと咥え,うなり声を上げていた。悪友のオヤジがユウをなだめて獲物を離させたときには,野ウサギはすでに虫の息だった・・・・。
「歯が立っとるわけじゃないけん,息ができんで気絶しとるんかもしれんし,カゴの下にタオルでもひいて置いといてみいや・・・。」
悪友のオヤジが気休めを言った。
「・・・・・・う・・ん・・・・・。」
翌日,学校では,ウサギ捕獲とその後の顛末について,悪友たちに報告がされた。
放課後,いつもの悪友たちは,ウサギの様子を見に集まったときに目にしたものは,後ろ足を縄で縛られ,血抜きのために軒につるされたウサギの亡骸だった。
「今朝,息がなかったけん,絞めたんじゃ。無駄に殺したらかわいそうやけんのぉ。生き物は,食うて弔ろうてやらんといかんけんのぉ。」
悪友のオヤジが言った。
「・・・・・・・・。」
一同無言である。
「今から皮剥ぐけん,見るか?」
誰一人として,言葉を発することができなかった。
学校の近所にブロイラーの養鶏場があり,そこでニワトリを絞めているという噂があった。養鶏場のおっさんが,ニワトリの首をつかんで,ナタで首をはねるというのだ。首をはねられたニワトリは,首がないまま何かにぶつかるまで走っていくため,ときには,養鶏場の前の道路まで,首なしのニワトリが走ってきて,車にはねられることがあるという。真偽の程は定かではないが,少年たちの間では,学校の七不思議とともに,真実らしく語られていた話だった。
しかし,ウサギはニワトリと違う。確かに,捕獲計画は立てたが,家で飼うつもりだったはずだ・・・?いや,誰かが,飼うんだろうと思っていた。とにかく,こんなはずじゃなかった。
私たちの見ている前で,悪友のオヤジは,まるで,女の人の服を脱がせるかのようにスルスルとウサギの皮を剥いだ。
時間にして,15分程度だろうか。皮を剥がれたウサギは,真っ赤な肉のかたまりになってしまった。 さすがの悪ガキたちも,言葉を失い,ただただ,成り行きを見守るしかなかった。胃の中に,鉛のような感覚があった。  その日,私たちは,いつものバカ騒ぎをすることもなく,うなだれてダラダラと愛車のペダルをこいでそれぞれの家に帰った。秋祭りを控えて,稲刈りが終わったばかりの田んぼに積まれた藁の中で,コオロギがコロコロと悲しげに鳴いていた。

「烏兎匆々(うとそうそう)」太陽と月がいくつも過ぎてしまった、つまり月日のたつのがはやいことをいう諺である。太陽には三本足のカラスが住んでいて,月にはウサギが住むという伝説から生まれた言葉だという。
秋の夜釣りの最中、見上げた空に満月がうかんでいた。
あのウサギは月に帰ったのだろうかとふと思うことがある。
いまでは,当時の悪友と飲む度に,笑い話として語られる。
「あん時は,まいったネヤ。」と。
今でこそ笑って話すことができるが,少年たちにとっては,本当に「まいった」事件だった。

