その1)性行動と性倫理

 僕は、「性教育」には「性行動教育」「性倫理教育」との2つが存在すると考えています。

 しかし、一般に「性教育」というと、「性行動教育」の方が思い浮かべられ、また早期におこなわれているように思われます。しかし、より早期におこなわなければならないのは「性倫理教育」の方ではないでしょうか。

 「性行動教育」は簡単です。性交の方法を教えればよいのですから。もちろん、それが「子どもをつくる行為」であり、同時に「性病」「避妊」についても教えなければなりません。しかし、マニュアルをつくるのはさほど難しくはないでしょう。

 難しいのは「性倫理教育」です。難しい事は2点あります。性倫理教育を「『いつ』おこなうか」と、「『どのように』おこなうか」です。

 僕は、この2点において、「いつ=小学校低学年までに」「どのように=性欲の『抑制論』ではなく『発散論』を」おこない始めるべきであると考えます。


その2)早期性倫理教育

 性倫理教育は、小学校低学年までに、できるなら幼稚園や保育園の時からやり始めるべきです。

 なぜなら、その頃には、男子は未熟ながら性欲を抱き始めるからです。少なくとも、僕は抱いてました。幼稚園では同学年の女の子の裸にドキドキしましたし、小学校に入ってからははっきりと「裸が見たい」と思うようになりましたし、親戚のお姉さんとお風呂に入ったらその胸に釘付けになっていたのを覚えています。個人差はあれ、男子の性欲は、女子よりも圧倒的に早期に抱くのです。

 僕は男なのでわかりませんが、女子は「裸を見られたくない」はかなり早期に抱く感情ですが、「裸が見たい」と思うようになるのは、わりと遅いのではないでしょうか。

 だからこそ、性倫理教育は、(特に男子に)「早期に」おこない始める必要があるのです。

 「早期に」とは言っても、いきなりそんな本格的な事を教える必要はありません。幼稚園や小学校低学年までは、「女の子が嫌がる事をしてはいけない」ということを、「自分がされて嫌な事を他人にしてはいけない」の延長で教えておけばよいでしょう。

 問題は小学校高学年からです。ここで、僕は「自慰」についての教育の重要性を訴えたいと思います。


その3)性倫理教育における「自慰」の重要性

 性倫理教育は、特に男子に必要なのはいうまでもありません。しかし、「どうやって」となると、感情論に走り、先生が持っている倫理観を一方的に押し付けるものが多いのではないかと思います。

 そこで、僕は主張したい。性欲を「抑制する」教育ではなく「発散させる」教育が必要である、と。そして、「『自慰(オナニー)』の重要性」の教育が必要である、と。

 自慰。これは、性教育の中で、最も重要なものであるにも関わらず、最も触れる事が少ない事柄であると思います。なぜか「タブー視」されているのです。まぁ、気持ちはわかります。僕自身、これを書いていて、相当に恥ずかしいです。しかし、「『自慰』を語らずして『性教育』は語れない」というのが、僕の持論です。

 「自慰」と、「精通」や「初潮」とは無関係です。「精通」や「初潮」が起こる前に、「自慰」に目覚める人がいるからです(僕がそうなのですが)。問題は、その時に抱く「罪悪感」です。

 「自慰」を覚えると同時に、「自慰=悪い事」という感覚が、その子を襲います。特に「精通」があった男子には、「何億もの『子ども』を殺している」といった罪悪感までおこります(僕がそうなのですが)。その時に、いかに「悪い事ではない」、「自慰=重要な事」と教えるかが重要となります。

 僕が小学校の時代には「性教育」なるものはなかったので、百科事典の「人間」の本の最終章である「性的な欲求」の項目で、「自慰=重要な事」であるという事を知りました。これを、学校(ないしは家庭)で教えるべきです。

 「『自慰』とは『性欲の発散』にとても重要な事であり、他人を傷つけないためにも『自慰で我慢する』ということが必要である。」

 これが、性教育(性倫理教育)において「必ず伝えるべき事柄」であると、僕は考えます。


その4)「包茎」に関する教育の必要性

 またもや、「タブー」に触れます。今回は「包茎」です。

 これもまた、「自慰」と同じく「性教育」では触れる事のない項目でしょう。この教育は、中学校から高校にかけて行わなければなりません。「教えられないために悩んでいる人」は以外と多いのではないかと思いますが、99%推測なので分かりません。(1%?それは「体験」です。)

 まず教育されるべき事は「病気ではない」という事。「仮性包茎」と「真性包茎」とがありますが、どちらも「病気」ではありません。生まれ持った「体質」です。ですから、「恥ずかしい事」ではないのです。(そうは言っても、恥ずかしいですけどね。)

 次いで教育されるべき事は、「仮性包茎」には何の問題もないが、「真性包茎」は「生理学的・病理学的」に多少の問題がある事。ここで重要なのは、「決定的な問題」ではなく「多少の問題」であるという事です。基本的には「真性包茎」でも問題はありません。しかし、精液が「皮の内側」に溜まるため、「生殖しにくい」事があったり、「病気になりやすい」事があったりします。ですが、あくまで「確率が高い」というだけなので、基本的には問題がないという事になります。

 最後に、「基本的に、真性包茎の手術は保険がきくが、仮性包茎はきかない」ということも教えておくと良いでしょう。ただし、「きちんとした病院」に限ります。ここで言う「きちんとした」というのは、「保険を適用する」と言う意味です。ですから、「真性包茎」の場合、手術をした方がいいと思います。一方、「仮性包茎」でもその医師の診察によっては保険がきく事もあるそうですので、診察してもらった時に「手術時に保険がきくかどうか」を聞いた方が良いでしょう。

 以上、包茎のお話でした。「性教育」では、こういう話もした方がいいと思います。


その5)音楽と性教育(声変わり)

(これは僕の体験談なので、学校ごとに、もしくは先生ごとに違うでしょう。それを念頭において読んで下さい。)

 性教育で「声変わり」を学ぶのに、「音楽」の授業でそれが生かされていないのは納得できません。

 僕は、声変わりが早かったです。いつ頃始まったかは覚えていませんが、小学校6年生の時には既にかなり声が低くなっており、音楽の「歌」の時間が苦痛でした。

 どう苦痛だったかと言うと、「みんなより声が低いので、高音が歌えない。それでいて、『声変わり』が完全ではないので1オクターブ低く歌うこともできない。という状態だったのです。

 しかし、このように分析できるようになったのは、中学校に入り、完全に声変わりが終わってからでした。小学校当時は、「自分が、なぜ『突然』みんなと合わせられなくなったのか」と、深刻に悩んだものです。「今、音痴なのはそのせいだ」と言うのは責任転嫁かもしれませんが、それまで普通に歌えていたのが、小学校6年生を境に歌を敬遠するようになったのは確かです。

 ところが、新潟県立教育センターによると、音楽の教科書では小学校5年生で既に、和声(ハーモニー)が盛り込まれているそうです。ということは、小学校6年生の音楽の歌の授業でも和声は行えたはずです。しかし、僕は小学校では、「授業」ではハーモニーはやりませんでした。もし、声変わりをした生徒には、それに対応したパートを「授業」で「必ず」与えてくれていれば、僕の歌に対する姿勢も少しは変わったかもしれません。

 これを読んだ人で、小学校の音楽の先生に知り合いがいる方は、この点を考慮してくれるように伝えて下さい。お願いします。


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