自己紹介![]()
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昭和35年に宮城県の、ど田舎にうまれて当年?歳、小学校の頃リウマチを患い中学にはいるまで
運動ができなかった。そのせいか、いまだにカナズチです。(笑)
高校にはいってから「これではいけない」といいきかせ、フォークバンドを結成、それと同時に近くの
柔道場へ通いなんと、なんと二段までとった。バンドの活動も 順調で卒業する頃には地元の新聞に
写真いりで紹介されてしまいました。いまおもえば柔道の段をとった ことでなんにもなかった自分に
自信がついてがんばれたんだとおもいます。
高校卒業後、広島県の食肉流通販売の会社へ、数年後親父が病気を患い家業 の農家ができなく
なり帰ることになってしまい現在に至ります。世にいうUターン組みという部類です。(笑)
Uターンしてからすうねんご無事結婚し、一姫二太郎と子宝にもめぐまれた。
「なんと順調な人生なんだろう」と自分でもおもっていた矢先、娘が川崎病という 奇病におかされて
しまい半年ほど入院、完治したあと今度はアトピーガひどくなりいろいろな病院をハシゴしましたが
なかなかなおらないので困っていた矢先にオーガニックの生産者Aさん(名前をだすと嫌うので仮名に
させていただきます)にであい、現在にいたります。
今でもAさんとは親交を深めていまして、ちょっとだけAさんのルーツを話したいとおもいます。
現在68歳の完全無農薬米の生産者、バリバリの頃は建築設計事務所を経営、本人も一級建築士
の資格をもち関東を中心にがんばっていた。しかし会社も大きくなり従業員100人規模になった頃から
体に変調をきたし引退して療養に専念したそうですが良くならず田舎に引っ越す。
そこで気づいたんだそうです、小さい頃食べた食い物が百薬の暢になることを!それからAさんはなに
をしたか?なんと、なんと田んぼと畑を買った(金はあったんだって本人笑っていってましたよ)
それから本をよみ、農家と話をし一生懸命じぶんがたべるものを作っています。もちろん、オーガニック栽培で。
私は、今年でオーガニックに関わって10年目の節目の年になります。
始めた頃からみれば、今は大変充実した日々を過ごしています。ど田舎から出て行くと都会の空気は
心地よいものではありませんが、都会の生活は「便利」に尽きると思います。ど田舎で生活していると意外
に難しい事も多々あるんです。例えば隣近所の付き合い、親類縁者の付き合いなど、自分の仕事ゃプライ
ベートは無視されることがあるんです。(田舎に定住を考えている方は、要注意)それから、Uターン組と
地元組との軋轢など。いい事ばかりではないんですね、、、、、これから変ってくると思いますか゛(私の存在
によって除序に変りつつあります。。。。笑)
BSE発生時、「これで牛肉生産は終りだ」と大抵の生産者は思いました。かくゆう私もその一人でした。
その頃、私は牛肉・米生産を主流にして家畜人工授精師という仕事で農家を回って収入も得てましたので、
「牛肉の生産」が無くなれば収入の7割が減ってしまうので本気で悩みました。
そして、出した結論が情報処理の資格試験(初級システムアドミニストレーター)を取って新しい仕事をすると
いう目標を立てました。40歳の時です、結果的に取る事が出来(2年も掛かりましたけど、、、、笑)、現在この
スキルを生かしても収入を得ています。当時を振り返ると「夢中だった自分」「いらいらしてる自分」「うつ病だった
自分」が(なんか、どこかの勧誘商法の文面になってきたナぁー、、、、笑)いました。
今は、穏やかな日々を送ってます。
トラブルを乗り越えた時、そこには楽しいことがあります。有機農業を始めたときも、おもいっきりトラブリました!
普通の農業をやっていたら、、、、、、、、、、、都会の人ととのつながりもなかったでしょう。
シスアドの資格を取らなかったら、、、、、、、、、、今の収入とネットの人脈は無かったでしょう。
BSEが無かったら、、、、、、、、、、シスアドの資格をとらなかったでしょう。
お金はあとからついてくる。
この言葉は、「お金を作る前に人脈を作らないと成功しません」という私自身の格言です。
また、そうしないと仮に成功しても「お金」しか残りませんから。
食べ物は一日の活力を与えてくれます。
私は記念日と悪いことが゜合った日には必ず、旬の食材を家族と一緒に食します。
明日の仕事のエネルギーと活力を得るために!
お酒は毎日飲むので、あまり高い酒は飲めません、、、、、笑
私が好きな人
米山 正
全 国 有 機 農 法 連 絡会 代表
生産者と消費者の交流を大事にしながら有機農業の発展に尽くす。現在、70歳。
私が好きな歌
栄光の架け橋 オリンピック、テーマソング 「ゆず」が歌ってます。
ではまた、、、、、、、、
じゅうしょ 宮城県登米市
なまえ オーガニックコンサル
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