2008.10.31


Blue Sky

 6月初め,小学校3年生の長男が,唐突に「野球部には入りたいんよ・・・。」と言い出した。小学校の部活動とはいえ野球部である。噂では,子供だけでなく,親も大変だと聞いていた。そんなものに入った日には,釣りどころではない。
「う〜ん・・。練習しんどいらしいぞ,休みの日も野球の練習しかできんなるけど,がんばれるんか?」 「やる!!」(目が爛々としている・・・・・。)
「う〜ん・・・・・・・・。見学に行ってみるか・・・・・。」
「行く!行く!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。う〜ん・・・・。」
  私自身,野球の経験といえば,小学校時代の草野球程度である。私の少年時代,プロ野球選手はヒーローだった。時代は「王貞治」。少年たちはみんなフラミンゴだった。 時代は変わり,息子は友達と遊びにいくにも,ゲーム機を持って遊びに出る。学校からは保護者の携帯電話に不審者情報が送信され,公園には「野球・サッカー禁止」の立て看板がある。時代は変わったのだ,仕方ないんだと頭では理解していても,釈然としないものがあった。 そんな中で,息子が野球をやりたいと言い出したことは,厄介なことを背負い込むことになるという面倒な気持ちの反面,少しばかりうれしくもあった。 息子はやる気満々で,半月の体験入部を経て,めでたく野球部に入部することになってしまった。 結果,7月,8月9月の釣行日数は3日・・・・。予想どおり,釣りどころではなくなってしまった。
  ところが,この少年野球,おもしろいのである。息子も,先輩たちのプレーを見て,自分も上手くなりたいと思うらしく,私が家にいると,キャッチボールをしてくれ,ノックしろ,とうるさく言ってくる。野球経験のない私は,息子と一緒に練習している(私のメタボ解消にも一役買っていると思っている。)。今では,親子共々,頭の先まで野球に浸かってしまった。 山の向こうに見える真っ白な入道雲,真っ青な空に白球が飛ぶ。それを追いかける子供たち。今年の夏は,海にも山にもプールにすら行かず,ひたすらグランドでボールを追いかけた。私も息子も真っ黒に日焼けしている。こういう夏もアリだなぁと思う。息子と一緒に一生懸命になれるものがある。新しく足を踏み入れた世界には,昔と変わらない父と子の姿があった。 私も(草野球ではあったが)上手くなりたくて親父にキャッチボールやノックをしてもらった。グローブにオイルを塗ってもらった。王貞治の756号本塁打の記録が近づいたテレビ中継は親父といっしょに釘付けになったあげく,放送の都合で756号本塁打達成のシーンを見ることができなかった(たしか,放送開始前に756号本塁打を打ってしまっていたと記憶している。)。 息子が私と「いっしょ」の時間を共有してくれるのは,果たしていつまでなのだろう。あと数年間は,息子と同じ日焼けをして,同じ夏を過ごしていこうと思う。
  息子よ,秋のベストシーズンは釣りに行かせてもらうぞ・・・・・。

2008.10.8


Oldies But Goodies

 私が高校生の頃の話だ。私の育った町の隣町に母方のばあちゃんが住んでいた。小うるさいばあちゃんだったが,休みになると,ばあちゃんの所に遊びに行くことが多かった。ばあちゃんの家には,同い年の従兄弟が住んでおり,この従兄弟と私は,竹馬の友で悪友だった。私たち自身はあまり覚えていなかったのだが,私と従兄弟は幼い頃から,わるさばかりしていたらしく,近所では有名な悪ガキだったそうだ。ばあちゃんの家に行くと,必ず私たちのいたずらに手を焼いた話や,近所の人に頭を下げに行った話をされた。一方で,悪ガキだからこそかわいがってくれる人もいた。近所に住む飲んべえの宮大工の棟梁が私たちのことを気に入って,棟梁の遊びのお供に連れて行ってくれたものだ。
  私が育った町も,ばあちゃんが住んでいた隣町も「ど」がつく田舎町だったから,遊びのほとんどは,生き物を捕まえて食うことだ(爆)。その遊びの中でも,私たちが一番楽しみだったのは,クルマエビ捕りだった。初夏の頃,潮の引いた干潟で,専用の漁具を使ってクルマエビを捕るのである。その漁具というのは,形はテニスコートのブラシそっくりなのだが,ブラシの代わりに,一定の間隔で長い釘が打たれていた。その釘の部分を砂に沈めて,ずるずると引っ張ると,砂の中に隠れているクルマエビやら,ワタリガニやら,シャコやらが砂の中からこそぎ出されるという案配だ。漁具を引っ張って,砂浜を数メートル歩くと,砂の中から,ピシャピシャとクルマエビが躍り出る。また数メートル歩くと,ワタリガニが仰向けになって足をバタつかせるといったふうに,いくらでも捕れたものである。一歩踏み出した,足の下に,生き物の動きを感じて,驚いて足を上げると,大きなカレイが干潟に取り残されていることもあった。足袋を通して伝わる初夏の砂浜は,生命にあふれていた。
 私が高校2年の秋,棟梁が喀血して入院した。後から聞いた話,末期の胃ガンだったそうだ。学校の休みに見舞いに行ったときには,別人のようにやせこけていた。棟梁は,「春になったら,またクルマエビ捕りに行かないかんの・・・。」と弱々しく言ったが,高校生の私ですら,その約束が実現されることはないだろうことは容易に想像できた。医者からは,酒とタバコをやめて,治療すれば,数年は延命できるだろうと言われたそうだが,棟梁は,看護師の目を盗んで,タバコを吸い,酒を飲んでいたらしい。最期は大往生だったと聞いた。
  棟梁が逝ってしまってまもなく,悪友の従兄弟も高校を中退し,東京に出て行った。私はといえば,進学し地元を離れてしまった。私の郷里の記憶は,そこで止まったままである。いまでもあのころの風景,棟梁のカブの後ろに乗ったときの風の匂い,干潟の水の温かさ,砂の感触を鮮明に思い出すことができる。 あれから20年が過ぎた。あの干潟は今では地元の漁協がアサリを撒き,入場料を取って潮干狩りをさせている。豊饒だった干潟はもはや見る影もない。時は流砂のように流れ,すべてのものはその形を変えた。そこにあるものは,そこにあったものではなく,未来においても変わらずあるものではないのだ。

2008.4.9


判官贔屓

 「判官贔屓(ほうがんびいき)」辞書で調べると、「弱いものに、弱いからという理由でえこひいきしてしまうこと」と説明されている。
 誰でも判官贔屓的な部分を持っているものだけど、私の場合、その傾向が強いように思う。その最たる例が、我が家のPCだ。そもそも、最初に入手したPCが、かなり型落ちのマキントッシュだったことが始まりで、10年以上マックを使ってきた。もちろん、判官贔屓というだけではなく、マックのユーザーフレンドリーなインターフェイスに心酔しているというのが一番の理由だ。また、一昔前までは、デザイン業界と音楽業界はマック使いと相場が決まっていた。私も、ミュージシャンの端くれとして、楽譜作成や、ちょっとしたMIDI関係ソフトを使用することがあり、その多くが、ウインドウズに対応していなかったため、マックを使うメリットが大きかった。しかし、昨今、ウインドウズマシンでも、それらのソフトが対応し始め、以前なら、マックでネイティブに動作していたソフトたちも、ウインドウズマシンネイティブに動作するようになってきた。それでも、使いやすいマックから離れることができず、ずっとマックを使っていた。ところが、我が家のマックもかなり古くなり、スペック的に限界を感じてきた。Webページの閲覧程度なら問題ないと思っていたのだが、我が家のマックOS9.1では最新のブラウザを使用できないため、閲覧できないサイトが増えてきた。新しいマックを購入することも検討したが、子供たちが、学校で使用するPCは間違いなくウインドウズマシンである。
 結果、昨年末、ウインドウズマシンを購入した。長いものに巻かれた形になった。仕事以外でウインドウズマシンを使用するのは初めてなのだが、とにかく便利である。何でもでるという表現がピッタリなのだ。
 しかし、個人的には、マックをあきらめたわけではない。やはり判官贔屓。というよりも、あまのじゃくなのだ。現在、一昔前のG4マックを物色している。

2008.1.20


ヒラスズキをめぐる冒険(中)

 どうも調子が悪い。年末年始にかけて、グッドサイズを3尾たてつづけにバラシている。どの魚も、思ったところで出しているにもかかわらずだ。しかも、そのうち1尾はかなりのグッドサイズ。かなり沖目で掛けたのだが、全身を出してテールウォークした魚体の大きさに驚いた。
 状況としては、それぞれのポイントに1尾。かなり条件の良い日、厚いサラシがあっても、2尾といったところ・・・。どこかにパラダイスがあると信じてヒラスズキをめぐる冒険を続けよう。マルスズキのポイントだって、同じように試行錯誤して見つけてきた。遠回りのように見えて、この方法が一番だということは、経験上わかっている。誰かに教えてもらったポイントで釣っても、スキルアップにはならない。自分の引き出しを増やすためには、ジタバタするしかないのだ。自分のステップを踏もう。私のようなヘタクソは人の何倍もかけて攻略するしかないのだから。明けない夜はないはずだ。厳寒のシーズン、磯で迎える朝日は、ことのほか美しく感じる。

2008.1.10


ヒラスズキをめぐる冒険(上)

 数年前から、ヒラスズキにはまっている。もともと、マルスズキばかりを追いかけていた私が、ヒラスズキに挑戦しようと思うきっかけとなったのは、某サーフで偶然釣り上げた、生涯最初のヒラスズキである。ビギナーズラックとは怖ろしいもので、初めて釣ったヒラスズキが82cmのグッドサイズだったのである。地域によれば、幻の魚とまで言われるほどの魚である。魚影の濃い九州四国エリアなら、素人の私が、しかも、釣りやすいサーフでこのサイズが釣れる。ヒラ師に言わせれば、サーフのヒラに値打ちはないと言われるかもしれないが、ヒラスズキには違いないではないか!それからしばらくは、サーフの夜ヒラに通い詰めた。ところが、と言うより、やはり、最初のシーズンは、ヒラスズキは、私を相手にしてくれず、雑誌でヒラスズキの記事を見るたびに、モヤモヤとしたものを感じながら、ヒラスズキのハイシーズンが終わってしまった。その後は、いつもどおりウェーディングのマルスズキゲームに戻っていたのだが、腹の中は「ヒラスズキがなんぼのもんじゃ!」と負け惜しみでいっぱいだった。とにかく、なんとかヒラスズキを釣りたい!ヒラスズキを釣って、ヒラこそスズキ釣りの至高と言わんばかりの輩に「ヒラヒラ言うな!」と言いたかったのだ。
 昨年、ヒラスズキ2年生の私に、少しずつ光明が見え始めた。私がヒラにはまっていると聞きつけた諸先輩方から、ありがたいお誘いをたくさんいただくようになり、敷居の高かった磯ヒラに挑戦した。この磯ヒラ、異常に面白いのだ!
「ヒラヒラ言うな!」と言いたかった自分が、今度は磯ヒラに首までどっぷり浸かってしまったのだ。 今ではヒラスズキは磯で釣るのが醍醐味だと公言している。やはり何事もやってみないと、面白みはわからない。夜マルも夜ヒラも面白いが、磯ヒラの楽しさは他にはないと断言できる。釣り上げた魚の美しさも群を抜いていると思う。アングラーにとって過酷な条件の中で釣る魚だからこそ、美しく感じるのかもしれないし、苦労してたどり着いた磯で釣れるから美しく感じるのかもしれない。九州の津留崎氏が「ヒラスズキ釣りは、釣りとしての難易度で言えば、簡単な部類に入る。」と氏のホームページで書いていらしたが、ある意味真実だと思う。活性の高い魚がいれば、いとも簡単にヒットさせることができる。しかし、現在の私のレベルで釣ることが出来るサイズは、ランカーとは言い難いノーマル以下のサイズがほとんどである。今シーズンこそは、レベルアップしたい。そのためには、ちょっと冒険しないといけないのだろうと思っている。
 さて、「ヒラスズキをめぐる冒険」のはじまりだ。

2007.12.25


ライン再考

 ここ1年間ほどナイロンラインをメインに使っている。はじめは、バラシの軽減になればと使い始めたのだが、思った以上に、ナイロンラインのメリットが多いのである。PEラインを使っていた頃は、ナイロンラインは過去のものだと思っていた。飛距離や感度の点でナイロンラインに勝ち目はないと。しかし、PEラインのメリットは、そのままデメリットでもあり、ナイロンラインのデメリットは、そのままメリットであるのだ。どちらのメリットがより大きいかは、アングラーのスタイルによっても違うだろうし、断定的なことは言えないが、私見を述べさせてもらえば「シーバスフィッシングに限って言えば、ナイロンラインに1票!」という結論である。
 私は、ナイロンラインをメインに使うようになって、タックルバランスを全面的に見直した。ナイロンラインのメリットである「伸び」を有利に利用するためのタックルバランスである。敢えてナイロンラインの「伸び」を「メリット」と言わせてもらったが、タックルバランスによっては「伸び」はやはりデメリットである。 私の場合、かなり強引なファイトを予想したタックルバランスを組んでいる。過去に
増水したリバーで超大型を掛けて、為すすべもなく巻き込んだラインのすべてを出されたり、走りを止めようと、スプールを手で押さえて、無理なファイトをした結果、フックやスプリットリングをのばされ、痛い思いをしてきた。ならば、ソフトなファイトに徹して、魚を誘導するロッドワークで挑めば良いという意見もあるが、ヤワなタックルではどうしようもない魚を掛けることがある。パワーでねじ伏せられた経験があるアングラーなら解ると思うが、これほど屈辱的なことはない。相手は、青物ではなく、スズキである。そんなことができる魚は、一生に何度かのビックフィッシュのはずなのだ。掛けたら取りたいじゃないか!
 私は、リバーがらみのマルスズキをターゲットにする場合、8.6ft又は9.6ftのミデアムヘビーアクションのロッド+ダイワの3000番のリールに12〜14lbのナイロンライン+30lbのショックリーダー2mというタックルバランスを組んでいる。このタックルバランスなら、増水したリバーで大型をヒットさせても、
常時主導権を握ることができる上、少々強引なやりとりをしても、ナイロンラインの伸びがクッションの役割を果たし、フックが伸びてばらすことが少なくなった。また、ファイト時間を長引かすことなく、短時間で勝負がつくため、他の魚に無駄なプレッシャーを与えることがないし、魚が元気なあいだに取り込むことができるため、リリース後の生存率が高いのではないかと思っている。
 また、磯のヒラスズキをターゲットにした場合、根擦れに強いという点で、ナイロンラインはPEに勝っているし、強風下では、ナイロンラインのコシと自重が良い方に作用して、ラインをさばきやすいというメリットもある。風で吹かれるラインを利用して、根の際をトレースするような場合、ナイロンラインの方が思い通りの弧を作りやすいのだ。また、魚を掛けてからも、伸びが適度なクッションとなり、ヒラスズキを怒らせずにやりとりできるような気がしている。PEでヒットさせたときと比べて、ヘッドシェイクの回数が明らかに少ない。
 ただし、明らかにPEラインが有利なシチュエーションもある。サーフプラッキングである。広大なサーフの場合、遠投性にすぐれたPEラインは、大きなアドバンテージとなるし、いつくるか解らないアタリを敏感にキャッチすることができるPEラインは必要不可欠である。
 結論として、適材適所ではあるものの、どちらかを選ぶなら、ナイロンラインに1票というのが、私見である。

2007.12.17


Rodio Craft訪問

 先日、Rodio Craftさんを訪問してきました。
  Rodio Craftさんとおつき合いをさせていただくようになって、数年になりますが、いつもメールか電話でのやりとりでした。前々から、直接会ってお礼も言いたいし、釣り談義をしたいと思っていました。
  東京出張の仕事が早めに終わったので、午後から休暇をとって、Rodio Craftさんの本社がある千葉県四街道市に行って来ました。代表の浅野さん自ら駅まで迎えに来ていただき、恐縮したのも束の間、お互い釣り

好き同士、「最近どうですか?」からはじまって、釣り談義に花が咲き、楽しい時間を過ごすことができました。残念ながら、森田さんとはお会いできなかったのですが、いつもお世話になっているRodio Craftのみなさんと始めて顔を合わせることができ、日頃の無礼をお詫びしつつ、今後の新製品の話や、テスターとして日頃思っていることなど、代表の浅野さんや、いつも我々テスターからの依頼に対応していただいている遠藤さんと、ざっくばらんに話をしてきました。
 Web上では、まだ、公開できないような新製品のプロトモデルを見せていただいたり、開発の裏話や、森田さんの武勇伝等、あっという間に時間が過ぎてしまいました。とにかく、森田さんをはじめ、代表の浅野さん、遠藤さん、みんな釣りが好きなんだなぁと感じましたし、情熱を持って製品の開発をされている姿勢に頭が下がる思いでした。

 レアものの、魚皮張り(本当のマイワシの魚皮をルアーに張り付けたものです。「そこまでしなくても・・・」なんて言わないでください。浅野さんも言ってましたが、金はかかるけど、釣果変わらないそうです。大人の遊びですから、こういうのも粋でイイじゃないですか!)Banzをお土産にいただき、今度は一緒に釣りをすることを約束して、後ろ髪を引かれながら、四街道を後にしました。
 今後も、Rodio Craftさんのさらなる発展と、同社のみなさんの爆釣を祈念します。

2007.10.20


問 題 発 言 !?

 「情報というのは、共有してこそ意味がある。」といいます。ただし、これは組織や、目的を同じくする共同体について言えることであって、情報をばらまくことではないのだと理解しています。 こと、ポイントの公開については、いろいろな思惑があり、トラブルの種です。確かに、webや雑誌でポイントを公開することは、無条件に、不特定多数の人に、情報を垂れ流すことになり、結果として、自己満足とか、有名志望ととられてしまうことがあります。 一方、ポイントを秘匿したいというのは、自分だけが良い思いをしたいというエゴイズムでしかないと言われても仕方のないことだと思っています。私が常々言ってきた、「ポイントを開拓することが釣りの一部だ。」というのは、正論だと考えています。しかし、その正論は、秘密のポイントでこっそり爆釣したいという、自己中心的な考えを正当化する方便でしかないととらえられても仕方ないのだと、私自身、自戒の念を込めて、そんなことを考えています。 このサイトでポイントを公開していこうと思っているわけではありません。ただし、私の方法が正しいと主張するつもりもありません。ある意味、私の意見は偏っているし、間違っていると思います。しかし、既得権を主張する原始的で野蛮な考えにとりつかれて、自分のポイントは知られたくない、他人のポイントは詮索したいという矛盾に気づかないふりをして、他人の情報に右往左往する、そんな情けないことにだけはならないようにしたいのです。

2007.10.5


FISHY STORY

偽造写真 FISHY STORY=「ほら話」「嘘っぱち」という意味らしい。英語圏では、魚の話=釣り人の話は、そういう風にとられがちなわけね・・・。いやいや、日本でも同じかな・・・。どうも、釣り人の話は半分に聞くのが万国共通 の常識のようだ。確かに「でかい魚をバラした。」とか「某河口でメーター級が釣れたんだって。」なんて話を聞くと「眉唾だなぁ・・・。」と思ってしまうものだけど・・・。先日、宮崎の日向マルカさんこと松田正弘さんとご一緒する機会があって、面 白い話をたくさん聞くことができた。その中でも、彼が2mのスズキをバラしたなんていう話には、ひっくり返った。松田さんの「どうせ吹くなら、おおぼらが面 白いでしょ。」という言葉に、氏の人柄が伺われた。大小あるけれど、釣りをしない人から見ると、我々釣り人はほら吹きなのだ。それなら、いっそありもしないおおぼらを吹いて、楽しけりゃいいじゃないか。どうせ、釣り人同士の身内ネタなんだから。わたしも、3mのスズキを釣ることを目標に掲げることにしようかと思った(嘘)。

2007.4.16